Neetel Inside ニートノベル
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 午前中まで降っていた雨のせいか、普段なら賑わうはずの屋上には人っ子一人いなかった。もう雨自体は上がっているものの、あちこちに水たまりが出来ているし、雲の様子を見る限りまたいつ降り出すかわからない。天気予報によると、今日は曇り時々雨だという話だ。
 屋上に着くが早いが河合さんはきょろきょろと周囲を確認して、念を押すように階段へと続く扉を閉めた。どうやら、よっぽど内密の話らしい。僕は彼女の態度から会話の内容を勝手に推測して、一人心の中でドキドキしていた。
「ごめんね、お昼時に呼び出しちゃって」
 河合さんは本当に申し訳なさそうに言った。
 謝る姿もまた、スポーツ少女らしくさっぱりしていると言うか、とにかく河合さんらしい美しさで、僕は猛烈に興奮し始めていた。
「いいんだよ、別に」僕は出来るだけ平然を装った。「それで、話って言うのは?わざわざ誰もいない屋上まで来たってことは、よっぽど大事なことなんだろうけど」
 そう。今、この屋上には僕と河合さんの二人っきりなのだ。このシチュエーションだけで僕はご飯三倍はいける。彼女の用事が済んだら、催眠術をかけて屋上で青姦するのもいいかもしれない。いや、ひょっとしてこれが告白だとしたら、催眠術無しでセックス出来るということもありうる。
「実はちょっと言いづらい話なんだけどさ。あたし自身、まだちょっと頭の生理がついてなくって。だから支離滅裂になっちゃうかもしれないんだけど」
河合さんは目を伏せた。
「大丈夫。ちゃんと最後まで聞くから」
「……うん、ありがとう。じゃあ単刀直入に聞く」河合さんが顔を上げた。迷いのない、まっすぐに相手を射るような鋭い目つきをしていた。「田所、先週の金曜日の夜、どこで、何してた?」
 は?と、僕は困惑を露わにした。
 僕は河合さんが何を尋ねてきたのか理解出来ず、思わず質問をオウム返しに尋ね返した。しかし、彼女は「その通り」と頷くだけだった。
 金曜日の出来事と言えば、記憶に新しいというより忘れたくても忘れられない、僕が国分町に繰り出した挙句瞳さんに中出しをした日だ。しかし、どうしてまた河合さんがそんなことを尋ねてくるんだろう?
「金曜日は家にいたはずだよ」僕は自分のアリバイ工作通りに答えた。「よく覚えてはないけど」
 僕の答えを聞いた河合さんは、じっと僕の目を見据えた。後ろめたい気持ちがあった僕は、たまらず視線を逸らした。僕の嘘が見透かされるような気がしたからだ。
 しばらくの沈黙の後、河合さんは心底残念そうにため息をついた。
「金曜日なんだけどさ」河合さんが淡々と話し始めた。「うちの姉が事件に巻き込まれたんだよ」
「事件?」僕は顔を上げた。「事件って、どんな?」
「不法侵入と婦女暴行」
 河合さんはさらりと、しかし忌々しげに答えた。
 じわり、と僕は全身に汗がにじむのを感じた。
「事件が起こったのは、姉の友達の家。金曜日、サークルの飲み会で遅くなったから、一人暮らしの友達の家に泊まることにしたの」
 僕の体は金縛りにあったように動かなくなった。心音が速まり、口の中が急速に乾いていく。
 まさか、そんなはずはない。
「それで、翌朝気が付くと、姉を含めた被害者三人は全裸でベッドの上にいたの。どうも誰かとエッチをした後のような状態だったんだけど、三人とも身に覚えがなかったから、すぐに警察に通報したわけ。
 警察が来て、すぐに現場検証と三人の事情聴取が始まったんだけど、姉以外の二人は金曜日だいぶ酔っぱらっていたから、帰宅後のことはおろか帰宅途中のことも覚えていなかったのよ。もちろん、姉も家に帰ってからの記憶はあいまいだったの。
 ただし、三人とも共通の記憶として、国分町で偶然会った一人の男の子と合流して、家まで帰るのを手伝ってもらったらしいのよ。そして、唯一帰宅後の記憶があった姉だけが、その少年が友達のアパートから出ていくのを見たって証言したわけ。ちなみに姉の名前は春奈って言うんだけど」
