Neetel Inside 文芸新都
表紙

人間以下
第一話「24歳、無職、童貞」

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 生ビール中ジョッキ500円。俺の財布の残金460円。金がないことには気づいていたが、居酒屋に入って酒を頼まないわけにはいかない。ついでに枝豆も注文する。
 大衆居酒屋に一人というのはどうも居心地が悪い。19時を回っているだけあって、店内は大盛況。どの席でも団体様で飲み交わしている。別に一人酒が恥ずかしいことだと思っているわけではない。とにかく、俺の性に合わないのだ。
 松野との約束の時間は19時ちょうど。俺にしては珍しく、約束の5分前にはこの居酒屋に到着した。ただ、その10分後に松野から「悪い高崎、30分ほど遅れる」と電話が来た。松野にタカってタダ酒をしようと張り切って来たのはいいが、嫌な気分で待ちぼうけを食らうことになってしまった。店の外で待っていればよかったと少し後悔している。
 そんなちっぽけな後悔も、ビールと一緒に胃に流し込んだ。昼飯を食っていなかったからか、ジョッキの中身が半分を切るころには顔に熱がこもり始めた。
 やけに耳障りな声が右側から聞こえる。確か大学生くらいの男女四人組が座っていた。ゲラゲラと下品な笑い声が聞こえるたびに一人で飲んでいる自分が笑われているのではないかという被害妄想が首をもたげる。
 まだ20歳前後だろう。四人組の顔をちらりと伺ってみるが、どれも幼さが残っている。年齢だけで言えば対して差はない。俺だってまだ24歳だ。しかし、なぜだろう。実年齢の差以上の何かが、彼らと俺の間にあるような気がしてならない。
 まず、俺には女がいない。これまでの短い人生を思い返すと、女にモテた経験なんて一度もなかった。まあ、顔が悪い。性格だってろくでもない。学もなけりゃ職もない。悲しきかな、24歳童貞、彼女いない歴にもイコールが付く。
 そのくせプライドだけは高いから風俗で初めてを済ますことにも抵抗がある。そもそも、今飲んでいるビールの代金すら払えないんだからプライドがなかろうと風俗になんていけやしない。
 性欲だけは人並み以上なもんだから常々女を抱きたいとは思っていて、この前もバイト先の女を飲みに誘い、そのままホテルでしっぽり楽しもうと企んだはいいが、いかんせん俺には経験がない。案の定、大失敗した。女とは気まずくなって、バイトもそのままバックれてしまった。
 それと、俺は大学に進学していない。俺みたいなろくに勉強もしていない馬鹿でも推薦で行ける大学はあったようだが、母親がそれを拒否した。これ以上俺に金を使いたくなかったらしい。誰から見ても遊ばれているだけだと分かるのに、稼いだ金を若い男に貢いではあっという間に逃げられる。偉そうに言える事じゃないが、今までドブに捨てた金で私立の大学の学費なんて十分捻出できたはずなのに。
 高校卒業してからはバイトを転々としながらぶらぶらと生きている。夢だとかやりたいことなんてものはこれっぽっちも持ってなくて、18歳から24歳までの6年間は刹那的に生きてきた。多分、それはこの先も変わらない。
 だから、俺には未来がない。
 ない、というよりは見えないって感じだ。でも、あの大学生どもは違うだろう。俺に比べれば奴らには未来がある。きっと、それなりに就活を頑張って、働いて働いて働いて、時には色恋を楽しんで、クソほどイチャイチャしていた恋人とそろそろ落ち着こうかってことでそのまま結婚しちゃって、そんでもって子供もできてそれなりに幸せな家庭を築いちゃったりするんだろう。俺だったら、きっとそんな風にうまくいったりはしない。嫌な確信だ。
 溜息をつく。そして、また後悔。
 一人で酒なんて飲むから、後ろ向きなことばかり考えて鬱々とした気分になる。松野のクソ野郎が時間通りにこないからだ。
 ジョッキの残りを一口で飲み干す。一緒に頼んだ枝豆は馬鹿馬鹿しいことを考えている間に皮だけになっていたし、タバコの吸い殻も三本分増えた。
 もう一杯頼んでもいいだろう。そう思って呼び出しボタンを押した直後、テーブルの上に置いていた携帯電話が荒々しく震えだした。松野だ。嫌な予感がする。
「おう、まだか」
『悪い高崎』
 クソッタレ。ドタキャンするとは言わせない。
「来ないと殺す」
『すまん! 埋め合わせはまた今度すっから!』
「今度じゃねえ。今来てくれないと困るんだよ」
『そう言われても無理なんだわ。来週はどうだ? 俺が奢るから』
 俺は今日奢ってもらうつもりでここに来ているんだ。今日が駄目だと来週の俺は留置所かどっかで震えるハメになる。
『ねえ、まっつん。まだぁ?』『馬ッ鹿お前……』
 聴こえた。小さいが、ねっとりとした女の声だ。
「お前から誘っておいて女を理由にドタキャンか!?」
『…………』
 切られた。あの野郎、次会うときは血祭りにあげてやる。
「あのぉ……」
 気づくと横には店員が立っていた。そういえば酒を頼もうとしていたんだった。俺が電話している間、待っていたのだろう。
「えーと」
 ここの代金を払わせるはずだった松野はもう来ない。何かを注文したところで、その代金は俺の侘しい手持ちじゃ払えっこない。が、すでにビールと枝豆が俺の胃袋の中に収まっている。こうなりゃヤケだ。後のことは考えない。
 高校を卒業してから、ずっとそうやって生きてきた。
「生一つ。あと鳥軟骨の唐揚げ。それと……」


