Neetel Inside 文芸新都
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LOWSOUND 十字路の虹
最後の虹:ロウサウンド完結編 前編

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 朝方、灰色の空の下、マリアは屋上駐車場にいた。眼下の街は込み入ってる。人が多すぎるし建物も多すぎると思った。病気になるのもしかたがない。テクノロジーは人類を間違いなく苦しめている。都市の外に出て虚空の荒野をぶらついていたほうが長生きできるのではないだろうか。荒野には呪いがかかっていると都市の人間は言う。都市こそが人類が、その呪いに対抗するために作り上げた盾だと。しかしこの盾は公害や病気、十代の殺人、隣人への憎悪、保険金殺人、ヒートアイランド現象などの諸悪をも生み出し、年に数万の人々が自殺したり、雑踏で爆弾を起爆したりしてる。もちろん自分にはあまり関係ないことかも知れない。いや、先日バンドのベーシスト、ガブリエルがあまりに練習しないので、ドブ川に突き落としたことも、あるいは都市の呪詛が原因かも。
 何のためにそこまで巨大にしたのかも分からない建造物群の間を、同じく巨大な橋梁が突き抜ける。出勤時間、都市は発狂しているように駆け巡る。海からの風に乗って狂騒のウィルスが街を覆っている。
 煙草を吹かしながらマリアは、こうして自分が都市を客観的に見ることができているのも、仕事を辞めて、これから都市を出ようという決意をしたからだな、と認識した。職を転々としたが、どれも続けることができなかった。なぜか。気に入らない人々も多くいたし、気に入った人々もいた。しかしどうも思わない、何の感動もない、幽霊じみたのが大多数だ。あらゆるニュースもそうだ。帝都で反乱の機運が高まる中、巨大な竜が地底から目覚め、反乱軍も政府軍も関係なく破壊した。悪魔狩りの改造人間が五割を超える確率で暴走して、そのまま悪魔になってしまうことが判明した。宰相が焼身自殺。魔女の徒党が、城壁の上に独立国を作ろうとして軍に鎮圧された。空から蛙が降ってきた。最近のニュースはそんな具合。そのうち幸福になれるという望みを人々が持っているとしたら余りに愚かだ。今と同じのが続くか、徐々に悪くなるか。
 コーヒーの空き缶が吸殻でいっぱいになるころ、アーシャがボロい中古車で乗りつけた。カーラジオでは流行の歌手らしいのが、親を大事にして生きようと歌っている。マリアは、教師が気に入るように思ってもいないことを書き連ねた読書感想文を連想した。
「どうも。久しぶりだね。部屋はもう引き払った?」
「うん、今はネット喫茶とかカレンの家とかをうろうろしてるよ。昨日は公園で寝たよ。朝方頭のおかしい小父さんが来て、ひき肉をくれたけど臭かったのでトイレに流した。ビールもくれたんでそっちは飲んだ」
「そのおんつぁん、知ってる人かも知んない」助手席でマリアは次の煙草に火を点けた。酒の臭いがしたので「アーシャ、酔ってないよね?」
「八時間寝たから醒めてるよ。服に零したからその臭いだ。したっけ明日、市内でなんかの祭りがあんだけど見てかない?」
「いやいいかな。人が多いのは困るし。その中でこのボロいのがエンストしたら邪魔だし」
「ボロっつうなや、気にしてんだよ。やっぱ新車買わないとおどげでねえな。ああ、コリムとか行きたいんだよね」
「外国はお金がかかるよ」
「知ってる。じゃあコリムのワインで我慢すっか。昼から雨だって。街がますます灰色になる」
 鳥の群れが飛んだ。空や都市と同じく灰色だ。逃げ出すにはいい日かもしれない。
「カレンは大学順調なのかな」
