Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 おそらく、雑に混ぜられた毒カクテル・ポイズンこそ、蜂須賀結衣の奥の手だろう。だが、なぜ奥の手を晒した?
 毒というのは秘密だからこそ威力を増す物だ。
 槍は殺傷力の高い武器であり、当たればタダでは済まない。そこに毒が加われば、相手へのプレッシャーも大きいが、それよりも警戒させない方が当てやすいはず。
 何か狙いがあるはずだ、と幸太郎は考える。
 しかし、当たってみなければ何もわからない。
 幸太郎が使う『対魔法使い戦術アンチ・マジックシステム』に欠点があるとすれば、それは相手を知らなければ全力を出せないという事にある。
 根幹は『魔法への対処法』である為、魔法使いが全員使える、光弾や防御魔法には強いが、蜂須賀の雑に混ぜられた毒カクテル・ポイズンや告葉の銀の名を与えられし水プラス・シルバーのように、使用者本人が編み出した、いわゆるオリジナル魔法は、一度戦ってみないと対処ができない。
 つまりは、初見に弱いのだ。
 そしてそれが、対魔法使い戦術アンチ・マジックシステム最大の弱点と言っていい。
 幸太郎はガードを下げた。つまりは、両手をだらりと下げて構えてもいないという事。
 そのまま、ステップを踏んで。リズムに乗る。
 回避に専念し、結衣の懐に潜り込む。それを重視した構えなのだ

 結衣はそのノーガード戦法を怪しんだ。
 ここに来て、防御無視だなんて、何か企んでいるのでは?
 そう思ったが、しかし彼女は、自信に溢れていた。
 なにがあろうと、叩き潰す。
 一歩踏み出し、間合いに幸太郎を入れて、槍を突き出した。
 サイドステップで躱す。
 先ほどまでは横薙ぎで追撃してきたが、今回の蜂須賀は、素早く引いて、もう一度突き出した。
 ボクシングのジャブめいたスピードで毒の槍が突き出され、幸太郎は回避で一杯になってしまう。
 突いて、逃げた方向への横薙ぎは、確かに当たりやすいが、外した時は隙が大きい。しかしこれなら、懐に入るリスクはグッと減る。
 だが、リスクは減れど、当たり難い。
 槍はその構造と大きさ上、直線的な攻撃になってしまう。
 今更ただの直線攻撃が当たるほど、幸太郎の格闘センスは鈍くない。
 ステップを踏み、結衣の手元を見て、上体を反らしたりしながら、悠々と躱す。
 体格差もある所為で、身体能力は完全に幸太郎が上回っていた。
 リズムはわかった。そして、横薙ぎを廃した突きの連続攻撃で、懐に潜り込まれるのを恐れているのもわかった。
 結局、今の上体ならやる事はボクシング相手と同じ。
 槍が引き戻されるのと同時に突っ込んで、急所に一撃入れる。
(――ここだッ!)
 幸太郎は、槍が思い切り突き出され、戻される瞬間、踏み込んだ。
 見え見えの大振りテレフォン・パンチになっても構わない。槍を捨てて逃げる時間も与えない。
 肩に、チクリとした痛みが走った。
 何度も拳を振るったから、肩の筋肉が傷んだのかと幸太郎は思ったが、違うのだとすぐにわかった。
 振り切るはずだった拳が、止まった。
 それどころか、体が動かない。足が震えて大地に掴まっていられず、幸太郎は尻もちを突いた。
「なっ、なん――だッ……?」
 幸太郎は、反射的に舌を噛んだ。激痛で気付けをし、意識だけは失わない様に。
 そんな彼を見下す様に、結衣は石突を地面に突いて、戦いは終わったとばかりにため息を吐いた。
「――本当、強かったわ。幸太郎」
「ばっ、かやろ……、まだ、終わってねえだろが……」
 そう言いながら、幸太郎は周囲を探った。
 結衣の槍は当たっていない。だが、これは間違いなく、結衣の雑に混ぜられた毒カクテル・ポイズン
 そこへ、屋上の入り口に隠れていた、一人の男子生徒が現れた。彼女は結衣の隣に立つと、小さく頭を下げる。その目には光がない。先ほど幸太郎を呼びに来た男子生徒と、同じ目だ。
 おそらくは蜂須賀に精神感応魔法をかけられ、自由意志を奪われているのだろうと、幸太郎は予想する。
雑に混ぜられた毒カクテル・ポイズンをこいつに渡しておいたのよ。私が説明を始めたら、隙を見てあんたに撃ちこめって指示してね」
「……だか、ら、毒の効力を、説明しやがったのか」
 毒の効力を知っていれば、幸太郎は槍に注目し、周囲への警戒を怠る。結衣は最初から自身の槍を囮にすることで、伏兵の存在を当てるその瞬間まで隠していたのだ。
 汚えぞ、と幸太郎は言わなかった。
 元々タイマンだと言われていない。「私が戦ってやる」と言われただけ。確かに結衣は戦った。嘘は一切吐いていない。
 それなら、悪いのは勘違いした幸太郎だ。
「……好きな戦い方じゃ、ねえが……。有効的だ、認めてやるぜ。俺を倒すなら、こんくらいしなくっちゃあな……」
「ふん、男らしいわね。敗北を認めるっての?」
「バカなこと言ってんじゃ、ねえ……。俺が、負けるわけねえだろうが……」
「現実逃避はいい加減にしなさいよね。見下しているのはあたし。勝ったのもあたし」
 結衣は、幸太郎の頭上に、自身の人差し指を置く。
「私はね、毒系魔法を得意としているけど、もう一つ得意にしている魔法がある。それは、精神感応魔法。あたしに好意を抱いた人間なら、簡単に術中にハメる事ができる。つまり、あたしの顔に騙された人間は、その時点であたしの思うがままってわけ」
 なぜそんな話をするのか、幸太郎にはすぐわかった。
「だけど、あんたみたいなタイプはそうも行かない。――もっと意識が混濁した状態でないと」
 結衣の人差し指から、一滴雫が垂れた。
 間違いなく、意識を混濁させる為の毒。そうして前後不覚になったところで、魅了魔法チャームをかける気なのだ。
 そうすれば、幸太郎はもう二度と結衣に逆らう事はできない。リベンジ・マッチなんて二度とない。
 つまり、一生越えられない存在となる。完璧な敗北。
 この雫を飲んではならない。
 そうは思うが、幸太郎は顔をそむけるどころか、口を閉じる事もできない。まるで餌を待つひな鳥の様に、口を開いて、その雫を飲み込んだ。

