Neetel Inside 文芸新都
表紙

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   四

「失踪者なんて馬鹿みたいに多すぎてどうしようもなかったわ」
 開口一番茅野先生はそう口にすると、機嫌悪そうにカップに口を付けた。白い陶器から漏れる湯気と共に、紅茶の薫りがする。
「世の中って失踪者だらけですし、流石に難しいですよね」
 苦笑交じりにそう告げると、彼女は目を細め、意地悪そうに口角を上げると一枚の新聞記事を取り出した。
 私はそれを受け取ると、隅の小さな記事に目を落とす。
『失踪者の恋人が消えた』
 事件は今から二年前のもので、場所は私の通う雪浪駅から幾つもの電車を乗り継ぐか、若しくは飛行機での移動を考えなければならないような遥か遠くに位置する他県の高校だった。
「二重失踪?」
「有名でもなければ失踪事件なんて取り上げる記者はそう居ないみたいでね。私も諦めていたの。「口から泡が見えた」なんて言ったってオカルト関連の方に回されて勝手に盛り上げられて終わるだけだしね。それこそ貴方の弟みたいな消え方をしたらまだスクープにもなるんだけど」
 私は再び記事に目を落とす。
『三ヶ月前、黒鵜高校の卒業生が失踪した事件で、更に卒業生の一人が行方をくらました』
――弓月遥(ゆずき はるか)
――唄野彼方(うたの かなた)
 名前の記述はあったが写真までは貼られておらず、ありきたりな内容で終わっているところを見るにこれ以上展開させる情報も無かったのだろう。
「でも、どうしてこれを?」
「黒鵜高校って以前の勤務先の近くだったの。ふとうちでも失踪事件があったのを思い出して元勤務先に電話してみたら、隣の高校で昔あったこの事件を見つけたの」
「大分遠い場所ですね、ここ」
「これくらいが限界かな。もっとできるつもりでいたんだけどね」
 口をへの字に曲げて彼女は珈琲をもう一つマグカップに注ぎ入れると私にくれた。
「それとね、その二重失踪事件、男の子の方はどうやら彼女を探し続けてるうちに消えちゃったみたいなの」
 茅野先生はカップを置いてからベッドに腰掛けた。私は傍の丸椅子を持ってくると、先生の向かいに置いて腰掛けた。
「周囲が失踪と騒ぐ中、その子だけは誘拐だって言い張ってたらしいわ。随分と恋人探しに躍起になっていたみたい」
「誘拐、ですか」
「そう確信する理由は誰にも言わなかったみたいなんだけどね、そこにある一つのワードを当てはめるとなんだかしっくり来る気がしない?」
「……口から泡」
 彼女は頷いた。
「唄野彼方君の恋人だった弓月遥さんは、失踪する直前に彼と会っていた。その時彼女の口から泡が出るのを彼は目撃した。泡を見た次の日から彼女は音沙汰が無くなり、失踪した。そんな事があったら、あの時の泡に何かあると彼が思い、失踪の原因はそこにあると考えてもおかしくはないかもしれない。まあ周囲に口から泡が出るのが見えたと言っても信じてもらえはしないでしょうけど」
「だから、個人で彼女の失踪事件を解明しようとした」
「で、彼は恐らくその現象に対する事件の真相を暴いたか、それに近い状況に足を踏み入れてしまった。その結果、彼もまた失踪してしまった」
 確かに、そう考えるとなんとなく道筋は出来上がっているように思える。そう、まるで――。
「まるで貴方みたいよね、朱色ちゃん」
 私の考えを先読みするかの様に彼女は口にした。
「ほんの少しそういう事に興味を感じた人間がいたかどうかの違いで、この子と貴方は、大体一緒のような気がするの。まあ予想の範囲に過ぎない。でも、もしこれが関連していたとしたら」
 その先をあまり答えたくなかった。
 唄野彼方という少年と同じ道をたどっているとすれば、咲村朱色が弟を探しているうちに失踪なんて可能性もあり得なくはない。
 それに、私はつい先日そうなりかけたばかりだ。余計な心配をさせるべきではないと茅野先生に報告していないが、あの時、私は確かに死にかけた。
 もしあの青年の助けが無ければきっと今頃――
「ねえ、朱色ちゃん、ここらへんで手を引いておかない?」
「手を引く、ですか?」
 マグカップをじっと見つめたまま、茅野先生は頷いた。
「私はね、少しでも貴方の気が晴れるならと思ってた。どうせただの女子高生と保健室の担当じゃ大した事も分からないと思っていたしね」
 落ち着いた口調でそう述べる彼女を、私はただ見つめていた。
「怒らないでね。貴方が弟君を見つけたいって気持ちも泡の事も信じてるし、力になれたらって思ったのは本当だから」
 バツの悪そうな顔をする茅野先生に対して怒りとかそういった感情は沸かなかった。
 当たり前だ。生徒を守る存在が本気で事件に関わらせようとさせてはいけない。彼女もまさか似たような失踪事件を見つけてしまうなんて思いもしなかったのだろう。
 だとしたら、むしろ幸運なのかもしれない。
 私がもしあの時失踪していたら、彼女はきっと自分を強く責めた筈だ。気軽に弟探しの助力を口にしてしまった事に責任を感じ、もう戻ってこない私を思って絶望したかもしれない。
 もし私が食べられてしまっていたら、あのねむりひめとかいう存在に一番都合のいい展開になっていただろう。本来一つだったご馳走が二つになる可能性だってあった。
 だから、この展開はきっととても運がいい。
「気にしないでください。むしろそうやって心配してもらえて私は嬉しいです」
 にっこりと笑みを浮かべてそう言うと、茅野先生は少しだけ安心したようだった。肩に入っていた力を抜き、珈琲を口にする。
「大丈夫です。私程度に何かできるとは思ってません。それに私まで消えたらお母さんやお父さんがおかしくなっちゃうから」
 そう、父と母がまずもたない。ただでさえ真皓の一件で母は塞ぎこんでしまっているし、父も表には出さないが憔悴している。それはこの間の電話でよく分かった。
 遅く帰ってきた私を母は強く抱きしめて、それから大声を上げて泣きじゃくり、父は何も無くて良かったと何度も呟いていた。
 それ以降私は車で送り迎えを受けている。過保護と言われるかもしれないが、そうでもしないとあの二人は壊れてしまうだろう。
 だから、私は真皓を探す上で一つの条件を自分の中に決めていた。
 何があっても自分の命をまず優先事項とすること。例え弟にたどり着いたとしても、死んでしまったらどうしようもない。おまけに父と母もねむりひめの餌となる可能性だってある。
 連鎖すればするほど水底にいるそいつにとっては好都合なのだ。
 私は死んでやらない。
 何があっても、死んでやるものか。
「もう少しだけ、真皓を探させてください。私は、せめてはっきりさせたい。真皓がどうなったのかだけでも」
 私の言葉を聞いて、茅野先生は目を細め、それから深い溜息を吐き出すと、ベッドから腰を上げ、白衣に両手を突っ込むと壁に寄りかかった。身体を少し張った事であまり目立たない胸がシャツ越しに強調される。
「朱色ちゃんがそれほどまで言うなら、私も手伝うわ。放り出すのも気が引けるし、何より君は生徒で私は教師……ってわけではないけど、少なくとも子供を護る側の人間だから」
「我儘言って、本当にすみません」
「本当に反省してたら、もう探そうなんて思わないでしょう?」
 そう言って笑みを浮かべる彼女を見て、私もつられて笑った。
「それにしても、何から手をつけていいものか。弓月、唄野から探ったとして、もう二年も未解決のままだから私達でどうにかなるとは思えない」
 さて、それが問題だ。私もこの件に関して何かを深く知っているわけではない。ただ突然道の途中で姿を消した弟の家族というだけだ。おまけに行動も父によって制限されている。
 互いに言葉を交わさずただただ黙り込んでいると、扉をノックする音が響いた。どうぞ、と彼女が言うと扉が横にスライドして、一人の教師が入ってくる。
「咲村もいたか」
 私のクラスの担任、沢木宗平だった。
 白髪交じりの髪を掻きながら私と茅野先生の顔見て、少し困った顔をした。その表情からなんとなく事情を察した私は、茅野先生と彼に軽くお辞儀をすると部屋を出て扉を閉めた。
 何かあれば自然と私の方にも耳に入ってくるだろう。校内の噂の伝染力は強いし、何もなかったとして茅野先生がそれとなく教えてくれるかもしれない。
 落ちかけた夕陽が廊下の窓から差し込んで、リノリウムの床を橙と薄暗い陰で塗り潰す。私は夕陽を浴びながら廊下を歩く。
 玄関を出て 私は父に向けてメールを打つと、少し歩いて校門付近に設置されたベンチに座った。
 夕闇に染まっていく住宅地が見える。ランドセルを背負った小さな男の子と女の子が手を繋いで歩いて行く。手前の歩道を帰宅途中の主婦達が、ビニール袋やエコバック、布製の手提げをぱんぱんに張らせて歩いて行く。
 何一つ問題の無い、平凡な日常だ。いや、本来はきっとこうあるべきだ。私はスクールバッグから茅野先生に返し忘れた新聞の切り抜きを取り出すとぼんやりとそれを眺めてみる。
 唄野彼方と弓月遥。
 この二人は、その後どうなったのだろう。彼は、彼女に出会うことが出来ただろうか。もし彼女と共になれたとしたら、それはそれで幸せな結末になるのかもしれない。
 だが、見つけることができずにそれぞれがこの世から姿を消してしまったとしたら、それはどんなに残酷なことだろう。必死で彼女が生きている事に賭けたのに、彼の希望は報われずに終わってしまい、二人の物語が終わったとしたら。

