Neetel Inside ニートノベル
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 逃げ足には自信がある。
 足がえぐれている分、多少は遅くなってしまっているかもしれないが、それでも、一〇〇メートルそこらなら、あっという間だ。
 階段を駆け登り、そのすぐ横にあった教室へ飛び込む。そう、俺はここへ来たかった。この、中身空っぽの机と椅子しかないこの場所に。
 ここなら、持ち上げられるのは机と椅子だけ。重量制限があるかどうかは、ここでわかる。
『……無駄ですわ。ここで何がしたかったのか知りませんけど、あなた、自分から窮地へやってきたのですわ』
「……ピンチはチャンス、俺の座右の銘だもんで」
『言ってなさい』
 そんな言葉のすぐ後に、俺の周囲にあった椅子が、机が、浮かび上がる。
 つまりこれは、可能性が一つ潰れた。重量制限はない! 少なくとも、俺を持ち上げられるレベルの力はある。
 つまり、俺に能力を使ったらバレるタイプ――。
 サイコキネシス、ではない――。
 いや、そんなん考えてる場合じゃねえ。
「……俺のバカ」
 考えてなかった。
 この窮地を脱出する方法は考えてなかった。
 机の物量をアブソリュートで防ぎきれるか――?
 いや、無理だ無理。絶対アブソリュ―トなんて名前してっけど、そんな絶対なんて言い切れる信頼値はない。
 だが、張らなくちゃ結局死んじゃう。さすがに牛乳毎日飲んでても、机でドタマ殴られたら死んじゃう。
『――やっぱり、ただのバカだったようですわね』
 相手は俺の値段を決めたらしいが、俺はまだまだ終わるつもりなどない。
「アブソリュート!!」
 机を一個弾くのに、バリア一枚使わないとならない。だが、展開速度がいくら早かろうと、そんなのジリ貧になる。せめて、バリア一枚につき、机二個弾かなくっちゃあならない。
 俺は、下敷きサイズのアブソリュートを取り出し、飛んできた机の角
を、アブソリュートの角で叩き、最低限の力で方向を逸らす。
 点と点なら、アブソリュートの耐久度も多少は保つ。
 だが、これは急場しのぎに過ぎない。
 他の手を、頭かち割られる前に考えなくっちゃあ、俺は負ける。死ぬまではないにしろ、学園生活は犠牲になる。
『よくしのぎますわね! でも、まだまだこちらのスピードは上がるんですのよ!!』
 椅子が、机が、後ろから前からと俺に向かって飛んでくる。防ぎ切れるわけがねえ。背中を思い切り、椅子で叩かれた。
「おご――ッ!!」
 背中が、メキメキって音を鳴らした。意識が一瞬で彼方へと吹っ飛びそうになったが、なんとか堪える。ダウン寸前のボクサーも、こんな感じなんだろうか。そう思ったら、俺は足を踏み出し、耐える。
『まだまだ、行けますか?』
 クスクス、と笑っている声がして、俺は「当たり前だ」と、おそらく相手がいるだろう廊下へ向かって叫んだ。
『よろしい。次は、頭を思いきり揺さぶりますわ』
 机が、今度は正面から飛んできた。
 アブソリュート――いや、繰り返しても砕かれて終わり。アブソリュートはこの状況じゃ役に立たない。
 俺は、その机の足を掴んで、明後日の方向に放り投げた。
『痛っ!』
 ……痛い?
 あいつ、今、痛いって言ったか?
 なんで痛がる。俺が今した行動の結果か?
 俺がしたのは、机を明後日の方向に放り投げただけだ――。
 あいつの能力は、俺に触ったらバレて、かつ、予想外の動きをされると痛みが伴う物――?
 俺の中で、点と点がつながった。
「いただきだ……」
『……なんですって?』
「お前の能力の正体が、わかった。この勝負は、いただきだって言ったんだ」
『……言うに事欠いて、私の能力が、わかったですって……?』
「さっきっから顔を見せない理由が、ようやくわかったぜ。顔なんて見せたら、一発でバレちまうもんな」
『知った風な、口を……!! 私を落胆させただけでなく、怒らせた。この二つの罪は、あなたの体で償っていただきますわ!』
 机が、椅子が、今度は俺の前で、一つに固まった。巨大な塊が、俺に向かって飛んでくる。
『あなたのチャチな能力では、この質量は防ぎ切れないでしょう!!』
「防ぐ必要なんてないんだよなぁ!! だって、それを待ってたんだから!」
 俺は、自分の足元から、その塊の下へ向かって、アブソリュートを張って、走りだした。そして、アブソリュートを滑るみたいに、スライディングでその塊を躱した。そして、すぐに立ち上がり、椅子の下の虚空を掴む。糸のような物が、手に触れて、それを思い切り、地引網をそうするみたいに引っ張った。
『きゃあッ!!』
 そうすると、壁に何か叩きつけられたような音がなり、教室の入り口から、さっき図書室で俺に話しかけてきた少女が入ってきた。
「よぉ、さっきぶりだなぁ……」
 がたん、がたんと、後ろで椅子や机が落ちる音。にやりと笑う俺を、彼女は忌々しげに睨んでいた。
「……能力がわかった、というのは、ハッタリではなかったようですわね」
「もちろん。――お前の能力は、『髪の毛を操る事』だ。俺に直接触れたらバレるし、この能力は、バレたら距離をあっという間に詰められる。そうだろ?」
 さっき俺がしたみたいにさぁ、と、できるだけいやみったらしく言った。姿を見せていれば、持ち上げた物と自分の間に、髪があるのは明白。相手の体の一部を、自らの近くに置いておくのだ。やりようはたくさんある。
「……確かに、あなたの言うとおり。落胆という言葉は、取り消します。ですが、怒ったという言葉は取り消しません。私の『ヘアメイク』がバレた以上、最大奥義で決着をつけます」
 彼女の髪が、右腕に集中し、段々と、水のような無形から、形になっていく。あれは、ドリルだ。
金の螺旋ブロンドリル――。行きますわ!!」
 腕のドリルが、回転し、俺へと向かって走ってきた。
「……なるほど、確かに威力は高そうだ。当たればだけどよぉー」
 俺は、左手に一枚板のアブソリュート。右腕には、拳に纏わせた四角いアブソリュート。
 左手をドリルの下の添えて、持ち上げる!
「な――ッ!」
 こうすれば、最小の労力で方向を反らせる。
 そして、難なく右腕の四角い拳を、少女の体にぶち込める。のだが――。
 俺はその拳を、寸止めした。鳩尾に一撃叩き込んで、気絶させるつもりだったが、彼女の細い体を見た瞬間、さすがにそれはできなかった。
「お前の負けだ。いいだろ? 打ちたくない」
「……ナメてるんですの? ――と、言いたいところですが。確かに、私の負けです。淑女として、引きますわ」
 そう言って、彼女は右手のドリルを元の髪に戻し、俺の肩に手を置いて、「お見事でした」と微笑んだ。

