Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

 自分たちが散らかした皿をきちんと片付けた幸太郎は、気絶したのか眠ったのか、いまいち判断のつきにくい季作を背負って、保健室へやってきた。
 保険医である初老の男に季作を預け(なんで女じゃねえんだ、内心毒づく幸太郎)、五時間目の授業に出ようか迷ったが、季作のいない針の筵みたいな教室に行ってもロクな事にならないだろうと、幸太郎は学園をぶらつくことにした。
「あれ、幸太郎くんじゃないか」
 ぶらつこうと決め、廊下を歩き出した時、幸太郎の担任である南雲秀弥が、頭を押さえて青い顔色をぶら下げ、幸太郎の反対からやってきた。
「うっす」
「教室はあっちでしょ。――サボりかな?」
「まあ」
「一応僕も教師なんだけどなぁ……。サボりを堂々と言わないでよ。成績落としちゃうぞ」
「俺ぁ別に、ここ卒業できなくても全然いいんで、構わないっすよ」
「ちぇー。教師になって、生徒を成績の事で脅すのが楽しみだったのにな」
「性格悪いっすね……。んで? 先生は、給料泥棒すか?」
「んー、だといいんだけどねえ。僕は持病の偏頭痛で、ちょっと休ませてもらおうと」
「そっすか。俺はとりあえず、学校の見学行くんで……」
 踵を返し、その場を立ち去ろうとするが、その肩を南雲に掴まれ、幸太郎は表情を厳しくして振り返る。
「……なんすか」
「やだなぁ。どうせ暇なんでしょ? 僕、ベットにただ寝るだけって、暇で嫌いでね。お話しようよ。いろいろ気になるんだよね、キミはさ。ホープ・ボウ、僕は彼に憧れててねえ……。『実録、悪魔と戦うには!』バイブルなんだよー」
 幸太郎は、父親が過去に調子に乗って書いたラブレターを恥ずかしげもなく見せつけられた気持ちになって、顔が赤くなった。
 ホープは、自分で経験した事を自伝にし、出版社に持ち込んだりしていたらしく、幸太郎はその印税で育てられた。
「懐かしいなぁ。俺もそのくっそ恥ずかしい、おっさんを褒め称える本を、修行の際の教科書にさせられたっけな……」
 実際、書かれている内容はホープでなければ実戦不可能な事ばかりだったので、自伝や教則本というよりも、伝奇小説めいた人気だった。幸太郎も、まるで漫画の技を再現せよと言わんばかりの無茶な修行で、いつも半べそだった。
「ねえ、本当にホープさんは、全属性ミックス弾なんて、撃てたのかい?」
 興味津々、と言わんばかりに目を輝かせ、幸太郎を逃がさないよう、両手で肩を掴む。その熱意にちょっと引きながら頷く幸太郎。
「ほ、ほんとかい!? いやあ、すごいなぁ。あの描写はホープ・ファンでさえ半信半疑だったんだけどねえ。弟子が言うならホントだなぁ」
 全属性同時を全部混ぜた魔力弾を撃つ。
 火と水が相反するように、相性が悪い属性という物があるのは当然。全属性を混ぜて撃つという事は、その相性が悪い属性でさえ混ぜるという事。
「うーん……どうやってあれを再現しようか、魔法大学時代は友達と腐心したもんだぁ……」
 懐かしいなぁ、と恍惚の表情を浮かべ、保健室に入っていく。
 今しかない。幸太郎は、ダッシュでその場を逃げ出した。
「あっ、幸太郎くん! ――まったく、ちょっとくらい先生の話に付き合ってくれてもいいのになぁ」

  ■

「あー、かったる……」
 なんで俺が逃げ出さなきゃならんのだ、と幸太郎は肩を落とし、裏庭へとやってきた。森厳坂学園は、山の奥にある。切り開かれた敷地内と山の境界線は、自然豊かな広場の様になっており、まだ来て日が浅い幸太郎が見つけた数少ない安息の地である。
 中心にある、一番大きな木。その股の下に寝転がって昼寝する。
 絶対に気持ちいいだろうな、と幸太郎は昼寝のタイミングを伺っていたのだが、今日がその時。
「……んあ?」
「……なっ」
 その、幸太郎の寝床となるはずだった場所に、総魔告葉が腰を下ろし、文庫本を開いていた。木漏れ日というスポットライトを浴びた彼女は絵になっていた。
 普通なら、彼女こそこの場にふさわしいと、遠慮して他の場所へ移動しようとするのだろうが、幸太郎がそんな空気を読むような事をするわけもなく。
「なんでテメーがここにいんだよ。どけ」
「……相変わらず無礼な男ですね。ここはアナタの場所ではないはずですが」
「俺が予約してたんだよ。せっかくリラックスしに来たのに、不愉快なツラ見ちまったぜ……」
「こっちのセリフです。とっとと立ち去ってください」
 睨み合い、互いにいつ牙を剥くのか警戒しながら、幸太郎は樹を挟んで、背中を合わせた。
「……蜂須賀結衣」告葉は、本から目を離さないまま、そう呟く。
 昼寝しようとして寝転がっていた幸太郎は、「あん?」と空を見上げる。
「あなた。蜂須賀結衣……先輩と戦うそうですね」
「なんで知ってやがんだよ」
 と、ちょうどその時。
 幸太郎のケータイが鳴った。それを取り出し、画面を確認すると、季作からのメールだった。

