Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 修行をしながら、幸太郎は思い描いた。
 目の前に立つ、小柄で槍を持つ少女の姿。
 魔法使いは、自らを一般人達とは違う事を、端的にこう表す。
『我々は、生まれながらにして銃を持つ物だ』と。
 それは、あらゆる意味で正しい。銃を持った人間に、素人が勝つ事は難しい。あらゆる要素がある事は間違いないが、最もわかりやすいのは『間合い』である。戦闘に置いて間合いとは、勝利と敗北の線引きと言ってもいい。
 一般人が非武装で魔法使いと戦った場合、開始した状況に間合いの差異はあるだろうが、大抵拳が届かない距離から開始されるはずだ。たとえボクシングヘビー級チャンピオンであろうとも、その拳が届かない距離から攻撃されては、相手に傷を負わせることすらできないだろう。
 これは、剣道三倍段という言葉が存在する事からも、明らかである。
 空手(つまりは徒手空拳の武道)が剣道に勝つには、三倍の段位が必要――。
 槍と魔法を使う、遠中距離のエキスパートに、幸太郎はどう立ち向かうべきか。
 イメージを高め、頭の中で、実際に体を動かしながら、蜂須賀結衣と戦う。光弾を躱し、間合いを詰める。だが、その先に待っている槍に腹を抉られてしまう。
 今度は攻め方を変え、光弾を躱した後、一瞬フェイントを混ぜ込み、大振りした隙を突いて拳を叩きこもうとする。だが、今度は防御魔法。
 魔力バーストで砕くが、それこそが隙であるとばかりに槍がニュートラルの状態に戻っていた。
 今度は先ほどよりも状況が悪い。悠々と狙いを定められ、幸太郎の心臓が槍に貫かれた。
「チッ……」
 舌打ち。そして、屋上の隅に置いていた学ランのポケットに入れていたスポーツドリンクを一気に飲み干し、座り込む。
「はぁ……魔法使える奴はズルいぜ……」
 空になったペットボトルを放り投げ、不規則な軌道で跳ね返ってくるそれを、拳足で壁に再び叩きつける。思い描いた場所へ、寸分の誤差なく攻撃を叩き込む。
 単純に思える事ではあるが、コレができるのは日頃の鍛錬を怠らなかった者だけだ。
 ぽん、ぽん、ぽん、とマヌケな音を鳴らすペットボトル。
 弾き返しながら、どんどん壁に近づいていき、最後に、壁と自らの回し蹴りで、ペットボトルを挟んだ。ぺしゃんこになって地面に落ちたそれを見つめ、幸太郎は下腹に力を込めて、大きく息を吐いた。

  ■

「ラーメンとカツ丼、それからとんかつに野菜炒め。あったらでいいんだけど、お新香が欲しいな。後、生姜炒めにきつねうどん。デザートにアイスクリームよろしく」
 昼休み。
 幸太郎は、カウンターに立つ学食のおばちゃんに対し、笑顔でその注文を言った。まるで聞き取れなかったように、おばちゃんは「え?」と幸太郎に耳を向けた。もう一度その注文を繰り返すことで、やっと通り、「できたら持っていくから席で待っていなさい」と言われたので、そのまま季作の待つ席へ向かった。
「あれ? なんも持ってないじゃん」
 先にラーメンを啜っていた季作が、口についたスープを拭って、幸太郎が手ぶらな事を、体中チェックするみたいに見つめる。
「できたら持ってくって言われてよ。ま、ちょい待っててくれ」
 季作の向かいに座って、彼が啜るラーメンを見つめる。他人が美味しそうに食べている様を見ると、まるで自分がそれをしなくてはならないという義務感に駆られる様に、焦り気味で腹が鳴り始める。
「あぁーっ。ここのラーメン美味いよなぁ。学食のラーメンにしちゃあ、味のラインナップが味噌と醤油っていう二つもあるしさ」
 うめえ、うめえと言いながらズルズルと音を立てる。音楽を奏でようとするみたいに、幸太郎の腹が鳴る。先程までずっと、蜂須賀結衣の対策でシャドーをしていた彼が空腹を感じる事は、相当のストレスになっていた。
