Neetel Inside ニートノベル
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力を持ってる彼の場合は
第二十九話 来たるべきに備えて

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居間に敷かれた布団の上で目が覚めた。
「……」
起き上がって、無言で昨夜のことを思い出す。俺がこうなる、その前のことを。
確か、由音に肩を貸してもらいながらどうにか家まで帰宅した俺は、そのまま心配する由音に大丈夫だと言って玄関先で別れたんだ。
そのあと、俺は自力で家の中まで入り、そこで青ざめた表情の母さんと出くわした。
それからの記憶はおぼろげだが、おそらく俺は母さんに介抱されたんだろう。断片的にだが、気を失う前のこともいくらか覚えていた。俺はたぶん、疲労と傷のせいで寝てしまった。
見れば、着ている服もパジャマになっていた。これも母さんのしたことに違いない。
パジャマの上を脱いで傷を確かめてみるが、あのレイスとかいう妖精に受けた火傷や打撲などは全て治っていた。
母さんの能力のおかげだろう。詳しくは知らないが、母さんは傷を癒す能力者だったから。
壁に掛けてある時計を見てみれば、時刻は朝五時。
ひとまずは覚めてしまった体の調子を見てみようと思い立ち上がろうとして気付く。
「…母さん」
横になっていた俺に寄り添うようにして、小柄な女性がすうすうと寝息を立てて眠っていた。ご近所さんからは俺の姉(あるいは妹)と間違われることが多いが、間違いなく俺の母さんだった。
ずっと付いててくれたのか。
高校生にもなって母親と添い寝と言われれば少しばかり気恥ずかしいが、それでも俺はありがたさの方が勝っていた。
なんとなく、規則正しく寝息をたてる母さんの頭を撫でてみる。
「…………ん、ぅ…」
そうすると、くすぐったそうに身をよじって母さんは体を丸めた。
母さんは俺の母さんに違いないんだが、時々よくわからなくなる時もある。外見も内面も、ほとんど子供みたいな感じだから。
ふと、撫でていた手をどけて母さんの姿に注視してみる。
肩に触れるかどうかの辺りで切り揃えられた、色素の薄い髪。真夏でも雪のように白い肌。今は閉じられているが、その両目も琥珀がかった薄黄色。
およそ日本人とは思えない特徴だが、顔立ちはそうでもなかったりする。
だから、俺は母さんがどこか違う国の血が混じったハーフとかだと思ってる。
そう思ってきた。これまでずっと。
「……」
脳裏に過ぎるのは、昨夜の妖精レイスが言っていた言葉。
なるべく聞かないようにと意識していたが、どうやっても耳に入ってしまった情報もいくらかある。
その中でも、俺のこと、俺の両親に関わること。
父さんが、連中に対して『何か』をしたってことと、それから母さんの……。
「…いてえ」
頭が痛む。思い出そうとすればするほどに、頭痛は酷くなる。
知らない方が良いことはある。知りたくないことを無理に知る必要だって、無い。
だから。だから俺は。
「…………、母さん。母さんは…」
ーーー、なのか?
しかしそれでも口から出た言葉は、最後まで放たれることはなく俺の胸の内だけで呟かれた。
もちろん、それに答える声はなかった。



