Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 屋上に行けば、蜂須賀と戦える。
 幸太郎は口笛を吹きながら、廊下を歩いていた。周りの生徒は奇っ怪な目で見ていた。目付きの悪い、乾きかけた血みたいな赤い髪の男が、そんな上機嫌にしていれば、嫌でも目立つというもの。
 そんな中、幸太郎の前に三人の男子生徒が立った。
 敵意を存分に混ぜた視線で幸太郎を見つめていたが、彼は軽く笑ってから、小さく足の裏に魔力バーストを放ち、それを何度も繰り返すことで彼らの間をするすると抜けていった。
 彼らは、幸太郎の背中を信じられないように見ながら、しかしただ素早いだけだと掌に魔力を練り込んで、幸太郎の背中を狙う。
 だが、幸太郎が左手を軽く挙げて、握っていた拳を開く。
 そこから、制服のボタンがいくつも落ちていた。
 はらりと、男子生徒達の制服が開いて、中のシャツが露出した。通り過ぎざま、幸太郎が引きちぎったのだ。
「……わりぃんだけど、俺ぁ今、セール品の肉なんて食う気しねえんだわ」
 目指すは、上等な脂が乗った高級霜降り。
 学園トップランカーと言われた女、蜂須賀結衣ただ一人。
 三下とやって萎えるのだけはごめんだった。

