Neetel Inside ニートノベル
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ミシュガルド冒険譚
穢れに捧げ、癒し歌:12

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 黒い波が暴れている。嵐の時だってこんなに苛烈な海を見たことはない。
 離れていても艦は波に大きく揺れる。ともすれば放りだされてしまいそうだ。
 その艦の船首でニフィルは沈鬱に立ち尽くしていた。
 これだけ海が荒れていても懊悩が流されることはない。当然だろう。この身に刻んだ罪は未来永劫消えることなく自らを苛み続けるのだ。
 その罪を。その過ちを。
 「生焔礼賛を今一度…」
 言い聞かせるかのようにニフィルは呟いた。胸がずしりと重くなった気がした。


 「…しかし、実際にあの化け物を魔法でどうにかできるのか?」
 艦内での話し合いの席。
 甲皇国の提督、ペリソンはそうニフィルにそう尋ねた。
 囮になるとして、最終的にアルフヘイムの魔法が怪物を討ち果たせなければ意味はない。
 ニフィルにとっても確かにそれが懸念であった。
 実際、今は動きを結界魔法で封じているが、完全な討滅に至る手立ては未だ考えられていなかったのだ。
 答えあぐねているとSHW大社長のヤー・ウィリーが口を開いた。
 「…あの怪物は生焔礼賛の影響で生まれた亡者の集合体なのですよね?」
 その通りだとニフィルは頷いた。
 生命の炎を求める亡者の連鎖を産み出す魔法。それが生焔礼賛。今黒い海の中心にいる怪物はその魔法の失敗が生み出した人々の成れの果て。
 するとヤーは何でもないように提案をした。
 「なら生焔礼賛を使うのはどうなのですか?生焔礼賛の最終段階では亡者を封印する術式が発動するとのこと。あの怪物が亡者の成れの果てならば、その封印の対象になると思うのですが」


