Neetel Inside ニートノベル
表紙

稲妻の嘘
第三話  『シャットアイズ』

見開き   最大化      


 賭博師には人格破産者が多い。
 慶が見てきた限り、普通の神経を持っている者は生き残れなかった。
 賭博は、やるかやられるかだ。
 相手の腕を平気でもぎ取って、それを自分の腕代わりにくっつけて歩けるような、異常な神経の持ち主でなければ最後までは、やれない。
 優しいとか、気配りが出来るとか、そういう通常の世界では美徳として受け止められる要素が博打では何もかも反転する。その全てが負い目であり、欠点でしかない。
 真剣勝負の世界では、最低の人間であることが何よりも求められる。
 他には何もいらない。
 死ぬからだ。
 だから、慶には居心地がよかった。
 賭博をしている時だけ、慶は生きていることを感じていられたし、それ以外の時間の全てが色褪せて見えた。小鳥が囀ろうと深緑が萌えようとなんの価値も感じなかった。
 ただ、次に勝つことだけを考え続けた。
 それだけに突き進むこと。
 それが許されるもの。
 それがギャンブルだった。
 べつにそれほど特別な生き方ではない。
 好きだからその世界に飛び込んだんだろう、それで満足なんだろう、そう言って鼻で笑ってそれっきりなやつもいる。
 慶は確かに、十五、六まで普通の人間として生きてから、いきなり勝負の世界へ入っていった。
 そういう意味では道楽者だったのかもしれないが、それは稀なタイプだったと言える。
 ほとんどは他の生き方が出来ず、喰うに困って、己の能力だけを頼りに賭博の世界へ落ちてきた奴ばかりだった。そうでないやつは、つまりカモだ。
 誰だって望んで破滅を呼び寄せたりはしない。
 それでも足を踏み出さずにはいられない。
 なぜなら他に、生きていける方法がないから。
 慶にとってはそれが賭博の世界観だった。
 楽しいとか、愉快だとか、そんなことを考えてる奴は本物の賭博師ではない。まがいものだ。
 こんなことを続けていればいつか破滅する、それを分かっていて、やめられない――

 慶は、数え切れないほどの賭博者と闘ってきた。
 凌ぎを削った夜の終わりには、もう戻って来ないやつが何人もいた。
 決して弱いやつばかりではなかった。
 やつには勝てない――慶がそう腹の底で恐れを抱いていた男が、次の朝には冷たくなって裏通りに転がって、雨に打たれていたことが何度もある。その死に顔を、慶は今でも覚えている。
 忘れたくても、決して消えない記憶。
 いつか我が身を襲う夢の果て――。

 そうして死んだやつもいれば、生き残ったやつもいる。
 血の滲むような夜を慶と過ごし、凌ぎ合い、結局決着をつけられずに終わった賭博者たち――もし慶の人生に、勝負師としての未練があるとすれば、彼らと全てが吹き飛ぶまで闘えなかったことだけだ。いまでも覚えている、彼らの顔が、慶の胸の奥で熾き火のように今も燃えている。強かった――紛れもなく本物だった賭博師だった男たちの顔が。
 たとえ自分の名前を忘れても、あいつらの顔は忘れない。
 そう思っている。


