Neetel Inside ニートノベル
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稲妻の嘘
第六話  『眩暈のなかへ』

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 まさひろは、自分を冷静な人間だと思っている。
 たとえば、誰かに何かを与えられたら。
 まずは、それを吟味する。
 すぐに振り回したりはしないし、丁寧に扱った上で壊れてしまうなら、それは最初から壊れるためのものだった、と考える。
 なのに、誰もがまさひろにかける言葉は賞賛でも感心でもなく
「落ち着け」
 という的の外れたセリフだった。
(……落ち着け?)

 自分は落ち着いている、とまさひろは思う。
 なぜならまさひろは自分自身をよく知っているから。
 自分は弱く、脆い男だ。
 それは避けがたい事実だし、半ばそれが招いて死んでしまった以上、いまさら否定したって仕方が無い。
 問題は、『これからどうするのか』、だ。
 あの招待状を開封し、死者の船に乗り込んでしまった以上、闘うことは避けられない。
 ――耳の後ろで鐘が鳴るのが聞こえる。
 まさひろは顔を上げた。
 あの〈フーファイター〉、ザルザロスが勝負開始の鐘を鳴らしたのだ。
 まさひろはぐっと右手を左手で包み込み、読書テーブルに座ったまま、じっとしていた。周囲のバラストグールたちは、もう動き始めていて、おのおのでシャットアイズを始めたり、あるいは高レートを掲げている歩く脂貨の鉱脈を探しに階上へと向かった。
 だが、まさひろは動かない。
「始まったね、まあくん」
「まあくんって言うな」
 ぎろり、とまさひろが睨んでも、赤髪の奴隷人形は軽く肩をすくめただけでなんの反省の色も見せなかった。まさひろの名前はまさひろであって、まあくんなんていう幼児語じみた名ではない。気に入らないし、不愉快だし、そう呼ぶくらいなら黙っていろといくら繰り返しても彼の人形は笑って頷きなお彼に逆らった。もういい加減に観念しているところもあるが、それでも否定の言葉だけは差しておく。
「どうする? 強そうな連中は上にいったみたいだし、あたしがよわっちそうな相手を見繕ってきてあげようか」
「……よわっちそうな相手って、なんだよ? マアム」
 赤髪の人形は牌譜の詰まった棚の亀裂にもたれかかって、軽く首をかしげた。頬の刺青は青い曲炎型。結った髪の房が、はらりと彼女の首筋を流れる。
「まあくん、シャットアイズはあんまりやったことないでしょ。こういうのはね、上級者とは噛み合わないのがベストなんだって。触らぬ神に祟りなし」
「もう慣れた。俺だって、結構長くここにいるんだぞ」
「じゃ、言葉を変えるね。――まあくん、ギャンブル下手じゃん」
「……ああ?」
「わ、わ。怒らない怒らない。笑顔笑顔」
 にーっと頬を両手で吊り上げてみせる人形に、まさひろはため息をついた。
 ――きっと俺はハズレを引いたんだ、ほかの人形はこんな風に主をからかったりはしない。それとも俺が弱いから、力の順番を重んじる獣のように、この人形も馴れ馴れしく振舞ってくるのだろうか。だとしたら、情けない。くたばって唯一分かったことは、死の国への旅立ちは、なんの箔にもならないということだけだ。情けない。
「……弱い相手とやるなら、最初からザルザロスの誘いになんか乗らない。普通にカジノデッキに残った腑抜けとやるのと変わらないじゃねぇか、それじゃ」
「だから、あたしは反対したよ? ザルザロス様には勝てっこないんだから、自由参加なんだし、やめとこうって。……そりゃあたしだって、まあくんには勝って欲しいよ? ご主人だもんね、あたしの」
「顔をしかめながら言うな」
「ごめんごめん」
 だが、確かにマアムの言っていることは正しい。
 まさひろも、この船で何度か収穫期を過ごしたバラストグールだ。長くこの船に――〈アリューシャン・ゼロ〉にいれば、嫌でも気づくことはいくつかある。一つ目は、脂貨が無くなれば豚に化けること。二つ目は、〈フーファイター〉と闘って勝てば、彼らが治めている部屋か、あるいは分割された真の肉体ボディを得られること。そして三つ目――
 最強の〈フーファイター〉は、誰か。
 これは、いろいろ説がある。かつては、全柱最強と言ってもいい恐ろしい時代もあったという。だが今は、二柱だ。
 〈ダイドローラ〉か、〈ザルザロス〉。
 このどちらか。
 まさひろは、ザルザロスだと思っている。
 それはいくつか理由があるが、〈ダイドローラ〉は必ず最後に勝負することになる〈フーファイター〉だから、ほとんど誰もぶつかったことがない。いわば名誉王者のようなもので、強いのだろうが、誰も戦わなければそんなものに意味は無い。まさひろも、〈リターナー〉になるつもりはないから、おそらく〈ダイドローラ〉と出くわすことは永遠にないだろう。
 だが、ザルザロス。
 やつは、強い。やつは恐らくもっともバラストグールから挑戦を受けているフーファイターだろう。なぜなら――彼は通常、フーファイターが伏せている〈勝負〉の題材を公開している。真嶋慶のような新参者は知らなくても、ちょっと古参の先客にポーク・バーガーを一ダースでも奢れば教えてくれる。ザルザロスの〈勝負〉は、シャットアイズという数積み遊戯で、やつはそれを外でバラストグール同士がやり合うことを公認している。つまり、練習することを、鍛錬することを、
 ――強くなることを、認めている。
 普通、フーファイターはそんなことはしない。フーファイターにとって、〈勝負〉の内容は最後の希望の綱なのだ。内容が漏洩すれば何か仕掛けがあったとしてもその秘密が暴露されるのは時間の問題。そうなればフーファイターに待っているのは君臨する王者から消費される家畜への転落。だから、フーファイターは仮にバラストグールたちのいるデッキへ降りてくることがあったとしても、決して己の勝負の内容など喋らない。気配すら滲ませない。
 なのに。
 ザルザロスは平然とそれを公表した。
 これは俺が作った題材だからみんなで遊べと。
 まさひろは、それが恐ろしい。
 理解できないのに、否定することもできない。やつは間違っている、どうしようもない愚か者だと、他のバラストグールたちのようにザルザロスを罵倒することができない。
 なぜなら、ザルザロスは負けないから。
 どこまでも、勝ち続けているから。
「あ、まあくん。見てみて。あれ、真嶋慶、だよね。わあ、目つき悪っ」
 マアムの声で物思いから覚めたまさひろは、顔を上げた。見れば、中二階の回廊から続く階段を真嶋慶が降りてくるところだった。まさひろは立ち上がった。
「まあくん?」
 人形からの呼びかけにも答えずに、まさひろは書庫の森から抜け出して、ぶち抜きの吹き抜けの真下に歩み出た。天井の巨大なシャンデリアが眩い光を雨のように降らせている。
 そんな輝く舞台で、モザイク模様の大理石を踏み締め、まさひろは手を伸ばせば届く距離で真嶋慶と向かい合う。
 慶は、ん、と突然の接近者を見返した。その背後には整った顔を半分だけ、蜘蛛の巣型の刺青のある頬を見せている金髪の奴隷人形の姿もある。
 まさひろは、言った。
「俺と……俺と、勝負しろ、真嶋慶!」

