Neetel Inside ニートノベル
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――――

 「刳!」
 声の勢いとは裏腹に威力が弱まっている。
 ウルフバードは己の限界を感じ始めていた。
 少しずつ後退はしているのだが、いかんせん数が増え続けるのがよろしくない。
 交易所の南門はミシュガルドの入り口とまで呼ばれる巨大な門だ。海に面したその門から今は亡者が上陸し続けている。
 閉門しようにもその大量の亡者が邪魔なのだ。
 「小隊長殿!」
 背後でした焦り声にウルフバードは呆れと怒りの入り混じった声で返す。
 「ビャクグン!お前は俺に何度同じことを言わせる気だ!敵に背を向けるな!」
 「そう言われましても、今の状況では!」
 ビャクグンの気持ちが分からないウルフバードではない。その心遣いが好ましい時の方が多いのも事実だ。
 それでも。
 「お前があんな黒い姿になって、力が生前のままだったらどうする気だ!?俺はこんなところで死ぬ気はないぞ!」
 「…っ、申し訳ありません」
 確かに、とビャクグンは剣を握りしめる。
 この黒い亡者たちに後れを取る訳にはいかないのだ。もし自分がこの仲間入りをしたらと思うとぞっとしない。
 ウルフバードを危険な目に遭わせるわけにはいかないし、何より子供たちが悲しむではないか。
 そんな2人の間を縫うように氷の礫が飛ぶ。フロストの魔法だ。
 しかし彼女も限界に近く、もはや亡者一体を氷漬けにするのも難しい状況。
 見ればもう肩で息をしてその場から動くのにもよろめいてしまうようだ。
 今この中で一番動けるのは自分だろうとビャクグンは考えた。
 不死に近い亡者たちを全力で屠ろうとしているため、疲労の色が見えない訳ではないがまだ体力はある。
 今なら小隊長殿とフロスト殿2人くらいは抱えて逃げることができるかもしれない。
 だが、と周りに目を向ける。
 今戦っているのは3人ではないのだ。応援に来た魔法使いや傭兵もいる。
 消耗しているとはいえウルフバードとフロストの実力は本物だ。現に亡者たちによって黒の仲間入りをする者がいる中でこうして戦い続けているのだから。
 逆に言えばこの2人が要なのだ。戦線から離脱すればこの僅かばかりの戦線が総崩れになってしまう。既に交易所には大量の亡者たちが入り込んでいるのだろうが、そこに自分たちがひきつけていたこの大群が加わることになる。
 目の前でまた一人の魔法使いが5体の亡者に掴みかかられ、内腑を貪られ絶命した。
 あまりこういう光景は見せてほしくないものだ。戦っているこちらの士気が下がるではないか。
 苦々しげに表情を歪めるビャクグンに背を預けるウルフバードもまたこの状況を絶望的であると端的に分析していた。
 少なくとも逃亡用の魔力だけは残しておかなければならない。このまま戦い続けたら明らかにこちらの負けだ。
 そして、もはやその魔力を使わなければ戦うこともできない状況なのだ。撤退しなければ死ぬ。
 「操」によって水を操り空へ逃げる。ビャクグンくらいなら水に乗せて一緒に逃げれるだろう。むしろそうしないと今後困る。
 水の量からして定員は2人。だがビャクグンが担ぎさえすればあのエルフ女くらいは助けることができるだろう。残りの傭兵たちはできれば殺しておきたい。亡者の仲間入りをさせるくらいなら死んでもらった方がましだ。自分の兵ならこういう時簡単に殺せるのだが。
 と、そこまで考えて一瞬ウルフバードは呆けた表情をする。何故あのエルフ女だけ助ける必要があるのか。
 どうも最近は助けられることが多いせいか自分も助けることを考えてしまう。
 とはいえ別に助けても罰は当たらないだろう。そう考え水を展開しようとした時だ。
 「オンアビラウンケンシャラクタン!」
 少年の鋭い声が響いた。
 同時に白銀の刃がウルフバードの横を駆け、亡者を斬り裂いた。
 ウルフバードは目を瞠った。
 その攻撃自体にではない。攻撃を受けた亡者が再生せずに消滅したことにだ。
 攻撃がきた方向を見ると少年と亜人らしい女性がこちらに走ってきている。
 術を放ったらしい少年はそのままウルフバード達の戦線に加わり刀印を組む。
 「オンデイバヤキシャマンダマンダカカカカソワカ!」
 魔力とは違う異質な力がうねりをあげる。
 不可視の鎖が亡者たちを縛り上げたようだ。亡者たちは動きを止める。
 「アマリ様!」
 少年の声に応じるようにアマリと呼ばれた狐の亜人らしい女性が炎を放つ。橙の業火が亡者を覆い焼き尽くした。
 その圧倒的な力に照らされウルフバードもフロストも呆然としている。あれだけ苦戦していたのが嘘のように敵は灰塵に帰したのだ。
 ビャクグンだけはその力に思うところがあったらしく納得のいく顔で少年と女性を見つめている。
 少年は一息つくとウルフバードに質問した。
 「あの、大丈夫ですか?」
 自分より背が高く、人相の悪い男におずおずと聞く。
 「ああ、助かった。…お前、今の魔法は一体何だ?」
 見ればフロストも同じことを聞きたかったかのようにこちらを見ている。
 じとりと詰問のごとく睨まれて少年は思わず身を引く。
 アマリがそんな2人の間に割って入った。
 「詳しい話はもっと安全な場所でしよう。ここではまた奴らに襲われる」
 

