Neetel Inside ニートノベル
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夜の確率
1-7. 進化銃

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「へへ、なんだ美人だったんだ。」
 ヒーマンがニヤニヤする。
「そんで、いいことした?」
「してない。」
 ムスリと答えてココは水を飲んだ。
「ふん。」
 ゴリゴリとソリッド・ライスをかじる。今日は塩だけかけた一番安いやつだ。
「『カタログ』はまだ開かないのかよ?」
「まあ待てよ。今つないでる。」
 肩をすくめてヒーマンが答える。


「カタログ」、全世界で同定された全生物種の遺伝子配列データベース。この星の進化の系譜を納めた電子的ロゼッタストーン。
 家庭用品なみの化学物質で細菌の遺伝子をいじれることが周知の常識になってからは、「カタログ」へのアクセスに制限がかかってしまった。なにせEBOLAと入力すればエボラ・ウイルスの配列が出てくるのだ。
 ただいま、と家に帰ってくるとママがキッチンでエボラ配列を組み込んだ乳酸菌入りのヨーグルトをおやつに作ってる。そんなアナーキーなお袋がいるかいないか知らないが、ともかく政府は一般市民からのアクセスはざっくりファイヤーウォールで弾き返し、一部の研究機関と企業だけにアクセス権を与えたのだ。
 一般市民が「カタログ」にアクセスするには役所の連中に身の潔白を示す書類を100枚は提出する必要がある。

 ではヒーマンがそれらの審査をクリアしている真っ当かつ善良な市民なのかというと、まあ、それはない。彼はバイオパンクの末裔なのだ。キッチンで自家製遺伝子を作って喜ぶ変人達の子孫。曽祖父の代から遺伝子工学教室の教官を輩出するサラブレッドだったが、紛争と民族差別で没落した。家宝は「カタログ」のアクセス権を付与されたトークン1個。このトークンと、父から譲り受けたという怪しげなお手製合成キットを武器に、あらゆる生体分子を合成する調達屋としてヒーマンは生計を立ててきた。

「よ、繋がったぜ。」
 ヒーマンが電子ペーパーをカウンターからすべらせた。キャッチして食事を中断する。
 いったい何百年前から仕様を変更していないのか、ダサいフラット・デザインのインターフェース中央に検索ボックスが浮かんでいる。
 さて、まずはアンが飲んでいるであろうタンパク質製剤のアミノ酸配列を探す。ドンピシャじゃなくてもいい。タンパク質の世界じゃアミノ酸配列が30%程度似てれば当たり判定が出る。
 アンの遺伝子欠損CDKAL1、脂質分解の促進にマウス由来ALK7でしたか。ココの教官、タクマ師がいつの間にかそばに立っている。ターゲットとしては微妙ですが、とっかかりとしてはここからですね。
 オーケー。アンの体内にぶち込まれているであろう、人工タンパク質の配列を並べて、眺めて、比較して、キーとなる配列パターンを探し出す。
 「カタログ」の検索ボックスにCDKAL1と打ち込むと、現在同定されている356種の生物の628個のCDKAL1配列がヒットした。まずはホモ・サピエンスだ…。
「ココさあ、解析する時ブツブツ独り言しゃべるの、それ、かなり不気味だぜ。」
 遠くの方でヒーマンがなにやら言っているのが聞こえる。かまわずタクマ師とのブリーフィングを続けた。
 仕事で唯一心が踊る時間が始まる。進化銃(エボルバー)の"銃弾"設計だ。

     

 進化銃(エボルバー)、もともとの名称はペプチド注射器という素っ気ないものだった。タンパク質を安定した、大量の薬品として合成できるようになってから医療現場に現れた。
 経口は無理な相談だ。消化管の酵素で分解されてしまうし、よしんば消化されなかったとしても消化管粘膜はビックサイズのアミノ酸分子を通すようにはできていない。血管から入れるしかなかったので、効果は高かったものの苦痛が伴う治療だったらしい。昔は。

