Neetel Inside 文芸新都
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人間以下
第三話「ZOO」

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 24年の人生で一度だけ、真っ当な方・・・・・の動物園に行ったことがある。小学校の遠足だった。
 動物たちがいる檻の前には手すりがあり、そこには小さな機械が付いていて、ボタンを押すと檻の中にいる動物の生態を解説する音声ガイドが流れる仕組みになっていた。
『岡崎俊夫。昭和60年9月20日、神奈川県で生まれました』
 俺が今いる動物園にも、同じような機械があった。葛城がニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべながらボタンを押すと、檻の中にいる男のものと思われる個人情報が機械に付いているスピーカーから流れ始めた。
『34歳の時、職場の女性との不倫が原因で離婚。同時に会社からも解雇され、アルバイトを転々としながら自身の生活費と元妻への慰謝料を工面して生活を続けていました。しかし、離婚前からの趣味であったギャンブルが止められず、最後には自己破産してしまえばいいと考え、消費者金融に手を出してしまったのです。一度開き直ると借金は瞬く間に膨らみ、岡崎は自己破産。借金は消えたが慰謝料だけは免責されず、結局生活が行き詰ってしまうのでした。そこで園長である葛城が代わりに慰謝料を支払い、交換条件として岡崎は当動物園へと収監されることになりました』
 無機質な男性の声で流れる音声ガイドは、檻の中の男がこの動物園に堕ちるまでの経緯を淡々と語っていた。
 自業自得な転落人生の果てに、葛城という悪魔に出会ってしまったこの岡崎という男は、俺の眼前で虚ろな目をしながらベッドの上で膝を抱えて座っている。俺が部屋に入ってから、ずっとその状態で微動だにしていないのが不気味でしかたがなかった。
「本物の動物園みたいだろう」
 葛城は妙に得意げな顔で言う。
「ここは今の男のような人間以下のクズを集めて収監しているんだ。とてもじゃないが自分と同じ人間とは思えない、そう判断した奴らばかりだ。でも、岡崎はまだマシな方だな」
 人間以下と、葛城はそう言った。知性ある人間とは思えない檻の中の住民は、彼からすればただの動物でしかないということなのだろうか。
「いったい何のために……?」
 自然と口から言葉がこぼれた。葛城を糾弾するわけではない、それは純粋な疑問だった。この地下施設を作るのにかかった費用、先ほどの岡崎のような人間を引き入れるのにかかった費用、俺が想像しきれない部分でも膨大な費用がかかっているはずだ。いくら金持ちとはいえ、道楽にそんな莫大な金をつぎ込めるものなのだろうか。
「見世物にするために決まっているじゃないか」
 葛城は平然と言ってのける。
「人間は自分より格下の存在を見て安心する生き物だ。君も経験があるだろう。身近にいるクズを見て、こいつに比べれば自分はまだマシな人間なんだと思うことが」
 実際その通りだった。俺も大概クズだが、周りを見渡せばそれ以上のクズだって少なからず存在する。そういう存在のおかげで、俺はクズなりに自尊心を保ちながら人生をなんとか低空飛行していられるのだろう。見下せる何かがなければ、心はとっくに墜落している。
「私のような成功者になるほど、ここにいる動物たちの存在に自尊心を満たされるものなんだ。だから他の成功者にも有料でここを解放している。
 動物を見世物にして金を得る、つまり普通の動物園と同じだよ。違いは私の趣味が色濃く反映されていることと会員制なことくらいだ」
 なるほど、と思ったと同時に納得している自分が恐くなった。俺の脳みそはもうこの環境に適応しようとしているのだろうか。それともアルコールで麻痺しているだけなのか。
「この動物園の説明をざっとしたところで、そろそろ業務の説明に移ろうじゃないか」
 葛城は動物園の奥へと歩き始める。俺はそれに続きながら周りの檻を観察する。収監されているのは大半が男性、それも俺より二回りほど年上に見える者がほとんどだ。若者の割合は二割程度。そしてその中に女性が2人。
 思わず女性の方を凝視する。全裸の女を見てしまうのは男の性だろう。
 2人の内、片方は床に座り込みながら何かのリズムをとるように両手で交互にベッドを叩いている。その目はやはり虚ろで、ぼさぼさになった髪の毛も相まって人間性を感じさせないものだった。
 もう1人はベッドの上に横たわっている。先ほどの女同様髪の毛はぼさぼさだったが比較的綺麗な状態だった。俺たちが歩いている通路の方を向いているため、顔がはっきりと伺える。整った顔立ちの女だ。
 向こうは向こうでこちらを観察していたのだろう。彼女と視線が合った。他の動物たちとは違うこちらを値踏みするような目つきだった。が、途端にその双眸から生気が抜けた。まるで自分は他の動物たちと同じだとでも言いたげに、その目から光が消える。
「さて」
 葛城が一番奥にある檻の前に立ち止まると、俺の方へと向き直った。あの女性ことが少し気になっていたが、後回しにした方がいいだろう。
「君に最初に覚えてもらう仕事は躾けだ。いや、調教と言った方が正しいかな」
 俺の後ろから黒スーツの男が現れて檻の扉の前に立った。魚住と呼ばれていた男だ。その手に鍵束とベルト型の道具入れのような物を持っている。魚住は道具入れを葛城に渡すと檻の扉を開けるために鍵を束の中から探し始めた。
