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「…以上が大戦末期に使われた禁断魔法…
交易所との通信を終えたニフィルは船内に展開されていた他の魔法陣に顔を向けた。SHWの大社長と称される若い男と幾多の海戦を切り抜けてきたであろう提督はしかし、その事実に唖然とし、口がふさがらない。
ニフィルと同じ船内にいたオツベルグとジュリア、そしてダートも知られざるその禁断魔法の能力に呆然としている。
無理もない、と彼女はひとりごちた。生焔礼賛について詳しく知る者などアルフヘイムでも一握り。代表を務めているダートでさえ例外ではない。
「…なるほど、生焔礼賛、ね…。SHW艦隊に乗り込んできたあの黒い魚人の正体もよくわかった」
誰よりも早く冷静さを取り戻したのはヤーだった。ペリソンがちらと彼の方に目を向ける。
突然SHWの艦隊から「魔法を許可せよ」との信号が送られてきたかと思えば、珍妙な魔法陣によってアルフヘイムの代表とSHWの大社長と面会させられている状況。彼としては心が休まる暇がない。
その上、とペリソンはヤーの見解に耳を傾けながら考える。
聞けばこの魔法陣でこの男はSHW船団を動かしていたと言うではないか。つまり自分が相手取っていたのは正真正銘SHWの大社長ヤー・ウィリーだったのだ。
ペリソンが通信魔法で戦艦の指揮をとれるかと聞かれれば、否、と答えるだろう。初めて通信魔法というものに触れたが、船内を自由に動き回れるわけでもないし、刻一刻と移り変わる戦況を直に確かめられるわけではない。それをヤーは行い、自分と渡り合っていたのだから恐ろしい。
やはり、天賦の才か。
初老を迎えた彼は若い男の横顔を羨むように眺めた。
件のヤーは見解をまとめる。
「…つまりですね、この状況を止められるのはアルフヘイムの皆さんの魔法しかないのではないか、と思うのです」
ニフィルの顔が固い。それにヤーが畳み掛ける。
「このままあの化け物を野放しにしていたのではミシュガルド全土に被害が及ぶばかりか、その後我々の本国が犠牲になりかねません。早急にあの怪物を駆除する必要がある。それには我々SHWでは力不足…そこでこの場を設けさせていただいたのです」
三国の全ての利害が一致するからこその共同戦線の提案。しかしペリソンは胡乱に聞いた。
「…だが、魔法しか手立てがない以上我々はどうしろというのだ。SHW大社長ヤー・ウィリー殿。まさかとは思うが我ら甲皇国に囮になれと?」
「有体に言えばその通りです。いくら魔法と言えど簡単に沈められる相手ではないでしょうから」
ヤーはあっさりと認めた。
皇国が渋ることも織り込み済みだ。ここで変に誤魔化せば心証が悪くなる。
「ですが、我々SHWの船団は既にほぼ壊滅してしまい、あなた方の力を借りる他ないのです。…もちろん皇国の船団だけに囮になれと言っているのではありません。我々も微力ながら怪物の気を引く役目、請け負いましょう」
「…」
ペリソンは押し黙った。
総司令のホロヴィズがいない上に緊急事態だ。ここでの決断は自分の手に委ねられている。
もしここでSHWの申し出を無下にしたら、後々皇国にとって不利なことになることは目に見えている。もちろん、あの化け物が世界を破壊しつくしてしまえばそんな心配も必要ないのだが。
確かにSHWの船団はあの化け物によって轟沈した。現在ヤーが率いている船団だけよりも自分たちが加わった方が良いのもわかる。だが。
「……アルフヘイムと…か」
ペリソンの重い言葉がニフィルに向けられる。
戦時中に数多のアルフヘイム船団を壊滅させてきたであろう男にニフィルは向き合った。
彼の目に映るのは不信だ。否、これはお互い様だろう。ニフィルたちとてこの会合に皇国の人間を呼ぶのには反対した。
報告所の者たちに頼もしいことを言って見せた反面、皇国と協力など本当はしたくない。
恐らくあの男も同じ心境なのだろう。
上辺だけの協力など脆いものだ。それに意味はない。
ヤーが眉をひそめた。やはりここがネックになるか。
とはいえ、彼自身も自分に絶対の信頼を置かれているわけではないことを知っている。SHWは皇国とアルフヘイムの間を行き来するものの、両者を結ぶ役目を持っているわけではないのだ。
ダートがこちらを見ていることに気づく。SHWがこの共同戦線の先にどれほどの利益を得るつもりなのか推しはかっているのだろうか。
ニフィルも憤懣やるかたなしという体でペリソンの方を見ている。
当のペリソンは渋面をつくったまま動かない。
不信の眼差しが複雑に軌跡を描く。
戦争の禍根はいつまでも、深く、深く人々の胸に存在している。事態が事態だけに感情的な言葉の投げ合いにはならないが、誰も歩み寄りをみせない。
船内に重たいものが満ちている。
その時だ。
乾いた音が爆ぜた。
「この一大事にそんなことを言っている場合ですか!」
憤りを抑えるようにタンバリンを鳴らし、オツベルグが吠えたのだ。
