第十話 怠慢無き天使

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「はな、しを」
「わかったから、落ち着いて」
「ふはあ」
 緩んだ拘束。気道を駆け抜ける空気。エイダから受けていた頚部の拘束を
解かれたボクの体は地面に崩れ落ちる。

「ぜえ、ぜえ、ぜえ」
「子供相手に大人げないよ、アーエル。年齢差考えなよ」
「それを言う前にエイダは力加減を考えろ。危うく死ぬところだったぞ」
 ボクの苦言を聞くエイダはけれども首をかしげる。

「? 天使も死ぬのかい」
「当り前だ。天使は思想の集合体。それが何らかの要因でその構成を維持
できなくなれば存在は瓦解する。そしてさらに言えばボクは今、受肉した
身。死は人間同様訪れる」
「なるほど、じゃあごめんなさい」
「……謝罪の前の接頭語が気になるが、別にエイダには怒っているわけじゃ
ないから安心してくれ。むしろエイダの言うようにボクが大人げなかった。
ただ、どうしてか子供の言葉が妙に心に刺さっただけだ、今は反省している」
「そう、ならいいけど」

 確かに先ほどの件はボクらしくなかった。感情を人前で表に出すなんて
何年もなかったことじゃないか。やはり、ボクも疲れているのか、それとも。

「そうだ」
 ボクの思考を遮るようにエイダがボクの肩を揺さぶる。

「この身体強化能力も一通りは試したし、別の能力に変えてもいいかな?
この能力だとどうしても使ったときに目立つし、アーエルもいろいろな
能力を試せた方が都合がいいでしょ」
「ああ、そうだな。ボクも体力は回復したし、そうしようか」
 おそらく子供たちの役に立てたことで気をよくしたのであろう。明る
さを増すエイダの声を聴きながらボクは懐から本を取り出す。

「あと残りの能力は『無限距離通信能』、『異身転身』、『木効細工』。
どれも身体能力強化に比べ癖のある能力だ」

 時刻は正午を回っている。体力的な問題で与能力の連続使用はできない
から今日発動できるのはあとせいぜい2回。残った一つは明日に回すとして。

「エイダ、どれにする?」
「うーん。木効細工や無限距離通信能じゃあ誰かの役に立てるイメージで
きないし、とりあえず対象と位置を入れ替える能力、『異身転身』にしよ
うかな」
 エイダの選択。まあ、そう来るだろうな。行動原理が人の役に立つことの
エイダだ。この能力ならいくらか人の役にも立てるだろう。

「よし、異身転身でいいな?」
「うん。よろしく頼むよ」
 エイダが身構える。
 
 2回目ともなると能力発動の勝手もわかってくるというもの。掌をエイ
ダに向けると徐々に光が内より漏れ出してくる。


与能力ゴッドブレス


 心地よい倦怠感が体を包み、目の前を光の渦が舞い踊る。ボクは膝をつ
き見上げるとエイダはただ黙して自身の中に迫りくる光を受け入れていた。
1回目とは少し違う淡い黄色の光。その光は儚くエイダの内へと飲み込ま
れていった。

「完了だ」
 ボクは膝に力を入れ立ち上がるとエイダの前へ歩みよる。

「えーっと、対象と位置を入れ替える能力? だっけ」
「ああ。感じるだろう。その思いに従えば能力行使は難しくないはずだ」

――シュッ

「本当だ」
 背後から聞こえる驚喜の声。さっきまでエイダの居た位置にはハエトリ
グサの鉢植えが。

「まるでワープしたみたいだ」
「いや、その事象。ワープその物だろう」
「ははは、その通りだね」

 破顔するエイダ。ボクもそれに合わせニコリと笑う。

「さあ。じゃあ問題はこれをどうやって人の役に立てるかだけど」
「おいおい、エイダ。今何時だと思ってるんだ」
 時刻は現在六時を回った。すでに外は赤みを帯びており日が暮れるのも
時間の問題だ。

「夜に外を出歩くのは危険なのではないか?」
 ボクとしては人が減るのは能力の露見を防げるよいことだが、何も人の
目を気にするのはボクだけではない。よからぬことをたくらむ輩もいるだ
ろう。

「夜っていってもまだ六時だよ。老人だってまだ寝ちゃいないさ」
「まあ、エイダがそういうのならボクも留めはしないが」
「さあ、人助けの始まりだ!!」

 純粋に笑顔を振りまくエイダを余所に、ボクは肩を落とす。こんな有様
で本当に神を見返せる日が来るのだろうかと。
**

「時間だ」
 天界に響く鐘の音。天界と言えども夜はやってくる。
 19時を告げる鐘の音が鳴りやむと同時にカシエルは闇の中にたたずむある
門の前に姿を現した。

 天界の端。そこには下界と天界をつなぐゲートが存在する。空想と現実は
そこを境に隔てられているのだが神から特殊な力を授けられたものであれ
ばその境を飛び越えることができるのだ。

