Neetel Inside 文芸新都
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   四

 あの夜から一ヶ月ほど経った。
 つい先日、最後の行方不明者が出た。雪浪通りの隅にある「アクアショップ桃村」の店主、桃村継彦さんだ。
 娘が行方を眩ませて以来随分とおかしくなっていたようで、通りの者もあまり彼の動向を知る人は少なく、それが事件の発覚を遅らせたようだった。
 女子高生と一緒にいる光景を何度か目撃されたが、どうにもうまく足取りを掴めなかったようで、結局どういった経緯で彼が姿を眩ませたのか分からず終いだった。
 彼のその後を知っているのは、私と萌黄と、真崎先生と、唄野彼方だけだろう。その結末がどこにも広まっていないところを見る限り、恐らくこれから先も私達はこの件に関して口を閉ざし続けるべきなのだと思う。

 暫くして、アクアショップを訪れた女性がいた。
 私、萌黄、絵美の三人で―この一件でどんな事があったか分からないが、萌黄は絵美と一緒にいることが多くなった―雪浪通りに足を踏み入れた時に偶然出会った。
 長い黒髪の素敵な目元をした女性で、歳相応の皺は見えるものの、まだ若く感じられた。確かに淡音みたいだと萌黄は漏らしたが、それ以上を口にすることは無かった。
 やがて季節が移り変わるくらいになると看板は消え、雪浪通りにシャッターの降りた物件が一つ増えた。それを嬉しいとも悲しいとも感じなかったのは、いずれそうなる未来を見通していたからなのかもしれない。
「あの家は引き払われたそうだよ」
 精肉店の店主はそう口にした。
 彼の店のコロッケを買って食べている時に、萌黄がふと尋ねたのだった。彼女も彼の家で美味しい大福をご馳走になって、話を色々聞いたと知った時、また一つ疑問が消え去るのを感じた。
「あと、大分先の事だけどね」
 ついでとばかりに彼はこの商店街が消える事を教えてくれた。恐らく私達が卒業した後だそうで、五、六年もすればここは別の建物ができているだろうという事だった。
 新しいものが好きな年頃の高校生にとってはとても嬉しいニュースだろう、と彼は付け足すように言ってから、もう一つコロッケを私達におまけだと言って渡すと奥へと戻っていってしまった。
「何もなくなっちゃうんだね」
 寂しそうに呟く絵美を横目に、私は食べ終わったコロッケの包み紙を丸めると、少し離れた所にあるごみ箱に投げ入れた。包み紙は大きな弧を描いて縁にぶつかると、バウンドして中に消えていった。
「同じままで要られることなんて一つもないから、きっとこの通りもそういうことなんだよ」
 萌黄の何気ない言葉を聞いて絵美は目を細めると、私達の腕を抱きしめる。
「でも、難しいことだとしても、同じで居て欲しいなあ」
 そう言う彼女を見て、それから私達は顔を見合わせて笑う。
「絵美もそのままでいてね」
 そう言って頭を撫でると、彼女はくすぐったそうに身を捩らせて、それから小さく頷いた。
 それからふと、あの二人は今どうしているのだろうかと通りの先に目を向ける。
 雪浪高校は今日も変わらずにそこに建っている。けれど、そのうち変わってしまった事が二つあった。
 真崎先生はあれから暫くしてまた長期的な休みを取り、やがて学校を辞めてしまった。彼の家を訪ねてみたことがあったが、既に荷物は引き払われ、彼の存在を証明するものは「真崎葵、碧」と書かれた表札だけだった。
 あの日二人きりになった保健室で、彼は何を考えていたのだろうか。みどりが目を覚ました時、どんな会話を交わしたのだろう。
 それらを知る機会はもう無くなってしまった。
 彼の辞職から暫くして、非常勤の茅野茜先生も学校を離れることが決まった。元々期間を決めての配属だったようで、それが偶然彼の辞職と重なってしまっただけと彼女は言っていたが、恐らくそれだけは嘘に違いないと思っていた。
 理由は、最後に彼女が私に言った言葉と、唄野彼方のヒントだった。

   ―――――

 随分とお世話になった私と萌黄は、最後の勤務日に彼女にプレゼントを送り、少しのあいだお喋りをした。
 彼女はいつもの様に飲み物を淹れてくれて、洒落たお菓子も用意してくれた。他の人には言わないようにと念を押されての保健室での小さなお茶会は、楽しかった。
「でも、結局弟くんも、淡音さんも見つからなかったのは残念ね」
「いいんです。先生は頑張ってくれましたし、望んだ結果じゃなかったけど、踏ん切りはつきましたから」
 申し訳なさそうに落ち込む彼女にそう言って私は微笑んだ。
 茅野先生の淹れてくれた紅茶はとても美味しくて、カモミールの香りがまた素敵で、ほっと心が落ち着くような気がした。
「またどこかで会えたらいいなとは思うけど、貴方達が卒業したらもう保健室なんてそう利用する機会はないでしょうね」
「そうだ、じゃあ連絡先を交換しましょうよ!」
 萌黄が元気な声でそう提案したが、彼女はそっと首を横に振った。
「嬉しいけど、遠慮しておくわ」
「どうしてですか?」
 折角の提案を断られた萌黄は眉を顰めている。不機嫌そうな彼女を宥めるように微笑むと、茅野先生はそっと紅茶を口にして、それから私達をそれぞれ見てから、目を細めて言った。

