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「撃ぇーっ!!」
勇ましい号令と共に大砲が火を噴く。
皇国の最新鋭の大砲だ。これを凌ぐ威力の大砲は存在しない。
砲撃が怪物に直撃する。
致命傷ではないだろうが、白濁した表皮がぐちゃりと破れ、黒い体液のようなものがあふれ出す。
「こんなものか…」
ペリソンは忌々しげに舌打ちをした。
いくら最高峰の武装といえども、敵の規模が違う。これでは埒が明かない。
彼は背後に控えていた士官に尋ねた。
「ホロヴィズ最高司令官の艦は?」
「既に危険水域を脱し、現在は皇国領海域ということです」
「そう、か…」
甲皇国のミシュガルド大陸調査司令の無事は一応のこと確保されているらしい。
ならば我々も早急にこの海域を脱出した方が良いだろうと考えた時だ。
ペリソンの頭に引っ掛かるものがあった。
「…迅速……すぎないか…?」
そう、早すぎる。
将軍が乗り込んだ艦はこちらの予想に反して黒い海海域に向かって真っ直ぐに進行していた。
強硬手段か何か策があったのかは知らないが、いずれにせよ黒い海に接近していたのであれば、SHWの艦隊のように拡大したその黒い海域に飲み込まれて操舵不能に陥るなり、怪物によって轟沈するなりしていたとしても不思議ではない。むしろそれが自然だ。
それが、既に甲皇国海域まで辿り着いているとはどういうことだ。
「…まるで…いや…」
ペリソンはそれを口にはしない。聞かれでもすれば不敬にあたりかねない。
が、心中では確信のようにその言葉が渦巻いていた。
――まるでホロヴィズ将軍は、怪物が現れることを知っていて、その上で行動をしていたようではないか。
「…なんてことだ」
本国から派遣した艦隊が到着するころには、ミシュガルドSHW海域に展開していた艦隊が壊滅状態に陥っていた。
それを知らなかったヤーではない。魔法陣による通信が既にほとんど途絶えていたからだ。
だがそれを改めて目の当たりにすると、さしものSHW大社長も言葉を失った。
アルフヘイム代表ダート・スタンとの話し合いの中で派遣が決定した艦隊にも通信魔法陣を展開させ、ようやく現場を落ち着いて見ることができたのだ。
彼の目に飛び込んできたのは天高くそびえ立つ灰色の物体。それが件の怪物であると理解するのに少々の時間を要した。
怪物の周囲は黒い荒波が暴れており、その波の中に艦の残骸が見て取れた。
「…考えろ」
この状況から脱するために何をすればよい。
この脅威から逃れるために何をすればよい。
様々な可能性と戦略が彼の頭を駆ける。
そうして彼はおもむろに口を開いた。
「…あの怪物はどこに向かっている?」
「……非常に緩慢な動きではありますが、恐らくこのまま行くと…ミシュガルド大交易所に…」
口にするのもためらわれるような予想。蒼白になりながら魔法陣に映る乗組員はヤーに応えた。
「…そうか」
大交易所。
ミシュガルド大陸の玄関口であり、中心。
人間も亜人も、甲皇国もアルフヘイムもSHWも入り混じる世界の凝縮。
「…だからこそ、どの国も日和見という訳にはいかない」
ヤーは怪物を目にしたその時から1つ結論を出していた。
即ち、これはSHWの船団をもってしてもどうしようもないということである。
艦隊戦の域を超えている。人間の兵器で状況が打開できるわけがない。
――ならば、人智を超えた術を持つ者たちの力を利用する他にはない。
アルフヘイム艦隊はSHW領海へ進行し、黒い海に限りなく接近して怪物に攻撃を開始していた。
「――世界を包む炎の意思よ、我が手に宿りたまえ。願わくばその加護、その恵み、分け与えたまえ…!」
甲板に立ったエルフが呪文を唱え、炎弾が怪物へ放たれる。
が、その皮膚が焼けることはなく、何事もなかったかのように怪物は耳障りなその鳴き声を発し続ける。