 「…つまりお前たちの行使する力は魔法とは違うと、そういう訳か」
 ウルフバードの確認にアマリは頷く。
 「悪鬼に対する調伏の術じゃ。魔法とは異なることわりである霊力を用いる」
 「だからあの亡者たちが…」
 フロストも納得がいったらしく思慮深げにアマリ達を眺めた。
 彼らは南門を閉じた後に調査報告所に移動していた。今は避難した人々がいる一階ではなく二階の会議室で話し合いを続けている。
 本来関係者以外立ち入り禁止となっているのだがウルフバードは皇国が丙家の出身だ。ここまで共に戦っておきながら仲間外れはないだろうと強行突破した。そのウルフバードの随身としてビャクグンも共にいる。
 そして最も重要なのがアマリとイナオと名乗るこの2人だ。
 慣れない空気に緊張しているらしいイナオは椅子に座って縮こまっているが、アマリの方は泰然としている。
 ウルフバードはアマリに尋ねた。
 「その力、俺たちが今すぐ会得することはできるか?」
 「無理じゃな」
 にべもなくアマリは首を横に振る。
 「魔法とは異なる才がいる。一朝一夕で会得できるものではない」
 ウルフバードの脳裏に魔法の研究の日々がよみがえる。成程、確かに無理だろう。
 「…となると、この騒乱の解決のためにはあなた方の力が必要不可欠になるということですね」
 それまで窓の外を眺めていた人物がくるりとこちらに体を向けた。
 差し込む光が長い黒髪を照らす。艶のあるその髪とは対照的にその女性の肌は白い。切れ長の目とすっと通った鼻筋は麗人のそれなのだがどこか冷たさも感じさせる。
 飾り気のない服は彼女の為人を表しているようだ。唯一髪につけた骨を基調とした装飾はしかし、皇国以外の者には悪趣味にも見えるだろう。
 足が不自由なのだろう、車いすに乗っている。彼女はアマリたちの方へまっすぐと車いすを動かす。
 「乙家令嬢ククイ」
 ウルフバードがその名を呼ぶ。
 「なんですか丙家の爆弾魔」
 硬い声音。両家の確執が嫌でもわかる。特にククイと呼ばれた女性の顔つきは静かな憎悪に染まっている。
 それを気にせずウルフバードは続けた。
 「外交官オツベルグはどうした。下の避難民が脅えきっている。こういう時こそあいつのタンバリンが必要だろうに」
 全く外交官とは関係のない役目を期待する彼に対し、ククイは一言返した。
 「今は海です」
 「海?」
 そこにフロストが加わった。
 「お前たち甲皇国がアルフヘイムに侵攻してきたんだろう」
 ああ、とウルフバードは合点のいく顔で頷いた。
 思えばあの老いぼれ耄碌骨仮面爺が海に出たのをいいことに外に出てきたのだった。
 そういえば調査報告所でアルキオナの宝玉やアルドバランについての資料を探すつもりだった。結果的にはそれがかなっているのだからつくづく悪運だけは良い。
 そして、今のフロストの言。知ってはいたがやはり乙家はアルフヘイムと協力関係にある。恐らくあのタンバリンは今アルフヘイムの者たちと共に行動している。ああ見えても甲家の血も入った貴族だ。丙家も無下にはできない。そうしてさらにアルフヘイムとのつながりを強化するつもりなのだ。
 だが、とウルフバードは考える。
 乙家とアルフヘイム。その関係を担保するものは何だ。
 仮にも侵略した国の一族だ。例え亜人との友好を掲げていたとしてもそれを簡単に信用するほどアルフヘイムも馬鹿ではない。
