Neetel Inside 文芸新都
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LOWSOUND 十字路の虹
37 Serene Flame

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 ライブは八月の終わりごろだったが、急に寒くなり、もはや秋口みたいな感じだったので病人の代役のマリアも体調をやや崩し、あまりやる気がなかった。
 ジャックはこのライブでも、ギターが上達せずしかも音は汚く、下手という印象を拭い去れなかった。カレンとアーシャはいつも通り、まあまあ安定していた。
 対バンについてマリアはまた、あまり覚えていなかった。普通に下手というのが平均で、中にちょっとうまい人も何人かいますね、といった感じ。シンジケートのギタリストも、中肉中背の男で豆乳を飲む習慣があるということ以外分からずじまいだった。ライブハウス・パセティックはきれいで控え室も広く、店のスタッフも愛想良く協力的だったが、客席のブラックライトで照らされると服についた埃が目立って嫌なので、このあとあまり出演することがなかった。
 それからアーシャが就職して、どっかの事務員だかなんだかになって、仕事が忙しい、というのでだいぶ長い間バンドは休止することになった。
 秋から冬の間マリアはひたすら仕事に励んでいた。ある日の調査で、夜中から明け方にかけて、郊外の団地の屋上を指定された。深夜手当てが付くのでマリアはまあまあやる気を出して、最終電車でその場所へ向かった。
 外郭部に面した城壁に沿って、緑地帯が広がっている。都市の外から入り込む、なにかに対する防壁らしい。それが何かは分からないが、恐らく波状機構が関わっているような、曖昧かつ重要、超現実的ななにかだろう。
 緑地帯の手前に目的の団地はあって、いくつもの棟が立ち並びそれら自体が城壁のようにも見えた。
 指定された屋上に来ると漂流種の女性がいて、新聞紙を敷いた地面に座っていた。彼らは子供の姿をしているが、だいたい年寄りみたく達観していて、この人は特にそうだった。
「すいません、波状機構の者ですが」
「ああ、はい」
「確認なんですが、今回は時間経過をただひたすら待つという形でよかったんですか?」
「そうですね。はい」
「じゃあそうしますね」
「はい」
 マリアは相手の隣に腰掛けた。名前は〈疵石坂のヴァネッサ〉、例によって本名かは分からない。疵石坂とは確かどこかの町の観光名所かなにかで、その名の通り切創みたいな割れ目があるでかい石が中腹に安置された、いわくありげな坂だ。その付近の出身か、あるいは以前住んでいたのだろう。漂流種は都市外で暮らす者と都市で暮らす者で完全に二分され、この人物は都市型らしかったが、彼らは街に何世代住んでいても、どこか浮世離れした印象が消えない。〈過客〉によって生み出された似姿という寓話が、あながちでたらめとも言えない、と囁かれる所以だ。彼らは南方人よりさらに歳を取らず、子供の姿のままで三、四十年生きて死ぬ。オリジナルのヴァネッサは熱病で三年前に死んだ。職業は詩人。いまは代わりに目の前にいる代理人が、ここで夜に儀式を行っている。
「ヴァネッサさんは今なにをやっているんですか?」
「私は今、〈静寂なる炎〉の修行を、やっているんですよ」
「〈静寂なる炎〉っていうのは?」
「ああ、ご存じないですか?」
「はい、知らないです」
「これは亜大陸発祥の〈道〉です」
「宗教ですか?」
「宗教と言うか、哲学ですね、ライフスタイルというか」
「どういうものですか?」
「己の中に炎を見出すものです」
「炎というのは?」
「結果です。安息を求めたその結果がそれです」
「安息?」
「そうです。生きるということの上で襲い掛かるあらゆる障害に対して備えるのです。耐えるのでも打ち倒すのでもなく、それと一体になる、そういう心境が必要だということです」
「難しいですね、具体的にはなにをするんですか」
「まずは瞑想を行います。あとは運動と呼吸法、絵を描いたり、肉を食べたり、砂場で山を作ったり、蟹を捕まえたりします」
「蟹を捕まえるというのは、必ず蟹なんですか?」
「必ず蟹です」
「なるほど」
 そのあと調べて分かったことだが、帝都の若者のあいだで〈静寂なる炎〉は流行っていて、しかし彼らは蟹を捕まえたり瞑想をしたりするのを、ファッション感覚でやるので、本国の信奉者からはかなり嫌われていた。しかし、この若者たちは〈新たなる道〉を行くものだと言っていて、麻薬をやったり、裸で水泳をしたり、修行もなにもあったもんじゃない愚行に出た。そして、精霊鉱石ギターを用いて、ジャックよりさらに気持ち悪い、陶酔感ある音楽をやっていた。彼らはこれを〈サイケデリック・ミュージック〉と呼称していた。〈静寂なる炎〉の人間は彼らのライブに行ったり、レコードを買ったりしないように呼びかけていた。しかし、そうした反対運動をしているのも、まだ修行が足りない者たちで、本当に〈静寂なる炎〉を極めた高僧は、亜大陸の洞窟でひたすらに瞑想を続けているのだった。

       

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