Neetel Inside ニートノベル
表紙

壁の中の賭博者
03.〈ダスト〉

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 秋都が、トントン、と卓を叩いている。リズムを取って、記憶に何かを浸み込ませるように。
「なるほど。〈ゾーン〉に入った相手に振り込まないように、切る牌も選んでいかなきゃいけないってことか」
「ええ。その通り」
「他に何かルールはあるか? 基本的なところは大体わかった」
「自分が捨てた牌では、ロンは出来ません」
「ふむ――?」
「煩雑なのですが、このルールは〈アンタッチャブル〉(触ってはいけない)といいます。アンタッチャブル状態では、自分がアガれる牌が自分の捨て牌にあるだけで、ロンそのものが出来ません。たとえば45戦戦で3―6待ちで3を捨ててしまっている。その場合、6でもロンは出来ません。ですので捨て牌選択はお気をつけて……」
「ほかは?」
「〈悪戦苦闘〉の字牌を揃えて、もう一枚の字牌をどれか持ってくることでもアガれます。全部バラバラ、ということですね」
「どっちもアガれずに牌山が無くなったらどうする?」
「牌山は六枚残した状態で終わります。最後までは引かず、そしてそのゲームはノーカウント。やり直しになります」
「わかった」
 僕は秋都と天使の会話をじっくりと、傷口に塩を塗るように味わった。質問は、という天使の呼びかけを無視する。質問などない、味わう前にそんなこと。
「じゃ、やるか」
 秋都の呼びかけで、勝負が始まった。椅子の背を握る月野の小さな手にきゅっと力が入るのを見た。
 嬉しかった。

 卓の上の牌がひとりでに混ざり牌山を作る。
 僕らは四枚ずつ最初の手牌を取る。
 自分の手牌を開けた。

 448苦

 悪くない。
 出来れば不便な字牌は一枚も来て欲しくなかったが、4が二枚もあるし、いろいろできそうだ。
 字牌を切って7か9を引けばそれでゾーンに入れる。
「あっ」と天使が言い出した。
「先攻と後攻を決めるジャンケンをするのを忘れてました」
「じゃあ、僕が先攻で」
「なんでだよ」と秋都が笑った。
「自分勝手なやつだなあ」
「だってお前が勝ったって、いいことなんて一つもないよ」
「――――」不穏な微笑、
「面白いやつだなあ、ええと、樹畑」
「そのくそったれな名前で僕を呼ぶな」
 僕は無理やり先攻をもぎ取った。目の前の相手に興味が湧かない。
 早く負けて消えて欲しい。僕の役に立たないもの全部。
 全部。
「それでは錬、最初の〈ドロー〉をどうぞ」
 天使のささやきに促され、僕は動いた。
 引く。
 9。
 ――来た。ゾーン達成。背後で息を呑む月野の首を絞めたい。君のために闘ってる、だから、君だけは僕の邪魔をしてはいけない。絶対に。
 眩暈を覚えながら、苦牌を捨てる。幸先が涼やか。
 僕はゾーンを張った。
 これでもう、あとは7を引けば勝ち。
 あっけなく。

 4489

 7待ち。
 秋都がじっと僕の方を見ながら牌を引いた。
 第一打は、9。

「うわあ」
「どうしたの、樹畑くん」
「あっちの手、速い」
「――どうして?」
「字牌が浮いてるなら、それを切ってくる。字牌があっても切らないなら、重なって〈頭〉になってる。だから、第一打で数牌を切ってくるってことは、速いってこと……」
「いい読みだな」
「そう?」
「頑張れよ、彼女のために」
「うん」
 僕が7を引けば、それで終わりだなんてこと、秋都は知らない。
 かわいそうに。
 負けてせいぜい味わえばいい。
 苦しいって、どんな気分か。
 味わわないと、分からないから。
 僕は牌山に手を伸ばす。

 9。

 僕は卓を叩いた。小さな噴火のようなその音に、びくっ、と月野が肩を震わせた。
「樹畑くん……?」
「ふぅーっ」
 よくない、よくない。9はよくない。
 よくないものは、引いたらいけない。
 秋都がクスクス笑いながら僕を見ている。
 僕は、笑われている。
 虚ろな気分で、手牌を見下ろす。