  ■

 腹が減ればなんでも美味い。
 しかし、元から美味い物なら尚の事。もっと我慢すれば、もっと美味い物が食える。幸太郎は、蜂須賀シンパを軽くいなしながら、屋上に辿り着いた。
 屋上には誰もいない。と、思いきや、給水塔から飛び降りて、結衣が幸太郎の前に立った。
「……来たわね。来ると思ってたわ」
 彼女は、槍を肩に乗せて、幸太郎を睨む。殺意もやる気も充分。漲っていた。
 槍の間合いから三歩ほど離れた位置。互いの射程距離は、まだ重なっていない。幸太郎は拳を挙げて、いつもの構えを取った。
 左半身を向け、左拳のガードは下気味。そして、右拳は顎の横に置く。当然、握りは軽くだ。ボクシングに明るい人間から見れば、『防御は完全無視の構えか』と思うだろうが、幸太郎にしてみれば、これは攻守バランスの取れた構えだった。
 左手はジャブ、そして攻撃をいなす為に前方へ押し出している。フリッカー気味の拳で前方からの攻撃を叩き潰し、叩き潰せない攻撃は掌で押して逸らす。
 そうして作った隙で一気に飛び込み、自慢の右ストレートで叩き込む。
 体格に恵まれたわけではない幸太郎が、どうやって相手を一撃必倒の元に倒すか。
 ――当たり前の誤解ではあるが、ボクサーは腕力でパンチを打っていると思われている。だが、実際には腕力など一つの要素に他ならない。
 大事なのは体の『キレ』
 膝を強く踏み込んで、腰を回転させ、肩から肘で拳を押し出す。
 まるで拳をムチの様に使って、相手の急所を撃ちぬく。
 ガチガチの打撃系ストライカーである彼には、その体のキレが第一なのだ。
 そうした基礎を知らない結衣は、槍を両手で持ち、前のめりの様に構える。
 彼女の槍は、名称で言えば大身槍に近い。戦国時代の足軽が持っているような、刃の部分が長い槍、とでも言えばいいのだろうか。
 絵に無数の紋様が刻まれている所からも、彼女の魔法に無くてはならない物である事は明白。
 ――ボクサーがジャブから入るように、魔法使いの戦術は、光弾から入るのがセオリーとされる。相手の手垢と血で汚れない様、綺麗な身で勝つのが魔法使いの理想。
 だが、そんな理想はクソ食らえだと言わんばかりに、結衣は一歩踏み出し、唇を尖らせ、鋭く息を吐いて、槍を突き出した。
 幸太郎は、その光景を見て、にやりと笑った。
 まずは丁寧に躱す。
 腹を狙って――、一撃目。
 サイドステップでそれを躱し、次いで二撃目の横薙ぎをバックステップで躱す。
 大きい横薙ぎだ。これなら飛び込んで、蜂須賀の顎をフックで揺らして、足に機能障害を起こすことができる。
 幸太郎は、足裏で魔力を爆発させ、超人的な踏み込みで、自らの拳の射程範囲に結衣を納めた。
 動作はコンパクト、最小限に、最短距離で。
 チンジャブ。
 渾身の右ストレートが、結衣を狙う。
(この男――ッ、マジ!? あたしの美少女顔プリティーフェイスに、なんの躊躇いもなく拳ぶつけようっての!?)
 そんな困惑が、結衣の心に満ちるが、表情は輝いていた。
 左手を突き出し、光弾を発射。
(早ぇ――ッ!! さすがトップランカー!)
 幸太郎の経験則で見ると、彼女は魔力の練り込み速度、そしてその密度、モーションの鋭さ全てに鍛錬の匂いが染み付いていた。
 魔法は技術。
 戦いは遊び。
 そういう考えの魔法使いが多い中、彼女はひたすらに実戦のための牙を研いでいた。
 そういうところが見えて、幸太郎は彼女を見直し始めていた。
 だが、だからといって負けてやるほど、幸太郎は甘くない。
 迎撃か、それとも回避か。迎撃すれば隙ができて、槍がニュートラルに戻る。
 回避? どちらにせよ同じ――いや、こちらの方が悪手だ。ステップで躱してもまだ槍の射程圏内だし、今度は光弾が連射で飛んでこないとも限らない。
 まだ結衣が様子見している今こそ、ぶっ倒すチャンス。
 幸太郎は、そのどちらでもなく、光弾に向かって突っ込んだ。
 その光弾を、鍛えた腹筋で受ける。
「うグッ……!?」
 腹の中で昼食が出口を求めてグルグルと回る。だが、幸太郎は踏ん張った。もっと痛いのをくれと言わんばかりに、踏み込んだ。迎撃すれば、回避すれば隙ができる。なら覚悟を決めて踏み込むだけ。
 覚悟は、痛みを避けて通ることではない。
 痛みをその体にどれだけ受けても倒れない事だ。
「このまま――ッ!!」
 渾身の、左ジャブ!
 矢どころではない。弾丸の様な左ストレート。魔法使いなら、間違いなく喰らっていた。
 だが、結衣は防御魔法シールドを張っていた。寸止めのような位置で幸太郎の拳が止まる。だが、幸太郎の左拳は、魔力バーストで防御魔法を砕く。そのまま突っ込むのではなく、フェイント気味に素早く拳を引いた。
 そのまま、ワン・ツーのリズムで、右拳を素早く結衣の顎に叩き込んだ。
 結衣の顎が左に揺れる。改心の一撃に見えた。
 ――幸太郎の表情を除けば。
(手応えが浅ぇ……! この野郎、拳を知ってやがる!)
 喧嘩をしたことがあるようにも見えない彼女が、先に頭を振って、さらにサイドステップまでして、拳の衝撃を殺した。
 結衣は見事なステップで幸太郎から距離を取って、自らの肩を抱いて、俯いてブルブルと震えた。
「……ッ! いい、いいじゃない荒城幸太郎……!」
 顔を挙げて、彼女は幸太郎をうっとりとした目で見つめた。
 幸太郎も、にやりと笑って、構え直す。
「やっぱ、ぶつかってみねえとわかんねえな」
 口には出さないが、幸太郎は彼女を見直し始めていた。戦いを知っている魔法使い。九波とも、告葉とも違う。
 九波はただ、自分の魔法を相手にぶつけることを生き甲斐とする独り善がりの野郎だった。
 告葉は、魔法が上手く、確かに驚異的だったが、戦闘の『いろは』の『い』も知らない少女だった。
 だが、目の前の蜂須賀結衣は違う。
 戦闘を知り、魔法も知っている。九波とは違って、幸太郎を見据え、告葉とは違い、魔法以外の技術も制する。
「一つ聞いてもいいか?」
 構えを取り、臨戦態勢を崩さないまま、幸太郎は口を開く。
「……何かしら?」
「お前、拳を知ってるな? この魔法時代、拳を握るやつは少なくなった。まあ、マジック・ボクシングなんてモンがあるが――」
 結衣は、幸太郎を見つめたまま、一挙手一投足見逃さないよう、視線を動かさずに答える。
「――答える義務はないでしょ?」
「だな」
 ゴングもない。それどころか、ギャラリーもいない。
 合図なんて何もない。なのに、二人は一斉に動いた。

