お題:電池 作:黒兎 玖乃

 たとえばこれが机上の空論であるならば。
 実際に身体を動かしてそれだこれだと検証してしまえば机上の空論ではなくなるのか。
 答えはノー。検証しても実現できなければ、それはただの架空の議論だ。
 だから無茶な提案や議論など、はじめから机の上に持って来るべきではない。
 のだが。
 この人は。
「イガラシくん」
 犬を甘やかすようなネットリとした声で、浅ましくも言い放った。
「人間の電池を探してきてくれないか」
「はい。任せて下さい」
 そして二つ返事で俺は了解した。

 電池。
 小さな身体で大きなものを動かす縁の下の力持ち。
 化学の授業でもしばしば取り上げられる人類の偉大な発明品。
 人類が試行錯誤の末に生み出したものが人間の体の中に入っていることなどありえるだろうか。普通に考えればありえない。普通に考えれば。
 そも、人間の電池とは何だ。
「電池の定義に則れば、内部でエネルギーを生み出して活動を活発にさせるもの」
 心臓? それは血を巡らせるだけだ。ニートにだって心臓はあるが活発じゃない。
 大脳? 惜しい気もするが集中したい時にはよく「考えるな、感じろ!」と発破をかけることがある。これも違う。
 肝臓? 確かにエネルギーを溜められるが、人体製のフォアグラを差し出して「電池です」と主張するのはいかにも見苦しい。これは違う。そういえば少し前に先輩と電池の話をしたような気がするけど、何だったかな。
 うむ、うむむむむと唸ってみるが答えは出てこない。
 当たり前だ。ユクモ先輩は最初から答えの存在しない問いかけを投げつけてくる。それを俺がどう料理しようかと試行錯誤しているのを見て満足そうに笑っているのだ。生粋の愉快犯、地獄の傀儡師と言っても差し支えない存在。ユクモ先輩とはそういう人だ。
 まあ、だから惹かれたんだけど。

「人間の電池、ねえ」
 ズズズと、ニシキは緑茶でドラ焼きを流し込む。
「空想科学部のお前でも分からないことを、どうして俺に」
「現実の化学じゃお前のほうが詳しい。それに上野の銘菓を貰ったからな」
「俺が甘味オタクだと知ってて、それ手に入れたんだろ」
 ニシキはいつも核心を突く。それはニシキの癖だ。
 教師の嘯く建前だとか、街宣車で叫ぶ議員の声だとか、嘘だと断じたことは躊躇いもなく切り捨てる。それは旧知の仲である俺でも変わらない。
 昔からそういうことに目ざといのだ、こいつは。
「人間の電池、ねえ」
 気になったことに関しては、繰り返し呟く癖も変わらない。
「何か答えはありそうかい」
「そう簡単には出ないよ。フェルマー予想だって完全証明にウン百年もかかったんだ。未知の定義を完全証明するには相応の代償が求められるということを、イガラシもよく分かっているだろう」
「ああ。だから焦っているんだよ」
 ズズズと飲み下す緑茶はニガい。
「先輩は今年で卒業だから、数ヶ月で答えを出せなければ俺の契約はそれまでだ」
「そういえば言ってたっけ。一〇八の婚前契約だとか」
 俺は肯く。
 ここだけの話、俺は告白だのデートだのいろんな過程をすっ飛ばして既にユクモ先輩にプロポーズ済みで、今は婚約状態ということになっている。
 だがあくまでそれはキープだ。先輩は俺に条件を持ちかけた。
『君が私の一〇八の願いを叶えてくれれば、私も君の願いに応じよう』
 ここでイエスと言えなければ、男の名がすたる。
 だから俺は学生生活の全てを天秤にかけて、先輩の要求に答え続けているのだ。
「“人間の電池”で、ようやく九〇個」
 緑茶効果もあって、頬張ったドラ焼きはより甘みが強い。
「ここまで来てやっぱり駄目でしたと白旗は上げたくないんだ」
「……まあ、お前の気苦労は分かるけど、やっぱりこれは俺が導き出す結論ではない」
 どういうことだ。答えがわかったのか。人間の電池の。
 そうまくし立てると、ニシキはいつもの人の良さそうな笑みを浮かべた。
「人間の電池、ねえ。それはきっともう、化学云々で説明できるもんじゃないんだよ。
 答えが見つからないのならば、現実の化学では証明できないのならば、どうするか。
 それはイガラシのほうがよく分かってるだろう?」

