Neetel Inside ニートノベル
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  ■

 テンフは、放課後になる少し前に授業を抜け出し、アグレと合流する泉へと走り、そこで口笛を吹いた。竜の聴覚で聞き分けているのか、それとも魔法的な要因があるのか、とにかくすぐにアグレはやってきた。
 ズシン、と静かに響く音を立てて着地し、鼻を鳴らしてテンフを見つめる。
「ちょっと早いんじゃないのかい?」
 帰宅時間の事を言っているのだとすぐに察したテンフは、「このタイミングしか伝えられないと思ってさ」と言って、少し誇らしい気持ちを抑えながら、胸を気持ち張る。
「実は、姫様の護衛役を任されてさ。今日は帰れそうにないから、晩飯はいらない」
「そうか」
 あくび混じりに返事をするアグレは、今にも「そんなつまらないことで呼び出すな」と言い出しそうだった。期待したリアクションとは大分違っていたテンフは、思わず顔をしかめた。
「いや、ちょ、これ大抜擢なんだけど!?」
「わかってるさ。だが、それくらいは、私の息子ならまあ当然だ」
「……」褒められているのか、それとも褒めるまでもないと言われているのか判断が出来ないテンフは、黙ることしかできなかった。
 当然、アグレが内心で『私がお膳立てしたんだから、当然』と呟いているのも、テンフはわかっていない。
「じゃ、帰ってきたら特別豪華な晩飯を作ってやるよ」
「お、おう! 楽しみにしてる!」
 微笑んだアグレは、再び翼を撃ち、空へと舞い上がって遠くへと消えていった。その姿を見ながら、天を仰ぐテンフは、舌なめずり。
「なに作ってくれんのかなぁ……」
 アグレの料理上手いからなぁ、と呟いて、再び王都グランデに向かって走りだした。早く戻らなくては、時間に間に合わない。充実した気力を足に漲らせ、地を抉る様に蹴る。

 グランデが見えてきて、正門前にたどり着くと、すでに姫を乗せた馬車と、護衛部隊のメンバーが待っていた。
「すんませんっ! 遅れました!」
「遅いぞ候補生!」
 部隊長らしき、浅黒い肌に大きな体格の男が、テンフを怒鳴りつけた。
 後ろの方で、ファナックがバレない様にクスクスと笑っていた。その隣で、トラディスはテンフを見ようともせず、怒った様に目を閉じていた。
「ったく。こういう作戦では、時間厳守が当然だ!」
「はい、すいません!」
 頭を下げるテンフ。部隊長は、腕を組んでテンフを見つめる。
「ったく、いいか候補生。俺はお前が翼竜憑きだとか、そんなのはどうでもいい。特別扱いなどせんぞ。部隊での戦いに置いて、もっとも大事なのは仲間と共に戦う事だ。当たり前のようだが、これはやるべき事を端的に表したからにすぎない。時間を守り、仲間を守り、国を守る。これが騎士の仕事だ。わかるな?」
「はい!」
「ならばよし!」
 部隊長は、テンフの肩に勢いよく手を置いた。少し痛かったが、彼の態度は気持ちのいい物で、テンフは部隊長に少し好感を抱いた。
「テンフっ、テンフっ」
 と、大柄な男たちの中に、一人見知った女性がいるのに気付き、彼女――プリュスへと駆け寄るテンフ。
「まったく。大事な仕事だっていうのに、なに遅刻してるのよ?」
「いや……。アグレに晩飯はいらないって言いに行っててさ」
「アグレなら、テンフの分だって食べられるでしょ」
「あいつはああ見えて、結構少食なんだよ。それに――」
「それに?」
「――食べ物を粗末にしちゃ、死んじゃうぞ」
 ふぅ、と溜息を吐くプリュス。テンフの過去を知っている彼女にとっては、彼の言葉が意味する所はわかるので、それ以上は問わない。
「それじゃあ、翼竜憑きも来たし、ゲグゥトに出発するぞ。到着は明朝になる。まあ、何も無いとは思うが、命の覚悟も騎士の仕事だ。行くぞ」
 部隊長の言葉に、騎士達が「はっ!」と活気に溢れた声を出す。テンフ達候補生も、遅れて返事を出す。
「では、陣形の確認をする。第一班は俺と共に前衛を担当してくれ――」
 話を聴きながら陣形を頭に入れる。だが、いつまで経っても部隊長の口からテンフ――というか、候補生達――の名前は出ない。
「あ、あのー……。俺達は、どこに?」
 ファナックが恐る恐る手を挙げる。すると、部隊長は渋い顔をして、馬車を指す。
「まずは、プリュス・ロココ。お前は馬車内、他の三人は、馬車の周囲警戒。状況によって手の足りないところへサポートに回る、遊撃役だな」
「え、あの……。馬車内には、姫様がお乗りになっているのでは?」
 ファナックではなく、今度はプリュスが手を挙げた。確かに、何かの為に姫様のすぐ近くに誰かが居たほうがいいのは間違いない、だが、それを新米にやらせるというのは、その新米にだってわかるザル采配。
「ああ。姫様のご指名だ。同じ女性の方が安心できるというのもあるんだろう……。まあ、今回は何もないだろうから、プリュスは馬車内だ」
「は、はあ……」
 首を傾げ、馬車に乗り込むプリュス。あの姫様の事だから、何か会話があるんだろうが、一体何を話すのか。釣られて、テンフも首を傾げるハメになってしまった。
「なあ、テンフ」テンフの肩に手を置くファナック。
「ん、なに?」
 肩越しに振り返ると、彼は、一瞬目を泳がせた後、まっすぐテンフの目を見つめた。
「お前、姫様と会った事あるよな」
「まあ、あるけど」
「可愛かったか?」
「……はあ?」
 そんな場合かよ、と思ったが、ファナックはいきなりテンフの肩に手を回し、こっそりと耳打ち。
「お前は出世とかそういうのは無理だから、縁遠いかもしれねえけどさあ、実際、コーラカルみたいな騎士至上主義の国じゃあ、武勲を挙げた騎士と王族が結婚って話はあるらしいぜ」
「……はあ」
「実際、それが一番楽だろ? だが、王族が絶対美人ってわけじゃねえじゃん。僕だって、嫁さんは美人のがいい。パレードとかじゃ、遠すぎて見えねえんだよ。どうなんだ、姫様の顔は、つーか体は」
「まあ、可愛いんじゃない……?」
「ふぅん……。じゃあ、お前、プリュスはどうだ? 可愛いか」
「可愛いと思うけど」
「うっし! ならお前の見る目は信用するぜ。竜に育てられたっつっても、やっぱ異性の顔の良し悪しくれえはわかるんだなあ」
 満足気に、テンフから離れるファナック。そんな彼に、トラディスが近寄り、「お前、翼竜憑きとなんの話してたんだよ」
「トラディスも気になってると思うけど、姫様が可愛いかどうかって話」
「興味ねえよ」
「まったまた。もし今回の件で惚れられたりしたら、出世街道爆進っしょ」
「アホ。騎士が出世する手段なんて、昔っからこれしかねえだろ」
 親指で剣の鍔を押し、刃を少しだけ露出させる。この剣の腕だけで登り詰める、そういう決心が彼の行動と、そのギラついた目から察する事ができた。
「翼竜憑きみたいに、剣も使えないんじゃ、どっちにしてもそんな出世できやしねえよ」
「わかってるって。僕だって、ケッコー練習してんだぜ」
 主にテンフでだけど、と笑うファナック。トラディスは笑わない。
「無駄話はするな。行くぞ、お前たち」
 部隊長が先人を切って、一歩踏み出す。馬が荷台を引き、騎士立ちもそれに着いていく。
 何も起きませんように、と祈りながら、三〇分ほど歩いたその時、馬車からプリュスが出てきた。
「あれ、どうした?」
 馬を引いていたテンフは、振り返り、プリュスの姿を確認してから、もう一度まっすぐ前を見る。
「いや……えと、交代だって。次、ファナック」
「俺が? ……まあ、話してみたかったし、構わないけど」
 プリュスとファナックが入れ替わりで、馬車の中へ入っていく。テンフの隣にやってきたプリュスが、テンフの肩を指先でつつく。
「ねえねえ、テンフ、シュティ様に何かした?」
「え、なんで」
「いやあ、なんかすごいテンフの事について訊かれたからさ」
「なんだろう……」一言、二言話しをした程度だが、何か怒らせるような事があったとは、さすがのテンフにも思えない。
 不安に思いながら歩いていると、ファナックも馬車から出てきて、「何か納得が行っていないような面持ちで、馬車の近くを付かず離れずの距離で歩いているトラディスに「次、お前。――なんか、翼竜憑きの事すげえ訊かれた」と言った。
 やっぱりトラディスにも訊いてたのか、とすこしドキドキしながら、トラディスを見守る。
「……ちっ。やっぱり、そういう事かよ」
 舌打ち、そして地面を蹴っ飛ばして、テンフを睨み、馬車の中に入っていった。
「……そういう事って、どういう事だ?」
 トラディスの考えにも、シュティの意図にも気づけないファナックは、モヤモヤした物を抱えながら、定位置に戻った。
 またしばらくして、トラディスも馬車から出てきた。
 そして、「おい」とテンフの肩を叩き、「姫様が呼んでるぞ」と、馬車を親指で指す。
「……今度は俺か」
 トラディスに言われた通り、テンフは馬車に乗り込んだ。そこでは、備え付けられた椅子に座るシュティが、ニヤリと笑ってテンフを見ていた。
「やあ、翼竜憑き。いや、テンフ・アマレット」
「……どちらでも。お呼びでしょうか、姫様」テンフは、彼女の前で跪く。
「うむ。任務中に呼び出してすまないな」
 外から、部隊長の「森に入るぞ! 周囲の警戒を怠るなよ!」と聞こえてきた。
「人手がほしい頃か。メインではあるが、仕方ない。手短に話そう」
 白い手袋を嵌めた手で、顎を擦り、一瞬中空を見つめてから、呟く。
「私はまどろっこしいのが苦手だ。だから、直接的に言わせてもらおう。正直、以前に貴様が野盗を斃したという話、あれは嘘だと思っている」
「……嘘?」
 頷くシュティ。そして、傅くテンフの顎を持ち上げて、彼の目を覗きこむ。その瞳に宿る、心の輝きを覗きこむみたいに。
「さっき、お前の友人三人から、普段のお前を聞いた。やはり初見時、私が思った通り、どうも騎士らしい覇気に欠ける男のようだ。翼竜憑きという大層な通り名はまったく感じん。普段は同級生に負けるような男が、どうして野盗に勝てる?」
「……別に、信じなくても結構です」
「ほう」
 シュティにとって、想定外の言葉だった。ここはどうやっても、彼女に信じてもらおうとする場面だ。それはテンフだって承知しているが、、しかし、彼にとって大事なのはそこじゃない。
「お前、『人々の命を守れさえすればそれでいい』なんて、くだらない事を言うつもりじゃないだろうな? そんな事を信じるような甘い女に見えるか?」
「いえ。俺にとって、人の命を守った事は二の次です。大事な仕事ですが、俺にとって一番大事なのは、アグレに認めてもらう事。そうじゃなきゃ、騎士って仕事にもついてないです。俺の活躍は、アグレだけ知ってればそれでいい」
「……なるほど、その気持ちはわからないでもない。私も、父上に認めていただきたいという気持ちが、最も大きいかもしれぬ。――そうなってくると、だ」
 テンフの顎から手を離し、椅子へと戻るシュティ。
「私は、お前とアグレが出会ったきっかけが気になる。なぜそこまでアグレを思うようになった。まず、竜が人間を育てているなど、聞いたことがない。ヤツらは人間を下等生物だと見下し、実際に人間以上の知性と力を兼ね備えている。なぜそんな種族の者が、お前を育てる気になったのか、話してみろ」
 一瞬躊躇した。なぜなら、アグレはこの話を人にされるのを好まない。だが、姫様の命令だ。テンフの出世を望むアグレなら許してくれるだろうと、テンフは口を開く。
「あれは、大体一〇年くらい前だったと思います。アグレが、コーラカルの空に現れた日です」
 心の奥にある、一番振るい記憶を紐解いていくテンフ。
 それは少しだけ、清々しい気分になる行為。

       

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