Neetel Inside ニートノベル
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夜の確率
1-5. 潜入

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 ネリマ・セントラルのオフィス街から少し外れたトシマ・ストリートがパーティー会場だった。駅から降りると小綺麗な広場が広がり、小洒落た飲食店が立ち並ぶ。ドームの偏光フィルターが仄暗い夕方の光を演出し、橙色の街灯が点々と灯っていた。通りを下り、十字路から二つ目の路地。「桜花」と気取ったフォントで書かれた看板を見つけ門をくぐった。
 扉の前には巨大な男がひっそりと佇んでいた。でかい。男が立っていることに一瞬気づかなかった。4メートルはあるだろうか。異常だ。成長因子hGHの分泌量を増加させるよう遺伝子を改変されているのだ。それ以外にも特殊なアクチン・ミオシンプロテインを発現できるよう改造されているのではないか。でなければこんな化け物のような肉体にはなるまい。
 ゆっくりと手を差し出し、巨人は低い声で身分証をココに求めた。慌てて身分証を彼に見せた。本当に慌てていた。こんな場所で、こんなあからさまな遺伝子改変人間に出会うと思っていなかった。
 スギダイのやつ、どんなコネのパーティー紹介したんだ。半分パニックになりながら中に入ると穏やかな顔をした紳士淑女が十数人、立食式のテーブルの周りで談笑していた。人種は様々だが、皆一様に若く、明るい雰囲気だ。木製をイメージした調度品、壁際にさり気なく配置されたベージュ色のソファーが人を落ち着かせる空気を作っている。
 少しホッとしたが、何はともあれ下っ腹に力を入れて立ち回る必要がある。この連中からターゲットの情報を手に入れたい。いい加減この探偵地味たマネにはウンザリだ。
 テーブルのシャンペンを手に取り、ゆっくりと集団に近づいた。
「…じゃあ膜タンパク関連も大変ですね。」
「ええ、注文は殺到しているんですけど合成量が追いついてないんですよ。今、追加のプラントを手配中してます。」
「溶媒条件が難しいですからね。一回の合成量に限りがあると聞きましたが。」
「まさにその通りで…」
 ふむ。ココと同じくらいの年齢に見えるのに聞こえてくる話はマネージャー・クラスだ。よほど優秀なのだろう。
 いきなり仕事の話をするとボロが出るかもしれない。会話の輪にすぐには入らず話を注意深く聞いた。他愛のない話をしてる人間がいないか探していると、部屋の奥にいた男が軽く咳払いをして、周囲が静かになった。この男がパーティーの主催者のようだ。
「皆さん、本日はお忙しい中集まっていただきありがとうございます。今夜の集会を企画させていただいたアリエと申します。」
 浅黒い、アラビア系の顔立ちの男だ。黒のスーツが映えている。
「今夜集まってもらいましたのは、もちろん越境派閥の皆さんの絆を深めてもらいたい、ということもあるのですが、惜しい、非常に惜しいと常々思っていることがあったからなのです。」
 周囲が話に聴き入ってるとこをみるとそれなりの立場の人間なのだろうか。
「皆さんそれぞれの業界の第一線で活躍なさっているトップ・プレイヤーだ。現場の、その最先端で常に挑戦し続けている。皆さんがそれぞれ行っている"越境的な"試みもその一つでしょう。しかし周囲の期待が大きくて忙しすぎませんか?ありていに言って、しんどいと思うこともあるでしょう。そんな時こそ異分野で同じ志をもつ仲間と語らう場所が必要だと思うのです。頼れる仲間が自分の知らない世界にもいる、そのことを知らないのは非常に惜しい。はっきり言って損失です。」
 話が長い。アラビア野郎はつらつらと話を続けていたが、ココは聞く価値なしと判断して横目でさりげなく周囲の人間を観察した。
 男8人、女7人。いずれもココと同じくらいの年齢か。自分の年齢を省みるに、確かに妙齢だ。要するにこれはお見合いパーティーで、皆やる気満々なのだ。高そうな服を着ている。こんな服装でイリマ区を歩いたら男はリンチの挙句に殺されて、女は犯されて殺されるだろう。死装束だな、ココは心の中で皮肉った。
 アラビア野郎の話もようやく終わり、参加者の明るい未来に乾杯する流れになった。横で話を聞いていた北欧系の女性とグラスを合わせる。柄ではないが自分から話しかけた。
「ジョン・ペレスです。よろしく。」
偽名を名乗り、軽く微笑んだ。

     