 食って、飲んで、吐いた。それからまた食って、飲んで、ついさっき吐いてきた。
 さて、どうするか。
 選択肢は二つある。全力で食い逃げするか、片っ端から知り合いに電話して助けてもらうか。
 前者はおそらく失敗する。便所に吐きにいったとき、まるでドラマに出てくる酔っ払いサラリーマンかと言いたくなるくらい千鳥足になっていた。ふらついてまともに走れない。
 じゃあ後者はどうか。正直これも望み薄だ。まず、俺は知り合いが少ない。普段から連絡を取り合うような親しい人間も、片手で数え切れるレベルだ。さらに、その数少ない友人は揃いも揃って俺と同じクズばかり。類は友を呼ぶという言葉が憎らしい。
 それでも、僅かな希望をかけて誰かに助けてもらわなきゃならない。携帯の電話帳とにらめっこする。
 突如、画面が切り替わった。携帯とそれを握る手が震える。知らない番号だ。ちょうどいい。普段は知らない番号からの着信には出ないのだが、この状況を打破する可能性があると信じて、俺は電話に出る。
「もしもし」
『お、高崎の携帯で合ってるか?』
 男の声だ。聞き覚えがある。
「どなたでしたっけ」
『俺だよ、覚えてない?』
 覚えてないから訊いているんだろうが。
「いやあ、もうちょっとで思い出せそうなんすけど」
『曽根だよ、曽根。高校一緒だったろ』
 名前を聞いてピンと来る。高校時代の先輩だ。当時はよくつるんでいた覚えがある。
「曽根さんっすか。久しぶりですねえ」
『俺が卒業してから全然会ってなかったもんなあ』
「急にどうしたんですか?」
『突然だけど、お前今も地元にいるのか?』
「ええ、俺はずっと地元で生活してましたけど」
『今どこにいるのよ。久々に会おうや』
 来た! 俺から話を誘導する前に、話がいい方向に転がってきた。
「駅の南口を出て左にある居酒屋で飲んでるんですけど」
『あー、あそこな。おっけ。すぐ行くから待っててくれ』
「わっかりました!」
 たまには人生うまくいくもんだ。曽根さんには申し訳ないけど、ここの代金をなんとか払ってもらおう。俺の記憶が正しければ、面倒見のいい先輩だった。ただその反面、結構荒れている人でもあった。舎弟同然だった俺も殴られたことが何度もある。あの人について行って喧嘩に巻き込まれたことだって少なくない。
 さすがにあの頃に比べれば落ち着いているはずだ。殴られずに済むといいな。そう祈りながら、タバコに火を付けようとして、パックの中身が空っぽになっていることに気づいた。
 ついでに、タバコも買ってもらおう。


