Neetel Inside ニートノベル
表紙

僕の手で消せるこの街で
01 その街

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 昼も過ぎた頃に東京駅を出発した高速バスは今まさに、雲一つない青空のもと、首都高を走っている。
 ゴールデン(元素記号 Au )ウィーク真っ最中のため、座席はすべて乗客で埋まっている。
 静かに寝ている者もいれば、大きないびきをかいている者もいる。一方、起きて読書をしたり、起きてゲームをプレイしている者もいる。まあ、寝ながら読書やゲームはできないのだが。
 反対側の席にいる、恐らくは祖父母の家に行くのかと思われる子供たちは、車内放送のアニメ映画に釘づけだ。子供たちの母親と思われる人物は、携帯情報端末を指先で操作している。すると、窓の外に何かが見えたらしい、母親が子供たちの肩をポンポンと叩いて小声で何かを言うが、やはり子供たちは動き出すロボット兵から目が離せないらしい。
 車内では、静かに時間が流れていた。
 この車内で、この17歳の少年ほど憂鬱で無気力でブルーで深刻な顔をしている者はいないだろう。窓枠に頬杖をつき、虚ろな目をして、外を流れていくコンクリートジャングルをぼーっと眺める。
「酔い止め忘れてた……」
 乗り物酔いだ。青い顔、鳥肌も立っている。その上この座席にはエアコンの冷風が直撃なのだ。乗り物酔いでじっとりと首筋にかく冷や汗も手伝って、みるみるうちに体温を奪われる。試練はまだ続く。なぜか自分の席のポケットにだけエチケット袋が入っていない。さらに追い打ちをかけるように、真横の席にはメタボリック・シンドロームな強面の男性がどっかと座って大いびきをかいていて、テコでも動きそうにない。つまり、怖くてトイレにさえも行けない。とどめに、周りの席からはファストフードの香りが……
「この地獄は、あと何時間続くんだ……」
 辛い。辛すぎる。
 のど飴さえもたった今なくなってしまったし、急須で入れたものに最も近いお茶も飲みきってしまった。
 つまり、今は超速でつばごっくんして、遠くの風景をぼんやり眺めるしかないのである。彼が世界最高の電波塔を目標にして目を凝らしていると、
「ああっ!」
 まさかの渋滞大遭遇。真横の車線にはぴったりと壁の如く大型トラックが並び、遠くの風景はおろか、その向こう、上り車線を走る車さえも見えなくなった。透視に果敢に挑戦するも、彼に超能力は無い。(株)澤山通運め、絶対許さねーぞ。
「うう……」
 ものすごく、気持ち悪い。
 この地獄の釜(むしろ冷蔵庫)から抜け出して現世に帰る唯一の方法は――

 ――窓を開けて、道路にあんかけ焼きそばしてしまおう!

 こんな最低な下衆なことを考えてしまう自分も含めて、この世界の全てが嫌になった。そもそもバスの窓は開かない。寒い。このエアコン、きっと雪女の生まれ変わりに違いない。どこかの席からか大きなくしゃみが聞こえて、親近感を覚えた。


 夕方頃に、バスは目的地に到着した。
 バスターミナルからは、思う存分遠くの風景の山の峰々を見つめることができ、おいしい空気も吸い放題だ。
 修羅場、試練をなんとかくぐり抜けた彼は、水色に白いラインの入ったスポーティーなリュックを背負った。車を降りてから、車内に茶色い鞄を一つ忘れていたことに気が付いて取りに戻った。その後、床下の荷台から黒いスーツケースを取り出した。
 他の乗客たちのほとんどが荷物を床に置きカメラを構える一方で、彼は、
「…………!」
 荷物を「持ったまま」ダッシュでトイレに飛び込んだ。間違えて、女子トイレに。


