Neetel Inside ニートノベル
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稲妻の嘘
第三話  『わたしはまがいもの、こころ亡き偽者』

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「シャムレイ、〈エサ〉よこせ」
「はい」
 手渡されたハンバーガーを受け取ると、ザルザロスはあっという間にそれを食べ尽くした。空になった紙包みを投げ捨て、唇を拭う。
 勝負が始まる。
 先攻は、ザルザロス。
 配られた六枚の手牌を片手で開けた。
「…………」

〈単眼の溝鼠〉1/1
〈単眼の闘牛〉2/1
〈五眼の闘牛〉2/5
〈三眼の黒豹〉3/3
〈二眼の魔兎〉4/2
〈二眼の悪魔〉6/2

 手牌はひどい。強牌二枚と壁牌一枚。ほかは河に打つ羽目になったら負けを覚悟しなければならないほどの屑牌だ。ザルザロスは手牌を卓の縁に寄せてガラガラとかき混ぜた。気に入らない牌が来た時の癖だ。それは今も変わらない。
 強牌の方はどちらも二眼だ。ザルザロスが先攻であるため、順当に勝負が進めば先制リーチがかかってくることはない。が、後手は基本的に攻めて来る。脆牌を置けば容易く砕かれるだろう。そこから巻き返せる牌はザルザロスの手にはない。ここは〈五眼の闘牛〉を初手で河に打ち、様子を見るのが安全策。
 だが、ザルザロスは〈二眼の悪魔〉に手をかけた。
 河に打つ。念は〈三眼の魔兎〉。
 シャットアイズは、原則として強い牌から置いていくのがセオリーだ。それだけで決着まで辿り着くこともある。だが、ザルザロスが初手に脆牌を置いたのはそれだけが理由ではない。
 定石には裏がある。
(……リーチを目指すなら)
(お互い、初手は喰わない)
 ザルザロスはじっと己の張った牌に視線を注いでいる。
 このシャットアイズ、戦闘が繰り返されれば、まずお互いにリーチには届かない。相手が五枚置く前になんでもいいから相打ち以上を取れる強牌で襲撃を仕掛けてしまって、流局を目指せばいい。それはそれほど難しい戦術ではない。それどころかお互いにそうすると腹を決め合えば永遠にリーチ宣言がどちらからも出ないことまでありうる。
 だが、それでは勝てない。
 だから、お互いに『勝てると分かっていながら喰わない』牌というのが、出てくる。たとえば〈三眼の悪魔〉がサヤマの河にある状態で、相手が〈三眼の悪魔〉の念牌を置く。一つの種類の牌が一枚しかないのだから、それは嘘だ。おそらく戦闘を仕掛ければ喰える。
 だが、相手の返しのターンで、こちらの〈三眼の悪魔〉も喰われてしまう。〈単眼の黒豹〉だろうと脆牌は喰える。
 悪魔牌はあらゆる戦闘で相打ち以上になる上に、リーチ必要条件十八点まで大幅に近づく牌。開かれた段階で、相手は必ず潰しに来る。
 だから、迂闊に襲撃はできない。
 勝てるとわかっていても。
 そういう牌がこのシャットアイズには多数存在し、そしてそういったことを突き詰めていった末に、一つのセオリーが確立されている。
 よほどのことがなければ、『初手は喰わない』。
 それは暗黙のルール。
 破ってしまっても構わない。 
 だが、自分が破れば相手も破る。
 それを回避し、このシャットアイズを読みとブラフの勝負にしたければ、愚鈍なまでにそれを遵守するというのも一つの手。現にザルザロスはこうして初手に〈二眼の悪魔〉を張ったが、腕利きのバラストグール、あるいはリターナーなら、絶対に喰っては来ない。少なくともいくらかの猶予はできる。もちろん順目が進んだ後、ほかの襲撃で河が短くなった相手が襲撃してくればべつだが――さらにそれを逆手に取って、多眼の壁札を置いておき返り討ちにすることもできる。
 定石の一つ一つに意味はない。
 重ね合わせて、認識し合う。
 その認識を裏切ったやつが、勝つ。
「いい牌ですか、それ?」
 エンプティが尋ねる。
「ああ」
「そう、じゃあ、わたしもいい牌を出します」
 まだ牌を引いていない一順目。
 エンプティは、最強の牌を繰り出した。
「六眼の悪魔――」
 自慢の宝物を見せつけるように、エンプティはそっと、その牌から指を離す。
「引いちゃいました」
 真実は分からない。
 〈六眼の悪魔〉は勝負ごとにほかの牌と交換されている。〈六眼の白虎〉か、〈人間〉か、それともやはり、〈六眼の悪魔〉か。
「三択ですね」
「三択?」
「はい、あの、どれだと思います? 〈人間〉だと思いますか、それとも……」
「考えてない」
 二順目。
 ザルザロスは、牌も引かずに襲撃した。〈三眼の悪魔〉が開かれ、エンプティが伏せた牌の横に叩きつけられる。シャムレイの無機質な指先が、静かにエンプティの牌を開けた。
 ――六眼の悪魔。
「悪魔と悪魔、相打ちです――」
 冷たく響き渡るシャムレイの声に、エンプティはわずかに唇を開いたまま、反応できていなかった。
 失策。
 エンプティが空想していたのはもっとも単純な勝ち筋。〈六眼の悪魔〉を置き、ザルザロスの手牌にも河にも悪魔がいなければ、そのまま差し出された牌を次から次へと喰い尽くしてリーチへとなだれ込む暴食の道。それは確かに勝利を呼ぶこともある。
 だが、それだけだ。
 それだけのことなのだ。
「…………わたしは」
「後悔してる」
 ザルザロスは、更地になった河を見た。
 なにもない河を。
「俺はお前を、憶えておけない」