  ■

『情けない』
 聞き覚えの無い声が、頭に響いた。女の声だ。少女、というほど幼くはない、ハスキーボイス。
 けれど、まるで自分の声みたいに馴染み深い声だった。
 誰だ? 幸太郎は問う。
『あんな女に負けて、どうすんのよ? あーあ。こんなんじゃ、ホープも悲しむわね』
 誰だ? 幸太郎は問う。
『まあ、アンタは弱いからねー。でもだからって、ここで負けられると私も困んのよ。だから、力を貸すわ。――いや』
 女の声が、一拍遅れる。
『アンタの体を、貸しなさい』

「あぁあぁぁ――――ッ!!」
 毒を飲んだ瞬間、幸太郎が叫びだした。
 叫ぶわけがない。むしろ、ぐったりと倒れるはずだった。何か、自分の想定外の事が起こっているのだと、結衣はすぐに理解した。
「離れなさい!」
 横に立っていた男子生徒に叫ぶが、間に合わなかった。
 結衣はバックステップで躱したにも関わらず、男子生徒は、立ち上がった幸太郎の回し蹴りに巻き込まれ、フェンスまでふっ飛ばされて、そのまま気絶した。
 あの軌道は、蹴りの軌道は、間違いない。
 幸太郎は間違いなく、結衣と男子生徒、二人共一辺に蹴り飛ばすつもりだったのだ。
「なっ、なに!? 幸太郎に何があったの!?」
 特別な耐性でも持っていたのか?
 どうしてなのか考える前に、目の前の光景へ釘付けになった。