「見給え。ちょうどこの檻には調教が済んでいない動物がいる」
 葛城は檻の中を指さす。中には三十代前後の男。猿ぐつわのようなもので口を塞がれ、声にならない声で喚きながら葛城の方を睨みつけていた。他の動物たちと違って反抗的な態度を示すだけの人間らしさが残っているようだった。
 鍵を探し当てた魚住が扉を開錠する。道具入れから何かを取り出した葛城が先陣を切って檻の中に入っていった。
 待ってましたと言わんばかりに猿ぐつわをされた男は葛城に襲い掛かる。その両手は縛られておらず、足に繋がれた鎖も葛城に拳を届かせることができる程度の長さがある。
 猿ぐつわの男は左手で葛城のスーツの襟を掴んだ。そして右手で殴りかかろうとした……が、その拳が振り下ろされるよりも先に、猿ぐつわの男の全身が床に沈んだ。
 直前に、音がした。何かが煌めくような小さいけど派手な音。
 スタンバトンというやつだろう。葛城は先ほど道具入れから取り出した黒い警棒のようなそれを猿ぐつわの男の身体に直接当てて通電させた。
 葛城は崩れ落ちた男を蹴り飛ばすと、檻の奥で倒れこんだ彼の横にしゃがみこむ。そして髪の毛を掴んで持ち上げ、耳元で何かを囁いた。ここからは何を言っているのかは聴こえなかったが、そんなに長い言葉ではないようで、すぐに立ち上がって檻の外に戻ってきた。
「今のがお手本だ。ちゃんと見ていたかな?」
「容赦ないっすね」
「容赦する意味がないからね」
 そう言って葛城はくつくつと笑う。彼の倫理観では、檻の中にいる人への暴行は悪ではないのだろう。いや、そもそもこの異常な地下空間には倫理や道徳、モラルなんてものは存在しないのだ。
 気が付くと檻の中では猿ぐつわの男がゆっくりと立ち上がり始めた。妙に回復が早い。
「それじゃあ、次は君の番だ。しっかり調教してくれ給え」
 ぽんっ、と背中を強く叩かれる。その勢いで俺は檻の中へと入ってしまう。
「それ貸してください」
 俺は葛城の持つスタンバトンを指さす。
「これはまだ駄目だよ。あいつに奪われるかもしれないだろう」
「はあ? じゃあどうしろって――」
 掴まれた。眼前には猿ぐつわの男。彼の目を見て身体がすくむ。そこに宿っていたのは恐らく殺意の類だろう。その証拠に、今俺は地面に倒されて首を締められている。
 視線を上にやって葛城を見上げる。相変わらずニヤニヤと下衆な表情を浮かべている。
 なぜ、俺が襲われなければならないのか。
 なぜ、俺が殺されなければならないのか。
 なぜ、お前が俺の上にいる。
 視線を猿ぐつわの男に移す。よく見れば身体つきはそれほど良くないし、首を絞める力もどこか弱々しい。昔、ババアに絞められた時に比べればいくらか余裕があった。
 目の前の男の両腕を掴み、力を振り絞って横に倒す。首を絞めつける力が弱まったところでやつの両腕を振り払い、顔面に右拳を叩き込む。
 それからは流れるように簡単だった。マウントポジションを奪い、ただ殴る。数発で相手は抵抗しなくなった。それと同時に魚住が俺の腕を掴んで止めた。
「高崎君、もういいよ。それだけ容赦なくやれるなら十分だ」
 額から滲み出した汗をぬぐいながら立ち上がると、ゆっくりと檻の外へと出た。足が少しふらつく。
「本当はこれを渡してからやってもらうつもりだったけど、向こうがこんなに早く回復するとは思わなかったよ。申し訳ない」
 葛城の手には黒い鞭が握られていた。
「いいっすよ。これくらい」
 体力は消耗したが怪我らしい怪我はしなくて済んだ。あまり文句を言うつもりはない。ただ一つだけ、気になることがあった。
「さっき、あの男に何て言ってたんですか?」
 猿ぐつわの男と俺に面識はない。やつに襲われる謂れはないはずだった。だとしたら、葛城がやつに吹き込んだ言葉にその原因があるのではないか。
「ああ、それはね」
 葛城は俺の肩に手を載せると俺の耳元に顔を寄せた。
「君を殺したらここから出してあげるって言ったのさ」
 納得がいった。それなら俺を殺そうとするに決まっている。あの男はまんまと葛城の言葉に乗せられ、俺の研修に利用されたのだ。
 だが、不快だ。まるで俺まで奴らと同じように弄ばれているような気持ちになる。
「ああ、そう言えば」
 葛城はそんな俺の感情を意に介すことなく、飄々とした態度で話を変える。
「採用祝い金がまだだったね」
 胸元にずっしりとした重み。俺のシャツの胸ポケットに差し込まれたのは札束。僅か一瞬で俺の手持ちの金が460円から数十万に増えた。
「遠慮しなくていい」
 その声は、言葉は、骨にしみるほど甘く、そして脳髄に心地よく響いた。
 俺は葛城という男にどこまでも弄ばれているようだ。胸の重みと引き換えに、先ほどまでの不快感と拳に残る嫌な感触、人を殴った罪悪感が綺麗さっぱり消え失せてしまった。
「ありがとうございます」
「感謝なんてしなくていい。これで君も、共犯だ」
 ああ――もう逃げられない。
「私は罪のない人間を拉致監禁し、そして君は彼らに暴行を加える。これで運命共同体だ」
 今も、これからも、葛城という支配者の手のひらの上で踊らされて、そこからは決して逃げることができないのだ。俺と、檻の中の動物たちは。
 弄ばれ、敵わないのなら、素直に跪こう。
「よろしく、お願いします」
 きっと今の俺は、酷く歪んだ笑みを浮かべている。

       

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Neetsha