「くっそ。ぶん殴ってでもそれが欲しい」
「すぐ来るからやめて。俺の傷を増やすだけになっちゃう」
 幸太郎は目を閉じて、できるだけ季作の食事シーンを見ない様にしながら、自分の食事を待つ。
 禁欲中に、ドラマの濡れ場を見ないようにする中学生かよ、俺は、と内心自虐しながら。
 そうしてしばらく待っていたら、先ほどのおばちゃんが何回かに分けて注文の品を持ってきてくれたので、二人は互いに向い合って、食事を始めた。
「……ついこの間、総魔さんと食事した時は、そこまで食べてなかったよな?」
「ん、あぁ。さっきまで動いてたからな。――なんか、戦闘とか訓練とか、とにかく激しく体動かすと、異常に腹が減ってさ。それだけ動いてる自信はあるけど。んで? 黒い魔法使いについて、なんかわかったか」
「はえーっつの。まだ仕込み段階だぜ」季作はそう言いながら、ラーメンを啜る。
「……仕込み段階?」
「そっ。情報ってのは、水道管みたいなもんなのよ。今は水――情報を通すラインを作ってるとこ」
「情報源の確保中、ってことか」
「そそっ。こういうのは、慎重に行かないと。特に、悪魔憑きかもしれないやつの情報だからな。ガセも多いし、危険も多い。――これは、お前だけじゃなくて、あらゆる人間に対して価値のある情報と見たぜ。そんな情報を集めるんだ。仕込みはいくらやっておいてもいい」
「ほぉ……。妙に説得力あんな」
「誰が味方で誰が敵か。そういうのを風で判断するのが、俺の得意技でね」
 チャーシューを口に放り込み、咬みながら笑う季作。
「ハローハロー? かっこつけながら喋ってる最中悪いわねお二人サン」
 と、そこへやってきたのは、生クリームとはちみつがたっぷりかかったパンケーキを抱えた、蜂須賀結衣だった。
 彼女は幸太郎の隣に腰を下ろし、はちみつをしつこいほど塗りたくって、ぐちゃぐちゃになったパンケーキを口に放り込む。
「きっしょく悪いモン食ってやがんな……」
 甘い物が嫌いというわけではない幸太郎ではあったが、口の中が甘味一色になりそうなそれを見て、口の中が甘く染まってしまい、食欲が少し失せた。だが、それでも残すわけにはいかない。幸太郎は野菜炒めをチャーハンに乗せて、無理矢理かきこんだ。
「アンタこそ、とんでもない量食べてるわね……」
 互いに互いの昼食を引いた目で見つめる二人。
「おぉ! 蜂須賀先輩じゃん! なに、幸太郎知り合いなの!?」
 ラーメンの中に箸を落としてまで喜びを露わにする季作。そういう手合の相手は慣れているのか、結衣は一瞬で営業用スマイルを作って、季作の手を取った。
「やだぁー、あたしの事知っててくれたのぉ? ありがとぉー!」
「気色悪ぃ……」
 眉が片方だけ引きつりながらも、笑顔をキープし、「あらひどい」と、幸太郎をこっそりと睨みつける。
「うぉ……」だが、その睨みに反応したのは、季作の方だった。「蜂須賀先輩、結構冷たい空気出すんすね……」
「あら、気づいたの?」隠すような事はせず、あっさりと認め、前髪を掻き上げる結衣。
「風属性やってると、そういうのには敏感になるんですよね……」
 深いため息を吐いて、肩を落とす季作。蜂須賀という偶像に対し、夢を見ていたらしい。
「お前な、こういう如何にも男好きしそうな女なんか信用すんなって。俺らがモテようとしてかっこつけるみたいに、女だってモテようとしてカワイコぶるんだって、師匠が言ってたぞ」
「そういう低俗なところにあたしを落とさないでくれる? あたしはね、敬われるべくしてそうなっている女よ」
 ふふん、と鼻を鳴らす結衣。なんてプライドの強い女だ、と幸太郎は彼女の印象を『アホ』から『プライドの強い女』へとシフトさせる。
