コニーその5/七面鳥

文芸感想チーム・コニー班の七面鳥です。
更新が遅いのはまだ祭りの灯を消したくないから……いや、ほんとすみません。

今回は『やさぐれ窃盗団 香炉』と『明日のきらめきポリテース』の感想です。
「まだだ、まだ終わらんよ」です。



■『やさぐれ窃盗団 香炉』

事務系OLだったエダ(リモウ)が、自分を誘拐した窃盗団と一緒に泥棒をしているお話。
OL⇒窃盗団という思い切った翻身がこの漫画の面白味のひとつですが、言葉のインパクトほどOLと窃盗団に大きなギャップは感じません。なぜか。実のところこれは翻身というより「転職」の物語だからです。

ありえないほど乱暴な論を立てますが、窃盗団のような犯罪者型の主人公、物語の世界におけるダークヒーローを2つの類型に区別したいと思います。
ひとつは社会規範や価値規範の外に存在し、己の才覚と本能に従い自由奔放に振る舞うタイプ。ここでは仮に「ボードレール型」と呼びます。
もうひとつは犯罪組織の一員として、あくまで組織人として経済活動に従事するかのように犯罪を遂行するタイプ。ここでは仮に「コナン・ドイル型」と呼びます。


1.ボードレールの第二帝政期のパリ

産業の近代化により出現した大都市は、一部のブルジョワの富と繁栄に彩られたものの、同時にその裏側に広範な貧民窟を排出しました。心情的に貧民窟よりの詩人ボードレールは、零落した農民の子弟やうらぶれた都市住民と歩みを共にする者こそこの時代の英雄だと考えました。したがって、彼にとっての英雄とは、近代へと加速する歴史の趨勢に逆らい、ブルジョワやその下で働く労働者たちの体現する近代的な合理性や勤勉性を嘲笑する存在でなくてはならず、必然的にそこには悪や犯罪などの地下世界の蠢きが入り込んでくるのです。ヒーローとはすなわちダークヒーローだと。

“優雅な生活や、大都市の地下を動きまわる無数の浮動的な人間たち、――犯罪者や囲われた娘たち、――の光景、「裁判所時報」や「世界報知」は、われわれに証明してくれる、われわれは自らの英雄性を識るためには目を開きさえすればよいのだと”
(シャルル・ボードレール 1985「一八四六年のサロン」『ボードレール全集Ⅲ』所収,阿部良雄訳,筑摩書房: 167)

こうして、ボードレールによって英雄性を帯びることになった犯罪者像とは、近代的産業機構の要請する合理性や勤勉性に真っ向から対立する人物、己の意志と情熱に忠実な「雲のジュウザ」のような人物、ということになります。今で言う社畜精神とは真逆の性向をもつタイプですね。
ちなみに、同じ理由で「猫」にも期待をよせるボードレール。猫って人の言うことをきかないし、わがままで自由奔放そうに見えますからね。


2.コナン・ドイルのヴィクトリア朝のロンドン

第二帝政期のパリでは、プロレタリア化はまだ“発展途上”段階でした。それゆえ、ボードレールは犯罪という領域に微かに希望らしきものを見出すことができたのですが……プロレタリ化が既に完了したヴィクトリア朝のロンドンでは、そうはいきません。

近代化の原因でもあり結果でもある産業革命と資本主義の波は、地下世界までもすっかり覆い尽くしてしまっていたからです。コナン・ドイルの生み出したダークヒーロー、モリアーティ教授は、近代的な会社組織にも似た犯罪組織を立ち上げ、教授配下の犯罪者たちは“営業成績”に応じて給料を受け取るという、まさに労働者と変わらない生活をおくっていました。そして、大ヒット御礼というかたちで、ロンドンの読者は勤労青年のごとき犯罪者像を受け入れたのです。

ホームズは「このごろは犯罪も平凡だし、われわれの生活も平凡だ。まったくいっさいが平凡で退屈ずくめだよ」と嘆き、左腕にコカインの注射針を打ち込むのでした。この時代の水準に対応する犯罪者像とは、巨大組織に属し下請けのような犯行に従事し、組織の歯車として粛々と与えられた役割を果たす労働者、に他なりません。


