Neetel Inside ニートノベル
表紙

稲妻の嘘
第十二話  『悪霊どもの宴』

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 決して届かないと思っていた。
 ――誰かに勝つ、なんてこと。





 真嶋慶から勝ち取った、脂貨を詰めた牌箱を片手に提げたまま、まさひろは書庫の通路を歩き続けた。目的地などなかった。誰かに声をかけられても無視し、早歩きで、自分の足元の常に一歩先だけを熱を帯びた視線で睨み続けた。
 誰の声も届かなかった。
 まさひろは、真嶋慶に勝った。
 赤毛の奴隷人形マアムは、そんな主の初めて見る姿をなんともなく眺めている。こんなに興奮しているまさひろを見たことは一度もなかった。べつに喚いているわけでもない、喜んでいるわけでもない、ただ何かから逃げるように、あるいは逆に――何かを追いかけているかのように歩き続けるまさひろの後ろを、マアムは弟のわがままに付き合う姉のように従っていた。そしてコツ、と軽い音を立てて、まさひろが歩を止めた。
「なあ、マアム」
「なに、まあくん」
「まあくんって言うな。――俺、勝ったよな」
「うん」笑って頷く、
「見てたよ」
「……そうだよな」
「心配なの? 牌箱開けて、確かめてみれば?」
「――いや、いい」
「そ」
 なあ、とまさひろがさらに言った。
 マアムは――心を持たない人形の身なれど――主がなにか大切なことを告げようとしているのが分かった。これまでずっと、主の言葉だけをこの器に反響させてきたのだから、当然だ。
 彼女は、まさひろのものなのだから。
 だから答えなど、最初から決まっていた。
「俺、……〈リターナー〉に、なる」
「ふうん、いいんじゃない?」
 まさひろが戸惑ったようにマアムを振り返った。そんな主人の子犬のような顔が、マアムは嫌いではない。
「……止めないのかよ、いつもみたいに。無理だとか、無駄だとか言ってさ」
「ああ、うん、ちょっと思うけどね。いやでもなんか、夢がデカすぎて逆に見てみたいっていうか」
 マアムは両手を挙げて肩をすくめた。呆れたような、嬉しいような、そんな表情で言う。
「わかってる? ……かつていまだ誰も、全部位奪還を成し遂げた〈リターナー〉はいない。だからあんたがそれをやるってことは、まだ〈誰も成し遂げていないこと〉を自分の手でやるって言ってるわけ。ここまでは、オーケー?」
「……わかってるよ」
 不貞腐れたようにそっぽを向くまさひろ。マアムはからかうように笑って、主を励ます。
「でもね、いいんだ。あたし、あんたが勝つとこ見ちゃったから。真嶋慶は普通の〈フーファイター〉じゃ勝てないような凄腕だった。そんなのにまぐれとはいえ勝っちゃったんだから、まァ従者としては応援しないわけにはいかないっていうか」
「……ふん。どうせ、まぐれ勝ちだよ」
「いいじゃん」
 伏せた顔をあげたまさひろの腕をマアムは取った。
「まぐれだっていいじゃん。運も実力のナントカでしょ」
 それにさ――とマアムは照れたように口をすぼめる。
「〈フーファイター〉になって、〈バラストグール〉の宿命から少しでも遠ざかりたいって言ってた頃のあんたは、ぶっちゃけカッコ悪かった。すっごくダサくて、最低だった」
「……おい?」
「でも、いまのあんたは、いい顔してる。なんか、こう、ワクワクする……気がする」
「……ふん」
「だからなりなよ、〈リターナー〉。あたしでよければ、応援してあげるからさ」
 ぼそっと。
 まさひろが何か言ったが、それはマアムに響く前に空中でかき消えた。
「ん、なに?」
「なんでもねぇよ」
 聞き返した時にはもう、まさひろは仏頂面のまま歩き出していて、マアムは駆け足で追いかけなければならなかった。
 主の背中を――
 そんな二人に、追いついた者がいた。
「――ま、待ってください!」
 主と共に振り返ったマアムは、目を見開く。
 そこにいたのは真嶋慶の奴隷人形、エンプティ。
 彼女は、はあはあと息を切らせて、片膝に手を添え、本棚にもたれかかっていた。
 生きているように息を切らせる人形。
 そんなもの、マアムは見たことがない。
 金色の髪をほつれさせながら、エンプティが言う。
「おね――がいです、待って……ください」
「どうしたの? そんなに慌てて……えっと、エンプティ」
「き、聞きたいこと……まさひろ様……あって……けほっ」
 咽る人形に駆け寄ろうとしたマアムだったが、エンプティ自身に片手を突き出されて拒まれた。エンプティは何度か細く呼吸を震わせてから、紅潮した顔をあげた。
「わたし、み、見たこと、なくっ、て……」
 まさひろは眉をひそめた。
「……なにを?」
「慶様が、負ける、ところ……」
 だから、と少女は顔を上げる。
「だから、だから、知りたいんです! 慶様を倒したあなたに、どうしても聞きたいんです!」
 あの、とか細い声を打ってから、エンプティは青い瞳でまさひろをまっすぐに見る。
 射るように。
 願うように。
「……どんな気持ち、ですか? あの人に勝つ、って」
 まさひろは、しばらく黙っていた。
 三人きりの薄暗い書の迷宮、その路上で道を忘れた三人組のように、まさひろとマアムとエンプティは向かい合う。やがて、まさひろは言った。

