Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 そして、人間がその超常の存在になるには、たった一つしか方法が無い。
 悪魔憑き。
 強さの為に、悪魔へと身を売ること。
「荒城、幸太郎ぉぉぉ……ッ!!」
 結衣は落胆から、そして落胆から怒りへと変わる。
 幸太郎と戦ったからこそ、彼女は幸太郎の心根を理解していた。
 誰よりも強くなくては我慢ならない。魔法が使えないからなんだってんだ。魔法が使えないなら、拳で戦う。
 そういう、誇り高い男だと思っていた。
 それがまさか、コンプレックスに負けて、悪魔をその身に宿していたとは。
 思いつく限り、最悪の手段を取っていたなんて。
「ガッカリしたわ。アンタには、今まで散々コケにされてきた。でも、今のアンタの姿が、一番あたしをバカにしてんのよ……!!」
 悪魔に勝った魔法使いというのは、歴史上にそう何人も居ない。
 ホープ・ボウが死んだ現在となっては、おそらく存在していないだろう。
 しかし、蜂須賀結衣も、幸太郎に負けず劣らず誇り高い女だ。
 相手が悪魔だからと言って、引く事はしない。
「その目を見ればわかる。引く気はないんでしょう? いいわ。覚悟を決めなさい。次の瞬間には、死んでるから」
 表情を消し、ハチェットは一瞬で体重移動を終え、膝を伸ばして解き放つ。
 なんて軽やか。
 なんて強靭。
 理想的な筋肉から繰り出される動きは、美しく、雄々しい。
 この世で理想的な物は、すべて大なり小なり矛盾を孕んでいる。その矛盾をねじ伏せる事こそが強さだ。結衣の目の前に立つ女は、その立ち振舞全てが強かった。
 鉄火場にいながらも、動作一つ一つが日常茶飯事を歌う。
 しかし、彼女の十年はそんな相手にだって勝つためあった物。
倍増ダブル! 加速ブースト!」
 左手だけで構えた槍の穂先が、まるで蜃気楼の様にダブり、自身にかけた加速魔法で、結衣もハチェットへ向かって突っ込んだ。
 両者、激突地点へ。
 結衣は、突進した加速度を、槍に乗せて突き出す。
 倍増の魔法をかけたそれは、穂先を増やすことにより、一突きで複数の傷をもたらす。
 蜂須賀流魔法槍術『吹雪ストームランス
 早く、そして戻しの隙がないという、吹雪のような連打。
 だが、ハチェットはその刺突を躱し、カウンター気味の前蹴りを結衣に叩き込む。
(バカな――っ! 槍に、蹴りでカウンター!?)
 しかも、売価と加速の籠もった一撃。
 この一閃は、結衣に悪魔の力を叩きつける結果となった。
 再び地面へと叩きつけられ、結衣は吐き気を必死に抑えこみ、「まだ、まだ……!」と必死に自分を鼓舞していた。
 だが、すでに心の奥底が抗いがたい敗北感でいっぱいだった。
 当たり前だ。もう戦えるダメージではない。そもそも、結衣の体格で幸太郎とここまで打ち合っていたのが奇跡なのだ。
 弱い体だ。戦いを続けていくには、無理を重ねるしかない。
 だが、体の傷よりもプライドの傷の方が重い。たとえ体がイカれようと、一生を棒に振ろうと、ここで降参するくらいなら死を選ぶ。忘れられない戦い方をして、派手に死ぬ。
 それが戦う者の生き様であり、死に方だ。