 目の前の席にいきなり座られたときは、一瞬ヤクザかと思った。
「よう、待たせたな」
 サングラスを外した姿を見て、やっと俺は目の前の男が曽根さんだと気づく。
 久しぶりに会った曽根さんは俺から見ても分かるくらい高級そうな紺色のストライプスーツを身に纏っていた。当時はワックスで固めていた眺めの髪も、今じゃすっきりとしたソフトモヒカンに様変わりしていた。顔つきもだいぶ大人びたが、くしゃっと笑ったその顔は俺の記憶の中の顔と確かにリンクする。
「お久しぶりっす」
「お前、一人で飲んでたのかよ」
 曽根さんはケラケラと笑う。
「松野に奢ってもらうつもりだったんですけど、ドタキャンされちゃいましてね」
「あー、あいつか。懐かしいなあ。まだつるんでたのか」
「腐れ縁っすよ、腐れ縁。
 それで、先に一人で飲み始めたのはいいけど金持ってきてなかったもんだから、ちょうど困ってたんすよ。ここの支払いどうしようかなって」
「俺に払えってか? 見ない間に図太くなったなお前も」
 少し勇気を出して自分から支払いのことを切り出してみたが、期待していた通り、曽根さんの態度は変わらなかった。これならいける。
「お願いします! 昔のよしみで、ね?」
 テーブルに手を付けて頭を下げる。「しょうがねえな」と気のいい返事がすぐに返ってくるだろうと楽観していたが、急に曽根さんは何も言わなくなった。
 そっと頭を上げ、曽根さんの顔を上目で伺う。それと同時に曽根さんも口を開く。
「その前に、俺の話を聞いてもらえるか?」
 曽根さんの顔は笑みを浮かべたままだったが、その笑顔の質が変わっていた。さっきまでの子供っぽい笑顔とは違う、大人の顔。何か腹の底で企んでいるような……
「何、大したことじゃねえよ。お前、今仕事はどうしてる」
「……無職です」
「なら、話が早い。仕事を紹介してやる」
「え?」
 曽根さんの顔が、また昔のような笑顔に戻った。さっきの顔はなんだったのだろう。
「俺が数年前から世話になってる人がいるんだが、その人がちょっとした施設を運営しててな。そこの管理人をやってくれる人を探してくれって頼まれちまってな」
「なんすか、その施設って」
「うーん、ここはうまく説明しづらいんだが、例えるなら動物園みたいなものかな」
「はあ」
 動物園なら分かる。動物園みたいなものとはどういうことなのか。酔って頭が回らないのもあるが、実態が想像つかない。
「金払いはいいぞ。俺も今はその人から仕事を貰ってるんだが……なあ、このスーツいくらすると思う?」
「は? えっと……15万くらい?」
「上下合わせて30万」
「まじっすか」
 貧乏人ながら漠然と高いスーツだろうなと思っていたが予想以上だった。曽根さんも、ずいぶんと金を貰っているらしい。つまり、俺もそこで働けばそれくらいの給料を期待できると言いたいのだろう。
「働いてみる気があるって言うなら、ここの代金は俺が払ってやる」
「ずるいっすよ、それ」
 イエスと言わなかったら、曽根さんが来る前の状況に逆戻りだ。
 これまでの話を思い返して色々と考えてみようとはするものの、アルコールというのはやっかいなもので、考えようとすればするほど頭がぐわんぐわんと不快感をまき散らす。
 まあ、いい。24歳、無職、童貞。こんなクソッタレの現状からよりひどくなることはないだろう。……童貞は別に関係なかったな。
「俺からも一つ条件いいっすか」
 曽根さんの眉がピクリと上下した。
「タバコも奢ってください。それなら、曽根さんの話に乗りますよ」


 話が纏まってからは早かった。
 居酒屋の隣のコンビニでタバコを買ってもらった俺は、すぐ近くに停めてあった曽根さんの車の助手席に座らされていた。
 急な話だったらしく、今からもう雇い主の元へ連れて行かれるらしい。
「いいのか?」
 曽根さんからの最終確認。
「いいっすよ、別に」
 もう、後戻りはできない。
 酔って感覚が麻痺しているのだろうか。怪しい話だとは今でも思っているが、あまり不安を感じない。元々深く物事を考えない楽観的性格なのが幸いしている。もっとも今後の展開次第ではその性格が災いして警戒心が薄れていると捉えたほうが正しいってことになるかもしれない。
 車は既に走り出している。
 まあ、何とかなるだろう。空いている窓から外の景色を眺めながら買ってもらったばかりのタバコを取り出した。
 何とかならなかったから、今まで惨めな日々を送ってきた。なんてことにも気づけずに。

       

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Neetsha