 一挙手一投足、結衣が行うすべての立ち振舞を、幸太郎は見逃さない。
 利き腕を知っていれば、咄嗟の時にどちらから攻撃が飛んでくるかがわかる。
 心を形作る芯さえ知っていれば、その芯を擽り、どんな方向にでも動かす事ができる。
「悪いが俺は、アンタの見た目だけで敬う事はしない。事人生に置いて、俺が何かを譲る時、これが関わってきた」
 そうして、幸太郎は拳を握って、それを結衣に見せつける。
 まるで砂漠に堂々と鎮座する岩石のようにゴツゴツとしたそれは、一般人、引いては魔法使いが見れば多少なり驚く物だったが、結衣のリアクションは違った。
 その拳を見つめ、微笑む様に目を細めて、舌舐めずりをした。
 語りこそしないけれど、その戦いを喜ぶ表情は、幸太郎の心にグッと来る物があった。
「……ふふ、生憎、あたしはそっちの方もイケてるわ」
「……みたいだな。んで? このラーメン、弁償してくれんのか?」
 幸太郎は、そう言って自らの前に置かれたラーメンを指差して、笑う。
「……どういう事?」
 幸太郎は、腕を組み、背もたれに体重を預ける。
「わかりやすすぎんだよ。さっき、季作の手を握った時、俺のラーメンになんかしたろ。握手したのとは反対の手で、ラーメンに向かって水滴みたいなのを飛ばしてたのが見えたんだよ。魔法で作った毒か?」
 一挙手一投足を見逃さない。
 それは、こういう対峙する前に行われる不可視の攻撃に対しても効果を発揮する。この女は、戦いを知っている。
 常在戦場。自らが存在する場所、それはすべて戦場になる。
 不意打ちや毒を盛る事など、勝つ為ならして当たり前の行為。
「……やるわね」
「やけにあっさり認めるな」
「まあね。これが失敗しようが、成功しようが、あたしにとってはどうでもいい事。毒を持つ生物のいやらしさ、たっぷりと味あわせてあげる」
 そう言って、先ほどから食べ進めていたパンケーキ、その最後の一口を頬張り、結衣は席を立ち、二人の元を去って行った。
「……何、幸太郎、もう蜂須賀先輩に喧嘩売ったの?」
 ぽそりと、周囲に聞こえないよう呟く季作。幸太郎は、どれだけ心が今の一言で歪んだか表す様に、眉間にシワを寄せる。
「お前な。俺がそんな、誰彼構わず喧嘩売る様な人間に見えるか?」
「見える」
「人を見る目があるって褒めたいところだが、理由がないとやらないからな? 俺だって」
 幸太郎は、辟易としながら、ラーメンを避ける。結衣の毒が入ってしまった以上、食べたらどうなるかわからない。そんなものを食べるほど、幸太郎のチャレンジ精神は強くない。
「……もったいねえなぁ。それ、食べていい?」
「……解毒魔法とか、覚えてんのか?」
「いいや。ただ、ラーメン道を極める物として、たとえ毒が入っていようと、ただ伸びていくラーメンを見過ごすわけにはいかない」
「まあ、俺ぁ別にいいけど……」
 死ぬ事はさすがに無いだろう、と高をくくり、幸太郎はラーメンを差し出した。自らの分はすでに食べ終わっていた季作は、それを受け取って、スープを飲んで、麺を啜る。
「美味いっ!」そう叫んだ次の瞬間、丼に顔面を突っ込んだ。
「おわーッ!? 何してんだお前は!」
 季作の頭を掴み、丼から掬いあげると、季作はラーメンに溺れる事が出来て幸せだと言わんばかりの表情で、眠りこけていた。
「……気づかなかったら、俺がこうなってたってわけか」
 毒を持つ生物のいやらしさ。
 幸太郎は、その言葉を頭の中で何度も反芻する。学校に来て二戦目にしては、少しヘヴィな相手。
「……くっそ恥ずかしい」
 今は蜂須賀先輩のことより、こいつをどうするかだな。
 幸太郎は、今日何度目かのため息を吐いた。

       

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