 ○


 差し出された右手を見つめたまま、慶は身動きが出来なかった。
 彫像のように固まっている慶に、彼が出会った四番目の〈フーファイター〉、ザルザロスはどこか優しい眼差しを注いでいる。
 慶がそういう態度を取ることなど分かりきっているし、それは少しも不思議なことじゃない――そう言いたげに。
 とても言い尽くせない感情によって沈黙に落とし込まれた慶に代わって、ザルザロスが口火を切った。
「お前のことはよく覚えてる。たとえ顔は忘れても、お前の名だけは忘れない――なあ、真嶋慶。まさかこの〈アリューシャン・ゼロ〉で、旧い友達に会うなんてびっくりだ」
「お前、狭山か――」
 慶は睨んだ
「狭山、だな」
 そばに付き従うエンプティが、慶の袖を引っ張る。
「慶様、この方は――?」
「――賭博師だ、俺の――」
 その先の言葉は霧にもならずに消えた。
 視線が餓えたように相手の緑服、金髪、紫色の目に吸い寄せられていく。かつてとは違う、だが、見間違えようがない、この雰囲気、この態度――
 ザルザロスは、そんな慶の様子がおかしくて仕方が無いらしい。くすくすと笑って、
「おいおい、そろそろこの手をどうにかしてくれないか。握手は断らずに誰とでもしておくもんだぜ」
「握手? 誰がお前なんかと……」
 慶は汚らわしいものを見るように差し出された手を睨み、獣のように犬歯を剥いた。
 だがザルザロスは薄く笑うと、慶の右手を勝手に取って構わずグッ、と握り締める。慶は思わず手を引き抜いたが、ザルザロスは慶の手形を取ったとばかりに、軽く曲げた掌を空中に固定したまま、微笑んでいる。
「――なんのつもりだ?」
「友情のあかしだよ。何をそんなに慌ててる? せっかくはるばる再会したんじゃないか、なあ? 無限の時と空を奇跡みたいに泳ぎ抜いてさ――だから仲良くしようや、なァ真嶋。友情だよ」
「友情? 友情って言ったのか。忘れたのか、俺はお前と――」
「俺と、なんだ。敵だった、とか、ライバルだった、とかか? ハッ、真嶋よ、お前もずいぶんセンチメンタルなやつだな。いまさら生前の恨み言でもぶつけあうつもりか? そんな無粋な真似はやめようぜ、喧嘩したっていいことないよ」
 慶は出会った時とはまったく別の理由から、眼前にいる青年領主をしげしげと見つめた。
「……お前、本当に狭山か?」
「ようやく別人に見えたか? お前もずいぶん目が悪いもんだな。ま、〈フーファイター〉とやらになって、髪もあかるく染まったし、目玉も綺麗な色にされた。おかげで色々よく見える。ああそうだ、セルディムと闘ったんだってな。ご苦労さん――なら知ってるよな、これ」
 ザルザロスは、革手袋に包まれた己の掌をひらひらさせてみせた。薄革一枚に隠されているその真実を、慶はすでに見ている――それでも自身の古傷を、まるで拾った落ち葉のようにかざしてみせるザルザロスは、どこか異様だった。
「いまの俺は、ザルザロス。狭山――ええと、狭山なんだっけ? とにかく、かつての俺はもういない。期待外れだったら悪かったな、でも――人間って変わるんだぜ、真嶋」
「――どうだかな」
 慶は鼻で笑った。
「性格は変わっても、腕は鈍ってないんだろ? 油断させておいて、俺を喰うつもりってわけだ」
「そうだよ。ほかになにがあるんだ? わかりきってるじゃねぇか」
 ザルザロスは暖炉の前にある安楽椅子に腰をかけた。セルディムの部屋と違って、彼の〈小さな領地〉には、ほかの誰かが座る椅子などなかった。慶とエンプティは絨毯の上に立ち、壁際には、ザルザロスの所有だろうか、黒髪をボブカットにした給仕服の奴隷人形が、細く開かれた青眼を無感動に床に伏せている。
「腕利きの〈バラストグール〉が暴れてるっていうから、誰かと思えばお前とはな。ま、確かに納得だ――お前が相手じゃセルディム坊やには止められねぇよな。とりあえず、三連勝おめでとう! ……だが、それもここまでだ」
 慶はにやっと笑った。
「調子が出てきたんじゃねぇか。そうだよ、かかってこいよ。昔みたいにな」
「まだ俺が覚えてたら、その『昔』とやらの物真似もしてやるよ。だが、いまは俺の〈勝負〉が先だ。〈バラストグール〉がやるっていうなら、〈フーファイター〉は断れない。すまじきものは宮仕えってやつだね、ほんと」
 ザルザロスは両手の指先を絡ませて、緑色の猟師服の上で組んだ。暖炉で淡く燃えている黄桃色の炎を興味なしに眺める。
「シャムレイ」
 はい、と壁際に控えていた少女人形が一歩、踏み出した。暖炉の炎も届かぬ暗がりから半身を抜いた彼女は、何かのケースを抱えていた。彼女は慶とエンプティの側を通り過ぎ、灰色のケースを一つしかない卓の上に置いた。ぱちりぱちりと金具を外して、中を開ける。ザルザロスは手を伸ばして、そのケースの中に詰まっていた、砕けた石か骨のように小さいものを掬い取っては、無意味に滑り落とさせた。
 それは牌だった。
「勝負のタイトルは、〈シャット・アイズ〉。――俺が一から考えたんだ」
 簡単な遊びだよ、とフーファイターは笑った。