 はっと息を飲むのをすんでのところでこらえた僕は、あくまで平静を装って相槌を打った。さっきまでの冷や汗は今や滝のような勢いで、僕の顎から滴り落ちている。
 春奈さんと河合さんが実の姉妹だったなんて。
「でも、河合さんのお姉さんが、その男の子が帰るのを見届けているんだったら、その子は白だよね」僕は耐えきれずに、自身の容疑を逸らした。「何か、三人そろって悪い夢でも見たんじゃないの?酔っぱらっていたんだったら、それこそ悪ふざけで三人裸になって寝たのかもしれないし」
「そうね、その通り。何かの間違いかもしれないと三人は思ったのよ」
 彼女の言葉に、僕は内心胸をなで下ろした。
 大丈夫。僕のアリバイは完璧だ。
「だったら……」
「だから、三人は警察に通報して、管理会社に頼んで監視カメラの映像を見ることにしたのよ」
 僕は背筋が凍るのを感じて、絶句した。
 河合さんは構わずに話し続ける。
「運よく、そのアパートは女子大生専用で、高いセキュリティ性を謳っていて、玄関とエレベータ、それから各階全ての廊下に監視カメラが設けられていたの。これでようやく事件解決かと思うじゃない。でもカメラの映像を見ると、三人に付き添っている男の子の姿がぼやけていて、人相がハッキリしなかったの。
 いや、むしろその少年の顔はさておき、問題はその後の行動なのよ。確かに彼は姉の証言通り、少年は一度姉に見送られながら部屋を出るわけ。でも、少年は帰らずに再び部屋に戻ってしまうのよ。そうしてそれから、その少年は帰ることなくそのまま部屋に留まっていたわけ。
 ここで問題になったのが、姉の行動と少年の行先なの。だって、一旦部屋を出たその少年をもう一度入れ直す必要性が無いじゃない。忘れ物をしたのかもって?だったら、荷物を取ったら出ていくでしょ。
 それに少年の行先よ。監視カメラには、その後少年が帰る映像が収められていなかったのよ。おかしいじゃない。部屋にいたはずの人間が、ものの数時間で跡形もなく消えてしまうなんて。
その部屋はアパートの三階にあって、もちろんベランダには非常口があるけどそれが使われた形跡はなかったらしいから、考えられる手段としてはベランダのフェンスを使って、三階から一階まで下りて行くことぐらい。でも、それだとベランダを出る時に、出て行った本人は窓を閉めることが出来ないでしょ。ところが、窓は完全に鍵がかけられていた。単独犯では不可能な話よ」
 しまった。指紋を残さないように、換気扇を使って外へ出たことが裏目に出た。
 内心気が気ではない僕の気持ちを知ってか知らずか、河合さんは声のトーンを少し落として再び話し始める。
「まっさきに疑われたのはあたしの姉よ。その少年を手引きしたんじゃないかって。もちろん姉に心当たりはまるで無いけど、現場に残された証拠はどう見ても姉が共犯者であることを物語っていたわ。じゃあ三人は何をされたのかって、それは言わずとも明らかだった。三人はその少年に、寝ている間にレイプされたってわけ。隣の部屋の住人から、深夜に男女の喘ぐ声が聞こえていたという証言も出ているわ。
 その少年の素性は明らかじゃあ無いけど、現場には彼の物と思われる髪の毛と指紋、それから検査の結果、三人のうち一人の体からは少年の体液が検出されたの。さらに、これは三人の共通認識なんだけど、少年は自身を『田所』と名乗ったそうなのよ」
 自分の名字を聞いて僕がびくっと震えたのを、河合さんは見逃さなかった。
 駄目だ。完全に疑われている。
 万事休すだ。
「河合さ……」
「ところがよ!」僕の言葉をさえぎって、河合さんは、本当に憎々しげに言った。「ところがその、姉の友人のひとり……体から犯人の体液を検出された人……が、事件を公にするのを嫌がったのよ。その人の家は旧庄屋で世間の評価を非常に重んじる家柄らしくて、話を聞いた彼女の両親が『娘が傷物にされたことを公表するぐらいだったら、なかったことにしたほうがマシだ』と主張したわけ。それで、三人の家の間で今回のことは内密にしようと合意したの。レイプは親告罪だから、これで事件として立件されることはなくなったわけ。