「知るか」

 え、と呟く人形をまさひろは一瞬強く睨んでから、背を向けた。
「俺は、お前じゃないから」
 金髪の奴隷人形は、なにも言い返せなかった。
 まさひろは歩き出す。赤毛の従者が慌てて後を追う。
 もう、振り返らない。
 味わいたいなら、
 知りたいというなら、
 己自身でやるしかないのだ。
 ――――勝負事というものは。


 ○


 慶はしばらく、座席に腰かけたまま、散らばった牌を手で弄んでいた。金髪の従者の姿は見えない。初戦で敗北し、次の対戦相手を即刻見つけなければならないというのに、慶は何もしようとはしなかった。そんな慶の様子を薄暗がりの中から、濡れた眼光で様子を見ている〈バラストグール〉が何人かいるようだったが、やがて雪が天から剥がれて地へ降るように、慶のそばから離れていった。
 しかし、二階の回廊の手すりに持たれて慶とまさひろの勝負を眺めていた、一人の少年は、負けた慶を見下ろすことをやめようとはしなかった。
 珍しい動物が餌を食んでいるのを優越感に浸りながら眺めるように、彼はうっすらと微笑みながら、慶を見ている。
 その隣に、少年の三分の二の背丈もない幼い型の奴隷人形がいた。夜明け前の空のような藍色の髪にシルクのカチューシャを乗せている。くりくりとしたガラスの眼球が視線を動かすたびに輝いていた。そんな少女に、少年は言う。
「真嶋慶が負けたようだよ、アミス」
「そうなの? アキラ」
「ああ」アキラと呼ばれた少年は、口元を斜めにした。
「馬鹿なやつだね……終わってみれば、相手の素人は〈オープンアイズ〉じゃないか」
「おーぷんあいず……?」
「うん。全打真牌。……笑い話にもならない愚策だけど、相手がどうしようもない雑魚ならやってきたっておかしくない。そんなことも読み取れないとは、ね」
「相手が、おもったより強かった、とか?」
「それが違うんだな、アミス」
 その奴隷人形は、頬に紫色の蕾の刺青を彫っていた。九歳、十歳、あたりの少女を模倣して作られたその可憐な顔を不思議そうに傾げると、それだけで澱んだ空気が晴れ渡っていくように思える。アキラはそんな少女の肩を抱いて、ぎゅっと近寄せた。人形は照れたように俯く。
「真嶋慶は見誤った……それは相手の強さじゃなくて、弱さを、だ。あの赤毛を連れた〈バラストグール〉は大した腕じゃなかったよ。それを分かっていたのかいないのか、あんなギリギリまで〈襲撃〉を遅らせるような打ち回しをして……相手にたった一度きりのチャンスを与えてしまった。その〈一度〉を切り抜けられると思い込んでしまうのが、彼の哀れなところだな」
「じゃあ、どうすれば……?」
「簡単だよ」アキラは指揮棒のように指を軽く振った。
「腕では天と地ほどの差があったんだろうさ。だったら、真嶋慶はもっと速くに乱戦に持ち込むべきだった。……襲撃、襲撃、襲撃だよ。それで敵と己の盤面を食い散らかして、継戦を視野に入れるべきだった。あんな〈カウンター〉まがいの戦術は、決まれば派手だけど、外せばみじめな趣味技だ」
「でも……」とアミスは、異国の花のように小さな白い手を重ねて握り締めながら、主を見上げる。
「うまくいかないかも、って思ったのかも。ひょっとしたら、だけど」
 アキラはふ、と軽蔑したように笑った。