3.エダの幸せな「転職」

「やさぐれ窃盗団」における犯罪者たちは明らかにコナン・ドイル型です。本編ではそこかしこに彼らが犯罪という名の“産業構造”の一部分・一部品であることが示されます。
大手企業から中小下請けまで犯罪は組織化され、それぞれの役割が決まっている世界。そもそも窃盗団のビンがエダを誘拐した仕事からして大手犯罪組織の「下請けの仕事」だったわけです。その仕事をビンに紹介したサトウさんも武器・麻薬の密輸会社ホージン(株)を経営している……ってずばり株式会社!
他にも、爆弾製造業を営む組織が窃盗を本業とするエダたちに盗みを依頼(\10,000,000)したり。犯罪業界にそれなりの規模の経済圏があることを示唆するエピソード満載です。

また、漫画において定番の「主人公が成長し仲間を獲得する」過程も本作ではざっくり「採用試験」というかたちを取っています。エダは採用試験に見事合格し(試用期間が終わり)晴れて正社員として正式に窃盗団の一員となるのです。

仕事内容は変わっても、勤め人という存在形態においてエダはOL時代と何も変わってはいません。だからこそ、本心は別にあるにしろ、社会人としての経験から安定的な収入獲得のために海外への“事業展開”を提案する気にもなるわけです。

つまり、OLエダは別業界に「転職」してきたというわけです。そこがたまたま犯罪業界だったと。今のところ、この転職は成功しているように思えます。何といっても「異常に嗅覚が良い」というエダの長所が窃盗において存分に発揮されていますからね。


4.危うい「ミニグ追い」

本論では犯罪者像をざっくり強引に2つの類型に分けていますが、その出自において両者は存立する社会的・歴史的基盤が異なります。第二帝政期のパリとヴィクトリア朝のロンドンでは、犯罪者キャラクタのリアリティの位相が異なるのです。上述のように「やさぐれ窃盗団」は基本的にコナン・ドイル型の、労働者系犯罪者の系譜に位置するものと思われます。

ところで、『やさぐれ』は泥棒稼業と並行するかたちで、随分長い間ミニグという怪盗を追いまわしています。最近ようやくアジトをつきとめたところです。
ミニグは謎のヴェールに包まれたいわゆる神出鬼没の大泥棒といったキャラクタで、どこの犯罪組織にも所属せず、監視カメラに堂々と映るような大胆不敵な手口や、犯行現場に「ごちそうさま」なんて置き手紙を残す児戯を働いたりします。まさに自由気ままな愉快犯といった印象で、組織の歯車としてまじめに仕事をこなすタイプとは対極に位置してます。先の分類でいえばボードレール型の犯罪者です。

個人的な見解ですが、今エダたちが行っている「ミニグ追い」は非常に危険な行為だと思われます。それは失敗したら「業界追放」という作品内のレベルにおいてだけでなく、犯罪者像における“リアリティの水準の喰い違い”という作品の構造にも関わるからです。
エダたちの暮らす産業構造は我々の現実世界に近いリアリズム路線と言えます。それが『やさぐれ』の基調です。他方、怪盗ミニグはよりフィクションに近い存在です。ロボット大戦風にいえば、リアル系のガンダムの世界に、突然スーパーロボット系のマジンガーZが現れたようなものです。それって結構無茶な事態ですよね(Gレコならあまり違和感ないかも?)。

まだミニグがどのようなキャラなのか不明な点は多く、これから明らかになるのでしょうが、場合によっては作品全体に影響を与えかねないというか、ミニグの描き方は作品の成否を左右するくらいの重大事なんじゃないかと感じています。だからこそ、ここは作者である董火ルーコ氏の腕の見せ所と言えるわけで、果たしてどんな展開になるのか目が離せません。


5.猫型であるということ

さて、リアリティの位相とか何とかいろいろ語ってきましたが、実際読んでみると、エダたちとミニグが同じ世界に同居していることにそれほど違和感を覚えません。それは彼らがアニメ版『銀河鉄道の夜』のような、猫型の造形である点に因るところが大きいと思います。

あの猫の姿形はどちらかといえば自由奔放なミニグのイメージにしっくりきますからね。ボードレールの猫のイメージです。なので、リアル系『やさぐれ』の世界にミニグがぽんっと存在していても、一見なんの不思議さも感じないし、逆にとても自然な光景にさえ映ずるわけです。むしろ、猫の姿をしたエダたちが売り上げがどうとか顧客がどうとか経済活動に精を出している方にこそ異化効果があります。
その意味では「やさぐれ窃盗団」の「ミニグ追い」って絶妙なバランスの上に成り立っているんですね。