 ココは無心にカタログから遺伝子を検索して、並べるを繰り返す。目は心なし大きく見開かれ、少しずつ乾いていく。
 タバコを付けた。これ。ここの部分、親水性だけど、疎水性になるよう置換してみよう。上手いこといけば構造が柔らかくなるんじゃないか。でもってこのポケット構造は潰そう、ここで相互作用させてもしょうがねえや…。


 誤用が社会問題になった。現場はストリート。この頃、ペプチド注射器は仕事にありつけないロクデナシ相手にちょっとしたブームになっていた。
 それなりの量のタンパク質精剤を、苦痛も少なめに注入できるタイプのそれはペプチド・ガンと呼ばれていた。
 誰が流行らせたのか、目の付け所が良いバカがいたのは確かだ。そのバカはどこかからほんのひとつまみ、大腸菌をくすねてきたのだ。
 売人はジャンキーどもにペプチド・ガンと大腸菌がたっぷり入った寒天培地を売りつける。プルプル震える指で寒天培地をすり潰し、ガンで無理矢理血管に流し込むのだ。と、あら不思議。気分爽快、視界がブッ飛ぶ。


遺伝子配列から翻訳されて、スルスルと合成されるタンパク質は一本の糸だ。そしてこの糸が自身の化学的特性によって、ひとりでに、複雑な立体構造を形成する。その時間スケールはわずか1ミリ秒。

 不思議に思わないか?絡まったりしないのって。絡まるさ。立体構造形成失敗、アンフォールディングだ。アンフォールドしてくちゃくちゃになったタンパク質は、毒だ。


 耳鳴りがする。音はもう意味をなさない。目は見開かれ、何もかも見えるような、何も見えないような。時折、色鮮やかな文字列が視界に流れ込んでくる。DNA。
 集中が高まり、タクマ師が溶解してしまったことにココは気づかない。統合化され、とうとう一人、たった一人になったココは虚無に向かって話し続ける。(ヒーマンは眉をしかめて厨房に引っ込んだ。付き合ってられないぜ。)


 ジャンキーどもが血管に流し込んだ大腸菌ジュースはなんだったのか。おそらくアドレナリン受容体、またはそれに類する神経伝達物質受容体とされている。受容体欠乏症の治療のために培養されていた大腸菌をパクったのだろう。
 その時期ERに原因不明の意識混濁で運び込まれる若者が増加した。脳の血栓、肝不全。記憶混濁の後遺症を引きずる者もいたという。


アンフォールドだ。くちゃくちゃに潰れた、無意味な分子の塊。増殖。リカバリできない秩序の乱れが広がっていく。
 唐突にアンの白い肩が連想される。彼女は自身では創りだせない生体分子を外部から取り入れている。脂肪代謝。スポットは肝臓。

 アンフォールドしたタンパク質のやっかいなところは周囲の正常タンパク質にくっついて、それらの構造も歪に変形させてしまうことだ。増殖し、ある種の繊維構造(アミロイド)を形成する。そして代謝を乱し、血管を詰まらせ、神経を侵す。
アルツハイマー、狂牛病…。アミロイドが一枚噛んでる病気は数知れない。


 疲労感とぼんやりした期待感はどこかに忘れ去られた。感情は失われ、ココは淡々と事実を視ることができる。
肥満に悩んではいるが、健常者であるアンを進化銃(レボルバー)で殺すのは難しいのだ。急性肝不全で死亡するケースはあれど、肝臓は堅牢な工場みたいなもので、破壊するためには強力な爆薬と、何年も忘れられていた薬品漏れのようなきっかけが必要だ。
 10種ほどの遺伝子をピックアップした。気になるあの娘を殺すレシピ。
 ぐらぐらする。レシピに選んだ遺伝子群を睨みつけるが視点が定まらなくなりココは目を閉じた。アンの脇腹がまぶたに浮かぶ。ココの空想の中でそれは白く、柔らかく、暖かい。手で触れる。脈動を感じる。その皮一枚のしたにある臓器を感じる。