あまりにも効き目がない。
「…やはり、水の性を持っているのですね」
その様子を見ていたニフィルは忌々しげにそう呟いた。
隣に立っていたダートが彼女を仰ぎ見る。
「…やはり、とは彼奴が海中から現れたからということかの」
「それもあります」
奥歯にものの挟まったその言いぶりを追及しようとするダートを差し置き、ニフィルは自らの魔力を解放した。
無言で怪物の方向へ手をかざす。
怪物の動きが止まった。不可視の壁で行く手を遮られているようだ。
うめき声をあげながら無理やりに突破しようと体を動かす。
「…っ、長くは保ちそうにありませんね」
ミシュガルド大陸アルフヘイム領に施された結界魔法と同類の魔法。
外からの脅威に備えるのではなく、内側からの脅威を封じるためのものだ。
ニフィルはアルフヘイム艦隊全体に声を飛ばした。
「私が結界で時間を稼いでいる間に少しでもあれに攻撃を!結界は私たちの魔法だけは通すようになっています!炎系統の魔法は効果が薄いようです、気をつけてください!」
その言葉に応じて魔道士たちの攻撃が怪物に放たれ始める。
1つ1つは小さな魔法ながらも、集中砲火を受けるとさすがに無視できないらしく、怪物は大音響をたてながら身をよじり、そしてアルフヘイムの艦隊に狙いを定めた。
大仰な動きで軟体生物に似た腕を振り上げ、艦を沈めんと海面に叩きつけようとする。
しかし、ニフィルの織りなした結界に阻まれその攻撃は宙で止まる。が、不可視の壁が大きく撓んだことに誰もが気づいた。
「ぐぅ…っ」
衝撃に対する修復はニフィルの魔力をもって行われる。
衝撃が強ければ強いほど、彼女の力は消耗していくのだ。
思わず膝をつく。この一撃を耐えることができたのもニフィルだったからと言うほかない。他の者の魔法では既にアルフヘイム艦隊は壊滅していただろう。
魔道士たちがニフィルのもとへ駆け寄る。
彼女は気にするなと、気丈に立ち上がった。
オツベルグとジュリアはその様子を艦内から眺めていた。
落ち着きなく歩き回りながらオツベルグは唇を噛む。
「…何か私たちにできることはないのでしょうか?このまま何もせずに指をくわえているだけなんて…!」
本気で力に慣れないことを悔やんでいるようだ。
ジュリアはため息をつきながら首を横に振った。
「無理ですわ。私たちには何の力もないですもの」
「……なら、このまま何もせずにただ指をくわえていろと!?」
「言葉を返すようですが、なら我々に何ができるというのです。今は事態の推移を見守る他ありますまい」
「…そんなこと私は認めません!こうなったら私のポエムとタンバリンで――」
「――乙家のお二方」
本気でリズムを刻み始めたオツベルグをジュリアが止めにかかろうとした時だ。
落ち着いた声が操舵室に響き、魔法陣が現れた。中央からはヤーの顔が出現している。
「ヤー・ウィリー様!」
ジュリアが反応した。この緊急事態故に、亜人ばかりが乗り込む船内で同族の顔を見ただけで不思議と安堵が心に広がる。
ヤーはジュリアに尋ねた。
「今そこにはお2人が?」
「ええ、乗組員たちはあの化け物の迎撃で外ですわ」
「そうですか…緊急で話し合いの場を設けたいんです。ダートさんだけでも連れて来ていただけますか?」
「私が行きましょう!」
ヤーの言葉に即座に反応してオツベルグが駆けた。
あまりの反応の速さにヤーは少し苦笑して見せる。
「…彼も不安なようですね」
「…不安ですし…不満なんですわ。自分が何もできないことに」
ジュリアの答えにヤーは深く頷いた。
「分かりますよ。何もできないのが歯がゆいその気持ちは」
「…あら、SHW大社長にして艦隊戦の天才であるヤー・ウィリー様でもそんな経験がありますの?」
その言葉に彼は再び苦笑した。
「所詮は無力な人の身です。こんなこと、いくらでも痛感してきましたよ」