Neetel Inside ニートノベル
表紙

欠けた天使の与能力(ゴッドブレス)
第四話 最後の日常

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 眩しい。目を開け光源を探るも起き抜けの目には何も映らず逃げるよう
にベッドから這い出す。光に背を向けようやく戻ってくる視界。なぜか頭
が揺れている。

 神――またこの語が浮かび上がってくる。



 そうか、ボクにはもう何も残されていないんだった。




 頭の中にもや でもかかっているのか昨日の記憶はあるもののそれが
自分の体験したこととは到底思えなかった。まだ寝ぼけているのだろうか、
顔を洗おう。いつも通り、だけども心に不安定な浮遊感を感じながら部屋を
出て階下を目指す。


「おはよう、ウシエル」
 階段を降り切ると調理場にウシエルの後姿を認め、声をかける。振り向
くウシエルの顔はいつもの笑顔である。それを見てなぜか懐かしさを覚え
る。昨日も会ったはずなのに。どこか違和感があった。

「おはようございます、アーエル様」
 ウシエルの言葉に笑顔を返す。食卓にはすでに肉や魚、野菜、卵等色と
りどりの料理が置かれている。お腹の辺りがわずかに縮む。お腹がすいて
いた。けれども身なりを整えるのが先である。そのまま手水場へと向かう。

 蛇口をひねれば流れ出てくる水。手ですくい顔をすすぐ。髪についた水
が重力に従い床へと落ちていく。台のわきにかかった布を手に取ると顔を
拭く。頭を上げる。銀製の鏡に映る自分の顔。再び顔の上を水滴が伝う。
手で拭う。すると今度は幾筋もの水滴が頬を伝う。掌で拭う。拭えど拭え
ど水滴は流れ落ちる。着ている衣の襟首が湿ってくるのを感じる。軽微な
体の震え。いったいどうしてしまったのだろうか。回らぬ思考に流れ続け
る水滴、視界も潤む。足から力が抜ける。そのままその場へと崩れ落ちる。
体の震えはいまだ収まらない。

 世界がかすんでいた。自分だけが周りのすべてから隔離されているよう
に感じる。鏡に映る天使、ボクの顔をしているそれはボクではない。まだ
夢でも見ているのだろうか、周囲に感じる違和感、不快感。ボクは気がく
るってしまったんだろうか。ではなぜ……理由に思い至ったとき現実が肉
薄してくる。


 夢の終わりを実感したときのような、そんな感覚。けれどもいつもの日々
はもう戻ってこない。

 


 手水場を出ると食卓の横で迎えてくれるウシエル。

「おはよう、ウシエル」
「? おはようございます。アーエル様」
 怪訝な表情を示すも挨拶を返してくれる。ボクはウシエルの用意してく
れる最後の食卓につく。

「アーエル様、昨晩は眠れましたか?」
 心配してくれているのであろう。ウシエルのボクを気遣う言葉。

 けれども今のボクには必要ない、大丈夫。

 ボクの欠けた心も壊れてしまえばただの欠片の集まり。もう揺らぐこと
も欲することもない。失うことだってないんだ。

 あとは壊すだけ。




 いつもの日々は戻ってこないけれど今日だけはいつも通り過ごさなけれ
ばならない。
 最後の演技。演技は得意だ。


 スプーンを口に運ぶ。染み渡るスープ、ウシエルの味。

 ウシエルにだけでも……日々を思い返せばそんな思いが湧き上がってく
る。それをすればボクに残るのは破滅だけ。ウシエルが神を裏切るわけが
ないんだ。だからウシエルにだって伝えるわけにはいかない。


「ウシエル、今日もおいしかったよ。ありがとう」
 でも、感謝の気持ちだけなら。

「改まってどうされたんですか? こちらこそ毎日残さず食べてもらってるん
です。それだけで十分ですよ」
 ウシエルの笑顔、見つめていては怪しまれるだろうか? もう見ることは
ないであろうその姿を目に焼き付けボクは家を出た。

     