 俺の、肩に、触れて……。

「おわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
 我慢が、爆発した。女の髪に触ったって時点で、さっきから鳥肌がすごかったのに。
 だから、拳を叩き込まなかったのに。アブソリュートの上からでも、もう女の肌になんて触りたくなかったのに。
 全身から力が抜けて、俺は、体中の痒みと、落ちていく意識という矛盾する二つを抱えて、落ちた。


  ■

 悪夢をオードブルからデザートまで、たっぷりフルコースで見せられたような最悪の眠りだった。
「……う、うぅ」
 起きたくない、そう思ったが、俺の目は無常にも開いて、横にいる人間に、俺が起きたことを知らせてしまった。
「あ、起きました……?」
 ベットに寝ていた俺を、先ほどの『ヘアメイク』の少女が椅子に座って見下ろしていた。
 ここは、保健室か。周囲はカーテンで見えないが、匂いとか状況で察すると、間違いないだろう。
「……なんで勝ったあなたがベットに寝ているんですの? こんな体験、さすがに初めてですわ」
「……女性恐怖症なんだよ、俺ぁ」
「……そうなんですの?」目を見開く少女。「白金お姉さまも、それを先に言ってくれたら、私はもっと楽に展開できたんですけどね……」
「いや……」俺は、少女から視線を離し、天井を見た。「あいつは多分知らねえ。俺が女性恐怖症になったのは、あいつが原因だからな」
「そうなんですか?」
 話す気はさらさらなかったが、しかし、視線を彼女の顔に戻すと、キラキラした目でこっちを見ていたので、仕方なく話す事にした。
 俺と白金の関係、なった理由を。
 聞き終えた彼女の顔は、正直見ものだった。目を細めて、汚いものでも見るみたいに俺を見ていたんだから。
「……なんか、どっと疲れる話ですわ。呆れます、お二人に」
「ええっ! 俺もぉ!?」
 驚いた。まさかこの話をして、俺が罵倒されるとはおもわなかったから。
「お姉さまに呆れている理由は、言うまでもないと思いますが――。あなたもあなたですわ。当時小学生とはいえ、さすがに女心をわかってなさすぎです」
女心じごくをどうやって理解しろってのよ」
「……あなた、女性恐怖症っていうか、女性への偏見がすごい事になってますわよ」
「俺にとってはそういうモンなんだよ、女ってやつぁ」
「……ま、いいですわ。肌の色もよくなったようですし、今日は帰ります」
 立ち上がり、軽く頭を下げる少女。
「あ、そ……。なんか迷惑かけたな」
「お互い様ですわ。少なくとも、もうお姉さまの頼みでも、私があなたに敵対することはないでしょう。理由が馬鹿らしすぎます」
「……いいのか? トップカーストになれば、いろいろ美味しいんだろ?」
「ご心配なく。私はすでにトップカーストですので」
 あ、そ。
 心配したわけではなかったが、俺はそれ以上言う事もない――と、思ったのだが、一つだけ忘れていた。
「あ、お前、名前はなんていうんだ?」
 踵を返していた彼女は、肩越しに振り返り、微笑む。
「申し遅れました。私の名は、巻島螺旋まきしまらせんです。それでは、また会いましょう、綾斗さん」
 カーテンを開けて出て行く彼女の背中を見つめながら、俺は口の中で、小さく彼女の名前を繰り返した。
「巻島、螺旋……」
 すっげえ名前。
 見たままじゃん。

       

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Neetsha