 枯れ葉を鳴らしながら秋の歩道を往く。姿の見えない月が泣いている。
 結局答えは見つからなかった。
 そんなことは最初から分かっている。ユクモ難題とも称される先輩の要求には、命をかける覚悟で臨まなければ応じられない。それを友人に頼るようでは駄目なのだ。
 俺自身が答えなければ。
 先輩を己がものにするには、俺自身が猛らなければならない。
 そんな風に俺が決意を固めている時に限って。
「やあ、奇遇だねイガラシくん」
 意中の人は、あっけらかんと笑うのだ。
「人間の電池は、見つかったかい?」
「……いえ、まだ手がかりも。でも、絶対に見つけてみせます」
 だからこそ、俺も笑って言う。
「貴女という存在が、欲しいから。絶対に」
 それだけは、絶対に譲れない。
 失礼と顔を伏せて、俺はその場から踵を返す。
 先輩と愉しい言葉を交わすのは、明確な答えを見つけてからだ。だからまだ話せない。
 人間の電池。必ずそれを見つけ出してから、澄まし顔の先輩を驚かせてみせる。
 そのためなら、なんだってやるつもりだ。

「おーい、イガラシくん」
 仏頂面で電池のウキペディアと向き合っていると、ユクモ先輩に声をかけられた。
 返事をする訳にはいかない。俺は人間の電池を発見するまで、絶対に……
「この間の人間の電池、感謝するよ。いいものを見せてもらった」
「……………………」
 …………はい?
「いえ、先輩。まだ可能性すら見いだせていないんですが」
「何を言っているんだ。君が見せてくれた電池はなかなかだったぞ。次も頼むよ」
 はっはっは。痛快な笑い声を上げながらユクモ先輩は部室を後にする。
「あと、奔走するのはいいが、バッテリー切れを起こさないようにな。
 たまには休むことも大事だぞ」
 そうとだけ、言い残して。
 何だったんだ。狐につままれた気分のまま、俺は先輩の去った扉の向こうを眺めていた。

『チョコレートというものが好きなんだ私は。だけど食べるんじゃない。チョコレートを眺めるのが好きだ。というわけで、生きた動くチョコレートというものを見つけてきてくれ。イガラシくん』

 程なく、新たなユクモ難題を突きつけられた。
 電池はどうすれば、としつこく聞いてみたが、笑うだけで何も分からない。こうなったら何を聞いてもダメだ。愉快犯気質の先輩は人が困っているのを見て楽しむからなあ。
「人間の電池、かあ……」
 もう考える必要はないのだが、気になって仕方がない。
 電池。特定のものにエネルギーを与え、活力を漲らせる存在。何かを成し遂げるための、後押しになるもの。目的のための力を与え、行動させるもの……
 ……ん。
 おいおいそれってまさか。
「どうしたイガラシ、変な顔しちまって」
「え、あ、いえ」
 何でもないです、と顔を伏せる。部室の外では空高く鳶が鳴いている。
 生きて動くチョコレート、か。
 それを見つけるまでには、どれくらいのエネルギーを使うだろうか。
 だけどまあ、先輩を手に入れるためなら、俺はなんだって構わない。
「どこまでも追いすがりますよ、先輩」
 先輩の一〇八の婚前契約、満願成就のためなら、絶対に。

『時にイガラシくん。電池にはどんなものがある?』
『はあ。アルカリとかマンガンでしょうか』
『そうだ。ではアルカリとマンガンの違いは?』
『……分かりません』
『だろうな。アルカリは青二才、マンガンは人生だ』
『……先輩のおっしゃることも、良く分かりません』
『なあに、いつか分かる。生きていれば、いつかな』

 人間の電池。
 その正体を知った気になった俺は、今日も無茶な要求を叶え続ける。
 それこそが、俺の生きる活力になっているから。
「アンダーグラウンドワーキング」感想 和田駄々

 初手先輩からの無茶ぶりは、お題である電池に対して主人公が考察を広げるきっかけとなるギミックと、先輩のミステリアスなキャラクター演出の両方の役割を担っており、物語の圧縮に大きく貢献している。
 掌編を書く上で、省略と圧縮のテクニックはほとんど必須といっても良いくらい重要な物なので、この使用方はお手本的でもある。
 また、テーマとしても示される人間の電池というフレーズは、ややブラックな印象を与えつつもその実爽やかな意味合いを内包しており、これが心地の良い読後感に貢献している。
 台詞運びも地の文も、簡潔ながら不足はなく、メインディッシュの奇妙な恋愛観を、108の婚前契約と言った語感で上手く表現している。
 よく出来ていたと思います。生きて動くチョコレートの次は狛犬鍋かな? 看板73枚進呈。
sage