 ○

「もうほとんど覚えてないが、いつかきっと、これと同じようなことをしてたんだろうな」
 と言って、ザルザロスは立ち上がり、卓に散った牌を手でかき回した。そこから軽く拍子をつけて、牌を表にして並べていった。
「こういう遊びは牌の説明から入った方が早い。だからまず、そこから始めよう――シャットアイズで使う牌の種類は三十六種。複合はない。それぞれ独立した無関係の三十六枚だ。牌に彫られた情報は、二つ――」
 ザルザロスが、六枚の牌を慶の前に片手でスッと押し出した。それは、単眼から六眼までを持つ、歪な生き物の図柄が彫られた牌だった。
「なにに見える?」
「――目が三つのネズミ、二つのバッファロー、一つの豹、四つの兎、二つのドラゴン、それから、六頭六眼の蛇の怪物――」
「正解」とザルザロスが言った。
「正確には、〈三眼の溝鼠〉、〈二眼の闘牛〉、〈単眼の黒豹〉、〈四眼の魔兎〉、〈二眼の飛竜〉、〈六眼の悪魔(ハイドラ)〉だ。俺がわざわざこの六枚を選んだ理由は分かるな? シャットアイズでは、この六種の怪物が描かれた牌を使う。怪物はそれぞれ『強さ』を表す情報だ。最弱が溝鼠、最強が悪魔――この並びが強弱順でもある。分かり難ければ数字でもいい。溝鼠が1、闘牛が2、黒豹が3、魔兎が4、飛竜が5、悪魔が6。数が多いほうが強い――そんな認識でもいい」
「この眼は?」
「それはこの怪物たちの『生命の数』だ。強さじゃない」
 そう答えるザルザロスの紫色の眼には、どことなく存在しない怪物たちへの憐れみがあるように見えた――だが、すぐにそれは消えた。
「聞いたことないか、尻尾の数だけ生命を持ってる猫の話。――知らない? 俺はいつ覚えたんだったか、あれを聞くたびに泣きそうになる――ま、それはともかく、この怪物どもには眼球の数だけ生命があるんだ」
「つまり、死ぬときは、めくらになるのか。――シャットアイズに」
「ご名答。気恥ずかしくなるくらい察しがいいね。それならもう、おおよそは読めてんだろ。お互いにこの牌を出し合って、その強弱を競い争う。ルールの骨組みとしては、そんなもんだ」
「単純にこの牌を握り取り合って、ぶつけ合うってんじゃないんだろ? 狭山」
「ああ、さすがにそれじゃ苦情が殺到するだろ。こんな豪華客船で愉快に遊ぶには低級すぎるってな。だから、いろいろ考えた――で、落としどころとしては、まあ、重ねるしかないだろうってことになった」
「重ねる?」
「ここからは、模擬戦をやった方が早い。……シャムレイ、座れ」
「はい」
 シャムレイと呼ばれた奴隷人形が、牌をさっとかき混ぜてあっという間に二段に積んだ。そこからザルザロスが右手を薬指まで使って三枚二段を掴み取り、シャムレイもそれに倣った。
 牌山は十二枚抜かれて残り二十四枚。エンプティは慶の背中に隠れつつ、首を伸ばしてシャムレイの手牌を見て「ねーうしとらうーたつみー……」と童謡のようなものを歌っている。
「最初にお互い、六枚を手牌として取る。先攻後攻は適当に決める、ノスヴァイスみたいにダイスでも振ってればいいんじゃねぇか。で、この模擬戦は俺が先攻」
 ザルザロスは、手牌の上で右手をくゆらせ、やがて一枚の黒牌を取るとそれを場に伏せたまま出した。
「牌は伏せて場に出す――牌同士がぶつかりあう時に、それがなんの牌か分かっていたら興ざめ。シャムレイ」
「はい」
 シャムレイも手牌の中から、〈単眼の悪魔〉を裏にして指で押し出した。
 これで卓には黒い伏せ牌がそれぞれ並んだことになる。慶は口を挟んだ。
「で、牌同士の戦いは?」
「まだ出来ない。場に出した牌はすぐに戦闘――〈襲撃〉を相手の牌にかけられないんだ。だから、どれだけ最短でも〈襲撃〉発生は先攻の二手目から」
 ザルザロスはまず、牌山から一枚引いた。
「手牌は常に六枚。打牌してから次の手番までは五枚に減る。牌を出さずにパスやスルーは出来ない。――襲撃」
 革手袋に包まれた指先が、己の黒牌をひっくり返した。――〈単眼の溝鼠〉。
「これは攻撃力一、防御力一に該当する牌。繰り返すが、〈単眼の溝鼠〉は一枚しか入っていない。どの牌も、複合はない」
 言いながら、シャムレイの伏せ牌も開けた。
「相手の場に複数の牌が並んでいる場合は、襲撃対象を自由に選べる。場に出した時期は関係なく。――〈単眼のハイドラ〉か。これは攻撃力六、防御力一」
「どっちが勝つんだ?」と慶が聞いた。ザルザロスは慶を軽く一瞥した。