「守羽」
「……」
「ねえ、守羽」
「…………」
「守羽ってば!」
「………………あ、うん」
ぼんやりしていたら、目の前に母さんの顔が迫っていた。
母さんは椅子に座っている俺を見て、不安そうに眉を八の字にした。
「本当に大丈夫?傷は全部治ったと思うけど、もしかしてまだどこか痛い?それとも具合が悪かったりするかな?」
「いやいや、本当に大丈夫だから……」
俺が起きてから少しして母さんも目を覚まし、今はいつもより早めの朝食を終えてくつろいでいたところだ。登校時間もまだまだ早い。
「やっぱりちゃんとしたベッドで寝たほうがよかったよね、ごめんね?お父さんがいたら運んでもらえたんだけど、わたしだけじゃ布団敷いて寝かせるくらいしかできなくて…」
「ああ…うん」
我らが一家の大黒柱、うちの父さんは今家にいない。昨日から仕事で、しばらく留守にするとのことらしい。
父さんは出張やらなんやらで家を空けることが多い人だったから、別にそれに関してはなんとも思わない。こんなタイミングでか、とは思うが。
……もし父さんが仕事じゃなくこの場にいたら、俺は何かを聞いていたのだろうか。
いや、おそらくは何も聞かなかった。今でさえ母さんに何も聞けていないのに。
(結局、何がしたいんだ俺は……)
現状を維持したい。
何も考えず、学校で勉強して静音さんと登下校したい。たまになら由音と飯を食いに行ってもいい。家で家族三人仲良く暮らしたい。
俺がしたいのは、たぶんそれだ。
それくらいのものだ。
別に多くを望んでいるわけじゃない、と思う。欲張りだとも思わないし、わがままを言ってるつもりもない。
なのに、それすら今は危うい。
なんなんだ。何がいけなかった?
相変わらず何もわからない。
……俺がわかろうとしていないだけなのか?
俺が何もしなくても、周囲の状況は俺を巻き込んで勝手に動き出す。
なら、やっぱり。
(俺から動かなきゃ駄目ってことかよ…!)
黙って無視を決め込んでいても望む平穏は遠ざかるばかり。こっちの気も知らずに勝手な連中が寄ってきて掻き乱していく。
俺も覚悟を決めなければならないらしい。
どの道、近い内にまた死線を潜ることになる。
餓鬼をバラまいただけで終わるはずがないんだから。
必ずだ。必ず来る。
鬼共が。

     

「本当に大丈夫?休んだって怒ったりしないよ?」
「平気だよ、傷も母さんに治してもらったし」
いつも通りに登校しようとした俺を母さんは散々心配したが、俺が何度も平気だ大丈夫だと答え続けてついに折れた。
「うーん…わかったよ。でも気をつけてね、体調が悪くなったりしたらすぐ早退してもいいから」
「了解ですって」
やたら俺のことを気にする母さんの心情は俺にはよくわからない。おそらくは、昨夜の戦闘のことがあってのことなんだろうが、それに関しても母さんは俺に何も聞かない。
まるで全部知っているみたいだ。だから俺からも何も言わない。
「…あのさ、母さん」
ただ、家を出る前に一つだけ言っておこうと思い玄関に立ったところで俺は母さんに向き直る。
「うん、なあに?」
「近い内に…父さんが帰ってきてからになるかもだけど、二人とちょっと話をしたい…かもしれない。まだわからないけど」
まとまっていない言葉を乱雑に並べて口にする。おそろしく適当な言い方になってしまったが、それでも母さんは薄く微笑んでこくりと頷いてくれた。
「わかったよ。待ってるね」
「…ん。じゃ、行ってきます」