 カシエルが前に立つと白く塗られたその門はひとりでに開きだし、人ひ
とりがちょうど通れるほどの空間を作り出す。
 迷うことなく門へと向かうカシエル。門はカシエルを迎え入れるとひっ
そり、扉を閉じ平静を装うのだ。




―ガサガサ
 茂みのゆする音。そして暗闇の中から姿を現したのはアーエルの弟である
オーエルの姿。
 
「……」
 オーエルに浮かぶ悲痛な面持ち。彼の目に浮かぶのはアーエルの破滅する
姿であった。

「……アーエル兄さん」
 そう言ってオーエルは唇をかむ。
 夜の静寂の中、吹き抜ける風だけがオーエルをあざ笑う。

「待っていてアーエル兄さん」
 その瞳に宿るのは決意。オーエルが空に手を突き出すとその手掌からは
光が漏れ出す。光は渦巻き、やがて収束する。
 オーエルが手にしていたのは一冊の本。

「僕が必ず救って見せるから」
 オーエルの決意は静かに力強く天界の闇の中で光を放った。
**


「あいたたた」
「おばあさん、大丈夫ですか。僕が荷物持ちますよ!!」




「どこ行ったのかしら」
「何か落としものですか? 一緒に探します!!」




「悪いねえ。道教えてもらうだけでよかったのに送ってもらっちゃって」
「困っているときはお互い様。僕だって皆から支えられてますからね」




「本当に申し訳ありません。ありがとうございました」
「子供さん向こうで遊んでましたよ。これからは気を付けてくださいね」




「お兄ちゃん、ありがとう」
「一人で偉いね。お使いかな?」











「能力使えよ!!!!」
「ごめん。人助けに夢中で忘れてた」
 かれこれエイダに能力を与えてから3時間が経過した。
 その間、能力使用したのは家の中での使用3回のみ。ボクはその間、エ
イダの行う人助けを見せつけられ辟易していた。


「せめて移動ぐらいはなあ」
「それだとアーエルがついてこれないじゃないか」
「まず行きたい位置を決め能力発動、次にボクと位置交換。最後にもう一
度目的地付近の対象物と位置交換すれば二人で移動できるだろ」
「ええ。めんどくさい」
「……あのなあ」
 もう飽きてきたのだろうか。最初に与えた能力、力鼓舞のときははしゃ
いでぶっ倒れるまで能力行使し続けたというのに。ボクは内心ため息を吐
きエイダの方を見る。


「でも、さっきから能力も使わず人助けばかり。エイダ。君はいつもこん
な生活をしているのかい?」
「いつもと言うわけじゃないよ。目の前に困っている人がいなければ人助
けは成り立たないからね」
「……」
 わかっていた答えとはいえさすがに閉口してしまう。
 エイダの中では人の役に立つことが最優先事項なのだろう……なら、ボ
クの頼みも聞いてくれよ。
 ボクは心の中で毒づく。



「エイダ。君はどうしてそこまで人の役に立ちたがる?」
 出会った時から聞きたかった質問。ボクはこの際だと口にしてみる。

「前も言ったかもしれないけど人の役に立ちたい気持ちに理由なんてない
んだよ。困った人がいたら助ける。人として当然のことさ」
「それはそうかもしれないが、何かきっかけはなかったのか? その考えに
至るきっかけが」




 人の善意には必ず悪意が潜んでいる。

 愛には淫蕩が。

 慈愛には傲慢が。

 正義には憤怒が。
 
 忠義には盲信が。

 平和には怠惰が。

 忍耐には怯懦が。

 勇気には野蛮が。

 憧憬には嫉妬が。

 
 人の善行は自身の欲求不満を昇華させただけに過ぎない。現にエイダも
人助けから達成感を得ている。

 ならば必ず、欲求の解消手段として善行に行きついた経緯がどこかにあ
るはずなのだ。ボクはエイダにその答えを求めていた。
 この質問はエイダからの心象を悪化させる危険をはらんでいるが、それ
でも。達成感無きボクゆえなのか。ボクの口はエイダへの質問を紡いでい
た。


「……しょうがないな。分かった、話すよ。ボクの中で人助けが特別で無
くなった理由」
 エイダの目が憂いを帯び、その口から彼の思い出が語られだした。


sage