Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕の名は佐藤
君の名は佐藤

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 六月だというのに暑い、あまりにも暑い、ある晴れた日の話。
(やっぱり、こっちは暑いなあ)
 セミの鳴き声が聞こえる。
 おいおい、今何月だよ、と佐藤六彦(さとう ろくひこ)は辟易へきえきした。ぐしゃぐしゃと頭を掻くと、昼の日差しに照らされた頭髪のぬくもりが指に残った。ただじっとしていたって熱射病になりそうなのに、もう三十分も歩いている。素肌に直接羽織ってしまったワイシャツを濡れた背中から引き剥がしながら、六彦はひとつ、溜息をついた。
「お疲れかな?」
 思い出したように、六彦は背筋を正した。校長を名乗る年配の男に対して、軽く頭を下げる。
 今、六彦は閑古のどしえ高校の校長と肩を並べて歩いている。今日から閑古高校に転入することになった六彦は引っ越し先の新居からバスを二本乗り継いでやっては来たものの、なにしろ閑古高校は僻地にありすぎる。多分に漏れず、六彦も道に迷った。困った六彦はまずは母親に泣きつき、母親から高校に連絡が行き、わざわざ学校の長が近くまで迎えに来てくれたと、こういう次第である。
 “慣れっこですから”と、嫌悪感を一切身に纏うことなく歓迎してくれた校長に六彦は胸を撫で下ろしたが、ただまあ、どうせなら車で迎えに来てくれれば良かったのにと、そんな風に考えないわけでもなかった。
「えっ、そんなことないです。あっ、いや、ちょっとだけ……」
 そうか、と校長は優しく微笑むだけに留まった。
「それにしてもこの時期に、それも、りにってうちの高校とはね」
「あ……、親の、事情で」
 うん、うん、と校長はゆっくり頷いた。
「今年で統廃合になるという話は、もう聞いた?」
 はい、と小さく頷いて六彦は目を伏せた。
「今年からの転入生で、しかも卒業年でもある佐藤くんには急でピンと来ない話だろうけど、今、校内は“最後に何かを遺そう”という雰囲気で一杯でね。少し戸惑うかもしれないが、まあ生徒は良い子ばかりだ。ぜひ、“最後の一年”を楽しんでくれ」
 そう言うと、校長は六彦の右肩を優しく叩いた。はあ、と、歯切れの悪い返事が返る。
 無論、校長は六彦の“事情”を知っていた。
 俯きがちな性格に、極度の人見知り。内向的なその性格は、六彦の人生において常にコミュニケーションの弊害となってきた。友人と呼べる友人を持たず、他人の目を盗むように、青春を謳歌する他人の隙間を縫うように生きてきた。それでも、小中学校の頃はただ“友達がいない”というだけで済んだ。しかし高校に上がると六彦の性格がどう癪に障ったのかは知らないが、軽いイジメに遭うようになってしまう。もちろん、それが転校の理由という訳でもないのだが、六彦自身はこの転校に救われたと考えていた。
「さ、お疲れ。ここが君の新しい学び舎だ」
 木に囲まれたボロ校舎だ、と六彦は思った。
 もう修繕の必要がないと分かってから、開き直って放置されてきたのであろうボロボロの外壁。ほとんど車の停まっていない駐車場。校舎を囲む背の高い木々。六彦の望む望まないに関わらず、イメージとして、“イジメに遭わなそうな”空間ではある。六彦は少しほっとした。ここなら、なんとか。そんなハリボテの勇気が湧いてくる。
 二人は校庭を歩き、校舎へと足を踏み入れた。
 ――今度こそ、上手に生きよう。
 必要以上に他人と関わらず、己を持たず、悪目立ちもせぬように。
 残り一年、平和に逃げ切ってやる。大学に入ってしまえばこっちのものだ、周囲とのコミュニケーションを強いられることも少なくなる。絶対、誰にも嫌われたくない。もう、あんな思いは嫌だ。
 “実りのある一年”を祈る校長の横で、六彦は静かに決意を強くしていた。
 その瞬間、甲高い女性の声が廊下中に反響した。
「ああっ!! その人、噂の転入生?!」
 六彦が声のする方を振り返ると、女子高生が飛んでいた。
 階段の踊り場から、六彦を目掛けて。
 スカートが大きく膨らんだ。中に履いたハーフパンツが六彦の脳裏に刻まれる。短く揃えられたショートカットがバラバラに舞う。瞬間、間違いなく六彦は時が止まった感覚に陥り、宙を駆ける少女と目が合った。
 ――まるで、世界を風が駆けたようだった。黄や赤や緑に彩られた風が。
 と、これは後に語る六彦の弁。
 だん! と少女は力強く両足で着地した。右手は手すりを滑らせながらの跳躍だったとは言え、危険度満点のハイジャンプだ。
「こら高橋さん、“それ”、危ないから禁止だって言ったでしょう?」
 校長の叱責もほどほどに、高橋と呼ばれた少女は六彦を振り返った。
「君が、噂の佐藤くん? お願い、私達に力を貸して。あなたの力が必要なの」
 これは、後から思い返す度に思わず笑みが零れてしまうような、そんな、佐藤六彦のひと夏の思い出。

       

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