『お前じゃあ、約不足なんだよ』

 負けたくない。立ち上がれ。
 自分を励ます言葉ばかり積み重ねていたそこに、突然、不純物とも言える後ろ向きな言葉が降ってきた。
 静かな場所で聞こえる水滴の音みたいに目立つ。明らかに自分の声ではない。
 男の声だ。割れたガラスみたいに細く、甲高い声。
「だっ、誰よ……余計な茶々入れてんのは……!」
「あれ? まだ生きてる。――ちっ。手加減が難しいなあ」
 ハチェットは、力加減を確認する為、虚空へ向かって蹴りを二、三発出した。まるでボクサーのジャブ。それを蹴りで行うという、強靭な足腰は、結衣を戦慄させる。
『俺に変われ。お前は舞台を降りる時だ。お前じゃあ、悪魔には勝てない』
「だから、なんだってのよ……。勝てないから、諦める……? 殺すわよ。名無しヤローゼロプライド
 誰だかわからない存在にこの場を譲る?
 冗談じゃない。この腹の傷は、肩の傷は、全身に色濃く残る疲労は、どう落とし前をつけるというのだ。
 弱い言葉に耳を傾けていたら、戦えない。そういう道を歩いてきた彼女が、この場を譲るなんてありえない。
 世界が滅びようが、どうなろうが、せめて一太刀入れる。
『やれやれ。無駄な事だ。悪魔に勝てるわけないだろう。――同じ悪魔じゃなきゃ、な』
「……はっ」
 まるで、後ろから両頬を撫でられたような不快感が襲ってきた。
 そして次の瞬間には、それが思い切り、自分の体を引っ張った。
「――えっ!?」
 自分の体が、自分の意識から遠ざかっていく。
 錯覚としか思えないその光景に、結衣は唇が切れるほど歯を食いしばった。ああ、負けたんだ。
 こんなにもあっさり、意識を手放してしまうなんて。

