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「アンネリエーっ!!」
叫ぶ。
しかしその必死の叫び声は人々の狂乱にかき消されてしまう。
「どこに行ったんだよ…!」
焦りのあまり無意味なまでに辺りを見回す。交易所を走り回って肺が焼けそうだ。
ケーゴにも状況はわからない。ただ、何か交易所に化け物がやって来て非常に危険であるということだけは理解している。
だから駆ける。だから叫ぶ。
「マスターケーゴ」
人の波をかき分けるケーゴの肩にピクシーが舞い戻った。
「どうだった?」
「私が報告するところによれば、アンネリエ様の姿をこの交易所内で発見することはできませんでした。第二優先順位に設定されていたベルウッド様も同様。私が予想するところによれば、屋内に退避したのではないかと」
「…そうか」
安堵半分、心配半分。
先ほど頭に響いた声を思い出す。
もしかしたらもう既に報告所に避難しているのかもしれない。
ケーゴはそう自分に言い聞かせようとぐっと拳を握った。
大丈夫だ。きっとアンネリエなら大丈夫。
「…交易所に一体何が現れたんだ?」
「私が観察したところによれば、先日交戦した人魚と同様に全身が黒く、正体不明の魔力に覆われた者たちです。先日マスターが交戦した人魚と同様の特徴を持っており、非常に危険な存在であると認定。その数は数百。襲われた者も同様に全身が腐敗したように変貌を遂げ、人々を襲い始めるようです」
「…ってことは数が増えていくってこと?」
ケーゴの頭にアンネリエがそうなってしまったら、と嫌な予想が沸き起こる。
「その通りです。現在南門付近で警備隊をはじめとした部隊がそれらと交戦中。取りこぼした者たちが交易所の内部にまで侵入しています。ただし家屋に侵入しようとする意思はみられません。――今のところは」
「今のところ…!?」
ピクシーはこくりと頷いた。
「私が観察したところによれば彼らは動いている者を狙うようです。今現在は外に人々がいるためそちらに狙いが定められていますが、全員が避難完了した後に彼らがどのような行動に移るかは予測が不可能です」
「…っ」
早くアンネリエに会って安心したい。
体を固くするケーゴの肩でピクシーが突然警告を発した。
「なっ、何だよ!?」
「マスターケーゴに警告。正体不明の魔力をもったものがこちらに接近中。数は5」
「5体…!」
すぐさまケーゴは反対方向へと駆けだした。
「ピクシー、ここから報告所への最短ルートを頼む!」
「了解。私が先行します。ついてきてください」
ピクシーの後を走りながらもケーゴはできるだけ辺りを見回す。
気づけば周囲の人々と逆方向へ走っている。
恐らく皆交易所を守るために南門に向かっているのだろう。
加勢する訳にはいかない。
今はアンネリエが先だ。
津波の時は津波を止めなければ皆死んでいた。それにアンネリエにはベルウッドもピクシーもついていた。
だが今は違う。アンネリエの安否が全くの不明なのだ。化け物の相手をしたって何の解決にもならない。
「アンネリエ…っ!」
焦燥が彼の足を加速させる。焦燥が彼の足をもつれさせる。
転び、ぶつかりながらもケーゴは報告所へ急いだ。
と、そこでピクシーが急停止した。
「どうしたんだよ!?」
そう頭上に叫ぼうとしたが、接近したピクシーに口をおさえられる。
そのままぐいぐいとピクシーはケーゴを押す。
事態を察したケーゴが物陰に身を隠す。
全力疾走した分心臓がうるさい。
汗が流れる。体が熱い。
なんとか息だけでも整えようとしていたその時だ。
聞こえた。
生者のものとは思うえない呻き声。
べちゃりべちゃりと不愉快な足音。
必死に息を止めて気配を殺す。