『さっきはサンキュー。んで、俺の友達で、蜂須賀先輩シンパがいるんだけど、そいつが蜂須賀先輩から送られてきたってメール見てから様子がおかしいんだよ。俺もそのメール見せてもらったんだけど、自分の配下(ファンクラブ)に協力要請のメール送ってるらしい。当然、お前を倒す為だろうな。んで? どうすんの』

「なるほどね。噂にもならぁーな」
 幸太郎は、『さんきゅ』と簡素なメールを返して、ケータイをポケットに戻す。そうして、告葉はすらすらと、まるで本に書いてある事を読むみたいに言った。
「蜂須賀先輩は、入学時からこの森厳坂のトップランカーだった女ですが、勝てるんですか?」
 私でも苦労すると思いますが、と言って、告葉は本を閉じて、立ち上がる。
 幸太郎も、それと同時に立ち上がった。
「――お前程度なら楽勝だな」
 二人は、同時に同じ方向を向いた。互いではなく、明後日の方向だ。 その視線の先――茂みの中から、一人の男子生徒が出てきた。制服をきっちり着こなした、眼鏡の男子生徒だった。
 彼は頭を下げ、ちらりと告葉を一瞥してから、幸太郎へ視線を固定する。
「テメーか。蜂須賀のシンパってのは」
 彼は、幸太郎を指さし、魔法陣を描く。
(魔法――ッ!? 陣がある――精神感応系じゃない。攻撃――にしては陣を描くスピードが遅い――思考直結魔法か――)
 それらを一瞬で判断し、幸太郎は抵抗せず、その魔法を受けることにした。
 精神感応魔法――要するに、催眠術に似たような効力を持つ魔法が、わかりやすく陣を持っている事はそう無い。なぜなら、実用性に欠けるので、最初から陣の代わりが用意されている事が多いからだ。
 幸太郎の頭に、声が響く。

『ハローハロー? 荒城幸太郎。あたし、蜂須賀結衣よ』
「……んだよ、蜂須賀センパイ。用があんならそっちから出向けよ。さっきみたいによぉ」
『さっきのあれは特別。本来、女王から出向くなんてことはありえない。――ゲームをしない? 幸太郎』
「ゲームだと? ったく。子供染みた外見で、言動も思考もガキとなっちゃ救いようがねえな。ガキなのはおっぱいだけにしとけよ」
 聞こえるはずはないのだが、向こうから結衣の堪忍袋の緒が切れるような音がした。
『……もういいわ。ほんと、もうアンタなんかいらない』遊びつくした人形にかけるようなため息を吐く結衣。『あたしを倒したいなら、この学園の屋上にいるから、今すぐそこへいらっしゃい。ただし、あたしの配下には、アンタの姿を発見次第襲えと通達を出してあるわ。無事辿りつけたら戦ってあげる』
「……上等」
 パチン、と、結衣は指を弾いて鳴らす。
 そしてその瞬間、目の前に立っていた男子生徒が手を幸太郎に向けてかざす。
 光弾――ッ!
 幸太郎は、踵で靴を脱いで、その手に向かって靴を飛ばした。腕がズレて、幸太郎から軌道が逸れた光弾は、告葉へ向かって飛んだが、告葉は周囲に銀の名を与えられし水プラスシルバーを張り巡らせ、光弾をガード。
 それを我関せずという表情で、まっすぐ目の前の敵だけを見据えたまま、裸足になった足を勢いよく戻して地面を蹴り、足先から魔力バーストを噴出。
 威力を上乗せした一足飛びで、急速に距離を詰める。
「――ッ!?」
 空中で体勢を整え、飛び蹴りを鳩尾に叩き込んだ。
「こ、ッ――あ」
 肺の中の空気が強制的に吐き出され、男の意識は魂が抜け出る様に断ち切られた。
「おい」
 幸太郎は、靴を履き直しながら口を開く。
「こいつに回復魔法かけてやってくれねえか。結構いいの入っちまったしよ」
「……まあ、いいでしょう。あなたの頼みだからではなく、人の道として」
「ありがとよ」
 大きく息を吐いて、手首と足首をほぐしながら、にやりと笑う。
 命というグラスを、ボールの上に置くようなスリル。グラグラと揺れる自分の命を見て笑うほどの乾き。幸太郎は一歩踏み出し、舌舐めずりをした。
 わりぃな、師匠おっさん
 戦う時だけは、復讐のこと忘れちまうわ。