 44899

 8を切る手もある。4と9の二面待ち。
 だが、秋都がすでに9を切っている。残りの9は山に一枚。
 秋都の手も遅いようには見えないし、数牌の真ん中、4あたりは使われていそうな気がする。もし使われていれば、ここで8を切って7待ちを捨てるのは愚の骨頂。
 僕は笑われるのは嫌いだ。
 打、9。
 あえて、手牌の中にあった方の9を切ってみた。
 これでこの9のそばには何も無いと思ってくれれば、7が出てくる可能性はある。
 と思う。

「調子はどうだい」
 声をかけてくる秋都を無視。秋都は苦笑しながら牌山に手を。
 引いてから、打。
 8。
 彼の河(捨て牌)には、8と9が並んでいる。7待ちは分が悪くなりそうだからあらかじめ外していったのだろうか。
 3-6待ちのような素直な形の方が、単純な算数でもアガリ牌の枚数は二倍。そう考えるのは自然なこと、らしい。
 たぶん。
「樹畑くん……」
「心配いらない」
 僕は月野の手を軽く叩いてから、牌を引いた。
 苦牌。
 いらない。
 秋都の番。6切り。
「あっ」
「どうしたの、樹畑くん」
「情報が落ちた」
「……情報?」
 秋都がこっちを見ない。不自然なほどに。
「9とか字牌とかを切られてるだけじゃ、なんの情報にもならない。でも6を切ったということは、45戦戦みたいな形はありえない。……まァ、アガってたら切るわけないから、今後秋都がゾーンの気配がしてきたら、3は通りそう、ってことだよ」
「……よく、わからない……」
 月野は小首をかしげている。それでいい。
 賢く切れてる女の子なんて、ちっとも可愛くないから。
「――ふぅ」
 冷たい熱が僕の手足を痺れさせる。病気になったよう。
 秋都の河を見る。
 986と切ってきているということは、下の方に牌が集まってるのかもしれない。
 23悪悪とか、そんな形。
 もしそうなら、4は僕が二枚も握り潰している。
 7待ちでも勝負になる。
 勝負にする。
 次に僕が引いたのは、5。
 ちょっと嫌な感じだが、切った。流れるように、秋都が動いた。指先が手牌に揃えられ、軽く息を吸うモーション。ゆっくりと溶けていく時間の中で、僕は自分の失策に震えた。
 アガられた――そう思った。だが、
「あっ」
 秋都の指先が電気でも走ったようにわずかに素早く痙攣した。そして、引くのと押すのを同時にやろうとした愚かな指が、結局手牌の一部だけ倒すという、愚かで無意味なミスをした。つまり、見えた。
 秋都の手牌、その右端にあった、2と2が。
「――!」
 慌てて手牌を立てても、もう遅い。
 僕は見た。
 22が頭。
 そして僕の5に反応した。ゾーンは確定。
 待ちはおそらく、
「4―7?」
「…………」
 秋都は何も言わない。だが、もう透けた。僕は笑う。
 ばかなやつ。

 秋都の番。
 やや不貞腐れながら切った牌は、闘牌。
 ここで4―7を引いてこれないとは彼も運が無い。
「……え、どういうこと、樹畑くん。4―7って……」
「そこしかない」
「え?」
「秋都の待ちは」
 僕は牌を引いた。
 3。
 壁の中の天使を見る。
「だれが弱いって?」
「いいえぇ」
 滅相もない、といった風にミザリルは言った。
「いくらかマシ、といったところでしょうか」
「――僕が神様だったら、お前なんかクビだ」
「神様だったら、ね」
 負け惜しみを言ってくる天使から顔を切って、僕は3を捨てた。
 これは秋都が捨てている6からの読み。
 45の形で3―6待ちならアンタッチャブルでアガれない。
 だから、鉄板。
 なのに、秋都が笑った。
 笑った。

「樹畑、とか言ったっけ。お前、いいやつだな」
「何?」
「それだ」
 もう指は痙攣などしなかった。流れるような手さばきで、手牌が倒される。
 ゆっくりと、
 扉が、開くように。


「ロン」




 えっ――――――
 バラリと倒されたその四枚は、

 1222、

 だった。
 ――何待ちだ?
「あっ」
 僕は気づいた。震える手で、秋都の手牌に手を伸ばし、
 そこから、見えた2と2を外した。

 12 22

 ああ――そうか、これは立派な、
 3待ちだ。

「そう、錬、あなたは私が思っていたほど弱くは無かった」
 ミザリルが言った。
「強くもありませんでしたがね」
「あ……」
「この勝負――黒崎秋都の勝利です。おめでとう、アキト」
「どうもどうも」
 拍手のない勝利の余韻がしばらく続いて、
 月野が笑った。
「え?」