ピクシーも肩で完全に動きを停止させている。
次第に音が大きくなってくる。胸が爆発しそうだ。
ケーゴはそろりと短剣に手をかけた。
そうしてちらりと物陰から顔を覗かせる。
全身が黒く腐食した獣人だ。ただ、その服には見覚えがある。
「…っ」
得も言われぬ気持ち悪さが腹の底からわき起こる。
思わず手で口をおさえる。
音を立てないように、気取られないように必死に吐き気と戦う。
ピクシーが警鐘を鳴らした。
「こちらに向かってきています。マスターケーゴ、直ちに移動を」
その言葉に動揺したケーゴは今度こそ吐いた。
むせながらも走りだし、そして転んだ。余計にむせる。
つんのめるようにしてまろび立ち上がり、そうしてケーゴはついその亡者を顧みてしまった。
間違いない。よく交易所で見かけた花屋を営んでいた獣人だ。
ピクシーの報告通り、化け物に襲われて自らもその姿に変貌してしまったのだろう。
短剣は抜けなかった。ただ走った。
ただただがむしゃらに走った結果、大通りに出てしまった。
慌てて立ち止まったが既に遅い。ケーゴの目の前には3体の黒い魚型亜人が獲物を求めて徘徊していて、しっかりと彼らに視認されてしまった。
背後からは緩慢ながらも獣人が追いかけてきているはずだ。
「マスターケーゴ、私が戦略を通達するに彼らの動きは緩慢です。魔法弾で注意を引きつつ彼らから逃げる他ありません」
「それ戦略かよ…!」
息も絶え絶えに応える。走って吐いて、体力的にも精神的にも無理がきているのだ。
それでもケーゴは短剣を構える。
全く顔を知らない魚人の方がまだやりやすい。
だが、彼らもまた被害者なのかもしれない。
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。
「マスター!」
ピクシーの叱咤で目を覚ましたかのようにケーゴは目を見開く。
魚人がこちらへ手を伸ばしていた。
右足を軸に半身それをよけ、右脚で地面を蹴る。
僅かながら魚人たちと距離をとったケーゴは短剣に炎を纏わせ振り下ろした。
斬撃は炎の衝撃波となって魚人を襲う。
しかしあまり効果的ではないらしく、魚人たちは体を燃やしながらも歩を進めた。
「んなっ!?」
思えば昨日の人魚にも全力の炎を受け止められたのだ。
「注意を引きつけるどころか、全力で叩かないと駄目みたいだ…!」
「炎があまり有効でないようです。マスター、このままクノッヘン通り方面へ」
ピクシーの言葉に従いケーゴが一歩退いたその時だ。
「はぁああああああああああああっ!」
勇ましい声と共に魚人が横一文字に分断された。
黒い胴体はぐしゃりと地面に落ち、そうして背後から彼らを切った者の姿が明らかになる。
鎧と言うにはあまりにも軽装だ。羽織るマントは青く、切れ長の目は獲物を仕留めてもなお鋭い光を放っている女性。
その光景にケーゴが圧倒されていると、曲がり角から薄橙色をした鉄塊が現れた。
「もう!ラナタ、急に走り出して私を護衛する気はありますの?」
鉄塊には手足が生えていて、中から少女が顔を覗かせている。これは何かの機械なのだろうかとケーゴは考えた。
ラナタと呼ばれた剣士はその薄橙色の機械に収まる少女の方へ振り返り、答える。
「申し訳ありません、しかしいずれにせよ露払いは必要でした」
にこりともせずに告げるラナタに対して少女は頬を膨らませる。
「確かにそうですけど…」
2人がやり取りをしている間にケーゴが走ってきた通りから亡者がようやく現れた。
「…っ、あいつまだ…!」
下手に相手を知っているせいで攻撃もしにくい。
躊躇う少年をよそにラナタはすぐさま剣を構えた。
息を飲むケーゴ。彼女は背中越しに尋ねた。
「この化け物はお前の知り合いだったのか?」
「知り合いと言うほどではなかったけど…」