「ああ、辞めたらしいよ」マリアは本人から聞いたあいまいな話を、思い出しながら喋る。「成績ヤバいのもだけど、思ってたのと違って辞めるんだって。他の学生の意識というか、やる気が違ったって」
「思ってたのと違うってたびに辞めてたら」アーシャは呆れたように笑いながら言う。「人生辞めなきゃなんねえわ。たぶん、何か問題起こして退学なるんじゃないの、本当は」
「可能性は高いね」
 昨日は夜中に儀式として、残っていた履歴書を川原で燃やした。いまやマリアはちょっとした仕事応募のテクニシャンとなっていた。面接のたびにこれまでの職歴をうまい具合に改竄して、聞こえのいいものだけを残し、店の閉店とか引越しとか、シフトに入れてもらえないとか、そういうもっともらしい理由で退職したことにしていた。
 おおむねマリアは模範的労働者で、覚えも早いほうだったが、同僚と仲良くなり始め、仕事を頭の中で昔のヒット・ソングを流しながらこなせるようになったころ、辞めたいという衝動が沸き、その日のうちに上司に退職の意を告げる。立派なのは、きちんと来月辞めます、と言ってそこまで真面目に働く点だとマリアは自負していた。さまざまな仕事をこなすうちに、何も告げずに失踪する同僚があまりに多くて辟易することが多かった。店の金や備品を盗む不届き物の噂も聞いていたが、ポリッシャーやテーブルさえくすねる輩や、嫌がらせとして入り口の鍵穴を接着剤で塞ぐという人物さえいた。上司も結構意味の分からない人が多く、言われたとおりに仕事をしたら数分後に「なんでこんなことをするんだ!」などと言う人もいたし、現地集合の仕事で一時間近く遅刻した挙句、やり方はマニュアルに書いてあるから、とメモ用紙一枚を置いて去っていった人もいた。
 労働を通してマリアが学んだのは、労働は害悪であり、労働者と、それによってもたらされるサービスを受けたがる顧客も害悪だということだった。顧客が何も求めなければ生産は必要ない。労働者がカネを求めなければ労働は必要ない。もう全員まとめて何も求めずに亜大陸流の〈静寂なる炎〉的達観で生きていけば良いとすらマリアは考えていた。
「幻覚剤をやってサイケデリックな喜びのうちに死んでいくっていうのは?」マリアは呟いた。
「シンナーのほうが安いよ」アーシャが苦笑いしながら答える。「それよかコーヒーが飲みたい」
「私はピザが食べたいな」
「この駐車場までデリバリーを呼ぶかい?」
「こっちから向かおう」
 ピザ屋のドライブスルーできのこのピザを買い、近くのコンビニの駐車場で食べた。
「まず現代人はと言うか私が出会ってきた人々は」マリアはぬるいコーラを飲みながら言う、「自分ですごい固定してる人が多いように思った」
「それは日曜大工的な?」
「いや意識的な話ね、まずその人の中でものすごい失礼であるという行為が存在してて、それをした人はものすごい無礼だから超攻撃するって寸法だよ」
「例えば?」
「例えば、左手の親指を内側に曲げるのがものすごく相手を侮辱する行為だと思っている」
「え? なじょしてそういう心境に至るわけ?」
「あくまで例えなんだけど、とにかく、その人にとっては中指を立てることの五倍くらいの侮辱。だから、目の前で親指を曲げた人がいたらもう食ってかかるわけなんだよ。え、何言ってんの、意味わかんない、って相手は当然思うわけだけど、それは侮辱なんだから罪を自覚すべきだっていうのがその人の理屈なんだ。現代社会で生きていくなら最低限の礼儀を身に着けているべきだ、自分は寛大なほうだけど、さすがに親指を内側に曲げるなんてことをされたら怒るのは当然、これまでちゃんと親御さんに教育されてこなかったんだね、君も被害者だろうけどここは君のことを考えて怒るべきなんだ、私だって辛いんだよ、だけど君の将来のことを考えたら……」
「何の話?」
「と思うよね、でも相手の中ではそういう美しい更正物語と言うか謎のストーリーができあがってるんだ。全部、親指を内側に曲げるのがいけないっていう前提の上に成り立ってるから、こっちとしては唖然とするしかないけど、親指を内側に曲げるのが失礼、っていうのを知らないのはかなり常識はずれなのでそうする奴が存在することが、その人にとっては許せないんだよ」
「謎だね」
「謎だよ、難問だ。そうやってわけも分からず怒られて、それでまたそういう人がいたら困るから、もう二度と親指を内側に曲げることが出来なくなってしまうんだ」
「親指って外側には曲がらなくない?」アーシャは自分で指を動かしながら言う。「常に伸ばした状態でいなきゃいけないの? その人は握りこぶしを作れないんじゃないかな」
「まあテキトーに作った例えだから齟齬が生じてるけど、そういうことだよね。人に見られないところでこっそり内側に曲げないと」
 目抜き通り、名前も知らない英雄的な騎士の像の前、通勤ラッシュの渋滞。コンビニのゴミ箱に捨ててあった昨日の新聞を読んだ。都市が魔術的障壁に覆われているのは自然に反するというので解放を望む団体の抗議があったそうだ。しかし大多数の市民はもちろん、危険な魔術の心配の無いところでの安眠を望んでいる。それに魔術がなくても爆弾や重火器、金属バットなどの危険物は枚挙に暇が無い。わざわざ脅威を増やすこともないので障壁はよりむしろ強固にすべきだし、それより暴力ゲームを規制したほうがいい、と識者は語っていた。番組欄。ニュースやワイドショーはほとんど話題の歌手が突如発狂し連続放火事件に手を染めたことを報じている。顕現師の一団と警官隊の小競り合い。税金の値上げ。〈モノクローム・ブルーバーズ〉という気鋭のガールズバンドが駅前広場をジャック、市民からは賛否両論の声。
 ブルーバーズは四人体制のころのクロスロード・レインボウに似た構成で、今は下火になったパンクロックの影響を強く受けつつニューウェーブの色も濃いのでまずまず人気だ。特にヴェロニカ・シュリュズベリーというボーカルの美声、シニスター・セルマというベーシストの奇行で話題になることが多い。年齢も同じくらいなのに成功しているのでマリアは気に食わなかった。
 予報通り、駅前に差し掛かった辺りで小雨が降って来た。徐々に強くなるということだ。
「我々も将来のことを考えたほうがいいかもしれないね」マリアはふと言った。「安定した収入を確保する」
「毎月給料日にカネが入ってくるのはいいことだよ」アーシャは退屈した表情のままで言う。「東海岸に引っ越してルームシェアするのはどう?」
「うーん、ルームシェアはちょっとどうかな、って思うよ。壁を隔てた集合住宅の隣人に対してもうるさくて殺意が沸くのに」
「近くに住んでてたまに会うのが一番かな」
 路上で精霊鉱石ギターを弾く男がいた。ジャックのそれとは違い美しい音色。彼女の〈クイックシルバー〉の気色悪い騒音を思い出す。アーシャもそうだったらしく、「ジャックに会った、最近?」
「いや、ご無沙汰だね。このまま街を出るから、もう会わないかも」
「そうか。あのまま出世すんのかなあ」
「真面目だからいいところまでいくんじゃない」
「虫退治だっけ?」
「うん、街から害虫はいなくならないのに頑張ってるよ」
「いなくなったら雇用がなくなってがおるべ」
「警察と同じだね」
 雨は依然小降りで、傘を差すかどうか微妙な線だ。傘を差して歩くというのは結構な労働なので、自分なら塗れたままだろうなとマリアは思った。それならあるいは、最初から傘なんて持たないで家を出たほうが良いかもしれない。
 渋滞の列が動き出す。マリアは煙草に火を点けた。







       

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