  ■

「まさか、荒城幸太郎が悪魔憑きだったとはなぁ」
 結衣の口調が、明らかに変わって、ハチェットは口笛を吹いた。そして、鼻から軽く息を吸い込んで、確認する。
 結衣の中に、悪魔が入ったらしい。彼女の影から、黒い触手が這い出してくる。あれは間違いなく、闇魔法だった。
 人間には出すことのできない、魔力の純度が高いからこそ現れる魔法だ。
 ハチェットは、頭を掻いて、にやりと笑う。
「やっぱり。情報は間違ってなかったってわけね。間違いなく、あの時ホープを殺した、黒い魔法使いの闇魔法。――私の魔力に釣られて、出てきたのね」
 にやりと笑い、足のスタンスを広げて、腰だめに構えるハチェット。
 結衣には見せなかった、彼女本来の構えスタイルだ。
 先手必勝。
 一歩踏み出し、一撃叩き込む算段で、ハチェットは足を踏み出そうとした。しかし、その足が動く事はない。
 恐怖で足が竦んだわけではないが、何故か動かない。
「……なによこれ?」
『て、めぇ……! 誰だか知らねえが、俺の体で好き勝手してんじゃねえ……! 返しやがれぇぇぇ……ッ!!』
 足を止めていたのは、幸太郎の意思だった。
「ばっ……! なんで意識失ってないのよ!? 私は本気でを封じ込めたのよ!?」
「し、ったことかよ……!」
 ついに、足だけでなく、口まで取り返し、喋ってみせる幸太郎。
 いまだ手中にある目で、ハチェットは相手の姿を認識。ここでうだうだやっているよりも、幸太郎に譲った方が危険は少ない。悪魔の支配をボロボロの体で逃れるような男だ。体の主導権を取り合っている内に、やられてしまう。
 だからハチェットは、舌打ちをして、すぐに幸太郎の奥底へと引っ込んでいった。
 髪の色が元の乾いた血のようにくすんだ赤へと戻り、髪の長さや胸も、体中に刻まれた紋様もなくなり、結衣にもらったダメージも、戻ってきた。
 毒はハチェットが引き受けたからか、若干の体の痺れのみ。
 これならまだやれる。
「よぉ……その影から伸びる触手、見覚えがあんぜ……。俺の事は、覚えてるか?」
「……あぁ。覚えてるぜ。ホープ・ボウにくっついてた、ガキだな? あれは俺にとってベストバウトだった。お前からの罵声も含めてな」
 結衣の顔で、悪魔が笑った。
 そして、持っていた自分の武器――槍を振るって、「なるほどな」と呟いた。
「俺はこれで戦ってやるよ。ちょうどいいハンデだろ?」
「――ハンデ?」
 幸太郎は、右のストレートを突き出し、ステップを踏んで、悪魔を睨む。
「俺ぁ、全開だ。お前を殺す為の鍛錬もした。ハンデなんて言ってたら、殺されるのはお前だ」
「くくくっ……」悪魔は、「確かにそうだな」と言って、槍を捨てた。
 まさか素直に槍を捨てるなんて思わなかったので、面食らった幸太郎だったが、すぐに思い直した。
 そんなわけねえだろ。あいつは俺をナメてる。
 だから、まっすぐ自分の顔面に向かって飛んできた槍を、首を捻って躱してみせた。
「おおっ!」どうやら、悪魔も躱すとは思っていなかったらしく、手を叩いて、無弱な子供のように喜んだ。
「すげえ! ――完全に不意をついたと思ったんだけどなあ。やるじゃん」
 敵を前に、気を抜いていなかったからこそ出来た芸当である。
 悪魔は、飛ばした槍を手元に魔法で戻し、先ほどの結衣と同じように構えた。
 本気でハンデをつけるつもりだと悟った幸太郎は、「後悔すんなよ」と、両手を挙げ、腹式呼吸をしながら、ゆっくりと下ろす。
「スゥー……」
 そして、両足のスタンスを広げ、両手を腰に下ろし、低く構えた。
「……なんだぁ? その型は。攻める気がまるで感じられねえなぁ。それで勝つ気か? 攻撃しなきゃ、勝てねえぞ!」
 間合いを詰める、穂先を突き出す悪魔。
 だが、幸太郎は槍の攻略法を、先程までの攻防で、すでに編み出していた。
