Neetel Inside ニートノベル
表紙

赤い悪魔と魔法使い殺し
■〇『その男、素質ゼロ』

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 ■〇『その男、素質ゼロ』


 私立森厳坂しんげんざか魔法学院。
 山奥にあるからそういう名前をしているのではなく、日本でも五指に入る魔法使いの苗字をとってそういう名前になっているその学校に、新一年生が入学する季節。
 かったるい始業式を終えた荒城幸太郎あらきこうたろうは、自身のクラス、一年E組に戻り、頬杖を突いて、教室の中を見渡していた。周囲では、新しい人間関係のできるだけ良い所へ食い込もうと考えている生徒達が、辺り構わず話しかけていたりする光景が広がっていた。
 だが、幸太郎は誰からも話し掛けられない。
 乾いた血液みたいにくすんだ、ボサボサな赤色の髪と、見つめた人間を射殺すような鋭い視線の所為だろう。
 別に友達を作りにきたわけではないので、それはどうでもよく、とにかく早くこの時間が終わらないかと思っていた彼は、教師が入ってきた事で救われたような気分になった。
 教壇に立った教師は、サイズの合っていない大きな黒縁眼鏡のツルを押して位置を調整し、温和な笑みを浮かべる。
「はじめまして。私が皆さんの担任になる、南雲秀弥なぐもしゅうやといいます。担当は魔法歴史学……。わからないことがあれば、どうぞ遠慮なく尋ねてください」
 そう言って、名簿を開き、「それでは、みなさんの顔と名前を覚えたいと思うので、自己紹介をしてもらおうかな……。それじゃ、出席番号一番の、相澤くんから……」
「はいっ」と、幸太郎の前の席に座っていた男子生徒が立ち上がり、ハキハキと自分の名前やアピールポイント、この学校へ来た理由なんかを話し出す。
 特に興味もなかったので、幸太郎は聞き流していたら、出席番号二番の運命として、すぐに自分の番がやってきた。
「えー、次……荒城幸太郎くん」
「うっす」気だるげに立ち上がり、幸太郎は周囲を見渡して、ため息を吐く。
「出席番号二番、荒城幸太郎っす。よろしく」
 それだけ言って、座る。
 周囲の生徒達は、「それだけかよ」とあからさまに落胆したような空気が流れるが、幸太郎には関係ない。次の生徒が自己紹介を始める。
 幸太郎は、ため息を吐いて、頬杖をつき、作業中に聞くラジオみたいに、その後の自己紹介を聞き流した。