「確かに我々の間には大きな確執がある。しかし、それを乗り越えるためのミシュガルド開拓、交易所の建設ではなかったのですか!?あなたがたはアルフヘイムを攻めた私たちが言うなと言うかもしれません。ですが!ですが甲皇国が乙家、オツベルグ・レイズナーはこの身故に、この出自だからこそ叫ばせていただきます!いつまでも過去に囚われていてはいけない!私は、本気で世界平和を成し遂げたい!あの化け物こそ我々に与えられた試練!今こそ我々が手を取り合うことで世界に示そうではありませんか!新たな世界の在り方を!三国が手を取り合って未来へと歩んでいけるということを!」
タンバリンを鳴らしながらオツベルグは力説した。反復横跳びも同時にしているのか魔法陣からは顔が現れたり消えたりしている。
一瞬それに呆けてしまったペリソンだが、すぐに我を取戻し尋ねた。
「…レイズナー卿……アルフヘイムの艦に…?」
「それがどうかしましたか!」
まったく臆さず悪びれない様子のオツベルグががおうと食らいつく。
「…いや、その…」
何から聞けばいいのかわからず言葉に詰まる。
「ペリソン提督」
そこに助け舟のごとくジュリアが加わった。
「…!ヴァレフシカ卿まで!やはり乙家とアルフヘイムは…!」
「それに関しては全てが解決した後にお話ししましょう」
静かに、しかしその眼に込められた意思は強く、ジュリアは続ける。
「うちのオツベルグの言葉に間違いはありますまい。ヤー・ウィリー様、それに今ここにいるダート様、ニフィル様にも聞いていただきたいのですが、我々乙家は世界が手を取り合うことを心から望んでいます。もちろん我々が始めた戦争に対する責任は我々がとらせていただくつもりです。それには前途が多難ですが…。…提督、この一件をその一歩とさせていただきたい。別に我々の陣営に加われというつもりはありません。ただ、今だけでも我々に協力してほしい」
オツベルグのような激しさや音色はないが、それでもその訴えは胸に響く。
やや表情を動かすペリソンに対し、ニフィルの表情は冷ややかだ。
「…ただの理想論です。どう責任をとるというのですか。あなたたちに奪われたものは返らない。あなたたちの流した血は戻らないのですよ。一方的に攻めて、今度は一方的に許してほしいなどと、虫がいいにもほどがある!」
徐々にニフィルの言葉に怒気がはらむ。内に秘められた甚大な魔力が全身からあふれ出る。それを止めようともしない。
それに臆するオツベルグではない。
「だから、まずは我々の誠意を見てほしいのです」
タンバリンが響く。
「証明させてください。我々があなたたちと協力する意思があることを。
なおも言い募ろうとするニフィルを制し、ダートが口を開いた。
「…我々は人間よりも与えられた生が長い。いずれお主らの中に戦争を知らない世代ができたとしても、我々にその時が来るのはずっと先。お主らが忘れる戦争を儂らはいつまでも忘れない。…許すことも難しいのじゃ。…じゃが、もし…もし、本当に皇国が懺悔の道を進むのなら…忘れないからこそ我々が皇国と向き合う意義があるのかもしれないのぅ」
信頼とは長い年月をかけて積み上げていくものだ。
70年に及ぶ戦争が終結してまだ数年。まだ互いに信頼できるかどうか腹の内を探っている段階。共闘にはほど遠い。
だが、そこから一歩進む必要がある。2人の真摯な思いはきっと、信頼への第一歩。
この共同戦線はを一時的なものではなく、その先につなげるためのものになるためのものにするために。
「忘れるなんてこと、ありません。許されるべきだとも考えません」
確かな声でオツベルグは言う。
「戦争を知らないことと、忘れることは違いますよダートさん。私たちの世代だけでは無理でも、次の世代、また次の世代と人間は、私たちの思いは未来へ進んでいきます。きっと、乙家は、皇国は、戦争を忘れない。過ちを認め、アルフヘイムと手を取り合う道を選び続けるでしょう」
オツベルグがペリソンの方へ向き合う。
目の煌めきが眩しい。
若さゆえの傲慢な夢。そう一蹴もできる。ペリソンは彼よりも長く生きている。それだけ煌めく夢を汚すものが彼の人生の中に沢山あることも知っている。
だが、自分がその汚れになる必要はないと思った。
「…私は見ての通り、もう若くない。君たちのようにそんな途方もない夢を掲げることはできんよ。…だが、応援くらいはしよう。…アルフヘイムの代表よ。はっきり言って、今すぐ貴殿らと手を組めるかといえばそうではない…。故に我ら甲皇国艦隊はこれよりSHWと共に共同で作戦を遂行する」
それでいいかと確かめるようにペリソンはダートとヤーを交互に見た。
結果的にはSHWが提唱する三国の共同戦線に参加する形だ。しかし、やはりアルフヘイムと共闘ということは難しいのだろう。
「儂らもSHWと共に手を組み、かの化け物を止めて見せようぞ」
ダートが杖を床にうちつける。甲高い音が船内に響いた。
ヤーはうっすらと笑みを浮かべた。
紆余曲折はあったが、結果的には当初想定していた通りだ。さらには乙家の発言のお蔭で多少は前向きな共同ができそうだ。
魔法陣を介して相対する甲皇国の提督と貴族、アルフヘイムの代表と魔術師に向けて彼は凄絶に目を煌めかせた。
三国が共同して行う作戦。既に方程式は組み立てられつつある。
「…それでは、亜骨同舟と洒落込みましょうか」