慶は左手で牌を引き、しばらくその手触りを飴玉のように味わいながら、並び始めた二人の河を眺めていたが、やがて一枚の牌を打ち出してきた。
〈四眼の悪魔〉。
〈襲撃〉はして来なかった。まさひろにとって、それは僥倖。〈四眼の黒豹〉で〈三眼の悪魔〉を襲撃されていたら喰われていたところだった。相打ちだが、慶にとっての黒豹とまさひろにとっての悪魔では重みが違う。
慶は軽い勝負で微傷を負うに過ぎないが、まさひろの悪魔は持ち得る中での最強牌。これを崩されればリーチがかけられないばかりか、慶に六眼牌を置かれただけでそれに対処できなくなる。
〈シャットアイズ〉は、暗闇のゲームだ。しかし六眼牌はその頑強さから、比較的気安く〈襲撃〉をかけられる。六眼牌を殺せるのは悪魔だけだ。ゆえに、気安く牌を開けてくる。そうなれば念牌も何もなく、つらつらと開け放たれた河で闘うことになる。それは致命傷といえた。
だが、慶は襲撃をしなかった。
それはつまり、まさひろの置いた〈三眼の悪魔〉を『偽』だと見なしたということ。真牌なら迷わず討ち取りにいく牌なのだから、そうして来ない以上、慶は慎重策を取ったことになる。
(……これで俺の悪魔は金輪際、安全地帯に囲われた……)
おそらく慶はまさひろの〈三眼の悪魔〉を、〈五眼の黒豹〉あたり、壁牌と思っているのだろう。その外れた読みが、いまのまさひろにとっての命綱だった。
「…………」
まさひろは牌を引く。
――〈単眼の黒豹〉。
弱牌を引くなら、苦心惨憺は繰り返される。
〈四眼の溝鼠〉(1/4)
〈六眼の溝鼠〉(1/6)
〈五眼の黒豹〉(3/5)
〈三眼の飛竜〉(5/3)
〈三眼の黒豹〉(3/3)
〈単眼の黒豹〉(3/1)
二つ、道がある。
ひとつは壁牌を打つこと。すでに一枚、まさひろの河には六眼牌がある。防御を固めるのも悪くはない。
だが、まさひろは先攻だ。防御を固めるということは、六順目に先制決着を仕掛けないということ。すでに一枚、悪魔を置いているのだから、ここは攻めたい。それに、素直に防御を固めるというのは、六眼牌が場にあるから、ということが主軸の考え。
六眼牌は、真嶋慶から見えている。
「…………」
慶は頬杖を突いて、詐欺師が見えない水晶球を見透かす時のような目をしている。すっとぼけていても勝負の最中、六眼牌を場に置いたなら防御を固めるのがセオリー。そんなことは真嶋慶にも分かっているはずだった。
しかしだからといって〈三眼の飛竜〉を出せば、確かに攻撃点数は跳ね上がるが、河の状態は少しよれている。六眼牌を出しておきながら、強牌を二つ並べたところで、最初の六眼が足を引っ張っている。三枚そろえて攻撃点数は十三点。対し、防御点数は十二点。
どちらも同じ、ではなく、どちらも悪い。
この〈シャットアイズ〉では、河の方針は曲げない方がいい。
オフェンスは純理烈攻、ディフェンスは断機専防を貫くべき。
ここはもう一枚、六眼牌を置いて防御点数十五点を目指し、最初の決着権を真嶋慶に譲り渡す。それが正しい。
だからこそ――まさひろは、こういう牌を打つのだ。
打、〈三眼の飛竜〉。
――念は三度、真。
ここはむしろ当然。
慶に『ガードを固めている』と思われているまさひろは、強気な牌を出していって『俺は決着を仕掛けにいくぞ』と恫喝するのが自然。真牌ではなくとも、ここは強牌を念じておくのが道理だし、無闇に壁牌など念じて慶に疑惑を持たれたくない。ここは普通に、誰もがやるように、自然な一打が必要な場面。
「――襲撃はしない」
「…………」
まさひろの宣言に、慶は頷くでも首を振るでもなく、じっと卓上の牌を見下ろしていた。その薄い唇が、渇いた舌が水を求めているようにわずかに開いていた。何か、なんでもいい、何かすすれるものはないか――そんなことを考えているような表情に見えた。
「慶様」
「ああ」
慶は牌を引く。手についた脂を見るように引いた牌を眺めていたが、やがてそれをそのまま打ってきた。その打牌の激しさは、ほかのバラストグールたちの興味をわずかに引いたようだった。
指が離れる。
念は――〈六眼の黒豹〉。
まさひろは表情を動かさなかった。
(――真なら、俺にはつらい。偽なら、分からない。壁か、それとも。いずれにせよ、壁はつらい)
もし、ここで慶が本当に〈六眼の黒豹〉を引いたのなら、それは強運と言っていい。六眼牌はまさひろが二枚、持っている。残りは四枚、うち〈六眼の悪魔〉は、勝負ごとにすり替わる数枚しか念じられないので、慶の牌が六眼ならそれは二十一枚あった牌山から指定の三枚のどれかを引いたことになる。七度に一度の確率、だがまさひろは、確率など信じない。そんなものは、まがいごとだ。
まがいごとを曲げて勝つ者だけが、本当の強者なのだ。
(――なんで、こいつは死んだんだろう)
新たな牌に手を伸ばしながら、まさひろは勝負事ではなく、真嶋慶その人に思いを馳せた。
