Neetel Inside 文芸新都
表紙

匿名で官能小説企画
愛人

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 気怠く暗い部屋の中、私はゆっくりと身を起こした。横には愛しい人の横顔があり、私が起きたことなど微塵も気にせず健やかに眠っている。愛しい人の横顔と言えば聞こえはいいが、この人から見れば私は愛人だ。好いた相手が既婚者で、単身赴任によって私の住む町に来ていると知ったのは、もう既に何度か身体を重ねた後だった。それを知ったうえで関係を続けたのは私だし、彼を責めることは出来ない。お決まりの「妻を愛してはいない、そのうち別れる」という都合のいい言葉も、信じてはいない。だから今の私がこの男の横顔を見て思うのは、愛と恋なら愛が上なはずだのに、どうして愛人は恋人より下なんだろう、というようなことだった。
 考えたって仕方がないし、まして起こしてまで聞くようなことでもなし、私はそっとベッドを抜け出して煙草に火を点けた。メビウス、8mg、メンソール。まだ眠い頭を明瞭りと冴えさせてくれる。あと一時間もすれば仕事に行かなくてはならない。なんとなしに、一緒に部屋を出ることは憚られるから、私は男が出る少し前に部屋を出るのが通例だった。せせこましいホテルの一室。テーブルの横にある間接照明の電源を入れると、男の手が光った気がした。よく見ると、どうやらそれは布団の上に投げ出した彼の左手らしい。それが分かったから、私はそれ以上男の方へ目を向けるのをやめた。私に既婚者であることを打ち明けてからというもの、男はその妻との結婚指輪を外さなくなった。理由があるかは知らない。知りたくもない。知るのが怖いと言った方が正しい。大した理由はないと言われるのは癪だし、妻を愛しているからと言われるのも厭だった。漠然とした心持ちのまま、私はシャワーを浴びることにした。ざぁっと水が肌を打つ音が、今日の一日へ向かうための現実感を呼び戻す。背中に、胸に、張り付く長い髪が不快だ。唐突に、髪を切ろうかな、という気になった。

 浴室から出ると、ちょうど男が起き上がるところだった。
「おはよう」
 男は、にこやかにそう言う。
「おはようございます」
 私は、表情を変えずにこう返す。
「今日も、早いんだろう。もう少ししたら出る時間かな」
「ええ、そうですね。髪を乾かしたら出ないと」
 取り留めもない会話。私は前も隠さずにわしわしと髪を拭きながらドレッサーの前に座った。それを見た男が、背中に覆いかぶさってくる。
「ちょっと、まだ、濡れてますから」
「どこが濡れているって」
 品の無いことを言いながら、彼は私の股に手を伸ばしてきた。
「本当、駄目ですってば。怒りますよ」
「気の強いところも、僕は好きだよ」
 この声に、私は抗うことが出来ない。仕事なんて投げ出して、このまま溺れるのもいいかもしれない、と、そう思った矢先にけたたましいアラームが私たちの耳を打った。彼が起きる時間だ。
「ほら、もう、ふざけていないで準備をしないと」
「残念だな」
 心底残念そうに言いながら離れる彼が、ひどく愛おしく感じる。私もまた少し残念に思いながら、備え付けのドライヤーを手に取った。すっかり冷たくなった髪に温風を当てる。風量はなかなか強い。どうやら部屋代の割にいいものを使用しているらしい。

 部屋を出る直前、私は男に聞いてみた。
「誠司さん、私、髪を切ろうと思うのだけれど、どうでしょうか」
「真由美ちゃんは、長い方が似合うと思うよ」
「そうですか。行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
 なんだか出鼻を挫かれた気分で、私は部屋を後にした。





 次に男と会ったのは、年甲斐もなくホテル出勤をきめた日の三日後のことだった。結局私は髪も切らず、一抹の敗北感を覚えながら待ち合わせの場所に向かった。そこは小洒落たバーで、中に入ると男は既にカウンターに座って待っていた。
「髪、切らなかったんだね。嬉しいな」
「厭な人。あんな風に言われたら、切りたくても切れないじゃありませんか」
 私たちは、そんな風に言葉を交わしながら、私もまた彼の隣に座った。
「仕事は、どうだい」
「いつも通りです。あなたはどうでした。
 ああ、マスター。ロングアイランド・アイスティーをください」
 聞いてはみたものの、正直言ってあまり興味はなかった。仕事の話はわからないし、家庭の話は聞きたくない。ならば何の話なら満足するのかと聞かれたら、それはそれで困ってしまう。だから私は強いお酒を頼んだ。男が早々に私を酔ったと判断するように。私の内側は、早く二人きりになりたいという獣じみた欲求の海で満たされ、もうどうだっていいという虚ろな諦観の泡が浮いていた。