 幸太郎の赤錆めいた色の髪の毛が、鮮血の様な色に変わっていた。
 短めに、無造作に放っておかれた髪が、腰まで届くほど長くなっていた。
 そして、胸元が開いたYシャツから、膨らんだ胸の谷間が覗いている。
 顔に刻まれた黒い紋様は、どうやら全身に刻まれているらしい。
 まさに変身と言ってもいい変わりように、結衣の頬に汗が流れた。
 どうやら幸太郎は、奥の手を隠していたらしい。動けるところを見ると、どうやら雑に混ぜられた毒カクテル・ポイズンの効力はすでに切れているらしい。
 結衣もそれはすぐにわかった。
 しかし、それでも認めるわけにはいかない。
 雑に混ぜられた毒カクテル・ポイズンは、蜂須賀家秘伝の毒薬を魔法で再現し、さらに毒性を強め、効果の選択も自由自在という、毒としては理想的な物だ。ちょっとでも体に入れば、結衣の選んだ症状を押し付けることができる。
 彼女がプライドを守るために編み出した、奥義だった。
 時代に打ち勝つための、力だった。
 だからこそ、彼女はこう考える。
(回復したわけがない! 変身したからって、効力まで消えるわけがない!)
 現実逃避、願望にも近い考え方。
 信じたいからそれを信じた。
 だが、幸太郎だったはずの髪の長い女は、毒が体に入っている事などまったく感じさせずに、踏み込む。
 魔力の気配など一切していないのに、魔力バーストを使った幸太郎以上の踏み込みで、その動きは結衣の目には負えなかった。
「ッ!?」
 だが、咄嗟に結衣は防御魔法を張った。
 戦闘センスから警戒していたので、できたのだ。
 だが、赤い髪の女は、それを砕く事もせず、まるで何も無かったみたいに、拳をバリア内に突っ込んだ。
「バカ――なッ!」」
 槍の柄で、その拳をガード。
 地面を思い切り踏み込んで、踏ん張るが、暴風に連れ去られる木の葉みたいにふっ飛ばされ、地面を転がる。槍は拳のインパクトで折れ、使い物にならない。
 結衣はすぐに、『あいつには防御魔法を無効化する力があるんだ』と理解する。
 それならば、と槍を取り出して、結衣はそれを振りかぶって、女に向かって思い切り放り投げる。
 手から離れた槍に、魔力を通して、構造を解析。
 そして、魔力で解析した構造を、隣の空間に再現した。
 すると数十本の槍が一瞬にして出現。
 蜂須賀流魔法槍術『地雨フォールスピア
 赤い髪の女は、傍らに落ちていた、先ほど結衣が捨てた槍を足先で蹴っ飛ばし、手の中に収めると、それを構えた。
「ほっ」
 まるで、ゴミ箱に軽くゴミを放るような掛け声で、その女は槍を振るって、自身に当たる槍だけ的確に叩き落として、さらに、結衣へ向かってその槍を投げた。
 人間の力で放たれた物とは、到底思えなかった。
 赤い髪の女が振り切ったところが見えたと思ったら、次の瞬間には、結衣の右肩を貫いていたのだ。
「いっ、そんな、なんで……!?」
 魔法らしい魔法を使っている様子はない。
 しかし、それでも生物としての圧倒的差が、今の結果を生んでいた。
「なっ、何者よ……。荒城幸太郎じゃ、ないわね……!?」
 激痛。そして、上がらない右腕。ダメージは深刻だ。
 ダメージを確認しながら、結衣は赤い髪の女を睨む。彼女はまるで、腕白少年の様に歯を見せて笑う。
「私はハチェット・カットナル。何者でもないわ。しいて言えば、荒城幸太郎自身」
「……どういう意味よ。同一人物だっていうわけ?」
「厳密には違うけど、まあそんな感じかしらね。――言い残す事は、もうない?」
 ゾクリと、結衣の背中に鳥肌の波が訪れる。
 人間が持てる量を軽く越えた魔力が、彼女の背から漏れて、結衣を威圧していた。
「まさか」と結衣は呟いた。
 人間を越える魔力量を持った生物なんて、思い当たるのは一つしかない。
 悪魔――。
 人間を遥かに越えた能力を持つ、超常の存在。
 

       

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