  ■

 蜂須賀流槍術、という武術がある。
 お察しの通り、蜂須賀結衣の実家であり、戦国時代に端を発する古流武術。一対多数の戦いを得意とし、そのあまりに華麗で鋭い立ち振舞から、大名直々に『蜂須賀』の苗字を頂いた。

 魔法という技術が入ってきて、科学との違いが一般に線引されるまで、科学の立場が一時的に悪くなったことがある。
 主に鉄鋼業だ。鉄の加工が魔法で容易になり、技術がしっかりと定着するまでは、鉄鋼業の株が軒並み下がった。
 ――そしてそれは、格闘技にも起こったのだ。
 何度も言うが、魔法使いとは『生まれながらにして銃を持つ者』であり、銃を持っている人間相手に戦う事は、プロの格闘家でも避けたがる事態だ。
 格闘技をやる人間は、その程度の差と味付けが違えど、共通して「誰よりも強くなりたい」という根幹がある。
 しかし、もしも街で魔法使いと喧嘩になれば、格闘技などなんの役にも立たない。
 格闘技でいうところのジャブ――光弾で一撃の元倒れているのが落ち。
「そんならやる意味ないじゃん」
 誰しもがそう言った。
 そしてそれは、蜂須賀流槍術でも同じ事。
 だいたい現代社会で槍を持ち歩けない以上、普通の格闘技以下ではないか。
 彼女の実家は、そして誇りである技術は、そうしてバカにされ続けた。

「……結衣や。もうやめなさい」
 実家の道場。
 現在から遡って、一〇年前。蜂須賀結衣、七歳。移動の際の足捌きを隠すための袴道着を来て、彼女は師匠である実の祖父と試合をし、負けて、跪いていた。
「はぁーッ……はぁーッ……!」
 息を特殊な呼吸法で整え、立ち上がって、祖父を見つめる結衣。
「何を、言ってるの、おじいちゃん……。あたしが、あたしが強くならなくちゃ――」
 彼女は、泣きそうになった目をこすり、祖父を見つめる。
「魔法なんかに、私達の槍は負けないって、私が証明するんだから!」
「……いいんだよ、結衣。お前はまだ小さい。それは私の――」
「おじいちゃんだって、もう全盛期は過ぎてるじゃない。なら、あたしの全盛期をもっと高めることが、蜂須賀流の反映に繋がるの!」
 祖父はその言葉で、結衣を抱きしめた。瞳から涙が流れるのを、結衣に見られない為に。
「……いいんだ。お前は自分の人生を楽しめ。もう死ぬ武術に、お前のこれからを懸ける事はないんだ」
 声が震えていたから、結衣は涙を見ずとも、祖父が泣いているのがわかった。
 祖父は強い男だ。槍など無くとも、大の男一〇人だって問題じゃない。そんな祖父が泣いていた。
 生まれた時から可愛がられて、厳しく武術を叩きこまれた。
 尊敬していた。誰よりも強く、一人でも生きていける男。しかし、家族を愛し、自分を愛してくれた。
 それが、時代が変わったくらいで、今までの人生がドブに捨てられる。
 祖父を敬愛する彼女にとって、それは自分自身がどれだけバカにされたとしても到達できないほどの熱を持った怒り。
「あたしが、もっと強くなって、魔法なんか跳ね除ける。そしたら、胸を張って言うんだ。あたしのおじいちゃんこそ、地上最強だって」
 もっと強く、祖父が結衣を抱きしめた。

