Neetel Inside 文芸新都
表紙

冗長短編作品企画
タイトル:グッドバイ 作者:ヤマダ=チャン

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 凍りつくほどではないけど、人が寒いと感じるには十分な気温。風が吹くとそれにのって落ち葉がカサカサと音を立てながら行進していく。
 すっかり秋だ。
 私は秋という季節が好きじゃない、と彼女は長い黒髪を揺らしながら言葉を紡いだ。
「なんだか物寂しいじゃない」
 視線を前方にやったまま、足下の枯葉をひとつ蹴り飛ばした。
 僕は静かだから好きだけどな。そう言うと彼女はくるりとこちらを向いて、
「私もそうだよ。でも、心が冷えるような静寂は駄目だな」
 いつの間に拾っていたのか、鮮やかな橙に染まった紅葉の葉柄を右手で摘まんで器用に回し始めた。ひとしきり遊んでからそのまま指先で紅葉を弾くと、漂うでもなく、そのまま呆気なく地面へと落ちた。
 それから一週間もしないうちに、僕と彼女は再びなんの関係もない他人同士になった。

 乾いた屋外に比べると、コンビニ店内はやけに湿度が高く感じた。
 雑誌を立ち読みする若者たち。
 険しい表情でスイーツを選ぶ女子高生。
 夕方だというのに大きなあくびをして弁当を手に取る中年男性。
 入店を知らせるベルの音が鳴り、反射的に挨拶をする店員。
 このおよそ三十坪ほどしかない店内にこれだけの人間がいるんだ。なんだか窮屈に感じるのもなんら不思議ではない。
 スピーカーからは聴きたくもない流行歌が聞こえ、レジの奥からはホットスナックを揚げる音が性急なリズムを刻んでいる。
 間延びした声。
 バーコードの読み取り音。
 紙面をめくる音。
 通路を歩く足音。
 ショーケースからはブーンという低いモーター音が発せられる。
 僕たちが生活する上で必ず音というものは大なり小なり生まれてくる。布団の中に潜っても、僕の身体からは呼吸音、心臓音が聴こえてくる。耳を塞いだって無音の世界は作れない。耳が聴こえなくなれば話は別だけど。
 興味の一欠片すらもない流行歌がフェードアウトしていくと、何処かで聴いた覚えのある音が耳に入る。霧がかった印象を覚えるイントロ。彼女が好きだったサカナクション。
 自分自身CDを買うほどのファンではなかったけど、彼女の熱心な布教活動によって好きなアーティストの一つになった。この曲も発売してすぐ当たり前のようにCDを購入していた。
 好きな曲なのに、なんでこうもつらくなるのだろう。元々明るい、楽しい曲調ではないけれども、こうも胸を締め付けられる曲だっただろうか。