「非道いじゃないですか。今度は私が払うって言ったのに」
 気付けばいつの間にかお会計は済まされていて、私は彼に肩を抱かれながらバーを出ていた。手の触れている所から男の体温がじんわりと広がって、頭がぼうっしてくる。これはお酒のせいかも、知れないけれど。
「愛しているからこそ、だよ。それじゃ、行こうか」
 その言葉は、私の外耳道から侵入し、鼓膜を破り、蝸牛を犯して、三半規管を麻痺させた。脳髄がずるずるに蕩けて、ともすれば前後不覚に陥りそうだ。それに呼応するように、私の女が熱を帯び始める。なんて、浅ましいことだろう。
「はい」
 愛しているという言葉を、私は信じてはいない。だが今はその言葉に、身を委ねていたいのだ。





 殆ど雪崩れ込むように部屋へ入ると、私と男はカバンを投げ出してベッドに倒れ込んだ。男は私のブラウスのボタンを外そうとするも、巧くいかない様子だ。自分の口角が上がるのを感じた。私は起き上がり、彼の上にまたがると優しく上着の前を開けた。乱れたシャツのボタンを一つずつ開けていく。下まで外しきると、今度はベルトを外してスラックスのジッパーを開けた。ワインレッドの下着が盛り上がって、その下の陰茎の存在を強く主張していた。私はやや伸び気味の爪で以て、歳の割に筋肉質な男の胸板をゆるく引っ掻きながら笑ってみせた。出来るだけ、妖艶に。つ、つ、つ、と胸から臍、臍から頂点へと下げていく。そこは僅かに湿っている。
「厭らしい、ひと。はち切れそうではありませんか」
 指を押し付けると、男はびくりと体を震わせた。その姿に反応して、何も考えられない程の熱が私を襲う。不意に離した指先が、つぅっと糸を引く。面白くなって、私は何度か繰り返した後、男の下着を一息に引きはがした。今にも爆発しそうな陰茎が、頂点に玉のような涙を湛えて脈動している。私はまず指先でその雫を崩し、男の陰茎に万遍なく塗りたくった。そのまま、ゆっくりと扱きあげる。なんのことはない、この男に仕込まれた技だ。当の男は時折吐息を漏らしながら快楽に身を委ねている。
「もう、いいでしょう」
 私は服を脱いでショーツだけになると、男の屹立した右手で陰茎を握ったまま、片膝を立てて彼の上に片膝立ちになった。唾液を練って左手に付け、自身の陰唇を湿す。その間、私の目は寸分狂わず男の目を射抜いていた。ついに、彼は目を逸らしてしまう。
「逸らさないで」
 囁くように、私は言った。男は半ば怯えたように視線を戻す。
「今日はやけに積極的だね」
「あなたの、所為よ」
 答えるや否や、ショーツをずらして腰を深く落とし、更なる快楽の扉へと鍵を捻じ込む。男の体温が侵入ってくる。荒くなる息を抑えながら、私は男の腹に手をついて腰をグラインドさせた。快感が膣から脳天へと突き抜けていくようだ。互いの最も弱い部分がこすれ合い、歓喜の声を上げている。間もなく、私は絶頂を迎えるだろう。そうなった時、果たして私はどんな浅ましい顔をしているだろうか。
「君ばかり動いていてはいけないよ」
 不意に男が体を起こした。私はそのまま押し倒され、今度は逆に責められる格好になった。押し倒された拍子に一瞬息が詰まったが、それさえもすぐに蕩けるような感覚で上書かれていく。最早声を抑えることなど到底出来ず、私は涎を垂らしながら喘ぎ続けた。
「ごめん、もう」
 男の切ない顔が迫ってきた。それを見ていると、なんだか泣けてきてしまう。より一層激しくなる男の腰使いに、私も耐え切れず、叫ぶように声をあげた。陰茎が、膣の中でさらに大きくなる。
「私も、一緒に」
私が耐え切れずに気を遣るのと、男がくぐもった声を上げて果てるのとはほとんど同時だった。自分の意思にはお構いなしで腰が跳ね上がる。背筋を電流にも似た快感が駆け巡り、身体が痙攣しているのがわかった。
「よかったよ」
 真っ白になった頭を、男はやや乱雑に撫ぜた。「シャワーを浴びてくる」と言って、彼は洗面所の方へ消えた。酔いはすっかり冷めている筈だのに、意識は朦朧として、頬も熱くて仕方がなかった。これは、しばらく立てないな。そう思いながら、私は這うようにしてカバンのところまで行くと、煙草を取り出して火をつけた。くわえ煙草のまま携帯灰皿も見つけ出し、ベッドのヘッドボードに体を預けて毒煙を喫した。先ほどまでの昂奮が嘘のように、全身を虚無感が支配していた。もう、どうだっていいや。股の間から、熱を帯びたものが流れ出すのを感じながら、次に会うまでに髪を切ろうと、そう思った。

       

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Neetsha