 越境派閥とは何か、ニュースを真面目に見ないココが把握している限りではある種の人権団体、もしくは革新派の政党といったところだろうか。そこかしこにあふれる人種差別に異を唱え、肌の色関係なしに平等に活動しようとかなんとか、そんな人達を指して最近は越境派なんて呼ぶのだ。

 ココと乾杯した北欧系の女はドームの通信インフラを整備する企業複合体に勤めているらしい。
「そう、電信網がほとんど通ってない区域も存在しているんです。せめて電波塔の一本でも立てれば状況は大きく変わるのに、あそこはアジア系ばかりで金にならない、放っとけって。おかしな話じゃありません?」
「確かに。そもそもドームで暮らしている人種で言えばアジア系が一番多いでしょう。彼らが金にならないなんておかしな話だ。」
「そうなんです。だから私気づいたんですよ。あぁ、彼らはアジア人達が嫌いなだけなんだって。」
 そうして彼女は自分がムサシノ区域に電信網を引いた英雄譚を話してくれた。ココは口元に笑みを貼り付けて相手の話に聞き入るふりをした。実際のところは彼女の淡い水色のドレスからのぞく白い胸元ばかりに目が行っていた。電信網バンザイ!
 あなたは?といった目つきで見られていることに気づき、自分はバイオ系の技官なのだが、特定人種の遺伝子解析ばかり進んでいることを憂いている、という話を即興で語った。あながち嘘でもあるまい。ヨーロッパ系の遺伝特効薬はいくつも開発の噂を聞いているがその他の人種のそれは聞いたことがない。
 水色ドレスのおっぱいチラ見せ女は得心いったという風に何度もうなづいた。うなづくたびに栗色の髪がむき出しになった白い肩に触れる。
「そうですよね。私も祖父はアジア系でしたし、西ヨーロッパ由来の遺伝子ばかり調べているのは疑問に思ってましたわ。」
 このままこの女と話していたい気もするがそうもいかない。近くの紳士二人が会話に加わったのを機に一旦その女から離れ、違うグループの会話に混じりにいった。できるだけ多くの人間の話を聞いておきたかった。どこにどんな情報が落ちているか分からない。


 バイオ・マテリアルのプラントを建設しているアフリカ系の紳士、ドームのエア・フィルター設計事務所に勤めるアジア系の婦人…
 皆それぞれの職場で紛争の置き土産ともいうべき民族主義思想と火花を散らしているようだ。自己紹介、それぞれの出自が明かされて皆少しずつ打ち解けてきた。なにぶん今日は政治談義をするために集まったのではない、男女の仲になりたい連中ばかりが集まっているのだ。話題は自然に趣味の話、流行りのファッションに移っていった。
 ココとしては下手な政治談義よりそっちの方がありがたい。好みの酒の話から社員食堂のクソ不味いソリッド・ライスの話、雑談をしつつもターゲットの話にアンテナを張った。
「最近妙に太った気がして、あそこのソリッド・ライス、ソースが濃すぎるんですよね。」
「でも止めらないでしょう。あの店のメニューが一番マシですから。」
 といった風に話しの流れを健康やらダイエットやらに軽く誘うのだ。2週間の地道な実地調査が意外なところで役に立った。あの調査がなければ彼らの話に調子を合わせることができなかっただろう。テーラーメイド・メディシンを応用したダイエットも話題に上がった。この治療、流行ってはいるが少し値段がお高いかな、というのが彼らの中の共通認識のようだ。同僚の中でこの治療を受けている、との話も出てきてココの胸は高まった。 このパーティーに集まった層より年上の人間達がこの治療に積極的らしい。なれば次回はもう少し年上のパーディーに顔を出せばいいわけだ。バイオ技官の観点からもそういった方の話を聞いてみたいものですね、などとうそぶき何人かと連絡先を交換することまでやってのけた。
 雑談もたけなわになり、少しずつ男女のペアが形成されてきた。周囲の話を聞いて回るにはやりづらい流れだ。意を決してココは話を聞く相手を一人に絞ることにした。周囲を見渡すと、ちょうど水色ドレスの女がグループから外れてテーブルから食べ物を取っている。何気なく近づき、彼女と同様食べ物を取りに来た風を装った。皿を手に取りながら、視線を合わせる。
「さっきは名前を聞き忘れてしまって。良かったら教えていただいても?」
 色々回ったんだけどやっぱり君が一番だ、アピールのつもりで全力で微笑した。彼女を選んだ理由は特にない。しいて言うならおっぱいだろうか。彼女のドレスが一番好みだった。
「ええ。アンジェリーナ・ウェルズです。アンって呼んでいただければ。」
 彼女はにっこり微笑み、ココは衝撃で皿を落としそうになった。

       

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Neetsha