 ならば、乙家は何をした。
 例えば、人質を送る。しかし、乙家の誰かがいなくなったという話は聞かない。こちらも丙家の末端だ。そんな話があればすぐに耳に入る。
 ならば、と思考を巡らせる。
 そう、自分が丙家という皇国を支える貴族の出であるように、乙家もまた皇国の中枢。
 ならば、皇国の機密をアルフヘイムに渡すことでその信用を得ているのではないか。
 疑念をはらんだ目をしたウルフバードに対してビャクグンがおずおずと口を開く。
 「あの、小隊長殿…」
 「あ?」
 「…私も失念していたのですが、亡者たちの出現前の大津波…駐屯所は無事なのでしょうか」
 「……」
 そういえば。
 駐屯所も海に面する場所にある。交易所ほどではないがやはり被害はあるだろう。
 何しろ魔法で対処することができないのだ。唯一にしてもっとも津波の対処に適していたであろう自分はどういう訳か交易所の防衛に徹している。
 「…丙家に戻れる気がしねぇ」
 無断で謹慎を破ったくらいならまだよかった。そのせいで駐屯所が壊滅と言うことでもなればさすがに許されない。
 「…いずれにせよ」
 ククイが口を開く。
 「今オツベルグはいません。…フォビア卿の言ももっともですが、下の者たちを落ち着ける術を私たちは知りません」
 「あるとすれば、亡者たちの掃討じゃろうな」
 ようやく話が本筋に戻った。
 閑話休題をなしたアマリに対してウルフバードは机に広げられた地図を示す。
 「すでに南門は閉じた。奴らの侵入経路は大方この南門だろうから、交易所の亡者どもがこれ以上増えることはないだろう」
 ククイもそれに同調した。
 「既に東門、西門、北門も閉じています。籠城と共に交易所内の亡者たちもこれで逃げることができない」
 「…となると、そこの2人の力で交易所内の奴らを叩き切ればいいってことか」
 「ですが小隊長殿、それでは根本的な解決にはなりません。それに外にはまだ亡者が溢れています」
 「…そうね、そもそもまだ海にはあの化け物がいるのよ」
 「…大体、あの怪物は何だ。あれが根本ならどうしようもないぞ」
 「――それについては私からお話ししましょう」
 突如新たな声がした。
 見れば机の上に魔法陣が浮かび上がり、目隠しをした女性の顔が浮かび上がっている。
 「ニフィルさん!」
 フロストが驚きの声を上げた。崇拝する大魔法使いが無事であると知り表情には喜びが混じる。
 「ニフィル・ルル・ニフィー…悪名高い禁断魔法の発動者か」
 苦笑いとともにウルフバードが確認した。その言葉にフロストが食って掛かろうとしたがビャクグンが慌てて制す。
 顔だけの像であるニフィルもウルフバードの方を見やり言葉を返した。
 「初めまして、皇国の水魔道士。あなたの悪名も相応に聞き及んでいます。そこにいるということは私たちと協力してくださると?」
 「今は停戦中だ」
 端的な言葉にニフィルは不敵に微笑んだ。
 「…そうですか。ならばあなたも聞いてください。今我々を襲っている未曽有の危機。それを生み出した全ての源」

 その名は、禁断魔法「生焔礼賛しょうえんらいさん」。

       

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Neetsha