  ■

「あんな自己紹介じゃ、モテないぜ」
 南雲教諭からの帰宅号令の後、仲良くなった生徒達はおしゃべりでさらに交流を深めようとし、今日はダメだった生徒は早々に帰っていたのだが、幸太郎はそのどちらでもなく、まるで周囲を観察するみたいに、憮然と席に座ったままだった。
 そこに、一人の男子生徒がやってきたのだ。金髪のオールバックで、一本額に垂れた前髪の束が、緑色に染められている、なんとも奇妙な髪型をしている。
 垂れたアーモンドみたいな形の目と、直接黒いブレザーのみを素肌に羽織った、華奢な少年で、人目を引く奇抜な格好をしていた。
「もっと、明るい感じじゃなくっちゃ。クールな男がモテるなんて稀有なパターンだぜ。近寄りやすい男がモテるんだ」
「あん? 誰だ、お前」
 幸太郎がひと睨みすると、それを心外みたいな表情でいなし、頭を搔く少年。
「俺の名前は風島季作かぜしまきさく。クラスメート」
「……はあ、そうかい。それで? 俺になんか用か」
「おいおい。入学初日に話しかけるなんて、一つっきゃ用ないだろ? 友達になろうぜ」
 そう言って、季作は幸太郎へと手を差し出した。その顔は満面の笑みと言ってもいいほど明るく、何を考えているのか、幸太郎には読み取れなかった。
「友達? 俺とかよ」
「おう!」
「別に構いやしねーけど」
「マジ? そうかそうか。んじゃ、今日からダチだ。断られたらどうしようかと思ったぜ―。お前とは、どうしてもダチになっておきたかったからさ」
「なんでまた」
「俺は風系の魔法を得意にしてんのさ。んなもんだから、雰囲気っつーか、そいつが持ってる空気みたいなもんには敏感でさ。お前は面白い風を持ってるからだな」
 さっぱり理解できていない幸太郎を余所に、季作は自分一人で納得したいみたいに、うんうんと頷いていた。
「そうかい。――つっても、ご期待に添えられるとは思えないけどな」
「いいのいいの。こういうのは、俺の勘だからさ」
 幸太郎は、立ち上がって鞄を持ち、教室から出ようとする。
「俺は寮に行くが、お前は」
「ん? 当然、俺も行くよ。荒城、お前は何番寮だ?」
「三番」
「おっ、いっしょじゃんか。寮でもよろしくな」
 二人は、並んで教室から出て、廊下を歩く。周囲も、今日から家ではなく寮での生活を送る所為か、少し浮足立った生徒たちが目立つ。まるで修学旅行前の様な空気だ。今日から三年間、昼も夜もなく魔法漬けになるのだから、それを目指してやってきた生徒達がはしゃぐのも無理はない。
 そんな中、明らかにそれらとは毛色の違う、「うるせえ!!」という怒号が聞こえてきた。
「テメエ、総魔そうま家の人間だからって、偉そうにしてんじゃねえぞ!」
 見れば、幸太郎と季作の行く先で、女子生徒と男子生徒が言い争いをしているようだった。男子生徒は、茶髪を後頭部で結った、ピックテールの髪型をしている。
 顔を赤くして、歯を食いしばっている所から、先ほどの怒号は彼のもので間違っていないらしい。
「家の事は関係ありません。ただ、あなたの横暴な立ち振舞が目に余ったから注意したまでです」
 まるで胸を支えるように腕組をし、堂々とした立ち振舞をするストレートロングの黒髪を携えた少女は、冷淡な瞳で男子生徒を見つめていた。ブレザーをきっちりと着こなしているその姿から、優等生然とした雰囲気を感じさせる。
「なんだぁ? トラブルか」
 少しだけワクワクしてしまう幸太郎は、目を輝かせてその光景を見つめる。
「あの女子生徒の方、総魔告葉そうまこくはだな」
「あん? 誰だって?」
 季作は、まるで突然『空って何色だっけ?』と尋ねられたような顔をして、幸太郎を見た。
「総魔告葉だよ。人類で最初に魔法使いになった、総魔紫、その末裔総魔家の一人娘。魔法に関わる人間なら、みんな知ってる常識だろ」
「どうもそういう事には疎くってな。師匠がそういうとこは、全然教えてくれなかったし」
「師匠? お前、ここに来る前、誰かに魔法を教わってたのか」
「あぁ、まあな。本人は結構有名だって言ってたが、名前は――」
