Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕の名は佐藤
名札甲子園

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 駆ける。駆ける。駆ける。
 飛ぶように駆ける。
 電車から眺める風景のように、目眩めくるめく景色は変わってゆく。
 高橋と呼ばれていた少女に手を引かれ、六彦は閑古高校の校舎を駆け抜けていた。駆け足なんてものではない、ほとんど全力疾走だ。随分乱暴な校舎案内だなとは思いつつ、六彦は、自然と高橋のスピードに合わせていた。はっ、はっ、と高橋の息が上がっているのが聞こえてくる。ゆっくり歩けばいいのに、と六彦はぼんやり思っていた。
「佐藤くん、連れてきました!」
 古びれた校舎の一番奥、小さな部室の扉を高橋は勢いよく叩いた。
「おお、彼が噂の転入生?」
 部室では、三人の生徒が怠惰の限りを尽くしていた。
 くたびれたソファーに寝転がる女生徒、窓際の棚に腰掛けて漫画を読む短髪の男、タブレットでなにやら遊んでいるらしい眼鏡男子。その内の一人、眼鏡男子が重そうな腰を上げると六彦の元へと歩み寄った。
「俺は中村。よろしく」
 差し出された右手に、六彦はスラックスで手汗を拭ってから応えた。
 立派な上背に、知的な雰囲気を醸し出す清潔な顔立ち。自信満々に差し出された右手に、六彦は、卑屈な自分が惨めったらしく思えていた。
「うひょう」
 剽軽ひょうきんな声が上がった。
「なんだかんだで、五人揃っちゃったよ。それも佐藤だぜ、“佐藤”。イケるんじゃないの、これ」
 声の主はソファーに横たわる女生徒だった。
 両腕で頭の下に枕を組み、組んだ足をぱたぱたと鳴らしている。中にはハーフパンツを履いているとは言え、六彦の目は自然とそこばかりを注視してしまう。適当に結んだっぽいおさげ髪がだらしなく床まで垂れている。
「私は三年の伊藤。つっても、もうこの学校には三年生しかいない訳だけどさ」
 ああ、そうか、と六彦は統廃合の話を思い出していた。
「そして俺が佐々木。まあ、あまり力にはなれないかもしれないけど」
 棚に腰掛けた、物腰の柔らかそうな男がにこやかに微笑をこしらえた。恰幅の良い立派な体格をしているが、その顔つきたるや、虫も殺さなさそうな慈悲の心を思わせる。細い両目に、上がりがちな口角。それと男らしいスポーツ刈りが、六彦の緊張を和らげていた。
「君にはみんな期待してる。よろしくね」
 何やら三人が三人共、六彦に期待の眼差しを向けている。初対面なのに、まだどんな人間なのかも知らないはずなのに。その異様な雰囲気に耐えきれず、六彦はようやく傍らの高橋に耳打ちをした。
 ……何の、話?
「おい麻里子! お前、まさか説明しないで引っ張ってきたのか?」
 真っ先に声を上げたのは眼鏡の中村だった。
「ハハハ、麻里子らしいや」
 おさげ髪の伊藤が他人事のように笑う。
 まったく、と言いたげな表情でスポーツ刈りの佐々木も呆れている。
「ごめんごめん、説明してなかったね」
 高橋麻里子がとぼけてみせる。
「今年、私達は“名札甲子園”に出場しようと思ってるの」
 麻里子は六彦の方を向き返り、らしくない真剣な表情で言った。
「そのエースはあなたよ、“佐藤くん”」
 麻里子は六彦の両肩を力強く掴むと、きらきらとその大きな瞳を輝かせながら語り出した。


 ――名札甲子園とは。
 各校五名。代表選手を選抜し、その“名札の強さ”を比べる熱き闘い。
 名札の強さとは、すなわち“世帯数の多さ”。
 相対した二校は選手を一人ずつ出し合い、先に三勝した高校の勝ちである。
 今年で大会は二十五年目を数え、知名度は決して高くないながらも歴史のある大会である。


「別に、何だって良いんだけどさぁ」
 オサゲが八重歯を剥き出しにしながら言った。
「そこの麻里子が、『どうしても閑古の名前を歴史に刻みたい』って聞かなくてよ」
「僕たちだって、この学校に愛着はあるしね」
 スポーツ刈りも頷きながら後に続く。
「二〇十五年六月現在、全国世帯数ランキングの圧倒的一位は、何を隠そう、あなたなのよ、佐藤くん」
 麻里子は両肩から手を下ろすと、今度は六彦の両手を握った。
「お願い、力を貸して。私達と共に、全国制覇を目指しましょう?!」
 ――全国制覇。
 これまでの人生には遥か縁の無かった言葉が、六彦の耳に、あるいは心の底にほんの少し触れた。

       

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