「最近のバンドは四つ打ちを頻繁に使うんだよ」
 それも最初からではなく、盛り上げるところで急に四つ打ちになる、と彼女は言った。それは片側二車線道路を走行中、自車の前に指示器なしで唐突に割り込んでくる流行りのステッカーを貼った軽自動車のようだとも付け加えた。
 狭いとも広いともいえない、適度に片付けられた僕の部屋で、彼女はサカナクションの『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』というまるで小説のタイトルのような曲をかけていた。
 無駄を削ぎ落としたような軽やかな四つ打ち。シンプルなダンスソングかと思いきや、二度目のコーラスでバンドサウンドになって重厚感が増した。単調なフレーズとメロディを繰り返しているだけなのに、四分間の中で様々な表情を見せてくる。
 再生しているのは僕のiPod classicなのに、容量がまだあるからと言って彼女は自分の好きな曲をわざわざ自宅から持ってきては次々とインポートしていった。もはや彼女仕様に染められたものと断言していい。
 二人で聴くものなんだからいいじゃない、と悪いことをしているとか、申し訳ないという気持ちは微塵も持ち合わせてないようだった。
 二十代で僕も立派な大人だ。円滑なコミュニケーションをとるためにこれ以上言及はしなかった。
 それに自分の知らない音楽を新たに聴くことはやっぱり楽しいし、嬉々としてパソコンに曲を取り込む彼女の姿を見て、とてもやめてくれなんてことは口が裂けても言えなかった。もしそんなことを言う心のない人間がいたならば、こぼした牛乳を拭いた雑巾で頬を叩いてやることになるだろう。
 僕は好んで音楽を聴く方だと自負していたけど、まだ制服を脱ぐことが出来ない彼女の方が随分と詳しく、深く聴いているようだった。
「一つの好きなアーティストが出来たら、彼らのルーツを追っていく。そしてさらにそのルーツを掘っていくっていう作業がたまらなく好きなの。なんでみんなは好きな音楽しか聴かないのかしら。それが駄目だとは言わないけど、とてももったいないと感じない? 気に入るかどうかなんて、聴いたあとで考えればいいじゃない」
 特に欲しいものはないのに、二人でよくCDショップに行った。
 音楽の話になるといつもの倍以上、口を動かす彼女の姿が愛おしくて、楽しくて、やることが浮かばない日は店を冷やかしに行った。彼女の話を聴いていると自分まで詳しくなった気がして、楽しみ方も段々と変わっていった。
 猫も杓子も四つ打ち状況で、あるミュージシャンがツイッターで「最近のバンドはサビになったら四つ打ちになって、娘を人質にとられてるの?」なんてことをつぶやいているのを見たときは、二人でひとしきり笑ったものだ。
 元々サカナクションはクラブミュージックをロックバンドのフォーマットでやるといったようなスタートの音楽なので四つ打ちを使用するのはわかる。
 ただ無駄に動いたベースラインに中性的で心地よさを犠牲にした男性ボーカルが意味深に捉えられなくもない詞を歌うバンドはどうだ。中にはサカナクションのようにEDMを下敷きにしたバンドはいるのかもしれないけど、曲を聴く限りでは盛り上げる方法の一つとして使っているようにしか感じない。タワレコで踊れるロックというコーナーが出来たときは乾いた笑いが出た。
「とりあえず、縦ノリ出来ればなんだって踊れるロックね」
 試聴機の前でリズムをとる彼女は、右手で口元を隠し、笑いを堪えているようだった。
 冒頭の二曲を最後まで聴いたあと、好みじゃない、と言って次のディスクのボタンを押した。
 日本では音楽が売れる文化があるけど、付加価値を付けなければCDは売れなくなっている。なのでロックバンドなんかは必然的にライブ活動に比重を置く。そして日本はフェス文化という大きな舞台が確立されている。前述のサカナクションも言っていたけど、現在はフェスで受けるバンドが受け入れられている。つまりフェスで盛り上がる曲を作らなければ、という宿命がミュージシャンについてまわる。
 その秘密兵器が現代の四つ打ち。フェスという自分のファン以外も観客にいる場では四つ打ちの曲というのは大きな武器になる。
 もはやそれは四つ打ちなのかと言いたくなる速めのBPMでメロディもしっかりとあるのが日本のバンド。場合によってはサビでシンガロング。その場にいれば、よっぽどひねくれていない限り盛り上がるに決まっている。
 もはやロックの表現方の一つとして、高揚感やスピード感を演出するために四つ打ちというものが存在するようになった。そんな四つ打ちを好む人も勿論いるし、合う合わないを言ったらきりがない。
「椎名林檎がデビューしたときだって、退廃的な雰囲気を纏った女性シンガーが雨後の筍のようにデビューしてきたじゃない」
 流行りはどんな文化にだって存在するし悪いこととは言わないけど、度が過ぎればなんだって飽きてしまう。
 映画の本編を見てもいないのに、どこにいっても挿入歌が流れていて嫌いになるといった現象に似ている。少なくとも僕らは辟易していた。
「私は好きじゃない」
 好きじゃない、という言葉は回りくどく感じるかもしれないけど、嫌い、よりもよっぽどストレートに感じる。嫌いなものはいつか好きになることもあるから、私は興味がないという言葉を使っていく。と彼女は等間隔にグラスを並べるように言った。
「だって私、以前はあなたのことが大っ嫌いだったんだから」
「それは薄々気づいてたよ」
「それが今じゃこんなに好きあっているんだから。マザーテレサの言うとおり、好きの反対は無関心よ」
 僕の体に汚れの知らないような白い腕を回して、彼女は全身をこちらに預けてくる。重さを感じられないほど軽く、まるで綿毛のように吹いたら飛んで行ってしまうのではないか、と唐突に不安になって、どうしようもなく抱きしめたくなった。