 ストリートのクソガキ共から学んだことがある。ペプチド・ガンはそれなりに即効性があるということ、思った以上に体に影響を与えることができるということ。
 紛争初期、「オルガ」という製薬企業が暴徒制圧用のペプチド・ガン試作機を作った。注射器というより麻酔銃のような形態のそれはスタンガンよりお手軽で、民兵から警察、商店の店主まで購入して飛ぶように売れた。
 外傷も目立たず(針を打つだけ)、効果はてきめん(とんでもなく気分が悪くなる)、何より安かった。
 海外との流通が盛んだったという意味で資源潤沢だった時代、大腸菌で培養しておけばガンガン増やせるタンパク質製剤(もはや勝手に増えるといっても過言ではない)はとんでもなく安価だった。既存の薬品との価格競争という市場原理的な要因もあったが、一般市民でも手軽にバイオ医薬品を購入できた。
 オルガが売り出した弾丸はアンフォールディング剤と呼ばれた。タンパク質凝集特化製剤。タンパク質を正しく組み立てることができれば、逆も然り。どうすればその構造を容易く崩すことができるか、オルガは熟知していた。
 頑健な構造をもつのが正常なタンパク質なら、ミスフォールディング剤の構造はぐにゃぐにゃだ。周囲のタンパク質に絡みつき、無意味に、かつ強力に相互作用する。一度結合したら離れない。そうして正常なタンパク質を取り込み、無意味な分子の塊に変形させる。
 打ち込まれるニードルは、それ自身がミスフォールディング剤を固化したもので、ある塩濃度の水溶液、すなわち体液に触れると溶解する。溶解し、解き放たれたミスフォールディング剤は手当たりしだいに周囲のタンパク質とくっつき、増殖して、静脈流に乗って臓器にたどり着く時には毒性タンパク質、アミロイドーシスに成長している。効果大。乱れる代謝系。ニードルを喰らった暴徒は気持ち悪くて立てなくなる。

 紛争もほとんど収束した今、プラントのほとんどが破壊され、もしくは原料不足で閉鎖され、オルガ社製のアンフォールディング弾は一部の軍事企業にしか出回らない高価な兵器になった。健常な人間にも効果を表す、その弾の”レシピ”は未だに社外秘だ。


 ココはまだアンの真っ白な腹部を想像している。異物がいる。もともと彼女に代謝系に備わっていない生体分子群。注入される量はいかほどか。恐らくかなり多めに注入するだろう。肝臓に直接打ち込むわけではないから。静脈から流すとして、適切な部位に、適切なタイミングで到達するのは一握り。この余分な生体分子群をアンフォールディングさせたい。
 10種の遺伝子はココお手製のアンフォールディング弾、といったところだ。もっとも多量に投薬されているだろうCDKAL1タンパク質をメイン・ターゲットにして10種。いずれも相互作用しやすい不安定なタンパク質を発現する。CDKAL1遺伝子配列を眺めるに、他のタンパク質、小分子と結合しそうなスポットは3箇所。この3箇所にはまりやすいような遺伝子をみつくろった。もちろんココのカスタマイズ入り。どの遺伝子もより不安定に、より柔軟に挙動するよういくつかの塩基を組み替えた。より水分子に馴染むよう、より水分子を弾くよう…。

 腹部がねじれ、アンは苦痛に顔を歪める。苦痛にプルプルと震える厚ぼったい唇。膝から崩れ落ちる。白から死を思わせる青へ、その肌が変化していく、その様を早送りで見た、気がした。殺せはしない。だが相応の苦痛は与えられるはず。
 額から流れ落ちた汗がまつげに引っかかって集中が途絶える。灰皿には7本の吸い殻。ココは大きく息を吐いた。

