Neetel Inside ニートノベル
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稲妻の嘘
第五話  『お前の番だぜ』

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 ぱん、ぱん、ぱん、と。
 ザルザロスが、彷徨う羽虫でも殺すように何度も手を打った。その一打一打に、耐え難い嫌悪感を滲ませながら、とうとう席に着いた真嶋慶を赤い眼で冷たく睨みつける。
「いやあ、いい茶番だったぜ、真嶋。――金返せ、と言いたいね」
「払ってないだろ。……よかったな、いい絵が見れたろ? こんな退屈な船じゃ、どうせ気の利いた映画もないんだろうから」
「製作者の正気を疑うような話なら、誰の目も汚さず死蔵させておきたいもんだ。――で、お前、なにを当たり前みたいに座ってるんだ?」
「いけないのか」
「俺とお前の間でどういう約束事があったのか、もう忘れたらしいな。俺は、お前とはやらない。……お前もそれで、納得してたろ」
「俺はエンプティの代打だよ。それならいいだろ?」
「それなら俺も、代打を立てようかな」
 真嶋慶が、ちらり、とシャムレイを見た。
「……なるほど、そうだな。俺の代打を認めれば、そっちも当然、そういう手を打ってくる。自分がやったことは、相手もやってくる――」
「ああ。ま、人形相手に無駄死にしたけりゃ、好きにしな。俺はゆっくり――」
 そこまで言いかけ、ザルザロスは、口を噤んだ。
 ――なにかが、違う。
 対面に座るバラストグールを、睨む。
「お前、なに考えてる」
「なにって?」
「このまま、お前が俺に席を立たせるわけがない」
「買い被りすぎだって。そういう悪巧みはな、本当に――」
 トン、トン、と。
 軽く、指で机を叩いた。
 なにかを呼ぶように。
「――これで最後にしようと思ってるんだ」
 がちゃん、と扉が開き、そのそばで控えていたエンプティが「わっ」と飛びのいた。読書室にぞろぞろと、六人の男女が押し込み強盗のようにやってくる。それを見て、ザルザロスはピク、と頬を震わせた。
 六人は、真っ白な仮面を着けている。
「狭山、お前にはもう、――敵なんか、いないんだよ」
「なんだと……?」
「そもそもよく考えてみろよ。バラストグールが乗船した時に貸し出される脂貨は、一体十万。百万まで溜め込んでるやつは、単純に考えたって十人に一人もいない。そんな風速レートに耐えられるやつは、元から数が少ない」
「……だから?」
「そいつらが、『ザルザロスとは戦わない』って言い出したら――お前の敵なんて、どこにいる?」
 ザルザロスは、沈黙した。
 鏡が割れそうな重圧で、六人の白仮面のっぺらぼうを見る。
「……全員がお前の口車になんか、乗るわけがない」
「ま、そうだよな。単純にお前との超高額配当を狙ってるバラストも多かった。だから、そういうやつには、ちょっとだけ大人しくしててもらうことにした」
「脂貨をムシったのか? お前が? 一戦十万の……」
「俺に賛同してくれないやつもいた。だが、俺に賛同してくれるやつもいた」後ろを指差し、
「六人の愉快で素敵な〈リターナー〉の仲間たちが、ね」
「…………」
「感じるか? ……もうこの蒸気船のデッキには、百万脂貨なんて抱えてるやつはいないんだよ。少なくとも、この〈シャットアイズ〉に参戦してる連中には。……だから俺とこの場でやり合わなければ、お前は勝負終了の〈十三時〉になるまで、なにもできずに震えてることになる」
「……お前が、いまの俺の手持ちの脂貨と同額以上を集められなければ、なにもしなくても俺の勝ちになるけどな」
「そうだな。なにもせず、高見の見物。勝とうが負けようが。
 でも、耐えられるのか? それに――お前の、プライドは」
「…………プライド? そんなもの――」
 己の言葉も、前面にある現実もかき消すように、ザルザロスは腕を振る。
「お前ら、くそったれの〈バラストグール〉どもが……そんな白仮面で俺から隠れたつもりか? お前ら腕利きが誰かなんてことは、顔を伏せたって分かるんだよ。……どうした、臆病者ども! いつまでも誰かが倒してくれない俺に業を煮やして、真嶋に鞍替えか?」
 クスクスと、何人かの賭博師が含み笑いを零した。――男女問わず、真嶋慶や、狭山新二の同類なのだ。まともに挑発を聞く耳を持つ人格者などいはしない。
 握り締められたザルザロスの拳が窒息した昆虫のように痙攣する。
「お前らの、そういう脆さが、いつだって、俺を退屈させるんだ……なあ、かかってこいよ、てめえら、揃いも揃って逃げてるだけか! 俺は、俺はここにいる――誰からも逃げたりしない、自分の勝負を誰かに被せたりも、だ! こいつが――」
 そのまま目玉を抉りかねない勢いで、ザルザロスは真嶋慶を指差した。
 だが、次の瞬間、その殺意は逆転する。
「こいつが俺より御しやすいとでも思ってるのか? まさひろとかいうガキにあっけなく負けたから? 馬鹿かてめえら、こいつはな、お前らを引き込むためなら平気で汚泥のひとつやふたつ被っ――」
「待て」
 慶が、ザルザロスを見上げている。
 静かに。
 なんの感情も、浮かべず。
「――なんで、お前がまさひろのことを知ってる?」
「ああ? ……ああ、なんだ、お前、情が湧いたのか」
「……ちがう」
「そういうツラをしているぜ。……そこの燃料野郎が」
 ザルザロスは、足元でいまだに零れた脂貨を舐めている、かつて神鶴彰だったものを腕で示した。
「来る前に、俺に挑んできたガキがいた。そいつが確か、まさひろだかまさあきだかって名前のバラストグールだった。よく頑張って三戦目までは食いついてきたが、それだけだ。……いまごろボイラー室で、景気よく燃えてるだろうよ!」
 盛大に高笑いした後、握り締めた拳を卓に叩きつけ、
 ザルザロスは慶を睨んだ。
「それでも、いいか、それでも――
 俺は、お前とは戦わない。
 プライドだと?
 そんなものはな、捨てたんだ。
 俺はこの蒸気船〈アリューシャン・ゼロ〉の専属賭博師だ。永遠に勝ち続ける勝負師になることを選んだ。お前みたいに、くだらんボディを集めて生き返るなんざ御免だね――
 〈陸〉になにがある? よく考えろ、そして思い出せ。
 ――生き返ったって、どうせまた死ぬんだぜ。
 そのたびに、またこの〈アリューシャン・ゼロ〉で全部位奪還レイズデッドを目指すのか。言っておくが、この船に乗れるのは最初の一度、それっ限りだ。あとはない。……無駄なんだよ、お前のやってること全部。
 それが分かったら、いつまでも油を売ってないで、時化た小銭を雑魚どもと乳繰り合ってろ、この――生まれ損ないの――片端――野郎!」
「……狭山」
「その名で呼ぶな、俺は――」
「狭山、俺は」
 慶はザルザロスの腕を掴んで、それをそのまま、卓に叩きつけた。烈しく樹が撓む音がした。
 握り潰しそうなほどに力をこめながら、その逸らした表情は静かで。
 どこかにある故郷に語りかける旅人のように、
 あるいは死者の墓に水を零す生者のように、言った。
「俺はお前を、このままにはしておけない」
「……放せ」
「お前、いつまでここにいるつもりだ?」
「放せっ!」
「これがお前の望んだ末路か。こんな――」
 慶は周囲を見渡した。窓ガラスから差し込む真紅の夕陽が、読書室を紅く染めている。シャンデリアは死者たちの騒動に震えて揺れ惑い、絨毯には脂貨が散らばり、子豚がそれに鼻面を押しつけ、二機の人形が固唾を呑んで主の口論を見守り、――そして白仮面の死者たちが、むせ返るような嘲笑を隠そうとしている。
「こんなところにずっと閉じ込められてて、どうする? なあ、狭山……俺はずっと考えてた。お前と正面勝負を避けたのは、誰が考えたって正解だ。お前とやれば、俺は苦しむ。ずっと前からそうだったように……
 だけどな。
 ……俺は、お前を見捨てておけない。
 俺はお前を知ってる。お前は、こんなところにいていいやつじゃない、だから」
 慶は狭山を見た。