一応ああ言ったが、果たして実際に俺が両親にそのことを訊ねることはあるかどうか。
なんだかんだで有耶無耶にして終わらせようとしてしまう気がする……俺が。
俺のこういう姿勢というかスタンスがよくないのかもしれない。
「…何かあった?守羽」
あれこれと考え事をしていたせいか、隣を歩く静音さんに心配されてしまった。
「ああはい、世界平和についてどうしたものか思案していまして」
「…そう、立派だね」
絶対嘘だとバレているが、静音さんは突っ込まないでくれた。なんか申し訳ない。
「ええと、…本当はちょっと悩んでまして。聞いてもらえますか?」
敬愛する先輩に見え透いた嘘を通そうとした自分に嫌気が差して、俺は正直に今の考えを伝えることにした。
それにこれはある意味ちょうどいいかもしれない。静音さんに少し相談に乗ってもらいたい。
「うん、もちろん。私と君の仲なんだから、なんでも話してよ」
静音さんが少しも嫌がる素振りを見せずにそう言ってくれたのがとても嬉しい。
「あのですね。知りたくないのに、それでも知らなきゃいけないことがあった時って、どうしたらいいんでしょうか」
とはいえ今の俺の状況をそのまま伝えるのもあれなので、静音さんには少しボカして話す。
「……難しそうな話だね。知りたくない、でも知らなければならない…か」
朝の登校路を隣り合わせで歩きながら、静音さんは俺の言葉を飲み込むように呟きながら、
「よく、世の中には知らない方が幸せなこともあるって言うよね。守羽のそれは、本当に知らなければならないことなの?」
「はい……おそらくは」
「そう…」
俺の返事に相槌を打った静音さんが数秒の間を置いてから立ち止まって俺へ向き直る。必然的に俺も立ち止まり向き直る形をとる。
「なら、それは知るべきだと思うよ。君が悩んでいるのは、知るべきかどうかじゃない。君はもうそれを知るべきだと確信しているんだと思う」
俺の返事を待たず、静音さんは続ける。
「だから、きっと君は知ったその先のことに悩んでいるんだよ。それを知ってしまった時、君自身にどういう変化が訪れるのか。それがわからないから、知ることを躊躇う」
変化。
確かに、静音さんの言っていることは正しい。静音さんは的確に俺の心情を見抜いてくる。
俺は怖いんだ、知ることで何かが変わることが。だから知りたくない。
現状維持に徹したい俺にとって、『変化』というのは極力避けたい要素だ。
「でもね、守羽」
先輩は俺の手を取って、真摯な瞳を向けてくる。
「変わることは悪いことばかりではないよ。何かを知って変わることは人にはよくあることだし、心情や認識の変化が必ずしもマイナスに働くわけじゃない」
「それは…そうですね」
かといってプラスに働くかどうかと言われればそういうわけでもないのだろうが…その辺りは人によりけりだ。
まず知ることが前提条件。それからのどう変化するかはその時になるまで誰にもわからない。
だから俺は怖い。俺自身がどう変わっていくのかがわからないから。
「君が何を知ろうとしているのかがわからない以上、私からはこれしか言えない。どうするのかは君が決めることだから」
でもね、と静音さんは俺の手を握ったまま、視線を逸らさないままで、
「どんなに変わったとしても、きっと守羽は守羽だから。そんなに不安になることはないと思うよ。私も、君がどんなに変わっても絶対傍に居続けるから」
絶対傍に居続ける。
そんな言葉、あまり真正面から見つめて言わないでほしい。…たとえ本人にその気がなかったのだとしても、言われるこっちは変に勘違いを起こしてしまいかねない。
しかしまあ、静音さんのその言葉を受けて、俺の思い悩んでいたことが少しだけ晴れたような気がした。
俺が知って変わることで、俺の周囲の親しい人達が俺を避けてしまうこと。
俺が悩んでいることの中には、こういったことも含まれていたんだなと今理解した。だからこそ、静音さんの言葉で少し楽になれた。
「ありがとうございます、静音さん」
心からの感謝を述べて、俺は改めて思う。
こうまで言ってくれる人に、俺も全身全霊を以って報いたいと。たとえ今後何が起ころうとも、俺を信じてくれる人達だけはせめて守り抜こうと。
その為に必要な力であれば、容赦も躊躇もなく使ってやると。
そうやって決意を固めると、いつもそれを意識すると発生する頭痛と内側の異物感が僅かに紛れる。
(よし…)
静音先輩のおかげで、なんかごちゃごちゃし始めていた頭の中がさっぱりした。
今はやるべきことを順繰りにこなしていくだけだ。
近い内に来る戦いに備えて、俺のやるべきことはそう多くない。何せ鬼の動きと根城がわからない、故にこっちから打って出ることはできない。
だからいつ来ても対応できるようにしておく。
とりあえず、助けを求めないとむくれてしまう喧しい学友に協力してもらうか。

     