 ここで問題になるのは、じゃあ一体、本当のところはどうだったのかってことよ。もちろん、全ての証拠は姉が共犯者であることを示しているわ。姉は『自分は何も知らない。田所君がやったのよ。自分は本当に知らない』と繰り返し主張したけれど、監視カメラの映像の前では無力だった。そうして姉は共犯者であることを疑われたまま友人たちとは絶交、うちの両親とも全く口を利かずに部屋に閉じこもってる状態。散々警察に問い詰められた挙句、実の親にすら信じてもらえなかった姉はもうノイローゼになっちゃって。ちょっとでも声をかけようとするとヒステリーに叫んでは『田所君が悪いのよ!』って連呼する有様よ。大学も、今週中に母親が退学届を出しに行くらしいわ。
 でも、あたしは姉の無実を信じていた。
 すぐさま友人知人、出来るだけ多くの人に『田所君』を探してもらうよう連絡したの。今までバレーであちこち練習試合に行ってたから顔は広いほうで、仙台市内であたしの知り合いがいない学校はないのよ。それで必死になって調べてもらった結果、わかったの。市内に田所という名字を持つ高校生は、あんただけなのよ」
 河合さんはすっと僕の顔を指差した。まるで拳銃を突きつけられたような気分だった。
 僕は血の気が引くのを感じながら、何か僕の無実を証明できる妙案はないかと考えた。しかし、打開策を出すには彼女の推理は完璧過ぎたし、現場にDNAが残っているなら逃れようがない。そもそも僕は無実ですらない。チェックメイトもいいところだ。
 口を開けたまま何も言えずにいる僕を、河合さんは軽蔑どころか憎悪を秘めたまなざしを向けて、しかしその目を閉じた。
「一晩あげる」河合さんは疲れを隠さずに言った。「明日の朝一で、警察に行って自首してきて。それで姉の無実を証明出来る。明日になっても何も行動を起こさないようなら、あたしから警察に通報する。他の家の事情で警察が動かなったとしたら、あたしがレイプされたことにして何としてでも警察署まであんたを引っ張り出す。そこで改めて、三人への暴行事件も認めさせるわ」
 そう言って、河合さんは僕と目を合わせることなく階段へと向かった。
 僕はまだ動けずに固まっていた。蛇に睨まれた蛙は、蛇が去った後も恐怖でしばらく動けないらしい。
 背後で、きい、と不快な金属音がした。恐らく河合さんが扉を開けたのだ。
 僕は振り返らなかった。たぶん、河合さんも振り返ってはいない。
「一晩じっくり考えるといいわ」
 河合さんが言った。その声は、先ほどから変わらずに凛とした強さと潔癖さを感じさせたものの、少し震えていた。
「それが、あんたのことを好きだったあたしからの最後の情けよ」
 がっこん、と音を立てて扉が閉まった。
 僕は緊張の糸が切れたようで、力なくその場にへたり込んだ。まだ、何かを考えるような余裕はない。河合さんに突き付けられた事実と一晩という時間制限が、僕の頭の中でぐるぐると巡っている。
 僕を好きだった、とも河合さんは言った。
 なんてこった。告白と告発をいっぺんに、それも同一人物からされるだなんて。
 今日と言う日は、間違いなく僕の人生最悪の日リストのトップに上り詰めた。
 昼休み終了の直前まで、僕はそのまま屋上に残っていた。そうして、しばらくして授業開始五分前を知らせる予鈴が校内に響いたところで、僕はすっくと立ち上がった。
「淫魔さん」僕は誰もいない空間に向かって呼びかけた。「聞こえますか?」
「何の用よ」
 振り返ると、足元にいくつかある水たまりの一つから、淫魔さんが上半身だけを覗かせていた。水たまりの下はコンクリートのはずだが、何か魔術の類なのだろう。理屈は全くわからないものの、僕は驚くこともしなかった。
「何よ、突然呼び出して。今、ちょうどシャワーを浴びていたところだったのに」
「すいません」
 僕はストレートに言った。
「ちょっと助けて欲しいんですけど」

       

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