「消えてなくなれ、狭山新二。
 俺が、お前を終わらせてやる」

「…………………………………………はっ」
 ザルザロスが、ようやく慶の腕を乱暴に振り払う。死体の腕が触れていた場所を入念に掌で擦りながら、卓を回っていく。
「結局、言いたいことはそれか。俺がお前の敵だから、俺がお前にひどいことをたくさんしたから、やっつけようってわけだ。この、ガキが」
「ちがう」
「どこが?」
 乱暴に席に着くと、ザルザロスは尋ねた。
「……代打とか真打とかぬかしてたな。ってことは、いいんだな? ……そこのデク人形が造った出来損ないの河、そのままに、このまま勝負続行――で」
「ああ」
「お前は、まだ河の牌を見てすらいない。それでも、やるんだな?」
「やる」
「初めて会った時から、お前のことが気に喰わなかった」
 もう、読書室は紅くならない。
 すでに夕陽が、満ちている。
 溺れるほどに。
 フーファイター。
 ザルザロスが言った。
「それもこれで、最後だ。……お前の番だぜ、牌を打て。リーチか、それとも――保留か?」
「…………………」
 はたして。
 慶が取った選択肢は、『保留』と呼べたのだろうか?
 五枚伏せられた河の牌、その中から二枚を選び、表にして慶は確かめた。それ自体は、なんのルール違反にもならない。河に牌を打ったエンプティ自身がそれを確かめることが、なんの問題もないのと同じように。
 だが、慶の次の行動は、さすがのザルザロスも想定できていなかった。
「もういい」
「……もういい?」
「なにもしない」
 慶は頬杖を突いた。
「お前の番だぜ」

       

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