Neetel Inside ニートノベル
表紙

稲妻の嘘
死者復活のこと

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 その男に突撃取材をすると言った時、誰もが反対した。
 峰岸、お前いったい何を考えてるんだ。死にたいのか?
 そんな言葉を頭のてっぺんから冷水のようにぶっかけられたところで、途中でやめる彼女ではなかった。
 峰岸舞にとって、生きるとか死ぬとか助かるとか上手くやるとか、そんなことは全てどうでもよかった。
 それよりも、と舞は思った。
 いまここに、いまだかつて誰も掴んだことがないような特ダネがある。
 売れるかどうかは知らないが(たぶん無理だと舞は思う)、それでも舞が追わねばこのまま虚空に消えてしまうネタなのだ。
 確かに誰もが言うように、このネタを追いかけていったジャーナリストたちは大手出版社の犬コロからフリーランスのバカどもまで根こそぎ丸ごと行方不明になってはいるが、だからどうだというのだ? ――そういうネタを追いかけるためにジャーナリストになったのではないのか。
 誰もまだ知らないことを一番乗りで独占して、ゆっくりたっぷり焦らして公開していくあの瞬間のために、いつも右手にカメラを左手に手帳を握り締めているのではないのか。
 誰も彼もが舞を功名に急く少女あがりの小娘だと見下しているが、結局誰も彼もが自信がないのだ――死ぬかもしれないネタを追うことに。いいじゃないか? こんなご時勢、そんなネタにぶつかれただけ、生きるとか死ぬとかよりもっとずっと価値のあること。
 舞はそう思う。
 だから愛車のスーパーカブ110をぶっ飛ばしてスーパーの駐輪場に客でもないのに駐輪し、もうすぐ夕暮れ、家路へと帰っていく主婦や子供やサラリーマンの日常を逆走して、そのくたびれた雑居ビルの前に立ったのだった。
 右手にカメラ、左手に手帳。見上げる顔はそばかすが目立つが、可愛くないこともない。震える足をようやく動かしたのは、結局彼女のジャーナリスト魂というやつだったのだろう。一歩一歩、古びた雑居ビルの煤けた階段を上っていく。ボヤでもあったのかもしれない。
 サラ金、サラ金、サラ金の階を三つも越えた後、最上階に名札の出ていない扉があった。
 そこが彼女がようやくアポを取った人物が根城にしているという部屋だった。
 あっけないくらいにどこにでもあるドアノブを、舞は電流でも走っているかのように、躊躇いながらそっと握った。この瞬間――それがどうしてたまらない。
 開く。
 どこか懐かしい、祖父の家の玄関先のような匂いが一瞬した後、舞はその部屋に入った。いくつかのパーテーションに区切られていたのもかつてのこと、そのテナントはあらゆる壁をぶち抜いて大広間にされていた。一歩でも入室してしまえば前後左右――なにもない。身を隠すものは何もなく、逃げ出す扉はいま舞自身の手で閉じられた。舞はごくっと生唾を飲み込んで、どこか痙攣じみた薄笑いを浮かべながら、その茶色い猫のような瞳に部屋の奥を映している。
 男がいる。
 その部屋の中にあるたったひとつの事務机に座り、アッシュグレーのスーツを着ていた。髪はきっちり整髪料でなでつけている。頬杖を突いて、久々に再会した旧友を見るような顔をしていた。
 その男の経歴だけなら誰でも知っている。一般人は知りもしない精密機器の部品の製造業を興して一代にして巨万の富を築いた実業家――そんな男が、こんな雑居ビルにたったひとりで退屈した学生のように椅子に納まっている。