 だから、彼女は祖父のツテを頼り、あらゆる武道と対決した。格闘技冷遇時代。互いの傷を舐め合う様に、あるいは、格闘技の力を確かめる為に、格闘技経験者がこぞって試合を多くするようになった。
 そういうドサクサに紛れて、結衣も他流試合を多くした。
 同い年、年上、大人。
 才能に恵まれ、指導者に恵まれた。しかし、ここで一つの問題が発生する。
 彼女が、剣道相手に戦った時の事だ。
 間合いは槍の方が有利。だが、小回りは効かない。剣道は握りによって、手首をちょっと捻るだけで切っ先が縦横無尽に駆け巡る。
 槍に比べて変化に富むその動きに、非常に苦労させられたのを結衣は覚えている。だが、それに勝った。
 しかし、面を外している最中。
 また一つ、蜂須賀流槍術の最強を証明した喜びを噛み締めていると、相手が身内に対して放った言葉が聞こえてきた。

「いやあ、あの子可愛いから、つい手を抜いちゃったよ」

 頭が真っ白になった。
 そんなはずない。本気の鋭さを持った剣筋だったはずだ。あれが手抜き? 冗談じゃない。
 最強を目指す私に対して、手を抜いたっていうの?
 蜂須賀は、気にしていない風を装って、シャワー室へ入って、道着を着たまま泣いた。
 まるで彼女が負けたみたいに、泣いた。
「ふざけんなッ!!」
 真っ白なタイルを殴った。決して武道家としては恵まれた体格ではない。女性としても小柄なその体躯で、大人と同じ槍を振り回すのだ。見えないが、その内に秘められた筋肉量は、同年代の男子ですら軽く凌ぐ。
 そんな彼女の右ストレートで皮が剥け、白いタイルが赤く染まった。
 可愛いという言葉に、何度もぶつかった。
『あんな可愛い顔を傷つけるのは悪くてねえ』
『可愛い子なのにすごいねえ。あんだけ槍が使えて』
 勝ったのに、手加減する理由があったと言われているようで、結衣のプライドは酷く傷つけられた。
 その度、『向こうがプライドを守るために言ってるんだ』と言い聞かせ、『私が女だから、褒めれば悪い印象は抱かないとでも思っているんだ。私は可愛いなんて言葉はいらないし、自分が可愛いとは思わない』と、鏡を見ながら思った。

 しかし、事実彼女は容姿に恵まれていた。
 小学校中学年程度になってくると、男子生徒がクラスメイトの女子がどれだけ魅力的かに気づいてくる。
 一人の男子生徒が――まず間違いなく結衣に好意を抱いていた男子生徒が、結衣を遊びに誘った。
 しかし、修行があるからと断った。男のプライドが傷つけられたと思ったであろう彼は、おおよそ結衣にとって、一番言われたくない事をピンポイントで言ってしまったのだ。

『もう格闘技なんて終わったモンじゃん。時代は魔法だよ。それに、蜂須賀は可愛いんだしさ、そんな男っぽいもんやってないで、もっと女の子らしいことしなよ』

 彼女のコンプレックスを、二つ同時に刺激した。
 激昂した彼女は、拳で男子生徒の鼻っ柱を思いっきり殴った。
 そして、思い切り泣きじゃくった。男子生徒は理由がわからず、鼻血を出して結衣を見つめていた。本人としては褒めたつもりなのに、殴られた上に泣かれたのだ。褒めるつもりが、傷つけてしまう。人生ではよくあることの、初体験。
 それから彼女は、二つの答えに辿り着く。

 魔法が人間の技術となってから、その才能を集めようと人間社会は貪欲になった。だから、まるで流行病の予防接種をするように、学校で魔法の才能があるかどうかをチェックする決まりになっている。
 そこで、結衣は自身に魔法の才能があることを知った。
 魔法を毛嫌いしていたあたしに、魔法の才能があるなんて、皮肉だなぁ。
 そう思った。
 だが、そこで閃いた。
 もし、もしも蜂須賀流槍術に、魔法を組み合わせたらどうなるんだろう……?
 純粋な興味だった。だが、槍術に無粋な物を持ち込むのでは? そうも思った。
 だが、合気道にも槍術を模した型がある。むしろ時代に合わせて消えない為の努力をするべきなのではないか?
 結衣はそう思い、祖父に相談し、蜂須賀流魔法槍術を完成させた。
 そして、そうなってくると、もう一つのコンプレックスにも、答えを出した。
 そうだ。あたしが女で、可愛いと言われる事も、組み込んでやる。
 あたしの体すべて使って、勝ちを拾うんだ。

       

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