ただ、顔は知っている。
「なんだその程度。ならくだらない情は捨てて今から私がこの化け物を殺すところをしっかりと見ていろ」
そんなケーゴの逡巡をラナタは切り捨てた。
衝撃を受け、ケーゴは言い返す。
「んなっ、化け物って…殺すだなんて!」
「それ以外にない!」
断言し、ラナタは踏み込んだ。
一瞬の内に彼女の剣は亜人を縦に裁断する。
ぐしゃりと分断され地面に倒れた獣人からケーゴは目をそらす。
ラナタは斬られた亜人を見下ろしながら吐き捨てるように言う。
「元に戻す方法はない。こうやって殺してもすぐにまた再生して人々を襲う。…メルタ様お手をお借りします」
「まっかせっなさーい!」
機体の中で意気揚々とメルタと呼ばれた少女は機械の腕を亡者に向ける。既に亡者たちの身体は粘液のように流動し、分断されたその胴が繋がり合おうとしている。
「メルタ☆バーナー!」
叫ぶと同時に腕から火柱が噴き出る。それを再生しようとする亡者たちに浴びせる。
抵抗することもできず魚人も獣人も焼かれ続けた。
嫌な臭いが充満する。
「お尋ねしてもよろしいですか」
無機質な目でそれを見続けるラナタにピクシーが尋ねた。
「…甲皇国の情報デバイスか?……なんでお前がこんなものを持ってるか知らないが、とりあえず話を聞いてやる」
「私が質問を投げかけるに、彼らに炎は有効なのですか?先ほど私のマスターが炎を用いた時にはあまり有効ではないようでしたが」
「確かにこいつらに炎は効きにくい。だからこうして動きを止めた時に一気に焼き尽くす」
「こうして灰になるまでしてようやく脅威でなくなるんですのよ!400年ほど前に皇国で蔓延した黒死病に対しても最終的にはこうして病死者や鼠を焼いて解決を図ったと習いましたわ!歴史に学び、今を生き、未来に託す!これぞ我らが国家の在り方ですわ!」
「動きを止めてから…か。この短剣じゃ無理かもな…」
自らの得物を眺める少年に対しラナタは冷たく告げた。
「いずれにせよお前には無理だ。少しの顔見知りを斬ることに躊躇しているようでは、な。この先お前のよく知る者が化け物になって現れたらお前は何ができる?ただむざむざと殺されて奴らの仲間入りをするというなら、今ここでお前を始末した方がいいくらいだ」
一言一言が胸に刺さる。
噛みつくことのできない正論だ。何も言い返せずケーゴは目を伏せた。
目の前の現実を理解はできる。しかし、それを受け止めることができるほど彼は達観も諦観もしていないのだ。
火炎放射を亡者に放ちながらもメルタが苦笑を見せる。
「まぁまぁ、ラナタ。それくらいにしておきましょう。…そもそも、どうしてあなたはこんな所をうろついていましたの?早く屋内に避難した方がよろしくてよ」
「そうはいかない…んです」
そこでケーゴは当初の目的を思い出す。機械の中の少女は少しだけ自分より年上の様だし、ラナタもおねーさんと同い年くらいであると認め、とってつけたように丁寧語で尋ねた。
「俺、今…えー、知り合い、というか、仲間を探していて。見ませんでしたか?緑色の複で大きな杖を持ったエルフの女の子と灰色の長い髪のエルフ」
ラナタとメルタはお互いに顔を見合わせる。が、両者の記憶にも該当するエルフはいなかったらしく、首を横に振った。
「…そうですか」
消沈した肩に向かって今度はメルタが聞いた。
「…私たちも人を探していますの。あなた、アルペジオという女性の名前を聞いたことは?緑髪で恐らく皇国の軍服を着ているはずですわ」
「…アルペジオさん、ですか」
こころなしかラナタの視線が厳しくなったことを察しつつもケーゴは頭をひねった。
「すみません、こっちもその人は知らないです」
頭を下げたケーゴを横目にラナタは歩き出した。もはやここに留まる意味はないということだろう。化け物の焼却も既に終わっていた。