 と、幸太郎が師匠の名前を口にしようとした瞬間。
「テメエの態度の方が、百倍横暴に見えるんだよぉ!!」
 そう男子生徒が叫び、右手を掲げ、そこに魔力を練り込む。どういう魔法かはともかく、どうやら告葉に対し、魔法を放とうとしている様だった。
 周囲は、まさかこんな密閉空間で攻撃魔法を放つつもりかと慌て、騒然となるが、そこで冷静だったのは、二人だけだった。
 その内の一人、告葉は、左手に魔力を練り込み、迎撃しようとする。だが、冷静だったもう一人――つまりは幸太郎だが――、彼は履いていた上履きを脱ぎ、男子生徒の顔面へ向かって蹴っ飛ばした。
「いてっ!」
 まるで沸騰する鍋に水が注がれた様に、混乱が一瞬沈静化する。
 今度は、幸太郎以外誰も状況を理解できていない。だから、一人上履きを取りに歩く幸太郎を、皆が見つめていた。
「よくねえなぁ。女子に自分から手を上げるってのはよぉー」
 上履きを履き、幸太郎は、目の前に立つ男子生徒へ意地の悪い唇を歪めた笑みを見せる。
「……なんだぁ、テメエは」
 男子生徒は、こめかみをヒクつかせながら、幸太郎を睨んだ。だが、幸太郎はそんな事で怯まず、男子生徒を見つめ返した。
「大声出してんじゃねえよ。うるさくってつい上履き蹴っ飛ばしちまった。声で威嚇しようなんてのは、獣がやる事だぜ」
「いきなり現れて、訳のわかんねえこと言ってんじゃねえ!!」
「だから、うるせえっての。話なら、そこの女子じゃなくて俺が聞くぜ。耳はついてるから、普通のボリュームで頼むわ」
「関係ねえだろ!」
「あん? なら、お前は上履きを顔面に当てられたの水に流すってのか? 寛大な男だねえ。それなら、この女子が言ったことくらい、一緒に水に流してやったらどうよ。器のでかい男はかっこいいだろ」
「こん、の……! 人の話聞いてんのかてめえ……!」
「だから、さっきっから会話してやってんだろうが……」
 わざとらしく、大きめなため息を吐いて、幸太郎は肩を竦めた。遠くから、季作が「おっ、おい荒城っ。あんまり相手サンを挑発すんなー」と怯えたように言ってくるが、幸太郎には関係ない。
「そうです。あなたには関係ありません」と、なぜか助けている相手であるはずの告葉まで、幸太郎を睨んでいた。「この程度の相手、私にとって眼中に入りません。手助け無用です」
「あぁ!?」その言葉に、再び逆鱗を撫でられたのか、男子生徒は再び告葉へ視線を移した。
「オイオイ。せっかく助けに入ってやったんだ。恥かけさせんじゃねえよ。アンタの手を煩わせるまでもねえって言ってんだ。総魔サン」
 まったく、そんな気持ちはなかった。
 ただ、魔法を発動されたらこっちにもとばっちりが来るのでは、と咄嗟に妨害しただけ。それだけではあるが、ここで今更『助けなんて不要』と言われては、引込みがつかなくなってしまっただけに、バツが悪い。
「――上等だ。なら、まずはテメエからぶっ殺してやる!」
 男子生徒が挑発に乗ってきた。幸太郎は、再びにやりと笑って、「いいぜ」と窓の外を親指で差す。
「だが、ここでやっちゃ迷惑だ。外でやろうや」
「あぁ。お前もついてこいよ、総魔」
「はぁ……。元々、私が挑まれた戦いですから、当たり前です」
 そうして、幸太郎が先陣を切り、校庭へと出る三人。先ほどの騒ぎもあった所為か、周囲にはギャラリーが集まり、幸太郎と男子生徒を囲むように並んでいた。
 二人は、十メートルほど離れて対峙した。
 幸太郎は靴で地面を蹴る。コンクリに砂をまき散らした、一般的なグラウンドの感触。転んだら痛そうだ、と思う程度の感想しか出てこない。
「まずは自己紹介といこうぜ。俺の名前は荒城幸太郎。お前は?」
「……九波信介くなみしんすけ。とっとと始めようぜ。次が控えてるしよ」
 そう言って、男子生徒、九波は、ギャラリーの中に混じった告葉を睨んだ。
「……俺に勝つ気でいんのか」
 幸太郎は、鼻で笑うと、構えた。
 その構えを見て、周囲と、そして九波は、少しだけ驚く事になる。