■『明日のきらめきポリテース』

世界征服を企む悪の組織「グロウ」と、それに対抗する5人のヒーローから成る組織「SWORD(ソード)」の闘いを描く漫画です。
と、大枠は非常にわかりやすい図式ですが、グロウの怪人(元人間?)のトラウマエピソードや世界連盟の不穏な動き等を見る限り、かなり練り込まれた設定が後に控えている感じで、まだ物語の序盤だと思うのですが、これから徐々に謎が明かされていくのだと思います。

ということで、最新話(第13話)までで印象に残ったシーンについて、いくつか言及したいと思います。


・怪人の突きつけるテーマ

この作品で特徴的だと感じるのは、主人公であるヒーローサイドに対し、敵役である怪人たちがある種の“テーマ”を突きつけているように思える点です。
例えば、ヒーローたちが初めて闘った怪人であり、1対5(実質1対4)の状況なのにヒーローたちをぼっこぼこにした怪人ガリベンは、出陣前にこんなことを言ってます。「教えてやりますよ “強さ”という支えを失った時 英雄などというものが どれだけ無様にくずおれるかを」
ヒーローのヒーローたる所以はその圧倒的な戦闘力だったりすることが多々あるわけですが、では、その強さという支えを失ったとき果たしてヒーローはヒーローとしてのアイデンティティを保つことができるのか?気になるテーマですね。ガリベンは見事にそれを叩きつけてやったわけです。まあ、1対5(実質1対4)でぼっこぼこにされたヒーローたちは、翌日には案外けろっとしているように見えるのですが……。

また、現在絶賛戦闘中の怪人ツメノビルも、一見ただ暴れているようで、実は何かを「演じている」。とにかく怪人側がいろいろな意図を持っているんですよね。なので、ヒーロー側としてはただ闘いに勝つだけではなく、同時にその意図を理解して適切な回答を出す必要もあるのかなと思います。


・闘いの中にこそ真実はある

怪人の突きつけるテーマを理解し回答せざるを得ないとすれば、必然的に彼らの闘いは“謎解き”の様相を呈すことになります。闘いの中でしか問いと回答は得られないわけですからね。
他者の思考を読むことのできる仙玉ちゃんはまさにうってつけの存在です。彼女は闘いの中でツメノビルが何を演じているのか、なぜ嘘をついているのかを暴きつつあります。

それ以外にも、そもそも戦闘シーンの真っ只中で明らかになる重要事項が多いんですよね。グロウの戦闘員には銃器が効かないとか、第1話で教えてくれてもいいじゃないですかってくらいの基本情報ですよ!

仙玉ちゃんはツメノビルとの戦闘前に「戦いながら 探っていく!」と決心してますが、「戦いながら 探っていく」はこの漫画全体のあり方なのかもしれません。


・仙玉ちゃんvsツメノビルの緊張感

ちなみに、仙玉ちゃんとツメノビルの闘いは異常に緊張感があります。主な理由は2つ。
1つは前述したように、初戦の怪人ガリベン戦でヒーロー5人がめっためたにされてるからで、そのときは「おいおい初っ端から幹部でもない怪人に全滅ってこれこの後の展開どうなるんだ?」と思いましたが、そこで怪人>ヒーローという力関係が決定的に示されてしまったので、どうしたって仙玉ちゃんまた負けちゃうんじゃないの?という危機感が拭えない。見ていて不安になるわけで、いやがうえにも緊張感が増すのです。
今後すべての闘いにおいて同じことが言えるので、あの初戦ガリベン戦はかなり効果的な演出だったんだなと思います。

もう1つ、仙玉ちゃんの身体能力は常人並という設定なので、ツメノビルの攻撃が1度でも当たればそこで即死亡なのは明白。その上ケガしてるし。だから、仙玉ちゃんにとってはひとつのミスも許されない闘いなんですね。そりゃ緊張感増しますよ。


・天才奇行癖露出狂医師Drメル

作中、唯一非常に浮いた存在というか、異彩を放つ人物に思えます。鯛のコスプレして一句詠む意味がまったく分かりませんでした。理由を説明されたら納得するとかそういうレベルの話ではなく、物語の論理を超越しているとでもいいますか。
でも、意外とこういうキャラに限ってグロウ側と結託して良からぬことを企んでたりするんですよね。個人的に注目のキャラです。


以上、とりとめのない感想でしたが、第1話の印象からは想像がつかないくらい深い設定とテーマがありそうな漫画です。今後の展開が楽しみです。
(……って、ここまで書いていざアップしようとしたら第1話がリメイクされてた!なんてタイミングだ!)
sage