「勝負師なんだろ? それこそ、それぐらい切り抜けろって話だ。序盤に慎重論を唱えておきながら、相手が大した腕じゃなさそうだ、と読めば途端に強気な構えを取る。その挙句が無様なストレート負け……まさに弱者の戦術。いいとこなしってのは、彼のためにあるような形容だな。……結局、敗因は真嶋慶が〈偽物の賭博師〉だったという一点にある。ああ、そうさ、〈本物〉なら、あんな打ち方はしない……」
 そう。
 アキラには分かる。
 なぜなら彼もまた、賭博師だったから。
 神鶴彰――
 複合型大企業の跡取り息子として生まれた彼は、生きていた頃、法では決着のつかない企業同士の縄張り争いに自社企業の名代として参加していた――いわば専属賭博師だった。表向きは普通の高校生として青春を送り、裏では数多のライバル企業から特許や独占権をギャンブルで奪い取った……その名前を出すだけで地元に根付くだけが取り得の古株バクチ打ちなどは震え上がったものだ。
 死に損ないの老兵たちは彼を見て、口を揃えてこう言った。
 もう時代が違うのだと。
 天を己で掴むのではなく、空まで理を積む時代になったと。
 そんなアキラのセメント漬けのような、空隙一つ許さない勝負は、無敗を誇った。
 ――ある事故が起こるまで。
「…………」
「アキラ……昔のこと、思い出してる?」
 袖を引っ張られ、不安げな表情を見せる奴隷人形を見て、ああ、とアキラは思った。
 とても魂を持たない人形とは思えない。
 アキラの脳裏にこの蒸気船へ乗り込んできてからの戦いの記憶が蘇る。そこにはいつも、この奴隷人形の、アミスの姿があった。この脂に巻かれた悪夢の中で、彼女だけが信頼できる唯一の話し相手。夢も未来もたった一台の自動車に唐突に(そして暴力的に)奪われたアキラが、精神を破綻させなかったのは、全てこの少女がそばにいてくれたから。
 本当に、有難かった。
 アキラは言う。
「ん……まあ、ね。僕が回収した〈ボディパーツ〉は四つ。残るフーファイターはザルザロスと、この蒸気船の〈所有者〉の二人だけ……いよいよ死者蘇生レイズデッドに手がかかってるかと思うと、いろいろと、ね。感慨深いのさ」
「そうなんだ」
 ぎゅっと、袖を掴む手に力がこもる。唇をかみ締め、どこか恥ずかしそうにしているアミスはきっと、自分の無力さを悔やんでいてくれているのだろう。アキラのために。ただの人形に生まれた己を責めて。
 そんな必要、どこにも無いのに。
「ザルザロス様を倒せるといいね、アキラ。マジマケイは、きっと負けちゃうよね?」
「いや……そうはさせない」
「え?」
 奈落を見下ろすように冷たい目をしたまま、アキラはアミスに優しく微笑む。
「それじゃつまらないさ。せっかく久しぶりに、賭博師ザルザロスに挑んだバラストグールが出たんだ。あの常勝無敗の男を、せっかくなら真嶋慶くんに潰しちゃってもらおうじゃないか」
「……アミス、よくわかんない」
「いいよ、いいんだよ。分からなくて。きみはそれでいいんだ」
 少女の頬をくすぐるように撫でて、
「ま、簡単な話……ザルザロスが真嶋慶に倒されてくれれば、フーファイターが一人足りなくなる。当然、この〈アリューシャン・ゼロ〉の秩序を保つために、その空位は埋められなければならない。そして……真嶋慶はここまで三つの〈ボディ〉を回収済みの〈リターナー〉。だけど、おそらく、ここで…………