 「引っ越し先」のアパートは、コンビニのそばにあった。引っ越し会社のトラックの荷台からひょいひょい重い荷物や段ボールを取り出して運び込む体格のいいお兄さんに、彼は少しホレた。
 流石はプロ、仕事が早い。あっという間に全ての荷物や家具を運び込んだ。しかし、もうすでに空には月が輝いている。とりあえず荷物の整理と挨拶回りは明日にしようと思った。

 さっと銭湯で体を清めた。番台のおばさんに挨拶して、自販機で炭酸飲料を飲んで帰り、この日はもう寝た。


 彼は近所をあちこち回って、最後に隣室の住民に「引っ越し」挨拶に行った。
「引っ越してきました、濱嶋賛です」
「あ、えと、真田真枝です!ご近所同士よろしくお願いします!」
 真田真枝は歯ブラシを銜えながらゆったりしたトレーナーを着て出てきた。恐らく自分と同年代、あるいは同い年のように見える。やや茶色い髪は少しウェーブがかかっている。
 濱嶋賛、というのは偽名だ。絶対に本名は明かしてはならない。彼は民幸省の公務員だからだ。
 この仕事は少しでも怪しまれるとできなくなる。そのため、この仕事をする者はまずは律儀にいちいち「引っ越し」挨拶に行かねばならない。
「ごめんなさい、私蕎麦無理なんですー」
 どうやらアレルギーだったらしい。この引っ越し蕎麦は夕食だ。
「あ、そうですか、すいません。それじゃ持ち帰りま――」
「いえいえ大丈夫です大丈夫です食えますいただきまーす!!」
 謎テンション。濱嶋は少したじろいだが、しかし今は聞いておかねばならないことがある。
「あとゴミ出しのルールが知りたいんですけど、教えてくれませんか?」
 ゴミ出しルールを間違えて口論となり、最終的に正体がばれた者もいるらしい。その時からこの質問をすることが義務付けられたのだが、
「この街、バスケコートがあちこちにあるんですよ。それで子供たちはみーんなバスケ好きなんですよ!だから、」
 いきなり何の話だい?
「あのー」
「ブラジルでいうサッカー的な存在ですねこの街ではバスケは」
 ……?
「そのー」
「何せこの街市長が昔バスケで県代表チームのメンバーだったんですよまあもちろん今では引退したんですけど市長の意向で市内の小学校中学校高校では毎朝バスケタイムがありまして、あっバスケタイムっていうのはバスケをするとポイントシールが」
 分からない。
「もしもし?」
「溜まっていくバスケカードっていうのがありましてこれがいっぱいまで溜まるとどうなると思いますか?」
 知らん。
「知りませんけどゴミ出しのルールは――」
「ま、小・中の時はおかわり独占とかかわいいもんですけどそれが高校ではカップ焼きそばとか段ボール入りでドーンともらえるんですよ!それで」
 ペースに巻き込まれてミンチになりそうだヤバいぞ俺、と濱嶋は自分の頭をペチペチ叩く。
「それで?」
「カップなどの燃えないゴミは水・金・土、燃えるゴミ・資源ゴミは日・火・木、その他は月曜です。前の日の晩に出すのは一応OKですけどあまりおすすめはしません」
「は、はあ……」
 なんだそのやりきったような顔は。濱嶋の頭の中で?マークが踊り狂っていると、
「すいません、面白くなかったですか……?」
 と、真田は聞いてきた。頬は真っ赤だ。やや太く、しかし薄い下がり眉。人形のような輝く瞳で上目でこちらの顔色を窺うその様子。濱嶋の顔もつられて赤くなる。
 ――――そうか、この少女は、冗談を言っていたのか。
 しかし、ごめんつまらない。本当ごめん。でも、
「いや、いいよ。全然OK!」
 と言いつくろった。
「ありがとうございます!」
 歯磨きの泡の垂れる口の端に、笑みがこぼれた。


 ちなみに、この街のバスケチームはそんなに強くもないらしい。

       

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