 なんだろう、と舞は思った。
 この男には何か違和感がある。
 顔も服装も態度も、なにひとつ調和を崩してはいないはず、いかにも青年実業家といった風貌をしているのは間違いないのに、なぜかそれが、作り物臭かった。
 というよりも、何もかも借りているように舞には見えた。服も、髪型も、事務机も、この男には似合わない。
 どこかのべつの誰かから奪ってきて、慌てて舞が来る前にそれを身に着けた。
 ……そんな違和感。
 部屋に入ったまま突っ立っている舞に、男は言った。
「よう、あんたがおれに取材したいっていう、新聞記者?」
「……そうです」
「よく来たねぇ、いや、座ってくれていいよ。なあんだ、ずいぶん掠れた声してるから、おばさんかと思ってた」
 男が手を差し出すと、そこにはいつの間にかちょこんと舞のための椅子がある。――いつ現れたのだろう? 普通なら、背筋がぞっとしてもいいところなのに、むしろ舞は戦意高揚、やる気が出てきた。
 やっぱりこの男には何かある。あの『噂』が本当ならば、これしきのこと驚くには値しない。むしろどんと来いだ。これぐらいの摩訶不思議、足りないくらいだ――舞は椅子に座った。アッシュグレーが似合わない男をじっと見据えたまま。
「フリーランスのジャーナリストをしてます、峰岸舞です。突然の取材に応じてくださって、ありがとうございました」
「いやいや、全然。こう見えて、おれは人にあれこれ詮索されるのが好きなんだ。――いやいやいや、睨むのはやめてくれ、べつに皮肉で言ったわけじゃない。おれは人と会話すると落ち着くんだ。特に頭のいい女性なんかは願ったりだね。おれの見立てじゃ、あんたは切れる」
「……どうも。でも私は、みんなに馬鹿だと言われてますよ。それもどうしようもない底なしだと」
「へえ、なぜ?」
「死者に会うと言い張ったから」
 男は笑顔のまま口を閉ざした。舞は(言っちまった)と思いながらも、やはり例の微笑みを浮かべて、冷や汗に耐えながら言った。
「誰もが噂だと言いました。根も葉もないデマカセで、そんなものを本気にするのは病気だと。なるほど確かに最初の私は病気じみていたのかもしれません。ですが、いまとなっては信じたいのではなく、信じざるを得ないのです。私は自分が作ったルートであなたのことを調べました。根も葉も掘り返し、墓まで荒らしました。それもすべては、あなたが本物だと思っていたから――」
 何も言おうとしない男に、舞は言った。
「教えてください。あなたは、死者ではないのですか?」
「……死者?」
「あなたはもう死んでいるはずです。ずっと前に、バイク事故で……」
「だとしたら、いまのおれはなんだ? ゾンビかな。それともグール? ま、なんでもいいが……」
 アッシュグレーの男は革張りの椅子を軋ませながら、両手を広げてみせた。その向こうには、夕闇に沈もうとしている町並みを照らす太陽の残光が瞬いている。
「残念ながら、おれは生きている。血液も流れているし、心臓も動いている。もう死んでるっていうのは心外だな。試しにおれを抱き締めてみてくれ。あったかいだろうから」
「……ふざけないでください」
「ふざけてなんかいない。生きてるってのはそういうことだ。だがまァ、よくぞおれに辿り着いたもんだよ。これでも身を隠し名を変えたんだがな……」
 そう、と男は呟いた。舞が息を呑むのも気づかぬままに、身を乗り出して、目を見開く。
「おれはかつて、死者だったことがある」