 腰に溜めた腕を振るって、刃先を下から叩いた。槍のヒットポイントは、側面と先端に限られる。だから、下から叩き、上に軌道を逸らすことで無力化。
 空手の技、回し受けである。腕を回転させるように、敵の攻撃を逸らす、空手の基本防御。
 そこから一歩踏み込み、幸太郎は拳の射程圏内に敵を収め、正拳突きを叩き込んだ。
 ――だが
「なるほど、いい拳だ」
 ニヤリと笑い、悪魔は拳を握って、幸太郎の横っ面を思い切り殴った。
「グッ……!?」
 まさかここに来て、拳が飛んでくると思っていなかった幸太郎は、モロに喰らってしまった。
 しかし、結衣の体を使っている所為か、あまり効いておらず、ダメージよりも困惑が頭に満ちる。
「だけど、お前じゃあ俺には勝てねえ。俺に勝ちたいんなら、さっきの赤い悪魔を出せ」
「ふざけんな。テメエは、絶対に俺の手で殺してやるァッ!!」
 幸太郎の拳よりも速く、悪魔は手を突き出して、光弾を幸太郎に向かって放ち、それが顔面にクリティカルヒットした。
 師であるホープ以外の光弾を喰らった事がない幸太郎は、思わず「こういう感触がするのか」という気持ちになってしまった。
 上に弾かれた顔を、前に向けて悪魔を見据える。
 だが、舌に何も当たらない事にすぐ気づき、顎が砕けたと自分のダメージを確認した。
「闘志もいい。……確かめたい事は、確かめられた。俺はそろそろ帰るわ」
「に、逃すと、思ってんのか……!?」
 喋る度に、顎を鋭い痛みが走る。
 これ以上の戦いをすれば、命にダメージが届いてしまうだろう。しかしそれでも、やめるわけにはいかない。
 長年追いかけた悪魔が、目の前に居る。今日を逃せば次にいつ会えるかもわからない。だから、今死のうとも、殺すしかないのだ。
「悪いけど、こっちにもこっちの目的があるんだよねえ。だから、復讐には付き合えない。ごめんねえ」
 と、まったく悪びれずに言ったかと思えば、結衣の体から黒い霧が抜け出て、空へと登っていく。
「まっ、待て……!!」
 その霧に向かって、手を伸ばす。だが、虚しくそれは消えていく。今までの年月を、復讐に費やした年月を否定されていくような気持ちになり、幸太郎は膝を突きそうになった。
 しかし、それだけはしない。
 ここにいることはわかった。なら、今までと同じように、諦めず追い続けるだけ。
 あの黒い悪魔を殺すまで、心を折るわけにはいかない。
「――やっと、出て行ったわ……!」
 結衣が、胸を押さえて、必死に酸素を取り込もうと口で呼吸をしていた。
 そして、彼女は槍を構え直し、呟く様に言った。
「……何が、なんだか、わかんないけど、あんたも正気に戻ったんでしょ……!」
「――あぁ。……幕引きだ」
 幸太郎も、拳を構えた。
 互いのダメージが尋常ではない事を、二人共わかっていた。次の一合で決まる。
「……さっきは、俺に毒を飲ませてくれたな」
 幸太郎は、脱力したような佇まいで、ゆらゆらと揺れながら、呟く。
「今度は、俺の毒を味わわせてやる」
 そうは言うが、幸太郎が魔法を使えないことは、シンパが集めた情報で、結衣は既に知っている。
 毒薬を持っているのかとも思ったが、しかし、幸太郎の性格で毒なんて使わないだろう。それをするくらいなら、悪魔を封じ込めることなんてしない。
 だから、結衣はその言葉を無視して、最後の一撃を準備し始めた。
加速ブースト加速ブースト加速ブースト!!」
 結衣が呟く度、槍が鼓動するように震えた。
 兵は神速を尊ぶ。戦いに置いて、速さとは何よりも重要な物だ。情報伝達速度、行動速度、すべてにおいて速度が求められる。
 攻撃の究極は、すなわち、防御不能なスピードにある。
 蜂須賀流魔法槍術、奥義にして原点。
 初めて結衣が、祖父に一撃入れた技。
 その名も、『神鳴ブリッツ