「次は鬼か!燃えるなっ」
「燃えんなよ」
立ち入り禁止だが当たり前のように入り浸っている屋上で、俺は真上に昇る太陽から降る陽光に顔を顰めながら突っ込む。
屋上の貯水槽の上に立って街を一望している東雲由音が購買で買ってきたらしき惣菜パンを片手に大声で俺に話しかける。
「手下の餓鬼は昨日全部やっつけたから、そろそろ強い鬼が来るってんだろ?何人くらい来るんだろうな!」
「そんな何匹も来られても困るんだが……でも前に殺した大鬼が言ってた名前は一つだけだったな」
確か酒呑とかなんとか。
「そいつの死に際の口振りから察するに、近々来る大鬼は前に殺したヤツよりずっと強いらしい。正直勝てるかどうかはかなり怪しいな」
貯水槽に寄り掛かって弁当を食べている俺の頭上から声は降ってくる。あんまり大声出すとまた教師に見つかって怒られるからボリューム落としてほしいんだが。
「でも前ってのはお前が一人でやったんだろ?今度はオレとお前じゃん!いけるいける!」
「そんな単純な話ならいいけどな」
由音は餓鬼を退治した時点で次のことを考えていたらしい。俺が話を出したら途端に食いついてきた。
どうやらこの件にも首を突っ込む気満々なようだ。俺としては助かることだが、一応は命のやり取りをする戦いだということをもう少し真剣に考えてほしいものだ。こいつはそう簡単に死んだりはしないけど。
「で、どうだ由音。この街に鬼はいるか?」
食べ終わった弁当を包んで立ち上がり、貯水槽の上を見上げる。
「んー…いや、鬼はいなさそうだな!オレもあんまこれ得意じゃねえんだけどさ」
答えて俺を見下ろす由音の両目は僅かに濁った色をしていた。“憑依”の深度を上げた時に起こる特有の症状だ。
由音は身に巣食う悪霊の力を使って人ならざる者の気配を掴むことができる。完全完璧な能力ってわけじゃないから正確性は欠けるが、それでもこの探知能力は重宝する。
今はこの街に入り込んでいる鬼がいないかどうか探ってもらっていた。
「…鬼はいなくても、違う何かはいるのか?」
由音の言い方に引っ掛かりを覚えてそう問い掛けてみると、貯水槽から飛び降りてきた由音が俺の隣に派手な音を立てて着地して、
「シェリアと………あと誰だっけ?あの二人がまだ街にいるっぽいな!位置まではわからん!」
「レイスか」
二人の妖精。片方は昨夜俺をボコボコにしてくれたヤツだ。思い出すだけで腹が立つ。
「鬼と手を組んでるってことはないとは思うが、用心はしておくか。またいつ襲ってくるかわからんからな」
さらに言えば、その襲撃が鬼の強襲と重なったりした場合が今考えられる中で最悪の状況だ。なるべくならそれは避けたい。
「シェリアの方はあんま乗り気じゃなかったっぽいし大丈夫じゃね?」
「だといいけど」
由音は楽観視しているが、せめて頭の片隅には留めて置こう。
「鬼の狙いは俺だ。来るなら間違いなく俺へ一直線だろうと思う」
「んじゃ、鬼が来るまでなるべく守羽と一緒にいた方がいいってことだな!」
「まあ、そうなるな」
もちろん由音といるのなんて学校内か登下校くらいのものだからそれほど一緒にいれるわけではない。
鬼だって、襲うなら夜更けか人気のない頃合いを狙うはず。この辺りは鬼に限らず人外全般に言えることだ。
準備万端の状態で二人で鬼を迎え撃てるとは限らない。
「もしもお互いが別々の時に襲われたら、電話でもなんでもいいから連絡することだな。お前は“憑依”使えば俺が襲われてるのがわかるか」
「まあな!こっちが襲われたら守羽に電話するわ!守羽は別にしなくていいぞ!」
「わかった」
たった二人の人間が、大鬼相手にどれだけ立ち回れるか。勝算が低いのはわかるんだが、いまいち相手の戦力がわからないのが嫌なところだ。
どの道、俺達は状況に合わせて対応していくしかないわけだ。
「そろそろ戻るか」
昼休みもじきに終わり、午後の授業が始まる。
「いや、オレはギリギリまでここにいるわ!」
階段に足を向けた俺に、由音はそう答えて貯水槽の傍にどっかりと座り込んだ。
「なんだ、どうしたお前」
「今降りると副会長に見つかる可能性が大なんだよ!」
副会長……生徒会副会長の先輩。静音さんと仲の良い、井草先輩のことか。
そういえばなんか追い掛け回されてたな。まだ続いてたのか。
「いつまでやってんだか……」
呟いて、俺は一人で教室に戻った。

       

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Neetsha