**

 時計は8時を指している。天使としての最後の生活、この短針が一周する
ころにはすでにボクはこの世界にいないだろう。あれだけ退屈に感じてい
たこの教室もかけがえのないもののように思えてしまうから不思議だ。

 神の社に呼ばれたあの日、崩れ去ってしまったボクの世界。思い出の中
だけでもきれいであってほしいと言う思いとは裏腹にボクの内に潜む炎が
それを許さない。
 平穏が焦げついていく。


「アーエル君、おはよう」
 教室で授業開始を待つボクの目の前に現れる女の顔。ハミエルであった。

「おはようハミエルさん。今日も元気だね」
「だって、アーエル君笑ってるんだもん。私も自然と元気になっちゃうよ」

 ハミエルの言葉に首を傾げるボク。
 笑顔? 不適切な表情だ。悲壮や怨嗟。感情を押さえたばかりに対極に位
置するものが表出したのであろうか。なんとも面倒なことだ。

「いい天気だからそのせいかな」
「なにそれ、おもしろーい」
 早く視界から出てくれないだろうか。誤魔化す言葉も、真顔もあまり長
くは持ちそうにはない……いや、ここでこそ笑顔か。ボクは普段どんな表
情をしていたんだろう。
 無意識でできていたことができない困惑。それを表情に出せないボクを
よそにハミエルは楽しそうに笑う。

「もうそろそろ鐘が鳴るみたいだし、行くね。じゃあまた、アーエル君」
「うん、またね」
 手を振るハミエル。ボクは彼女を見送り息をつく。思考は空まわるばか
りであるが心は意外なほどに乾いている。感情の波、それが今は引いてい
るだけのこと。ことを起こすときにはいやでも感情は沸き立つであろう。
それがどんなに醜いものであっても。


 教室に羊皮紙の束を抱えたカシエルが現れる。皆は教壇へ立ったカシエ
ルに注目し心なしか空気が引き締まる。けれどもその一方でカシエルから
目をそらすボク。緊張が走る。
 神の継承式のことを知っていたカシエルである。当然ボクが神に選ばれな
かったことも知っているだろう。一介の天使では継承式が行われたことも
まだ知らないはずであるが、継承式の結果は神に近しい者であれば知るこ
とのできる事実である。神の懐刀であるカシエル。ボクの担任でもある彼
がボクが神に選ばれなかったことを知らないはずがないのである。後ろ暗
い所のあるボクはいやが応にも委縮してしまう。

「時間だ。授業を始める」
 ボクの緊張をよそにカシエルは定刻通り授業を始める。あれ? 疑問に思
うボクであったが考えてみればこの堅物教師が授業時間を押してまでボク
に話しかけてくるわけがなかった。継承式の話題に触れるとしても授業後、
そして無駄を嫌うカシエルのことだ。こちらから継承式の話題でも振らな
い限りおそらく継承式のことには触れることもないであろう。

 ボクの予想通りカシエルによる授業は進んでいく。授業中当てられるこ
とはあったがカシエルから特別言葉もなかった。

 そして。

「今日はここまでだ」
 鐘とともに終わるカシエルの授業。そのままカシエルは教室から出て行っ
てしまう。教室がざわめきだす。
 こうなってしまうと少し拍子抜けな気もするが……不測の事態は無いに
こしたことはない、そのはずなのだが。ボクの心に影が差す。

 こうして何事もなく鳴る終業の鐘。クラスメイト達は次々、教室を後に
しボクもその波に乗る。
 最後の学校だというのに変わり映えしない景色。相変わらずボクの周りは
騒がしい。

「アーエル君、じゃあまたね」
「うん、また明日」
 手を振るクラスメイト達を見送り最後の日常の余韻に浸るボク。ここま
で来たらもう後戻りはできない。後は目の前、神の社へと踏み出すだけ。
 傾き始めた夕日が神の住まうこの塔を照らし、影がボクの方へと倒れ掛
かってくる。しばらくその場で佇んだボクは顔を上げると一歩を踏み出す。

 もうボクには何もない。あるのはボクの心を焼き続けるこの炎だけ。



 神の気配のする社の中は不気味なほど静かにボクを歓迎した。

       

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