「それじゃあ私もここで。…報告所にはもう行きましたの?」
「いえ、今から向かうところです」
「そういうこと。その子がいるなら道のりは大丈夫そうね」
合点がいき、ピクシーを見ながらメルタは頷く。
そして表情を硬くしてケーゴの顔に視線を移した。
「…探し人、見つかるといいですわね」
「ありがとうございます。アルペジオって人も見つかるといいですね。ピクシー、行くぞ!」
そう言ってケーゴは駆けだした。
報告所へ急ぐ彼の背中を見送った後、メルタもラナタのもとへと動き出す。
ラナタも相応に焦っているらしく、早くしてくれと目が訴えかけているのが分かる。
「…ねぇラナタ?」
ラナタは先を急いでいる。メルタはそれを追いかけながらも尋ねた。
「何でしょうか」
「この交易所では、亜人がずいぶん大事にされていますのね」
ラナタは何も返せず黙っている。メルタは続けた。
「今の子も、ずいぶんエルフのことを心配しているようでしたわ。…替えがきかないくらい便利な奴隷だったのかしら?」
甲皇国の外、この交易所では様々な種族が入り混じっていた。
彼らは共に語り、肩を組み、そうして笑っていた。
ラナタは黙って聞いている。
「アルフヘイムの要人もいるような大陸で、人々は亜人に対して気を遣わなければならないのかしら?この交易所では人々は亜人に支配されているのかしら。…どちらも違う。それくらい見ればすぐにわかりますわ」
彼らの笑顔は本物だったのだから。
話すうちにメルタの口調が次第に確信を帯び始める。
「この交易所ではみんな平等なのですわ。人間だからとか、エルフだからとか、そんな考えなしで互いに手を取り合っている。…これは異常なことですの?…それとも私達が間違っているとでも言うんですの?」
ラナタは歩みを止めた。
そうしてメルタと向かい合う。
数多の戦場を駆け、幾人もの戦友を持った。
世界の在りようは少なくとも甲皇国という箱の内で人間至上主義に染まったメルタよりも理解している。
「…私たちがアルペジオを思う気持ちと、彼が探し人を思う気持ちは…同じなのでしょうか?」
「…それは……」
どう応えるべきだろうか。
ラナタは考える。
そもそも、彼女自身亜人をよしとは思っていないのだ。
と、そこでラナタはふと思い起こした。
なぜ自分は亜人を嫌悪し、そして斬ることにためらいがないのだろう。
自問し、すぐに自答に至った。
みんなそうしていたからだ。
結局、それは皇国がそう国是を定めたからであり、皇国で生きるためにはそう思う他ないからなのだ。
国にとって都合のいい方策。国が自身を守るための政策。それが人類至上主義。例えそれが世界との間に齟齬を生み出そうとも、皇国が自身を肯定できればそれでよい。
そして自分は人間で、人間の優越を謳う国家でそれに疑問を持たず生きることに不都合はまったくなかったのである。
とはいえどもそんなことをこともあろうに将軍の子女に伝える訳にはいかない。下手をうてば国を侮辱したと裁かれかねない。
「…そういう考え方もあるということでしょう。メルタ様は…メルタ様にもご自身の考えがあるように」
考えた末、ラナタは答えをはぐらかすことに決めた。
「さぁ、急ぎましょう。報告所にアルペジオの姿はありませんでした。もしかしたらどこかで戦っているのかもしれません」
「…えぇ、そうですわね」
疑念がぬぐいきれない表情のままメルタも歩きはじめる。
道すがら、そういえば、とラナタは脳裏に引っ掛かりを覚えた。
いつぞや、亜人と手を取り合う人間と会った気がする。
亜人は人間を守ろうと必死で、人間も亜人のために全霊を傾けていた。
「…どこで会ったんだ…?」
それを思い出すことはできなかった。