慶はまた〈襲撃〉はしかけず、手番を終えた。二枚目に出した〈四眼の悪魔〉で、まさひろの開かれている第一打〈六眼の闘牛〉を殺しに来なかったことを誤魔化す素振りもない。
無意味な脅しはしない。
そんな淡い気配を漂わせていた。
なぜだろう。
こんな気配を出せる者が、死ぬなんて。
真嶋慶。
セルディムを斃したバラストグール。
そして、いまだ誰一人として達成したことがない
その噂はまさひろにも届いている。
賭博師として生きた男、あるいは、賭博師のまま死んだ男。
ろくに博打もせず、まとまった金も握らずに死んだまさひろとは天と地ほどの差があるような存在だ。
博打で生きる、それは死にながら博打をするのと何が違うのだろう。
この男には。
生死を問わず闘い続けるこの男には、分かるのだろうか――何もかも。
そんなことを考えながら、まさひろは牌を引いた。
無我が引かせたか――指先に触れたのは、強牌、〈単眼の飛竜〉。
少なくともその一枚は、まさひろをさらに突っ走らせようとしていた。
○
置いてそれまで、とはいかない。
すでに河にはお互いに三枚ずつ、並んでいる。一枚増えれば一層複雑になる。もう三層だ、思考は欲しい。
まさひろは考え始めた。打つ牌を、ではない。
〈襲撃〉するかしないか、をだ。
〈シャットアイズ〉では、最初からお互いに〈襲撃〉し合って、乱戦になる事態がある。むしろその方が多いかもしれない。
だが腕に自信のある者ほど、乱戦を嫌う。不確定要素が多すぎるからだ。ゆえに、勝つにしろ負けるにしろお互いの培ってきたセオリーが通用するようになるべく、〈襲撃〉はかけない――そんな微風もこの船の中には吹いている。いわば竹刀剣術、真剣など振り回したらどちらが死ぬか分からない。そんなものに命運を預けるのはよそう、そういう考え方も理解できないではない。
だが、まさひろは、〈襲撃〉はかけるべきものだと思っている。
第一に、成功した時のアドバンテージが大きい。後攻で〈襲撃〉成功、つまり攻撃した牌で相手の牌のみを討ち取れた場合、あとから相打ちを取られても河の牌は相手よりも一枚上回る。要は一度だけでも〈襲撃〉が成功すれば、相手に〈襲撃〉を成功され返されなければ先手と後手が入れ替わる。これはこの〈シャットアイズ〉では大きい。
第二に、たとえ相打ち、もしくは勝負なしになったとしても、〈襲撃〉すれば確実に相手の牌が一枚覗ける。リーチと違って失敗したら不明のまま、ではない。何があろうと一枚は見れる。
本当に勝つ気なら死に物狂いでその一枚を追いかけるべきじゃないのか。
まさひろはそう思う。
第三に、乱戦になりやすい。
これはまさひろのような、生前培ってきたものが無い手ぶらの人間にとっては輝くような魅力だ。一手狂っただけで、自分より何倍も実力が上の相手が崩れる。その味は上等、脂貨などとは比べ物にならない。――なぜならまだ一度もそんな勝ちを味わったことがないまさひろですら、その味を知っているのだから。
わざわざ味わう必要などないのだ、『真実』というものは。
そして、ここで〈襲撃〉を仕掛けるべきかどうか、になる。
まさひろの河には六眼牌がある。それを〈襲撃〉させて、相手の牌が悪魔でなければ、六眼牌は何があろうと生き残る。ならば貪欲に、己の不死をかさに着て六眼牌で慶の河に絨毯爆撃を仕掛けていく。それもいい。
が、慶の河に悪魔がいれば、六眼だろうが絶息する。
三眼以上の悪魔なら、慶はまさひろの六眼牌を殺している。そうせず牌を雌伏させていたのは悪魔がいないから――もしくは、伏せられた悪魔が〈単眼〉か〈二眼〉か。それなら、六眼牌を襲えば同士討ちになる。鬼牌と壁牌、双方大打撃とあれば悪くない取引に見えるかもしれないが、慶は後攻――悪魔牌を潰してまでまさひろの壁に穴を空ければ、今度はその空隙からまさひろは銃口を突き出してやるだけだ。鬼を失った河に土塁を積む必要はない。
まっすぐに強牌を並べていって、決着をかけにいく。
そうされてしまえば、慶に出来るのは手持ちの河でひたすらに〈襲撃〉をかけ続け、まさひろの河を五枚以上にさせないという消耗戦が待っているのみ。とても鬼牌で壁牌を砕くなんて不可能。というよりも、無為。ゆえにここでまさひろがするべき一打は――
「――〈単眼の飛竜〉」
念じて強い牌を打つ。
襲撃はしかけず、顔も牌も伏せたまま、時を過ぐ。
四連続真牌。
見破られれば、死ぬ。
甘ったれた壁の薄さは慶の河に置かれているどの牌でも相討ちを取れる。
だが慶が、悪魔を一枚でも本当に抱えていて、まさひろの防御傾向を信じてくれているなら――戦線は膠着してくれる。
まさひろは先攻だ。
先手の有利を守り切る以外に、弱者は決して勇者に勝てない。
それをまさひろは、分かっている。
〈河〉
まさひろ
〈六眼の闘牛〉表
〈三眼の悪魔〉裏・真
〈三眼の飛竜〉裏・真
〈単眼の飛竜〉裏・真
打点十八
眼数十三
対
真嶋慶
〈四眼の魔兎〉表
〈四眼の悪魔〉裏
〈六眼の黒豹〉裏
打点十三
眼数十四