 〈ドロップアウト〉、するはずだ」
 それはつまり、
 真嶋慶が、〈フーファイター〉になる、ということ。
 ――己の蘇生を諦めて、手に入れた全てのパーツを放棄して。
 アミスが、「えと、えと」と口の中で何度も呟き、主の顔をおそるおそる見上げながら、ささやかな相槌を探す。
「……みのほどをしる?」
「そう、そうだね、そういうことだ」
 アキラは出来のいい教え子を見る教師の目になり、気持ちのいい景色を前にした好青年のように顔を上げた。
「あんな無名のカス野郎に初戦で負けているようじゃ、真嶋慶もタカが知れている。生前時代は凄腕のギャンブラーだったとかいうけど、僕は真嶋慶なんて聞いたことないし。でも、幸運なことに、今回の〈バトルロイヤル〉で真嶋慶はザルザロスと直接対決することにはならない。つまり……」
 そう、つまり。
「僕が闘えばいいんだ、あの〈ザルザロス〉と」
「……っ!! あ、アキラ! それはっ……」
「大丈夫、大丈夫」
 ゆっくり優しく、「はうう」と可愛らしく鳴くアミスの髪を撫でて、
「僕は負けない。……ザルザロスが勝負に飽いているのは話に聞いている。常勝無敗の元ギャンブラー……雑魚相手で嫌気が差しているならば、本気で勝負なんてしてきやしないさ。あの男は……ザルザロスは、ギャンブルを知っている。だから元賭博師の真嶋慶との直接対決も避けたんだ。彼はね、もう〈本気〉にはなれない男なんだ、アミス。ラクして勝ちたいんだ。だから……そこに付け入る隙がある」
「で、でも……ほんとうにそう? もしそうなら、どうして今まで誰もザルザロス様を倒せなかった、のかな?」
「僕が今まで、挑戦しなかったからね」
 ため息まじり、照れくさそうに言って、
「でも、それもこれで終わりだ。この勝負、僕が彼を足止めしている間に、真嶋慶くんにはせいぜい頑張って〈脂貨〉を稼いでもらおう。……そう、言うなら、これは見えない共同戦線。きっと彼は最後まで僕のことになど気づかないだろう。そしておそらく、ドロップアウトしてフーファイターになった後、僕と相対した時に、彼は全てを知るんだ。……この世には、平気で気ままに、自分より強いやつがいるのだと」
 ふと気づけば。
 敗北して椅子に座り続け、何かを考え続けている慶を見ているのはアキラだけではなかった。三層ぶち抜きのライブラリーデッキ、その各階の光届かぬ暗闇から、じぃ……っと慶を見つめる視線が幾筋も幾筋も絡み合って続いていた。
 それは弱った獲物を見る目。
 我こそはという、情熱。
 肉体を失った亡者たちが、行き場を失った欲望をぶつける先を求める熱視線――
 アキラはふう、と吐息を漏らした。
「やれやれだな。真嶋慶を倒せばザルザロスがこれからも領主の座に君臨し続けてしまうってことが、分かってない馬鹿が多すぎる……これは僕が頑張らないといけないねぇ」
 おいで、と奴隷人形を手招きし、アキラは階段を上っていく。
 コツ、コツ、コツとその足音は図書甲板に密集する沈黙をかき分けて、どこまでも響いていく。
 遠からず、そう、遠からず、領主はこの足音を耳にするだろう。
 反逆者の足音を。

       

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