 ○

 ゆさゆさ。
 ゆさゆさ。
 月野が、僕の肩を揺らす。敗者の肩を何度も動かす。
 冷えて固まった、あの笑顔のまま。
「なに? なにがあったの?」
「――月野」
「え、どういうこと」
 あなたは負けました、と天使が言った。
「負けた? 誰が? ――あたしが?」
「はい」
「なんで?」
 ぐりん、と僕を見て、
「なんで?」
「――それは」
「守ってくれるんじゃ、なかったの」
「月野」
「え、嘘でしょ。冗談やめてよ」
 クスクス。
 くすくす。
 月野が嗤う。
「負けてないから、あたし」
「ごめん」
「ごめんじゃないから。変なこと言わないで? 樹畑くん。天使さんが勘違いしちゃう。ね、天使さん。あたしは負けてなんかいないでしょ? この人、勝手にここに座ってさ、勝手に負けたの。――地獄に落とすならこの人にしてよ」
「え」
「この人にしてよ」
「ま、待って」
「待つってなに? よくわからない」
「月野……」
 壁の中の天使はため息をついてから、笑った。



「それでは、〈刑〉を執行します」


















「待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って」


 天使は待たない。

 コンクリートに、ぽわん、と波紋が出来た。僕は自分の体温でぬくもり始めた椅子に呆然と腰かけながら、きっと間抜けな顔でそれを見ていた。秋都は頬杖を突いて、その揺らめく灰色を眺めていた。波打つコンクリは、うねうねと揺らめき、そして
 ぬるり
 と、灰色の手がそこから生えた。
 それは。
 ありえないほどの長さで地面に落ち、とぐろを巻く。
 月野が一歩、下がった。
 その足を、背後のコンクリからも這い出てきていた灰色の手が掴んだ。

「嫌ああああああああああああああああっ!! やめてっ、触らないでっ、嫌あっ!!」

「月野……」
「なんでっ! あ、あたしがっ……嫌だっ! 嫌だあっ!」
 これも神の御業、とミザリルが知ったようなことを言う。秋都がぽつっと呟く。
「おめでとう、地獄行き」
「――見てんじゃねぇっ!!」
 少女は吼える、僕に向かって。
 この僕に、少女は吼える。
「見てないで助けろぉっ!! お前がっ、お前が負けたのが悪いんだろぉっ!!」
「――そんな」
「なんで負けるんだ、この役立たず! 能無し! クズ野郎ぉっ!」
 ぺっと月野が唾を吐いた。
 白い汚液が僕の顔にかかった。脳を抜かれた虚脱の中で、僕はその汚れを指で拭って、見つめた。
 月野はこんなことしない。
 月野はこんなこと――

「凄まじい醜態だな。ま、負けたら俺もこうか」
「アキトぉっ! お前ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!!」
 噛みつきそうな顔で月野が叫ぶ。
「お前だけは許さない、絶対に許さないっ!」
「俺が負けて死んだ時、あらためて恨み言を聞くよ」
「てめぇぇぇぇぇぇ…………あっ、ああっ、ああああああ! 寒いっ、寒いよっ、嫌だ……嫌だあああああああ……あああああああ……」
 コンクリから出てきた無数の手に絡め取られて、花が蕾に戻るように。
 月野は、消滅した。
 灰色に沈んで。




 どこかで車が通り過ぎて行った。表の通りには、まだ日常が流れてる。
「やはり人間は面白い」
 ミザリルが言った。
「からかい甲斐があります」
 そんな天使を歯牙にもかけず、秋都が立ち上がった。
 僕は、見下ろされた。
「元気出せよ。べつに、お前が悪いわけじゃない」
「――だから?」
「だから、って言われてもな」
 苦笑いしながら髪をかきむしって、
「ま、これっきりにしておけよ。こんな真似、お前にゃ向いてない」
「――そう」
 ポン、と軽く肩を叩かれる。
 僕はそこを、手の甲で払った。

 ○

 マンションの森の片隅に、いつまでも僕は残っていた。テーブルの上には、打ち捨てられた牌がある。
 見上げた空は、折り紙のように切り取られて、窮屈そうだった。






 そう、
 その日は本当に、嫌な一日だった。

       

表紙

顎男 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha