Neetel Inside ニートノベル
表紙

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  ■

 十年ほど前のコーラカル王国。今と大して変わらない、豊かな国土と暖かな気候を持ち、隣国のゲグゥトとの開戦をなんとか避けようとしている時代。
 そのコーラカルの王都、グランデに、赤い雨が降った。
 雨というほどの量ではなかったが、しかし、その事件を覚えている人間は、そう語る。グランデ上空を飛ぶ傷を負った竜が、王都にその傷から流れる血を注いでいたのだ。
「くっそ。ちょいとこの傷はまずいねえ……」
 呟くと、アグレは朦朧とした視界の中、自らの真下にある街に気づいた。
「しまった……。軌道がズレて、人里に来ちまったか……」
 すぐに方向転換をしなくては、と右に翼を強く撃つ。風が巻き起こり、アグレの体が右へとズレる。それが下の人間達がどう感じたのかはわらないが、その日、滅多に鳴ることの無い砲声が、コーラカルに鳴り響いた。
 アグレの姿を視認した瞬間から、宮殿内の緊張はピークに達していた。稀に国を滅ぼす竜がいるということは、皆が知っている。
 だからこそ、王、そして大臣達は、先に殺すという道を選んだ。
 鳴り響いた国中ありったけの大砲による砲声。
 それが、アグレの鱗を抉り、爆発した。
「ぐぉッ!?」
 下の人間達は、アグレを撃ち落とした事で、沸き立った。竜なんて大した事ないじゃないか。誰だよ、最初に人間にとって最悪の天敵だ、なんて言ったのは。
 そう叫んだという。
 だが、実際アグレが他の竜との戦いで手傷を負っていなければ、砲弾なんて聞いていなかった。アグレにとって運が悪かったのは、傷に直接砲弾が当たってしまったこと。
「クソッ……! 人間ごときに殺されるとは、竜族の恥だ……!」
 そうしてアグレは、地上に向かって頭から落ちていく。生への執着がそうさせたのか、背から落ちるようにと受け身を取った。硬い鱗のお陰で衝撃は軽減されたが、それでも満身創痍のアグレにとっては相当のダメージになった。
「ぐあッ……! クソッタレの人間どもめ……。私にこんな仕打ちをするなんて……!」
 悔しさに地面を掴み、周囲を見渡して状況判断を怠らない。ボロボロの建物ばかりが立ち並び、アグレの落下の衝撃で、いくつかが倒壊したらしい。
 周囲では、大きな落下音に呼ばれて出てきた住民達。アグレはそれらを睨みながら、
「何見てんだ。殺すぞ人間共!!」
 咆哮と共に、口から小さく炎を吹いた。
 竜という脅威を目の当たりにし、周囲の人間達は蜘蛛の子を散らすみたいに逃げていった。
「ったく……。数だきゃあ多い……」
 とにかく、この場から逃げ出さなくてはならない。
 アグレは、痛む体を引きずりながら、身を隠せる場所を目指す。だが、どこへ行けばいいのか、そもそも巨体を隠せるような場所なんてあるのか、アグレはこの国を滅ぼす事も視野に入れながら、その場所を目指す。
 そんなアグレの前に、たった一人、少年が現れた。ボロ布を着た、小汚い少年である。
 虚ろな青い瞳でアグレを見つめ、小さな声で「でけえトカゲ……」と呟く。
「貴様……ッ。私は竜だ。トカゲではない……」
「ふぅん……。なんでもいいけど」
 少年は、持っていた長いパンを半分に千切り、アグレに差し出す。
「竜ってのは、パン食うのか」
「……あん? まあ、食べるが……」
「ならこれ食えよ。食えば怪我も治る」
「この私が、人間からの施しなど……。バカ、よせ! 無理矢理口を開こうとするな!!」
 そうされるよりはマシだろうということで、アグレは自分で口にパンを放り込む。
「こっち来いよ。隠れる場所、教えてやる」
「……」
 アグレは、少年を思い切り睨みつけた。悪意があってそんなことをしているのなら、殺す。今なら見逃すぞ、という思いを込めたつもりだったが、理解していないのか悪意がないのか、少年はふらふらと路地へ入っていく。アグレはそれについていき、狭い路地に必死に体を押しこみ、その奥にある広場へと辿り着いた。
 広場、と言ってもアグレがやっと入りきる程の広さであり、窮屈な思いをして体を丸めた。
 少年は、近くの箱から少し綺麗な布を取り出し、それをアグレの首に巻いた。
「おい、小僧……。なにしてる」
「止血。竜の血も赤いんだな。血が流れ過ぎたらやばいのは、竜だって一緒だよな」
「だから、人間の施しなんぞ……」
「もうパン食ったじゃん。おんなじだよ、一つも二つも」
 その言葉に、アグレは悔しげに喉を鳴らす。だが、ここまで着いてきておいて、いまさら抵抗というのはさすがに馬鹿らしいと感じた。
「……お前、そんなボロボロの格好をして、親はどうした」
「ここでそんなのが居る方が珍しいよ」
「……人間ってのは、両親から生まれるんじゃないのかい」
「そうなんだろうけど、それは普通の人間の話だよ。俺は物心ついたくらいの時に、両親が死んでる。ここはスラム。あらゆる理由でまっとうには生きていけない人間が集まるとこ」
「ふぅん。お前みたいなガキが、よく生きてこれたな」
「生きてくだけなら簡単だよ。手段を選ばなきゃいいんだから」
「……お前、ガキのクセにいいことを言うな」
「そうか? ……ま、どうでもいいや。お前、名前とかあんの?」
「……アグレだ。お前は?」
「テンフ・アマレット。ま、傷が見つかるまではゆっくりしてなよ。んじゃ、俺は仕事があるから」
 そう言って、テンフは路地から抜けていく。その後姿を見て、アグレは「……変わったガキだな」と呟いた。

  ■

「ただいま」
 夕暮れに町が染まった頃、アグレの前にテンフが戻ってきた。腕いっぱいに果物や肉などを抱えて。それをアグレの前に置いて、自分は林檎を一つ齧った。
「……お前、仕事ってなにやってんだ?」
 アグレの言葉に、悪びれもせず、テンフは「盗み」と言った。
「竜のお前にはわからないかもしれないけどさ、子供ができる仕事なんて、命を売るか体を売るかしかないんだよ。だから、俺は飯を盗んでるんだ」
「ふぅん……。しっかし、この量、お前一人で食えんのか?」
「俺が一人で食うわけないだろ。半分はお前の」
 アグレは、いよいよ目の前の少年が何を考えているのかわからなくなってきた。どうして、目の前で倒れていただけの、人間ですらない存在にそこまで出来るのか、その思考回路が理解できなかった。
「なんだよ、食えよ?」
「……お前、何が目的だ? 言っておくが、毒なんて私には効かないぞ」
 まるで、何を意図して作られたのかわからない芸術作品を見るみたいに、テンフはアグレを見つめた。
「食えないモンなんかわざわざ手に入れるかよ。それとも、毒じゃなきゃ食えないとか?」
「そういうわけじゃないが……。お前一人食うのだって、大変なんだろ」
「まあね。でも、こういうのは助け合いだろ。別に初めてってわけでもない」
「そういうのは、余裕があるやつのやることだ」
「お前より俺の方が、今は余裕あるだろ」
 傷だらけのアグレと、貧しいが無傷のテンフ。
 どちらが余裕なのかと言えば、確かにテンフではあるのだが、アグレでもテンフは見捨てるべきだとわかる。金も無いのに誰かを助けるなんて、自殺行為だ。
「よほどのアホだな、お前は」
「そうかなぁ。せっかく生まれたんだし、できるだけ生きたいじゃん」
 テンフは、アグレに一枚の肉を差し出す。
「食えよ。大体の怪我は、メシ食えば治るんだ」
「……フン。しょうがない、今はお前の言葉に甘えてやるか」
 肉を受け取り、口に放り込むアグレ。そして、それを咀嚼し、「フン。人間のクセに、良い肉を食ってやがるな」と鼻から満足気に息を吐く。

 そんな日々が、一週間ほど続いた。
 竜の傷の治りは人間よりもずっと早い。寝て、テンフが盗んできた飯をたらふく食えば、それだけで命は繋がり、育まれる。
 アグレは、自らの体を見回し、小さく動かしながら、傷が全て癒えている事を確認。
「フン……。治ったか」
「あれ? アグレ、傷治るの早いな」
 いつもの様に、テンフがたくさんの食料を抱えて戻ってきた。初日より数が減っているのは、アグレがあんまり食べないと初日で発覚したからだ。
「軟弱な人間と一緒にするんじゃないよ。あの程度、一週間もあれば治るさ」
「んじゃ、もしかして今日でお別れ?」
「そうなるな」
 テンフは、はにかむように笑い、「寂しくなるなぁ」と言った。
「お前な……。私を犬猫かなにかと勘違いしてないか?」
「んーなことねえって。単純に、また一人暮らしになんのか、って思うと、ちょい寂しいと思ってさ」
 両親も居らず、ただ店から食料を盗んでくる毎日。
 誰かと話す事もなく、生きていくことだけに腐心する毎日。
 まだ十にもならない少年が過ごす日々としては、いささかハードすぎるだろう。それはアグレにもよくわかったが、そんな人間はこの世に五万といる。同情するだけ損だ。
 だから、何か余計な感情が生まれる前に、「寂しかろうが、今日でお別れさ」と鼻息混じりに言った。
「だな。ま、お別れも慣れたもんさ」
 盗んできた食料を、いつものように二人の間に置いて、適当な野菜を齧るテンフ。アグレに林檎を差し出して、「食えよ。一緒に飯食うのも、これで最後だろ?」と笑う。
 それが強がりなのも、アグレはわかる。だが、だからといって、その悲しみを止めてやる義理は、アグレにはない。
 そうして、最後になるはずの食事を、二人は共にした。今となってはもう意味の無い話だが、テンフはアグレに「これからどうするんだ」と聞いて、アグレも同じような事を訊いた。
 その同じ問いに、二人は「その時になったら考える」と同じ答えを容易していた。

 そうして、夜になった。
 別れの時だ。アグレみたいに目立つ物が出て行くのなら、夜のほうが都合がいい。
 狭い路地で、アグレは立ち上がり、四角く括られた空を見上げる。
「世話になったな、テンフ」
「気にすんなって。したくてしただけだしさ」
 二人は、笑顔を突き合わせた。それで、今生の別れ。もう二度と会う事はなく、アグレは羽撃いていき、テンフは盗人稼業で命を繋ぐ。
 だが、そうはならなかった。
 テンフが住処にしているその路地裏に、何人もの武装した兵士が入ってきた。
「なん、だ!?」
 慌てるテンフ。だが、覚悟はしていたのか、素早く隅に置かれていた小さなナイフを取り、兵士たちに向かって構える。だが、兵士たちの主武装は剣と槍。間合いも、そして扱う本人の実力も、すべてが段違い。
「なっ、竜!?」
「少し前、領土内に落ちた赤い竜がこんなとこにいやがったのか!」
 兵士達が、青ざめた顔でアグレを睨む。だが、アグレはそんなのどうでもいいと言わんばかりに、ちらりと夜空を見つめる。
「……どうする」
 兵士達はテンフではなく、アグレへと注意を注いだまま、小声で何かを相談し始める。
 テンフは、今の内に逃げ出すべきかと思案するも、アグレを放ったまま逃げられはしないとおもったのか、ナイフを構えたまま、兵士を睨む。
「どうする、って……。竜は大砲の直撃でも動じない生き物だぞ。増援を呼ぶべきだ……」
「だが、この間は砲弾で落ちた。噂に聞くほど、竜ってのは強い生物じゃないんだろう。しかしだ、ここで竜を倒せば、一気に出世コース。盗人のガキを捕まえに来たってのに、最高のボーナスだ」
 乗り気ではなかったらしい兵士も、ボーナスという言葉に琴線を刺激されたのか、鈍い輝きの瞳で、アグレを見た。
「……なんだ、私を殺すか。やってみろ、時間を止めるより難しいぞ」
 アグレの口から、炎が漏れる。
 爪をこすって、硬いものが擦れ合う際に鳴る、特有の心を削る音を鳴らす。
 私の体、そのどこを使っても、お前らを殺すことなんて簡単だ。そう言外に言っているのだ。
 炎で皮膚を焼かれる、爪で体を裂かれる、あるいはもっと別の殺され方をする。いろいろと想像した挙句、アグレに手を出すのはやめたらしく、舌打ちをして、テンフへ注意を向ける。
「……おい、ガキ。お前、最近結構な量の食い物を盗んでいるらしいじゃないか。その所為で、俺達兵士に、お前を捕まえろってお達しが来た。ガキでも、盗みは重罪だ」
 兵士は、テンフの首元に剣を突き立てる。そして、ボーナスを取り損なった落胆からか、至極面倒くさそうに、テンフを見下ろした。
「……簡単に捕まって、たまるかよ!」
 剣をナイフで払い、兵士の懐に潜り込もうとするテンフだったが、すぐにローキックで体勢を崩され、すっ転んでしまった。
「あぐっ……!」
 その首根っこを掴まれて、持ち上げられるテンフ。絶望に手足を引っ張られているのか、まるで人形の様に力無くぶら下がっていた。
「ったく。これじゃあ、どうにもなぁ……。ぬか喜びってのはよくねえぜ。しばらく引きずっちまいそうだ」
「これだって立派な仕事だろ……。出世にはつながらないかもしれないが」
 無造作に、草刈りでも終えたように、二人の兵士はテンフを連れてその場から去ろうとする。チャンスを窺っているのか、それとも諦めたのか、テンフは動かない。アグレを見ようともしていない。
 まるで、何かしてくれるなんて、一切期待していなかったかの様に。
 その背中を見て、アグレのプライドが刺激された。命を助けられたのに、ここで助けないのは竜の名折れ。
「あぁ……。助ける『義理』ができちまった……」
 小さく呟くと、アグレは「オイ」と兵士たちの背中へ声をかけた。
「気が変わった。そのガキの事なんて放っておくつもりだったんだが……。命を助けられて放っておくのも、私の主義に反する」
「あ、アグレ……?」
 まったく予想外、という風なテンフを見て、アグレは「バカなガキだ」と微笑んだ。
「いいか、そのガキは私を助ける為に盗みを働いていた。つまり、そいつを捕まえるのなら、私とも一戦交える事になるが、それでもいいか……」
 一歩踏み出すアグレ。その一歩がどういう意図を含んだ物か、覚悟を含んだ足音を山のように聞いてきた兵士たちには、すぐにわかった。
 自らの主張を押し通すためなら、国を滅ぼす事も辞さない。相手は竜、それくらいは本気でやる。
「うっ……。ど、どうする……!」
「どうもこうもあるか! たかだかガキの盗人捕まえに来たくらいで、命落としてたまるかよ……」
 兵士は、テンフを下ろして、アグレを見つめたまま、一歩一歩確かめるように、後退る。
「退け。私を怒らせれば、お前たちの所為でこの国は死ぬぞ」
「くっ、クソ……!!」
 そうして、兵士達は路地裏から逃げ去っていった。その背を見ながら、「ふん。これだから人間は」と、呆れたように言った。
「おい、テンフ」
 捨てられていたテンフは、立たないまま、アグレの顔を見上げる。その瞳からは、表情には出ていない怒りが、失望が渦巻いているのが見えた。
「お前、何を怒っている?」
「……自分の身一つ、守れないのが嫌だ。俺は、お前に助けられたくなかった」
「うふっ……! ははっ、ははははははッ!!」
 アグレは、首を下げて、テンフと目線を合わせる。テンフとは違い、好奇心で満ち、宝石みたいに輝く瞳だった。
「面白いな、クソガキ。助けられたくなかった? その気持ちはよくわかる。だが、それは私も同じだ。けど、助けなくっちゃ自分じゃいられない。そうだろう?」
 その言葉に、テンフは何も返さない。
 アグレは、その隙を突くみたいに喋り続けた。
「お前、このままでいいのか? クズみたいな扱いを受けて、ずっと生きていくのか?」
「俺だって、そんな気はない。けど、今の俺には、どうしようも……」
「二つ、お前に選ばせてやる。一つ、私と別れて、元の生活に戻る。そして、もう一つは、私に育てられるか」
「……お前が、俺を育てるのか?」
「あぁ。だが、人間は竜を嫌っている。その竜に育てられるというのは、絶大なハンデを背負うハメになるかもしれない。だが、今よりはマシかもしれない。どうする?」
 人生の転機だった。
 両親が死んで、人生二度目の、今後を左右する分かれ道だった。今のままでいるか、進んでチャンスを掴むか。そんな物、迷うわけもなかった。
「……わかった。俺はお前についていく」
「決まりだ。私の命に誓って、お前を立派な人間にしてやろう」
 アグレは翼の先端についた手をテンフに差し出した。一瞬何を意味しているのか理解できなかったが、その手を取り、握手を交わす。
 これが、二人が親子になった瞬間だった。

       

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