「貴方達、もうそんなに美味しそうじゃないから」

 空気が、一気に凍りつくのを感じた。
 私も、そして恐らく萌黄も、茅野先生の言葉で少し前に起こった出来事と、摩訶不思議な存在の名前を思い出した。
 唖然とする私達に構わずケーキを完食し、紅茶を飲んで満足そうにする彼女はそれに、と言葉を続けた。
「久々に素敵なご馳走に出会えたから、今はとても気分がいいの。だから、最後に貴方達にはお礼を言っておきたくてね」
「それで、お茶会を……?」
 茅野先生は頷くこともせずそっと私を見つめる。
「『私』は少し気紛れな性格なの。普段ならすぐにでも居なくなるんだけど、何故かしらね、私の中で貴方がね、被るのよ」
 それは多分、彼のことだ。はっきりと言われなくてもそれだけはすぐに理解ができた。
 【茅野茜】を着飾った人物の名前も、すぐに思い出すことができた。
「面白いでしょう、ねむりひめって。人が、記憶が好きだからこそ、人に近くなりたがる。こうして人として接してもらえるのって、とっても嬉しいことなの」
「私達に協力したのも、そういうことだったんですか?」
 呆気にとられている私の代わりに萌黄が尋ねる。【茅野茜】は素直に頷いて、それから立ち上がると一度大きく伸びをして、仕事机の上に纏められた鞄を手に取った。
「元々はあと二人、行方不明になると思っていたんだけどね。思い通りにはいかないものね」
 残念そうな口調だが、彼女の顔は明るいままだった。
 思い通りではなくてもいいものが見れたと思っているのだろう。
「弓月、遥さん?」
 ぽつりと漏らした言葉に、【茅野茜】はにっこりと笑うと手を振りながら保健室を出て行ってしまった。残された私達は暫くずっと開いたままの扉を見ていたが、結局その後も彼女が戻ってくることは無かった。

   ―――――

 受験がどうだとか、幽霊部員を辞めるべきだとか、そんな他愛の無い話をしながら私達は駅の改札を通る。萌黄と絵美は上り、私は下りの電車だ。階段の前で私達は別れた。
 ふと、廃れつつある雪浪通りの入り口をちらりと見る。今日は萌黄の提案で久々に顔を出したけれど、もうあの通りを利用することはないだろうなと感じていた。
 私達があのような出来事に遭うことはきっと無い。
 彼女が何の未練もなく去っていった事が理由だ。悲劇にもきっと賞味期限があるのだろう。
 プラットフォームにたどり着くと、私の目の前で電車が滑りこんで止まった。夕暮れ過ぎの、スーツ姿で溢れた車両に紛れ込みながら、私は鞄から本を取り出すと栞を外して読み始める。
 扉が閉まって、電車は滑るように走り始める。がたん、ごとん、と正確なリズムを刻みながら。
 途中でトンネルに入って、目の前の窓に私の姿が映った。薄く塗ったチークと、アイラインの入った目元。実際私に似合っているのかあまり分からないけれど、あれ以来私は絵美にやり方を教わってずっとこのメイクを続けている。
 私はあまり良いとは思わないけれど、この目元のメイクを気に入ってくれた異性が一人いたから、この先もしてみようと思った。
 彼は、今どうしているだろう。トンネルを抜けて外の景色が広がったところで、私は再び本に目を落としながらそんな事を思う。
 きっとどこかで次の悲劇を、そしてそれに群がるねむりひめを探しているのだろう。
 真崎先生も、みどりとうまくやっているだろうか。きっとそれなりにやっていっているに違いない。
 
 望みどおりの終わりに辿り着けるのはごく少数だ。彼らだっていつ多数に入ってしまうか分からない中を生き続けている。その行く末がどうなるのかは分からないけれど、せめて、その結末を受け入れて終わると良いなと、他人事ながら私は思う。

 電車が止まった。
 私は駅の名前を確認して、本を閉じると電車を降りた。
 戻りつつある生活の中で、私は普通を実感している。
 さよなら、と私は口にする。
 それが誰に向けてなのかは、敢えて言わないでおこうと思う。


       

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