 ○

「ま、まあくん!?」
「黙ってろマアム。――おい、なんとか言えよ。俺とやるのか、やらないのか」
 慶はしばらく黙って、まさひろのことを眺めていた。値踏みしているようでもあった。
「いいよ」
 くらっ、とマアムがまさひろに倒れ掛かり、そのまま押し倒しそうな勢いで囁き声をまくし立てた。
「ど、ど、どーすんのっ! あ、相手はあの真嶋慶だよ!? まあくんだって知ってるでしょ、凄腕だって噂の〈リターナー〉!」
「知ってる」
「だったらなんで!」
「――俺はいつか、フーファイターになるから」
 手近にあった卓に、柱から引き抜いた牌ケースを置き、それを掌で抑えつけるように押しながら、まさひろは真嶋慶の足元を見ていた。
「あの〈小さな領地〉を目指すなら、ほかのバラストグールには負けられない。それにやつに勝てば、道が拓ける。そんな気がする」
「気がするって、そんないい加減なことに十万も賭けちゃ駄目だよっ! あんた自分がいったい今いくらだと思ってんの!」
「忘れた」
「――まあくん!」
「いい心がけだな」
 慶は読書卓の向かい側に腰をかけた。埃まみれのデニムが見えなくなると、慶はその異名通りの姿になる。
 赤い服の幽霊。
「お前、名前は?」
「棚橋真弘」
「俺に勝てる算段、あんのか」
 まさひろは静かに首を振った。
「無い」











 誰もがまさひろに、落ち着け、と言った。
 冷静になれ、と。
 確かにそうなのかもしれない、よりにもよって〈ファイター落とし〉とやるなんて、まだ一度もあの部屋に入ったことがないまさひろには荷が重いのかもしれない。
 だが、まさひろは自分をよく知っている。
 いつまでも、バラストグールではいられない。
 勝たねばならない勝負なら、相手を選ぶ必要はない。

 ○

「あたしは止めたからね。ああ、ほかのグールどもとやれば五万や三万で済んだかもしれないのに――」
「いいから黙って牌を積んでくれよ、マアム」
 苛々と歯軋りするまさひろにマアムはじとっとした目を向けてから、慶を見た。
「手加減してよね。こっちは素人なんだから」
「おい!」
「いいじゃん、べつに。言うだけなら無料だし。――で、どうなの」
「手加減ねぇ」と慶は面白そうに笑った。なぜか機嫌がいい。
「悪いが、やり方を知らねえな」
「……あーあ。どうしてこう、ギャンブラーってヤなやつばっかりなんだろ。そう思わない? エンプティ」
「わたしは、おもしろい方が多いと思います」
「気が合わないなあ……」
 ジャッ、とマアムが揃えた十八牌を前に押し出した。対面に座っていたエンプティがその上に、自分で並べた十八牌を両手で支えて持ち上げ、カチャンと積んだ。それが〈シャットアイズ〉の牌山になる。慶から見て右手、まさひろから見て左手に牌山はある。
 卓から離れた二機の奴隷人形が、サイドテーブルで口を開けていた牌のケースをパタンと閉じた。こつ、こつ、と指の関節で叩いてから、再び開けると、金色の光が溢れた。
 脂貨が唸っている。
「――それではシャットアイズを始めます。ポットは十万脂貨から。よろしいですね」
 二体のバラストグールはそれぞれ頷いた。ダイスを振って先攻後攻を決める。
 先攻は、まさひろ。

       

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