「おい、ヒーマン。」
ヒーマンが顔を厨房からのぞかせる。
「終わったのか?頼むよ。怖いんだよ、”それ”やってる時のココは。」
 鼻で笑ってヒーマンの不安を吹き飛ばす。
「ピックアップはしたから、合成したい。レシピのチェックやってくれよ。あと何かつまむもの。」
「ふん、どうせまた無茶苦茶なピックアップしたんだろ。どれ、見せてよ。おつまみは切らしててね。ないよ。」
 ため息をついて、水を飲んだ。電子ペーパーをヒーマンの方へ滑らせる。
 さて、ここからは合成屋ヒーマンとのセッションだ。ヒーマンの黒くて丸い目がくりくり動く。現実的にみて、ココが選んだ遺伝子が合成可能かチェックするのだ。
「ふーん、なるほどね。これとこれ、こいつらは簡単そうだけど、こっちのこれ、これは難しいぜ。不安定すぎる。」
「そうか?だったらここに疎水性アミノ酸を挿入してさ…。これならどうよ?」
「うーん、いや、培養器のpHの問題だから、そこ変えてもな。ここらへんどうにかならないの?」
「そこかあ…。」

 日は暮れかかり、ドームに橙色の光が投下される。食堂の中にもその光が差し込み、二人の男の真っ黒シルエットが磨かれた机に投影される。
 詰めだ。テーブルに置かれた進化銃(エボルバー)がオレンジの光を照り返して、妙に艶かしい。


     

「まあ、これくらいじゃあないか?」
「ん、こんなもんかな。」
合成する遺伝子を10種から8種に調節した。
組み替え遺伝子を合成するとこまでは問題なかったが、発現するタンパク質が不安定すぎて使えないだろうとの結論だ。

日は完全に暮れて、青白い蛍光灯の下、二人で手早く晩飯を食った。湯気の立つソリッド・ライス。コンソメ味。
「客来ないな。」
「火曜日だからね。」
残念そうに目をつむる。
「ほーん。」
火曜日だと客が来ない理由をココは知らない。特に言うこともない。

晩飯を食べ終わり、ヒーマンは皿を下げて厨房に入った。
ココは進化銃(レボルバー)をちょっと眺めて、手に取った。女の手に収まるくらいの小さなグリップ。ココの進化銃は接射タイプで銃身は短い。通勤電車なんかで人混みに紛れて射つのだ。チクリと、虫に刺されたような感覚はあるが騒ぐやつはいない。公共機関では多少不快なことがあっても静かにしなきゃならないから。
そうしてだんだん気持ち悪くなるのをこらえて、こらえて、こらえたターゲットはふらつきながら駅を降り、トイレに駆け込む。
トイレにはミチがいる。特に理由がなければ彼女はトイレを選ぶ。
ふらつきながらトイレに駆け込むターゲットに、ニッコリ微笑みかけ、首をへし折る。
おしまい。いかにもさっぱりといった顔で出てくる。…男子トイレの場合が多いのでさりげなく、だが。
だって駅のトイレって汚くて、さっさと出て行きたいでしょ?手早く済ませたいなら駅のトイレよ。
ココが尋ねると、こいつ何言ってんだという顔をした。ミチはいつだって自分が正しいし、他人もそう考えると信じてる。
じゃあ、駅のトイレは殺し屋で溢れかえってるな。
そうよ。だからアタシは絶対に駅のトイレは使わない。ココも使わないでね。
言って聞かすように、さとすような口ぶりで話す。ちょっとイライラしながら。
彼女をちょっとイラつかせるのが好きだった。
ぼんやりと進化銃を撫でながらココはもの想いにふけった。浅黒い肌の、怪力少女。

ヒーマンがガチャガチャと培養皿やら試験管やらを用意し始める。今夜中に合成を始めれば、明後日の夜には終わるだろうか。そこはヒーマンの腕と運次第。
「じゃあ、頼んだぜ。」
弾丸の注文を終え、今夜はこれ以上することもない。帰ることにした。


木曜日、ドームが橙色に染まる時間にヒーマンの店を再訪した。
入ると、ヒーマンが他の客と談笑している。
「いらっしゃい。好きなとこ座ってね。」
と、今日のヒーマンは食堂の主人だ。ココも手持ちの少ない貧乏客となり、隅っこの席に猫背気味に座った。
「お客さん、注文決まったら呼んでね。」
 店主は頼みもしてない怪しげな緑茶を一杯、カウンターに置く。黙って飲んだ。
 いつもの符号。”出来上がり"だ。

       

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Neetsha