 コンビニの店内を意味もなく一周するも商品を一つも取っておらず、まるで不審者のようにあっちへ来たり、こっちへ来たり。一体何を目的にコンビニへ来たのかもわからなくなっている。
 そのまま出ることも考えた。ただコンビニという目の届きやすい空間から手ぶらで出て行くのはなんとなく申し訳ない。
 しかし、今は喉も渇いていないし、空腹も何処か遠くへ行っている。欲しい雑誌は置いていないし、日用品はどうも割高に感じで買う気が起きない。おでんがセールで売られているのには心惹かれる。が、気分じゃない。
 やはりここはおとなしく飲み物にでもしとこうか、と考えた矢先、レジの横にある蒸し器が目に入る。あまり多くの中華まんが置いてないのは、表に書かれた百円セールのせいだろう。
 下から二番目、仲間外れのように一つだけ黄色い生地をしたカレーまん。これも、彼女がいつも選んでいた。
 お互い違う中華まんを選んで半分にしたら、一つ分の大きさで違うものが二つ食べられてお得じゃないと言って、毎回カレーまん以外の彼女が食べたい中華まんを選ばされていた。
「急にカレーパンが食べたくなるときってあるでしょ。それと同じよ」
 なんでカレーまんなのか、と言及したところに返ってきた、なんの回答にもなってない答え。これ以上問い詰めても納得できるような返答はないだろうと諦めたとき、
「私はカレーライスが食べられないの。なんでって言われても、うまく言葉に乗せることが出来ないわ。でも突然、無性にカレーを摂取したくなる日があって、そのときに選択するのがカレーパンやカレーまん」
 そう言って彼女は半分に割ったカレーまんを一口頬張った。彼女の一口は大きく、三分の一ほどがすでに消失していた。
 普通に食べているだけだ、と本人は言っていたけど、何故だか彼女の食事姿を見ると情欲をそそられる。
 この世界に生み落とされてから現在まで、彼女以外の女性にそんな劣情なんて抱いたことはなかった。その大きな口がそうさせるのか、もしくはその含んだものをゆっくりと口内で味わう姿が要因なのか、興奮を覚える僕自身にもわからない。
「文字や言葉で聞くとコンプレックスみたいに感じるけど、口が大きいのって利点よね。ほら、こういうことも出来るし」
 突然、まるで蛇が鼠を飲み込むかのように僕の唇は彼女の唇に覆われた。自分のものではない舌がまるで生き物のように右へ左へ動いた。ほんの少し、カレーの味がした。
「口の大きな人は浮気性って聞くけど」
「不正解。あなたのことがこんなに好きなんだもの」
「性欲が強いっていうのは?」
「それはお互い様じゃない?」
 もう一度口づけを交わす。過敏になった唇に柔らかな感触が触れ、脳がビリビリと痺れた。今度はいつもと同じキスだ。
 しばらくそのままでいると彼女の方から唇を離した。
 焦げ茶色の瞳がゆらゆらと揺れる。北国の雪景色を思い浮かべる肌は頬にじわりと紅が差され、それがいつにもなく僕の色欲を湧きたてた。
「どんな味?」
「スパイスが効いてる」
 くすくすと笑って、僕らは三度目のキスをしたあと、再び抱き合った。
 食べかけの中華まんは放置され、手を伸ばしたときにはじんわりと汗をかいた僕らとは対象的にすっかり冷め切っていた。
 それは僕の部屋で、午後六時の出来事だった。