 目の前を野球部員が列を成して走り去っていく。校門から玄関口まで駆けて行くと、折り返してグラウンドへと戻る。一人一人の掛け声を耳にしながら私はそっと目を閉じた。
 ラケットがボールを打ち出す音、サッカー部と野球部の気合の入った声、統一感のある金管楽器の音の中で、調子外れの音が一つ。
 ベンチの前を下校組が通って行く。
 帰りにカフェに寄って行こう。あの店のパフェがとても美味しい。今日は彼氏と一緒じゃないの。ゲーセンちょっと寄ろう。弦買いたいから楽器屋付き合って。
 様々な言葉を彼らは口にしている。それらを適当に聞き取りながら、そうそう、これでいい。と私は笑う。
 程なくして父の車が校門前に止まり、私はそれに乗って帰宅した。自宅前の記者の数も大分減り、咲村真皓の失踪に関するニュースもテレビは取り上げなくなってきた。新聞にも載らなくなった。
 進展がなく、旨味のない事件はこうやって人々の記憶から薄れていく。当事者たちはそうしてやっと安息を手にすることができる。散々騒いだ癖に、後片付けは誰もしない。
 こんなの酷い話だよね、とリビングで父に言ったら、父はでもこれで普通に戻れると一言だけ呟いた。
 普通ってなんだろう。私が聞くと、父は首を傾げた。普通は普通だよと答えて、それから私たちは黙り込む。

 それから少しして、真皓に関する情報が何も得られないでいる時、一つのニュースが雪浪町周辺を騒がせた。
 今度は雪浪高校の生徒が、姿を消したのだ。




       

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