 この技には、一つ欠点がある。
 もう一つは、槍の速度を加速させる奥義である為、体への負担が大きい事。つまり、後には何も残さないという、決死の覚悟があってのみ出せる技という事。

 なにがあろうと、目の前の敵を貫く覚悟を持った時のみに出せるからこその、奥義なのである。
 さらに、当たりどころがどうであれ、戦闘不能になるよう、刃先には雑に混ぜられた毒カクテル・ポイズンも塗られている。

 ――しかし、彼女はわかっていなかった。
 なぜ、ダメージを負っていようと、幸太郎が待ちを選択したのかを。
 彼は、ゆっくりと左手を突き出す。
 まさに雷の如きスピードで幸太郎の心臓目掛けて突き出された結衣の槍とは、正反対の動き。しかも、拳すら握っていない。
 だが、そんな雲の様に揺らめく掌が、穂先の前へと運ばれ、貫かれた。
 しかし、幸太郎はその槍を掴んでいた。
 加速魔法とは、与えられた速度を倍加させる魔法。つまり、元々の速度を殺せるだけの力があれば、止めることはできる。その止める事が、至難の技なのだが。
「ぶっ、神鳴ブリッツを、止め――なっ!?」
 幸太郎は、その槍を引っ張った。傷口がより深く、えげつない角度に抉られながらも。
 そして、右拳を振り上げていた。
 幸太郎は、雑に混ぜられた毒カクテル・ポイズンを二度見ている。
 一度目は、ラーメンに混ぜられたのを季作が飲んだ時。
 二度目は、先ほど自分で喰らった時。
 毒とは初見でこそ、最も威力を発揮するモノ。雑に混ぜられた毒カクテル・ポイズンは、効果が現れるまでに五秒ほどのタイムラグがある。
 奥義が止められた同様で、手を離す事が遅れた結衣は、慣性の影響で幸太郎へ向かって歩かされてしまう。
 そして、射程圏内に入った瞬間、引き金が絞られる。
 肩から幸太郎の拳が、結衣の左耳の裏を目掛けて、放たれた。
 ゴッ、という鈍い音が、結衣の頭の中を駆け巡る。
「おっ――、おぉ……!?」
 思わず、槍を手放し、幸太郎から二、三歩離れて、尻もちを突く結衣。
「槍を引っ張ってからの、カウンター……。いい、アイデアだけど、あたしは、まだ倒れてないわ……!」
「だが、もう立てない」
 幸太郎は、左手に飲み込まれた槍を、苦悶の表情で引き抜いて、倒れた。
 立って、止めを刺さなくてはならない。そう思った結衣は、地面に手をつき、立ち上がろうと踏ん張る。だが、まるで体が言うことを聞かない。まるで他人の体が、「お前なんかに好き勝手させるか」とでも言うように、立ち上がってくれない。
「……どうだ。立てねえだろ」
「それが、何よ。あたしには、まだこれが――ッ!」
 手を突き上げて、槍を取り出し、投げようとした結衣だったが、しかし、幸太郎も、同時に地面を叩き、両手で魔力バーストを放っていた。
 それは推進力となり、幸太郎をミサイルのように飛ばした。
 躱す? それはできない。
 結衣は、幸太郎の放ったパンチで、三半規管を揺らされ、体に機能障害が起こっている。
 ボクシングの技術、『アンダー・ジ・イヤー』と呼ばれるモノだ。耳の裏を殴ることで、直接三半規管を揺らし、動きを封じる、まさに神経を蝕む毒の拳。
 その拳を喰らった結衣は、当然動けず、幸太郎の頭突きを、その頭で受ける事になった。
 それだけのダメージを頭部に受け、結衣は意識を手放し、倒れた。
 幸太郎は、それを見て、仰向けになり、「よっしゃ……」とため息混じりに言った。
「俺も、まだまだだな……。もっと、修行しなくっちゃあな……」
 きっと、あの黒い悪魔は結衣よりも強いはずだと、幸太郎は拳を握る。
 体の痺れが、どんどん加速していく。
 できれば早く目覚めて、治癒魔法をかけてほしい。結衣を見ながら、幸太郎はそう思った。

  ■

「……ん? んー……」
 痛みで寝る事すらできない幸太郎の隣で寝ていた結衣が、空の色が赤に染まった頃、起きだした。
 上半身を起こし、隣に寝る幸太郎を見て、「……なにやってんのよ、あんた」と言った。
 すでに毒の痺れは取れていた彼は、手を頭の後ろに敷いて、足を組み、血まみれの顔で
「激痛で動けなくってよ。治癒魔法かけてくれると助かる」と言った。
「……しょうがないわね」
 まず、自分の体に治療魔法をかけてから、幸太郎の体に手を添えて、彼の体を治していく。
 暖かな光が彼女の手から溢れ、それが幸太郎の体を照らせば、すぐに体の傷が治った。
「うっし。やっと帰れるぜ。午後の授業まるまるサボっちまったけどなぁ」
 立ち上がって背筋を伸ばし、あくびをして、幸太郎は座ったままの結衣に手を差し伸べた。
「お前、強かったぜ。さすが森厳坂のトップランカーって言われただけはある。魔法使い相手に、こんな苦戦させられるとは思わなかったしよぉ」
 と言って、笑った。
 結衣はその手を取って、「あ、ありがとう」と困惑したように言った。
「蜂須賀流槍術、つったか。見事なもんだぜ。特に、鳩尾に石突を引っ掛けての投げ。後背筋と腕の筋肉をしっかり鍛えてなきゃあできる技じゃねえ。魔法も、基礎の光弾から腕を磨いてたのがわかるしな。俺の修行も、まだまだだって確認させてもらった」
 ありがとな、そう言って結衣の肩を叩き、幸太郎は屋上を去る。彼にとって結衣との戦いは、魔法使いを舐めてかかった自分を戒めるようなモノだった。
 黒い悪魔がこの学校に居ることが間違いでない事もわかったけれど、一つだけ気がかりな事があった。
「……なんだったんだ。あの、赤い悪魔は」
 幸太郎の中に潜んでいた、ハチェット・カットナルと名乗る悪魔。胸に手を当て、呼んでみるが、応えはなく、気配もなかった。