「死者復活なんてのは、なにもそう珍しいことじゃない」
 両手の指先を合わせながら、ばねでも組むように男は言った。
「あんたが知らないところで、人間ってのは簡単に生き返っているもんなんだよ。ま、それほど苦もなく甦れたやつもいれば、つらい思いをしたやつもいるけどな。いずれにせよ、警察署にでも行けば死者復活用の教本くらい置いてあるんだぜ」
「……信じられません」
「あんたも死にゃあわかるよ。もっとも、誰にでも復活のチャンスが来るわけじゃないらしいけど」
「あなたは……死んで、甦った。でも、どうやって?」
「それを聞いたって仕方が無いぜ。あんたが生き返る時は、おれとは違うやり方になるだろうから」
「べつに私は、そんなつもりで聞いたわけじゃ……」
「わかってるよ」
 アッシュグレーの男は深く背もたれに身を預けた。
「で、きみ。おれに何が聞きたい?」
「え?」
「え、ってなんだよ。あんた取材に来たんだろ? おれはかつて死者だった。それは認めよう。それで? あんたはなにが聞きたいんだ?」
「……教えてくれるんですか?」
「教えてあげない理由もないなあ。ま、あんたがおれの真実を言いふらかしたところで、どうってことない。まだ死んだことがないやつは笑うだろうし、一度死んだことがあるやつはなにも知らないような顔して通り過ぎていくだけだろう」
「……じゃあ」
 舞はぎゅっと膝を握り締めながら、頭の中で質問を組み立てた。もし彼が本当に死者だったら――そんなシチュエーションはいままで何度も空想の中で繰り返してきたはずなのに、いざとなったら声も出なければプランも忘れた。だから、思うがままに口が開いた。
「どんな気持ちなんですか」
「どんな気持ち?」
「死ぬって」
 男は深く考え込んだ。
「いいもんじゃねぇな。おれはもう、死にたくないね」
「そう、ですか」
「やっちまった時はな、『しまった』って思うんだよ。それしかない。それが頭の中を一瞬で埋め尽くして、それからすぐに『もっとこうしていれば、こうはならなかった』っていう、起こり得なかった未来のイメージがびっしりと脳裏にこびりつくんだ。無限大にな。それで完全におれの精神は焦げついてショート。そこから先はもう、ただ『かなしい』って気持ちしかない」
 舞は顔を伏せた。
「……すみません、つらいことを聞きました」
「いやあ、誰だって気になることだろ? おれがあんたでも、同じ質問をしたと思うよ。気にしなさんな、べつにそれっきり死んじまったわけじゃねぇんだ」
「ありがとう、ございます」
「……ふうん」
 男はちょっと舞を見てから、
「あんたが気に入ったから、もう少し喋ってやる。……な、あんたはさ、いまのおれの話を聞いて、死ぬってどう思った?」
「……いやなもの、でしょう?」
「そう、そうだな。それは間違いない」
 男は自分に言い聞かせるように、何度も頷きながら呟いた。だが最後に、舞をまっすぐ、どこか灰色がかった目で見て言った。
「でもな、おれは死ねてよかったとも思うんだ」
「……死ねて、よかった?」
「死ななきゃ見えないものがあった。さっきの『死ぬ』って気分だって、実際に死ななきゃ味わえない。知ってるか、復活者ってのは、死ぬ前よりもイキイキするんだ。なにせもう、言い訳できない。死ぬってことを知っちまったら、死にたいとは思いがたい。生きるしかなくなる」
「……生きるしか……でも、それは普通に生きている人も同じなのではありませんか?」
「それはない。かつて死者だったものに、まだ死んだことがない生者は決して勝てない。それぐらいに、あの『死』ってやつは重いんだ。違う世界のものなんだよ」
「違う、世界……」
「極稀に、生きることも死ぬことも同じって腹ァくくってるやつもいないじゃないが、ほとんどは『死』がどういうものか分かってないまま、みんな生きてる。あんたもそうだし、かつてのおれもそうだ。誰だってそうだ。死ぬまでは、それがどういうものなのか分からない――でも、
 復活者は、それを知ってる」
 舞はもう、男の言葉に口を挟めなくなってきていた。それを知ってか知らずか、男は続ける。
「おれは確かにあの時、死んだ――いまでも覚えている。忘れようがない、あれは死……だが生き返った。もう一度、やり直せるチャンスを貰った。これほど嬉しいことはない。だって生きられるんだぜ、それももっとずっと強く」
「強く……」
「人間は、死ねば死ぬほど強くなる。生き返ることが、とてもとても難しいだけで」
「……でも」
「ん?」
「でも、怖くないんですか?」
 舞は言った。
「もうすでに一度、死んでしまって、その『最期』を知っているのに……味わって、しまっているのに……それでもまた生きようなんて、どうして思えるんですか? また結局は、つらい思いをして終わるだけかもしれないのに……」
「どうかな。逆にこう考えることもできるよ」
 アッシュグレーの男は言った。
「一度生き返れたなら、もう一度生き返れるかもしれない」
「――それは、でも、だって」
「いるかもしれないぜ?」
 男は悪戯をそそのかす子供のような顔で笑った。
「まだ一度も、死んで滅びたことがないやつ」
「………………」
「怖くなっちゃった?」
「こ、怖くなんてない。あたしは、ジャーナリストですから。真実に目はそむけません」
「ふふふ、そうガマンするなよ」
「が、ガマンなんてしてません!」
 顔を真っ赤にして立ち上がり、拳を振り上げた舞を見て男はケラケラと笑った。
「すごいな姉ちゃん、死者を前にして喧嘩腰かよ」
「す、すみません。失礼しました……」
「いや、いいよ。そのほうが面白い。そう、ま、人生いろいろ、あんたもいずれ死ぬんだろうが……おれみたいなやつもいたってことを覚えておいたらいいんじゃないか? まったく無駄か、それとも役に立つか、おれの存在があんたにどう影響するのか知らないが……おれの言いたいのは結局のところ、生きてるってのは悪くない。それだけ」
「それだけ……」
「死ぬなんて、ただの始まりに過ぎないのかもしれないぜ? 少なくともおれは、そう信じてる」
 そこまで語り倒してから、男はウーンとのびをした。それからちらっと舞を見て、
「なあ、ところでさ、いろいろおれ喋っちゃったからさ……やっぱりこれ、アフレコにしてくれない?」
「だめです」
「えっ」
























                    死者復活のこと















       

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