 ○

 それから先は、特筆すべきには当たらない。
 無様なダンスだった。
 エンプティはなんとか体勢を立て直そうと、懸命に牌を選んだ。そっと新たな強牌を河に潜ませ、あるいはふたたび悪魔牌を叩きつけてきた。だが、そのどれをもザルザロスはさばいてみせた。お気に入りの曲をピアノで弾くかのように、その指は澱みなく罠を紡いだ。絡め取られてもがいているうちに、勝負は終わっていた。
 牌山には、もう牌が六枚しかない。
 流局。
 ザルザロスは己の手牌と河をすぐに崩した。
 エンプティは幸運だ。もしザルザロスが一枚でも強壁牌を引いていれば、勝負はフーファイターのものだったはずだ。だが、そうはならなかった。
「やめるか?」
 エンプティが顔を上げた。死体のように青ざめている。
「……え?」
「この勝負、ナシにしてやってもいい」
「なぜ、ですか」
「なぜだと思う?」
 エンプティは俯く。そしてか細い声で言う。
「……やります。やらせて、ください」
「身の程を弁えなさい、エンプティ」
 シャムレイの声に金髪の奴隷がびく、と肩を震わせる。
「器の身でありながら、我が主と対等に並ぶなど、おこがましいとは思わないのですか?」
「……脂貨なら、払います。お願いします。もう一度、わたしと戦ってください、ザルザロス……様」
「それはお前のものじゃないよ」
 足元に散らばった脂貨を拾おうとしたエンプティの指が、凍る。
「真嶋慶の脂貨だ。やつが血脂を流して稼いだ金だ。そうだろ?」
「…………」
「お前、自分が何をしたかわかってるか」
「慶様の、脂貨を、勝手に……」
「違うよ。お前は、俺に勝てたんだ」
 エンプティが顔を上げた。ザルザロスはそれを冷たく見下ろす。
「お前の手牌は最高だった。引いてくる牌も悪くなかった。もっと上手く俺を誘導すれば、お前は勝っていた。だが、お前はそれをしなかった」
「できなかったんです」
「いや、しなかった」
 ザルザロスは断固として言った。
「これは全てお前が招いた事態だ。よく見ろ。河を思い出せ。……あれがお前の負ける勝負に見えたか? お前、真嶋にいまの勝負を見せられるか。あいつの目を見て笑えるか?」
「…………」
「立て」
 エンプティは従った。震える足で、身体を支えている。金色の髪がカーテンのように彼女の顔を隠していた。ザルザロスは頬杖を突いて足を組み、安値で買い叩いた美術品でも眺める資産家のように、奴隷を眺めた。
「わたしはまがいものです、と言え」
「……え?」
「言えば、もう一戦してやる。言ってみろ。『わたしはまがいものです』、だ」
「…………」
「言え。はっきりと」
「わ、わたし……は……」
 握り締めた拳が震えて。
 エンプティは、泣いていた。
「ま、まがいものっ……で……すっ……うっ……うぅっ……ひっく……」
「……なんて、はしたない子」
 黒髪のシャムレイが吐き捨て、しかめた顔を背ける。
 ザルザロスはしばらく笑っていた。ようやく微笑の発作が治まると、赤羅紗の卓を叩く。
「いいよ、遊んでやる。さ、席につきなよ。
 ――お人形さん?」
 微笑みながら、優しく牌をかき混ぜた。

       

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