「肉まん一つください」
 彼女といたときの癖はまだ抜けない。カレーまんがまず目に入ったのに、僕はいつものようにカレーまん以外を選択する。
「からしや酢醤油は付けられますか?」
「いや、大丈夫です」
 お互い拘りが見事に真逆をいっていた僕と彼女だったけど、肉まんには何もつけないといったところだけはなんでかわからないけれども一致していた。まず彼女はカレーまんなんだから何もつけないのが至極普通だけど。
 別に他人がそれらをつけたって、なんてことをするんだ、と口を開けばうんちくばかりのやかましい評論家のように言ったりはしない。僕の食べ方があれば他の誰かの食べ方がある。その食べ方を許してもらうかわりに、その誰かの食べ方を許す。ギブアンドテイクとは違うけど、手頃な言葉に当てはめるならそれくらいしか浮かばなかった。
 ただ、おでんにはからし、と言葉を強めた彼女とは違い、僕は味噌だれをつけるのがたまらなく好きだった。
 肉まんはよくておでんは違うというのがまたおかしな話で、どこまでいっても彼女とはカトリックとプロテスタントほど価値観が異なっているな、と強く感じた。
 試したことないものに挑戦しようと直前まで考えているのに、結局間違いのない自分の好みを手に取る。しかし確実なものを選ぶのが成功の秘訣よ、ワトソン君。そうふざける彼女の姿が瞼を閉じなくとも浮かんでくる。
「コンビニのおでんって自分で作るときには入れないような変わり種の具がよくあるじゃない? 例えば、ハンバーグや出し巻き玉子、蕎麦やうどんなんかも見たことがあるし、何処だったか忘れたけどラーメンっていうのもあったわね。たまにそういうものにチャレンジしてもいいかな、なんて考えるときもあるけど、いざ注文となると定番品ばかり頼んじゃう。だってその方が確実におでんを楽しめるじゃない。知らないものを選ぶのは多少でもリスクはあるから、それを選択肢から外してしまうのよ」
 いつも変なところで拘りが強い彼女は饒舌に、止まることなく持論を風呂敷のように広げていく。
「やっぱり大根は大正義。巨人、大鵬、玉子焼きみたいに、おでんといえばこれっていう、まさに象徴」
「ウインナー巻きもそうなの?」
「名前だけ聞くと変わり種に入るんじゃないか、って思いがちだけど、意外と市販のおでんにも入っている定番品よ。きっと子供に人気ね」
 いつも彼女は根拠も説明しようもない自身を身にまとっていた。子供はウインナーが好き、という完全な憶測ですら彼女が言うと不思議とその通りかもしれない、と納得してしまう。
 ならウインナー巻きを選ぶ君も子供なのかい、とからかってみせると、肩をすくめて態とらしくため息をついた。
「安直な考えね。確かに私はウインナー巻きが好きだけど、それだけで子供だと決めつけるには決定力が足りないわ。サッカー日本代表のようにね。ずっと疑問なんだけど、大人がお子様セットを頼めないのは何故かしら。別におまけのおもちゃが欲しいっていうわけじゃないんだけど、チキンライス、エビフライ、ハンバーグやスパゲッティ。そこにプリンみたいなデザートまでついて最高じゃない。私はそこまで食欲に比重を置いた生活をしていないから、少ない盛り付けであれだけの種類を胃に収められるお子様セットはとても魅力的なのだけれど」
「そもそも学生は子供じゃない?」
 少しいたずらな質問をするも、まるでそれが来ると分かっていたのか、野良猫のように目を細めてひとしきり笑った。
「子供だって作れるんだから、もう立派な大人よ、私。まぁ大人の都合で見れば未成年者は子供かもね。世間からすればあなた、ロリコンよ?」
「ロリコンは困るな」
「もうキスもセックスもしたくせに」
 片手で収まる僅かな膨らみをした胸も。
 肩甲骨の下にあるほくろも。
 キスをするときに僕の下唇を噛む癖も。
 太ももの裏側が弱いのも。
 ベッドでの喘ぎ声も。
 顔を突き合わせてする行為が好きなことも。
 すべてというわけではないけど、他の誰かが知り得ない姿を僕は脳に焼き付けている。
 それは楽しくおしゃべりしている友達よりも。
 一方的な好意を寄せているクラスメイトよりも。
 生まれてから今日まで共に暮らしている親兄弟よりも。
 スカートをひらひらと舞わせ、無邪気にまるで踊るようにステップを踏む彼女の姿は、子供の無垢さと女の色香が共存した複雑な存在に見えて仕方がなかった。

 ーーあぁ、彼女を過去にしようとして、もういいやと思っても、行き場をなくした愛情は思い出をより鮮明に色付ける。
 忘れようとすることは憶えることより困難で、外面をいくら取り繕っても知らない間に特注の見えないナイフは僕の内側をひどく傷つける。
 一人は苦手な方じゃない。
 独り身も悪くない。
 今までそうやって生きてきたじゃないか。
 彼女と出会う以前にまた戻るだけなんだと、自分に言い聞かせるように心の中でひたすら反復する。
 そうすればするほど僕の中の彼女が溢れ出して、涙がこぼれそうになる。彼女の中で僕はもうつまらない過去になってるんだろうか。
「じゃあね」
 別れ際、明日もこうやって会うのが当たり前だと言わんばかりの軽い言葉。関係の終わりにしてはあまりにもさらりとし過ぎた幕引き。
 コンビニから帰って来たときのように、ただいま、と言って再び僕の目の前にひょっこりと顔を出すんじゃないかという淡い期待がまだ捨てきれないでいる。
 外に出て、まだ温かい肉まんを一口食べるも、あんなにおいしいと感じていたものだったのに不思議と味がしなかった。
 愛ってなんだ。今の僕にはわかりそうもない。



(了)

       

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