  ■


 九波信介。
 彼はそこそこ魔法の才能があった。だが、才能の尺度というのは本人が見れば少しだけ大きさを見誤る物で、彼は自身を『天才』に少し届かないくらいの実力者だと思っていた。
 平均よりは上だが、当然、そんな怪物たちに勝てる器ではない。
 だからこそ、それが態度に出て、自分より力に劣る生徒への対応が横暴なモノになった事を告葉に注意されたのは彼のプライドを傷つけ、彼女を怒鳴るハメになったのだが。
 魔法に関して言えばそれなりの優等生である彼は、目の前に立った荒城幸太郎が拳を構えた時、驚いてしまった。
 左手のガードを落とし、右手のガードを上げる、ボクシングのフリッカーにも似た構えだ。
 本来、魔法使いという存在は、遠距離を軸に戦略を組み立てるタイプの方が圧倒的に大きい。
 生まれながらにして銃を持つ者。
 遠くから相手を倒すのが魔法使いの王道であり、近距離戦闘という死の隣に体を置くような行為は、魔法使いにとって邪道。
 どういうつもりか、九波にはわからない。そして、幸太郎はそのまま爪先で飛び跳ね、体を揺らし始める。まるでリズムを刻む様に軽快なステップ。
「来いよ、先手は譲るぜ」
 中身の見えない箱に手を突っ込むような感覚が、九波の肌を撫でる。幸太郎の言葉を受け、九波は右手に魔力を練り込み、掌に水を出現させ、それで渦を巻く。
「喰らえ!! 湖流陣こりゅうじん!」
 それは、九波が最も得意とする魔法だった。掌に出現させた水に、二重の加速魔法をかけて相手に投げつける魔法。
 二重、というのがポイントだ。
 まず、当たり前だが、投げる際に弾速を上げる加速。
 そして、渦を加速させる魔法、この二つを織り交ぜて投げる。
 高いところから飛び込み、着水に失敗すると体を痛めるが、水が元々持っていた粘性を速度を高める事で逃げ場を無くし、水自体の硬度を高めることで、攻撃力を上げているのだ。速度と密度をさらに高めれば、いわゆるウォーターカッターじみた事もできるのだが、それはまだ、今の九波の実力では届かない。
 しかし湖流陣の攻撃力は、コンクリートでさえも砕く。人体にぶつかれば、タダでは済まない。
「悪いな」
 だが、幸太郎は、加速した水弾をいとも容易く、斜め前へのステップで躱してみせた。
「な――ッ!」
 躱されるとは思いもしなかった九波。同年代にこれが躱された事はなかったし、そもそも放った自分でさえ避けられるか怪しい。加速魔法をかけてあるのに躱せるとなれば、幸太郎本人が何か動体視力をアップさせる魔法でも使っているのか、あるいは、『日常的にもっと速い攻撃を見続けていた』かしか考えられない。
 だが、当てる自信はあっても、躱された時の保険を用意しておかないほど、九波は無能な男ではなかった。
「んなら、こいつはどうだよ! 波糊なみのり!!」
 先ほど放った湖流陣から飛び散った水を幸太郎が踏んだ瞬間、そう叫ぶ九波。今まさに九波へ接近しようとしていた幸太郎は、足を踏みだそうとしたのに、まったく動けなくなっていた。
 飛び散った水の粘度を上げることで、接着剤のようにし、幸太郎の動きを止めたのだ。
「これでフットワークは殺した。躱してみろよ木偶の坊!!」
 再び、右の手から湖流陣を幸太郎に向けて放った。
 今度こそ、躱す手立てなどなにも無いだろう。これこそ、俺の無敵を支える連携魔法コンボだ。
 そう叫ぶつもりだった。幸太郎が骨の一、二本でも折って、降伏した時は。
 だが、そうはならなかった。
 幸太郎は急いでブレザーを脱ぎ、それを湖流陣に向かって投げた。すると、ブレザーにぶつかった瞬間、湖流陣が弾けたのだ。
「なっ、はあ!?」
 コンクリートでさえ砕くはずの湖流陣が、ただの上着に砕かれた。湖流陣は、彼にとってプライドだった。自らが作り上げた必殺魔法であり、波糊と組み合わせれば脱出不可能な戦略と化すはずだったのに、ただブレザーを投げただけで破壊されたのだ。
 そのショックは、決して少なくない。
「たかだか水さ。ブレザーに当たった時、自らの衝撃で自壊したんだよ」
 幸太郎は、九波がショックを受けている隙に靴を脱ぎ、地面を蹴って、あっという間に距離を詰めた。
「俺に半端な魔法は通用しねえよ」
 懐に潜り、拳を握る幸太郎はまるで九波の目を覗き込む様にして、一言。
「俺を倒したいんなら、悪魔を殺せる男にならないと」
 言い終わったと同時に、右のショートアッパーを九波の顎に叩き込んだ。
 朦朧とする意識の中、バカな、バカなと何度も現実に異議を唱える九波。魔法使いが魔法も使わずに、魔法使いを斃した。
 周囲の生徒達が、ざわめく。
 なんで俺が倒れてるんだ? どうして荒城が注目されている。
 現実逃避したまま、背を地面に預ける九波。
 彼を見下す男の名は、荒城幸太郎。
 後に、魔法使い殺しと呼ばれる男。

       

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