「この場合、お互いの攻撃力と防御力をそれぞれ参照する。俺――ザルザロスが先制攻撃をしかけたから防御側の怪物を優先的に破壊して自分の怪物は生き残る、といったようなことには発展しない。攻撃力一の怪物を噛んだら、単眼の生物は皆死ぬ。公平にな。だからこの場合は、相打ち」
 シャムレイが場の牌を手の甲で押しやり、場には何もなくなった。
「斃した牌と斃された牌はどこにいく?」
「どこにも。なんの意味もない」
「いま、攻撃点数六点の牌で防御点数一点の牌を取ったが、それに何か祝儀はあるのか」
「ない」
 エンプティには、この二人のやり取りがそっけなく思える。人間らしくないように。だが、二人はこの応答に何の不満も問題も、ましてや滞りなど感じていないようだった。そこには再会直後の剣呑な雰囲気は無かったが、同時に余裕や隙も消えていた。
 ザルザロスが、手牌六枚から新たな牌を一枚、伏せて場に出した。
「怪物を場に出せるのは、一手に一度。タイミングはどこでもいい。今回は襲撃後だが、襲撃前に置いてもいい。また、言うまでもないことだが、襲撃はしなくてもいい。見(ケン)――様子見も当然アリだ」
 それから数順、ザルザロスとシャムレイは何度かの襲撃をまじえながら、それぞれの盤面に牌を並べていった。己の並べた牌が五枚になってから一順回った時、ところで、とザルザロスが秀麗な顔を上げた。
「真嶋、質問がある。俺はいま、何をしてる?」
 慶はすぐに答えた。
「自分の駒を増やしながら、相手の駒を減らそうとしてる」
 ザルザロスが頷く。
「なら、どこまで増やせばいいのかって話になる。それがこのシャットアイズの決着――攻撃点数十八点。それが、このシャットアイズを終わらせる権利が発生するラインだ」
「攻撃点数十八点――悪魔三匹分?」
「もしくは、鼠十八匹分――そんなに入っていないがな。溝鼠、闘牛、黒豹、魔兎、飛竜、悪魔、この三強三弱の六枚を並べていって、相手の襲撃を耐え抜き、場に出ている牌の五枚以上、なおかつ総攻撃点数が十八点に達した者は、〈決着〉をかけられる」
「決着?」
「〈リーチ〉のことだ」
 六枚の手牌の中から、一枚抜き取って、ザルザロスはそれを横に曲げて伏せたまま卓に打った。慶はそれを目で追った。
「リーチは、手牌の中からもっとも攻撃力と防御力が高い牌を一つ、消費してかけられる。つまり本当は場に出したい優秀な強壁牌を無為にして、ようやく決着の権利を得られるということだ」
 ザルザロスは伏せた盤牌を起こして、倒した。シャムレイもまた、五枚に蓄積されていた自らの駒を起こして倒し公開する。
「この時、リーチ宣言者の盤面の総攻撃点数と、被リーチ者の盤面の総防御点数を参照し合う。ディフェンス側は攻撃点数を参照しないところがくせものだ。たとえ総攻撃点数がオフェンスより上回っていたとしても、ディフェンス側は防御点数を計算に出さなくてはならない」
「――ふうん」
「俺の盤面にあるのは――防御力は関係ない。竜、竜、兎、牛、牛、鼠。五の五の四と二の二の一で十九点」
「わたしの盤面は、単眼、単眼、二眼、四眼、五眼、三眼、十六点、です」
「上回った。これで決着がついた」
 ザルザロスは、椅子の背もたれにドサリとよりかかった。
「シャットアイズは、この瞬間を目指す。相手より先にリーチをかけて、その防御点数を上回る」
「同点の場合はどうなる?」
「総攻撃点数と総防御点数が等しい場合は、リーチを受けたディフェンス側が勝つ」
「もし、防御点数が攻撃点数よりも高かったら?」
「リーチ者にデメリットが発生して、勝負が続く。具体的には、リーチ失敗者は盤からランダムに一枚の牌を失い、その手番に新しい怪物を場に出せない。またリーチ失敗の時は、オフェンス側の盤牌は全てオープンにされるが、ディフェンスの盤牌は開かれない。リーチが防御点数に届かなかった場合、自動的に一枚、盤牌が消滅する」
「リスキーだな」
「好きだろ、そういうの」
「……どちらもリーチをかけなかったら?」
「牌山が残り六枚になったら、流局――さて、長々と喋ってて悪いんだが」
 ザルザロスは牌山を崩すと、自分とシャムレイの手牌までひとかき混ぜてから、新しい牌山を積み直した。
「まだ続くんだ」

       

表紙

顎男 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha