Neetel Inside 文芸新都
表紙

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◆ ◇ ◆ ◇

 動画が始まると、そこは大きな舞台。真っ赤な幕が閉じていて、それはブザーの音と共にゆっくりと開き、同時に大きな拍手が湧き上がる。そしてオルゴール調の前奏が流れて作詞、作曲、編集者の名前が表示されている後ろでは人形劇が始まっていた。
 赤ずきんとオオカミの出会い。
 オオカミがお婆さんを食べてしまう。
 赤ずきんがおばあさんの家に訪ねる。
 ベッドの中にいるのはオオカミで、赤ずきんも食べられてしまう。
 猟師が眠っているオオカミの腹を切り、赤ずきんとおばあさんを助ける。
 オオカミの腹に石を詰める赤ずきん、針と糸で縫いつけるお婆さん。
 オオカミは溺れ死んで、ハッピーエンド。
 ここでタイトルの『赤ずきんの幕間劇』が表示されると共に、舞台の幕が閉じた。

 ボーカルシンセサイザーの歌が始まった。歌っている、というよりも読み聞かせのように歌詞を唱えていく。それはやはり童話の赤ずきんを元にした曲で、童話は一つの舞台劇として演じられている、という世界観のようだ。
 小道具や衣装で散らかっている舞台裏、そこでオオカミにスポットが当たった。舞台の上では悪役のオオカミは、本当は気弱で自分に自信が持てない性格で、この日もちょっとしたミスで落ち込んでいた。
 舞台が終われば登場人物たちはそれぞれ自由に過ごす。家庭がある者はまっすぐ帰り、仲の良い登場人物たちは街の喧騒の中へ消えていく。一人ぼっちで寂しがり屋のオオカミだったが誰にも声をかけることができず、誰からも声をかけられることなく帰る、ずっとそんな日々を送っていた。
 ある日の舞台後、オオカミは初めて声をかけられた。振り返ると、そこにいたのは人気者の赤ずきん。いつも誰かと腕を組み、真っ先に夜の街へ消える赤ずきんがこの日、オオカミの前に一人でいた。
 高嶺の花だと思っていた赤ずきんが目の前にいる。オオカミは彼女にかける言葉を持っていないし考えもつかない。けれど赤ずきんはニコリと笑ってこう言った。
「今日は誰も遊んでくれないの。お暇なんでしょう? 私と遊んでちょうだいな」

 ここで間奏に入り、オルゴールの他に管楽器の音が加わって曲調が大きく膨らみを見せた。
 映像の人形劇は、赤ずきんがオオカミの手を握って街の中へと移動する。オオカミはただ引っ張られるだけ、最初は意気揚々としていた赤ずきんが、小さく肩を落とす。それを見たオオカミは大慌てで赤ずきんの背中を押して舞台の袖へ消えていく。
 舞台は暗転したのち、ごみごみしたとした商店街に変わって間奏が終わる。

 オオカミは街での遊び方を知らない。だから普段自分が遊んでいる小さな商店街に赤ずきんを招いた。
 いつもの駄菓子屋へ行き、おんぼろのゲームセンターに入り、小高い山の上に登り、そこから一望できる街の明かりを見せる。これがオオカミの夜の遊びだった。
 夜景を眺める二人。ふと赤ずきんはオオカミの顔を見て、微笑む。オオカミは嬉しくなって、赤ずきんに向かって笑う。
「あなたは普段、こんなことをしているの?」
 赤ずきんが恐る恐る、オオカミに問う。
「そうだよ。お腹が空いたら駄菓子屋、時間があったらゲームセンター。でもこの風景は毎日見ているよ。ぜんぜん飽きないんだ」
 オオカミは自信たっぷりに赤ずきんに答えた。そのときから、赤ずきんはオオカミに何も話しかけなくなった。オオカミは赤ずきんの様子の変化に困ってしまい、でもどうすることもできなくて黙ってしまう。
 二人の間に沈黙が流れたまま、夜が更けていった。

 再び間奏に入った。最初のようにオルゴールの音だけが響く。映像の中では朝日が顔を覗かせていた。
 赤ずきんはずっと繋いでいたオオカミの手を離した。そして、最初と同じ笑顔を浮かべてこう言った。
「また遊んでちょうだいな」
ここでも舞台は暗転。最初の舞台裏にシーンが戻り、間奏が終わる。

 オオカミは、最後に赤ずきんに言われた言葉がずっと頭から離れなかった。
その日から赤ずきんから声をかけられるのを待ち続けた。自分から声をかける勇気なんてなく、待ち続けるだけだった。
 そしてこの日の舞台後も、別の作品の登場人物と夜の街へ消えていく赤ずきんの背中を見送って、オオカミは一人、小高い山の上に登って夜の街を眺める。

 曲はオルゴールのネジが切れるようにテンポが遅くなり、完全に止まったところで暗転し、終わった。

◆ ◇ ◆ ◇

 咲子は聴き終わると同時に、ぶるりと身体が震え、自分の息が荒くなっていることに気づいた。これは好みに合った本を読み終えたときと同じ感覚だった。その世界観にどっぷりと浸かり、どれだけ逃げようとしても逃げ出せない、むしろこの心地良い息苦しさをもっと味わいたいと本能が望んでいる。彰人の曲よりもずっと人間の声に近く聞こえ、あたかも人が音読をしているようで、それが一層、咲子の心を奪った。
 彰人を待たせていることを忘れ、もう一度再生した。それが終わると、続けてもう一度再生。手が止まらない、もっとこの曲を知りたい、一つになりたい、そんな欲求に駆られて咲子は聴き続けた。
 もう何度再生したかわからなくなったころ、ネット電話の通話が入った。そこでようやく咲子は正気に戻る。彰人のことを忘れていた。慌てて動画を止めて、通話に出た。
「も、もしもし! すみません、忘れていました!」
『別にいいよ。で、どうだった? その様子だと気に入ってくれたのかな?』
「はい、すごくいいです! 私、この曲すごく好きです!」
『それなら良かった。人気な曲だし、それにテンポも遅い。これなら歌えるんじゃないかな?』
「そう思います。いえ、私、これを歌いたいです!」
『……そんなに?』
「だって、すごく悲しい話じゃないですか……オオカミは赤ずきんのお誘いを心待ちにしながら、赤ずきんの背中を見るだけしかできないんですよ?」
『まあそうだけど、また誰も遊んでくれない日があったら、そのときは誘ってもらえるんじゃないか?』
「いえ、そんなことありません……もう、赤ずきんは誘いませんよ」
『ど、どうして? 僕は期待しているよ、再び手を繋ぐことを』
「きっと男性はそう思うんでしょうね。でも女性はシビアですよ? 赤ずきんって、けっこう大人の遊びを嗜んでいると思うんです。毎晩、他の登場人物と夜に街に行くぐらいですから。もしかしたら、一晩限りのお付き合い……肌を重ねることもあったのかもしれません。それほどの女性が遊び慣れていないオオカミといっしょにいても、楽しいはずがありません」
『なかなか言うじゃないか……』
「あ、ええっと、これは私の想像ですからね? 私は赤ずきんのような経験、ありませんからね!」
『そんなムキになって否定すると逆に怪しいけど……たしかに、稲枝さんのキャラクターじゃないね』
「最初にオオカミを誘ったのは気まぐれ、好奇心だったんですよ。誰も遊ぶ相手がいないから、暇そうにしている相手を誘った。もしかしたら新しい刺激が与えられるかもしれない、ぐらいの気持ちだったんだと思います」
『なるほど……』
「ですが赤ずきんの期待は外れてしまいました。オオカミと遊んでも楽しくなかったんです。駄菓子屋よりも高級なお店、ゲームセンターよりも大人の社交場、小高い山よりもホテルの最上階……上を知ってしまうと、もうそれより下のことはつまらなくなっちゃいますからね。で、最後は社交辞令なんですよ。楽しくはなかったけれど、一晩付き合ってもらったわけだから、まあ差し障りのないことを言っておこう、と」
『それは男からすればとても残酷だぞ……』
「そうですね、すごく残酷です。赤ずきんは、オオカミの心に傷をつけた、と言ってもいいでしょうね」
『オオカミが勇気を出して赤ずきんに声をかけることができたなら、少しは希望もあったかもしれないな』
「可能性は低いですが、それもあるかもしれません。でも、それで断られてしまったら、間違いなく不幸になってしまいます。それならまだ、行動せずに一人きりのほうがいくらかマシですよ」
『悲しいな……僕はわずかな可能性に賭けたいと思うよ』
「それは聴いた人次第、でしょうね。小説や映画にある、見た人に結末を問いかける、みたいですね」
『……なるほど、なかなかおもしろい考察だった。さすが読書好きというだけのことはある』
 物語を語るうちに熱くなっていた咲子は、水をかけられたように冷静になった。
「……なんで読書が好きって知っているんですか? 言いましたっけ?」
『最初の自己紹介のときに言っていたじゃないか。読書が好きで、読んだあとの余韻に浸るのが好き、だっけ?』
「え、覚えていないって……」
『覚えていないのは名前と顔だよ。自己紹介の内容はぼんやりと覚えている』
 大失敗をした自己紹介を思い出し、きりきりと胸を締めつけられる気持ちだったが、あんな自己紹介でも覚えてもらっていたことに咲子は照れてしまう。
『となると、稲枝さんは歌う、というよりは語る感じにしたほうがいいかもしれない。語り部となって曲を朗読する……物語性の強い曲が合っているかもしれないね』
「それでいいんでしょうか……歌なのに、そんなふうにするというのは……」
『いいじゃないか。物真似をするぐらいなら歌わないほうがいい。もちろん元の曲へのリスペクトを忘れないようにね』
 そう言われて咲子は安心した。元の曲の良さを残しつつ自分だけの表現をする――不安はあったが、世界観に身体が沈んでいくあの感覚を自分が与える立場になる、ということが楽しみでしかたがなかった。
『じゃあ、収録する日を決めたいんだけど、いつが空いてる?』
「え、自宅で録音するんじゃないんですか? ヘッドセット、ありますよ?」
『それでもいいけど、どうせならこだわりたい。となるとカラオケが一番だろう、その曲はカラオケで配信されているからね。来週、いや、いろいろ準備が必要だから、再来週の土曜日とかどうかな?』
「えと、どっちも暇です!」
『歌詞はもちろん、雰囲気もしっかり覚えてもらいたいけど、できそう?』
「はい、読み込むことには自信があります!」
『よし、じゃあ決まりだ。場所は決まったら連絡する。おっと……もうこんな時間だ、そろそろ切ろうと思うけど、何かある?』
 時刻はすでに一時、日付が変わっていた。軽い興奮状態にあったのか、咲子は眠気をまったく感じていなかった。
「いえ、ありません。すみません、長々と……」
『僕が頼んだことだから気にしなくてもいいよ。それじゃ、お疲れさん』
 咲子がお疲れさまです、と言うよりも早く、ぷつりと通話が切れた。
 あっという間に決まってしまったが、彰人と、異性と二人きりでカラオケに行くことになってしまった。デートと言っても差し支えはないだろう、時間が経つにつれてその重大さに気づいた。
(どう、どうしよう……! 再来週の土曜日? うわー、何を着て行こう……そんなに気合を入れるほどじゃないのかな……? でも、一応二人きりなんだし……河瀬さんは、どういう気持ちなんだろう……違う、まずは歌、歌だ!)
 再来週のことなのに、咲子はすでに緊張していた。もちろん休日に彰人と共に過ごす他に、歌うことへの緊張もある。彰人にも言った通り、歌うなんて高校生の合唱コンクール以来だ。大学生のころに何度か友人たちとカラオケに行ったものの、終始聞き役に徹していた。
「あ……あー、あー」
 高く、低く、長く、短く、咲子はお腹に力を込め、吐き出すように声を出した。ボイストレーニングの方法なんて知らなかったが、居ても立ってもいられないのだ。見様見真似の、本当に効果があるのかどうかも疑わしいボイストレーニングだったが、咲子は一人で盛り上がっていく。
「あー、アー、アアー」
 曲のリズムに合わせ声を出す。慣れてきたら高低をつけて間奏の部分は鼻歌で流す。途中何度かあった赤ずきんとオオカミのセリフは声のトーンを変え、大げさにそれぞれを演じた。
 夢中になっていくのが自分でもわかったが、もう真夜中と呼べる時刻で近所迷惑だ。咲子は口を閉じて『赤ずきんの幕間劇』を再生した。

       

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