 ■

 味方は居ない。
 誰が敵かはわからない。そんな状況だと言うのに、幸太郎は堂々と校舎へ向かって歩いた。
『いいか小僧コウ
 幸太郎の脳裏に、ホープの声が響く。
 得意げな顔で、煙草を吹かす彼の姿も見えた。
『男は一度外に出れば、七人の敵がいると思え、なんて言葉がある。――まあ、俺様の場合は七億人くらい居るが。そしてそいつら全員が一斉にかかってきても平気だが――。んまあ、お前みたいなモンは、そうもいかんだろう。敵が誰だかわからん状況で、それを判断する簡単なコツを教えてやる』
 幸太郎は、まっすぐ歩く。
 まだ昼休みだからか、周囲には運動に勤しむ生徒達がいたり、魔法の練習を行う生徒達がいたりする。今の幸太郎にとっては、誰も彼もが敵に見える。
 ベンチで話し合う女生徒二人の前を通ろうとした瞬間、幸太郎は、片方の女生徒と同時に、拳を突き出した。
 だが、女生徒の方は当然魔法である。突き出した掌、魔力が練られ、外気に触れ、現象になるまで、拳を突き出すワンアクションと比べれば、新幹線とSLほどの差がある。
 散手で、幸太郎は彼女の顔面を軽く叩いた。
「キャァ!」
 突然の不意打ちに、女生徒は目を押さえて転がり、ベンチから落ちる。仰向けになった瞬間、幸太郎は彼女の腹を踏みつけて、気絶させておいた。もう一人の女生徒も、幸太郎へ攻撃を仕掛けようとしたが、仕掛ける距離を誤った。手が届く距離は、幸太郎の領域。
 彼女の首へ手を伸ばし、軽く片手で握ってやる。
 気道が圧迫されて、呼吸がままならない。そこで幸太郎に手を伸ばし、魔法を放つ事ができれば、彼女にも正気はある。
 だが、人間は首を締められると本能的にその締め付ける物を外そうとして、首へと手をやってしまう。
 さらに、呼吸が乱れて集中出来ず、魔力を練る事もできない。
「なっ、げ……ッ、わだし、だぢが……」
「あん? なんで敵だってわかったか、だと?」
 幸太郎は、彼女の瞳を覗き込み、「教えるわけねーだろ。テメエで考えろ、魔法使い」
 親指の位置を動かし、幸太郎は彼女の血管をより強く締める。
 酸素が巡らなくなった脳は、ガス欠の車みたいに止まって、彼女は白目を向き、ぐったりと力を抜いた。
 彼女から手を放し、残心を怠らず、気絶したかどうかを、首筋に手を当てて呼吸で確認する。
 規則正しい呼吸だ。しっかり落ちているらしい。
『お前を狙っている敵は、素人の場合、お前の姿を見た瞬間、一旦空気がリセットされるんだ。
 ――ああ? わかりにくいだぁ?
 んー……なんつうのかなぁ。例えばだ。お前の事を知らんぷりしようとするだろ? そうすっとだ、一瞬だけ準備する時間が生まれるんだよ。
 表情が一瞬険しくなったり、落ち着きが無くなったりな。
 確実じゃあないが、かなり高確率だ。覚えといて損はないと思うぜ。
 目は口ほどに物を言う、って言葉があるが、口だけじゃない。体の動き全てに意味がある。視野を広く持てよ』

 ――ああ、わかってるよ。師匠。
 魔法は落伍者でも、相手がどんな力を持っていようと、自分の持てる全てを研ぎ澄まして戦って、打ち砕く。
 沸騰する血。急く足。
 すべてを抑え、クールに歩を進める。
 まるで噴火する前のマグマみたいに、体が震える。久しぶりの大暴れ。
 幸太郎の胸、もっと奥にある何かが、そっと疼いた。

       

表紙
Tweet

Neetsha