  ■


 その後、幸太郎は自分の寮に戻り、食堂で夕飯をたらふく平らげた後、自室でたっぷりと眠った。
 そうすると、体が万全になって、外にどれだけの敵がいようと大丈夫だと思える。
「ふぁー……あ……」
 あくびをしながら、鞄を担ぎ直し、寮と学校の間にある、森に切り開かれた石畳の道を歩く。
 相変わらず、乾いた血のような赤い髪という、わかりやすい特徴があるからか、周囲に人はいるが、幸太郎は遠巻きに見られているだけで、避けられている。
 入学してからずっとこうなので、今更どうしようという気にもならないし、どうでもいい。むしろ、周りの魔法使いはみんな敵なのだ。これくらいがちょうどいい。
「……あら。おはようございます、荒城幸太郎」
 一人の女子生徒を通り過ぎた時、その女子生徒から声をかけられ、振り返る。幸太郎を呼ぶ女子生徒など、一人しかいない。それは、総魔告葉だ。
「あぁ? ――なんだ、テメエか」
「一応顔見知りということで、朝の挨拶をしたのですから、まともな返事くらいしてもいいのでは? ……まあ、元々期待などしていませんあが」
「俺とお前は、決着がついてねえってこと忘れんなよ。今、この場でやりたいくらいなんだぜ」
「……やれやれ。もうあなたと戦う理由などないというのに。これだから野蛮人は」
「その野蛮人に負けそうだったのは、誰だろうなぁ? ええ、オイ」
 睨み合う二人。
 幸太郎はいつでも攻撃できるよう、拳を握っていたし、告葉も右手に魔力を込めていた。
 そんな時。
「ダーリィーン!!」
 と、大きな声が聞こえてきて、幸太郎と告葉は、その声がした方へと視線を向ける。
 なぜか、幸太郎に向かって笑顔で両手を広げて飛んでくる、蜂須賀結衣がそこにいた。
「なんだぁ!?」
 幸太郎は、驚きのあまり躱し損ねてしまい、思いっきり結衣に抱きつかれるハメになった。
「な、ななななんだよ蜂須賀センパイ!? 昨日あんだけやったろうが! またやる気かよ!?」
 なんとか結衣を体から外して、鞄を地面に捨て、拳を構える幸太郎。
「違うってば。もう幸太郎と戦う気はないわよ」
 はい、と鞄を拾って、幸太郎に手渡す結衣。それを訝しげに受け取り、「どういうつもりだよ」と警戒心を露わにする。
「――昨日の戦いで、私は初めて出会ったの。おじいちゃん以外に、私より強い男ってのにさ。あんたに惚れたの。だから、これからはダーリンってことで、よろしくね」
「ふざけんな」
 鞄を背負い、幸太郎は結衣に背を向ける。
 だが、結衣はまるでそれにめげず、幸太郎の腕に絡みついた。
「離せ! 俺ぁこんなバカげたことに付き合う気はさらさらねえぞ!」
「いいじゃないの、こぉーんな美少女が惚れたって言ってるんだから、もっと喜んでも」
「俺ぁ自称美少女に用はねえ」
 幸太郎は幸太郎は、腕を振り回して、結衣を引き剥がそうとするが、さすが武術で鍛えられただけはあり、まったく離れる気配がなかった。
「……よかったですね。荒城幸太郎?」
 告葉は、まるで小馬鹿にするように笑って、幸太郎の一歩先を歩き出す。
「おい! その目は納得できねえぞコラァ!!」
 追いかけようとするが、しかし結衣が邪魔で走る事もできなかった。

       

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Neetsha