 考えてもみない提案であった。否、考えないようにしていたのかもしれない。
 確かに生焔礼賛ならあるいはヤーの言う通り怪物を封じることができるかもしれない。もちろん前提である怪物の正体が間違っていればそれもままならないのだが、それなら、生焔礼賛本来の力を発揮すればいいだけの話だ。
 しかし、いずれにせよ禁術であるあの魔法を使わなければならない。
 「…私が……」
 杖を固く握りしめる。
 荒波の音が遠のく。海の黒があの日の黒い閃光と重なる。
 はじめは何が起きたのか理解が出来なかった。
 上手く誘導した甲皇国の軍だけを結界で封じ込め、一掃するはずだった。
 しかし、黒はアルフヘイムの全てを飲み込みながら膨れ上がり、そしてニフィルは夫婦神の声を聞いた。
 そこで全てを理解してしまった。
 自分は、失敗したのだと。
 全てを終わらせてしまったのだと。
 「……ニフィル」
 気づけば背後にダートが立っていた。こんな場所で何をしているのだと言外に問うてくる。
 「ダート様…」
 背丈に差があるためにニフィルが見下ろす形だ。
 船首にいては危険だと伝えたらお主も同じじゃと言い返された。
 「私はあの怪物の動きを封じる魔法の維持をする必要がありますから」
 「他の者の手を借りることもできるじゃろう」
 ニフィルはきゅっと唇を結んだ。
 「…魔力の消費を抑えろ、ということですか?」
 何のために。
 ダートは重く息をついた。
 「これ、深読みをするでない。禁断魔法に備えてではない。お主の身を慮ってじゃ。…お主は1人で抱え過ぎる」
 「…そうですか。お気遣いありがとうございます。ですが…全ては私が招いたことです」
 ぐらりと船体が揺れた。
 慌てて2人は体勢を整える。ニフィルは続けた。
 「故国の崩壊も、今あるこの状況も…全部私が原因なのです。この罪は許されるものではありません。ならば私はこの身をもって償う他ないではありませんか」
 「…戦争の折、お主に禁断魔法を使わせることになってしまったのは儂にも責任がある。本当に申し訳ない。…あれはニフィル、お主だけのせいではない。お主に魔法を使わせた者がいた。それを儂は容認した。…儂も同罪じゃ」
 「それでも最後に詠唱をしたのは私です」
 「…そうであっても、あれは不測の事態。本来ならあんなことにはならぬ筈じゃった。夫婦神たるウコン様もゴフン様もお主のことは責めるまいて」
 ニフィルは何も言わず、首を横に振った。
 例え全ての者が許すとして、例え禁断魔法の使用が許されたとして。
 彼女自身がそれを許さない。
 ニフィルは魔法のために人の命を奪うことを是としない。戦争のためとはいえ禁忌に染めることを認めはしない。
 それが自分の思い。アルフヘイムを穢巣より前、禁断魔法に手を染めた時からから彼女の矜持は罪を刻まれ、癒えることはない。
 彼女の表情から苦悩を読み取り、ダートは言葉を選びつつニフィルに進言した。
 「…ニフィル。儂はお主の禁断魔法への思いを知らない訳ではない。ヤー・ウィリー殿はあの怪物に対する手立てとしてかの魔法を提案したが…それが全てではなかろう」
 「…えぇ。そうかもしれません」
 「ならば考えようではないか。本国にいる者たちも、きっと知恵を貸してくれる」
 「…そうですね」
 静かに返すニフィルの髪が風にあおられた。
 いい加減、中に戻った方がいいのかもしれないな、と彼女は詮無いことを考えた。
 一歩を踏み出す先ではダートがこちらを見据えている。
 遮光眼鏡をしていても、彼が自分に向ける心遣いは本物だとわかる。
 自分自身への恐れや憐みではなく、真実優しさから自分を慮ってくれている。
 できる限りニフィルが禁断魔法を使わないよう、彼女が自らを追い詰めないよう、最善の策を模索しようとしているのだ。
 心の中で何かが少し和らいだ気がした。
 ふと思い出したようにニフィルはミシュガルド大陸へ目を向けた。
 「抱え過ぎる…か」
 ダートだけではない。フロストも、他の魔道士たちも、皆自分を慮ってくれているのだ。
 そうしてこのミシュガルドでも、ずっと故国復興の手立てを共に探してきた。
 それを無下にするつもりはない。
 だが、それに甘んじないことも己に科した罰だ。
 そして自分は彼らに報いなければならない。彼らの想いに答えねばならない。
 どのように。
 生焔礼賛を超える最適解をすぐに考えつくことはできず、時間の猶予はない。
 ヤーの提案は確かに的を射ているのだ。
 禁断魔法を憎んでいる。生焔礼賛を認めはしない。
 本当はもう二度とあの魔法に関わりたくはなかった。
 あぁ、それでも。それでも自分は。
 「ダート様、ありがとうございます」
 「…ニフィル?」
 それでも、告げる。
 「私は…禁断魔法、生焔礼賛を発動します」
 それでも、抱える。
 「禁術詠唱開始に際し、私の魔力の全てを魔法構成に注ぎます。その間化け物を封じる結界魔法とこの艦を安定させるために施した魔法が解除されるため、全魔道士の魔力をそこに……いえ、」
 今度は、自分の意思でそれを選択しよう。
 「――まずはこの海域の全ての艦の護衛に魔道士をさきましょう」
 罪を背負うのはこの身1つでいい。
 愕然と口を開こうとしたダートを彼女は制する。
 「抱え過ぎではありません。この罪は私にしか抱えられない。ですが、それで皆を守ることができるのなら、私はいくらでもこの身を穢しましょう」
 自分を信じてくれる者たちがいる。
 報いよう、その者達の思いに。
 そのためならば、自分の矜持など。
 彼女の言葉にしばらく絶句していたダートだったが、やがてそうか、と一言つぶやいた。
 「…お主はそういうエルフじゃったのぅ。…そうしてまた罪を背負うと言うのか」
 ニフィルは笑みをつくった。
 「この身に刻む罪など、皆の命に比べれば」
 奪い去るのではなく、与えるために禁忌を犯そう。
 これ以上は言っても無駄だろうとダートは頭を振った。
 そして思い出したように言う。
 「じゃが、魔法発動のための生贄はどうするつもりじゃ?老いぼれとはいえ儂は嫌じゃぞ」
 「あぁ、それでしたら――」
 ニフィルが案を口にしようとした刹那、彼女の胸に衝撃が走った。
 「っ!!」
 弾かれたように怪物の方に目を向ける。
 「どうしたのじゃ」
 ダートが尋ねるとニフィルは声を震わせた。
 「…結界の一部が破られました」
 「なんじゃと!?あの怪物め、ニフィルの結界を…!」
 「…いえ、怪物が破壊したにしては破られた箇所が小さすぎます…私も怪物によるものかと思ったのですが…」
 ニフィルはそう呟きながら魔法陣を展開した。怪物の周囲の様子が望遠で映し出されている。
 そして、2人は結界を破壊したであろうその亜人を見つけた。
 「これは…人魚かのぅ」
 「そうですね…まだ子供のようですが…」
 少年の人魚が何十倍もあるような巨大な化け物に攻撃を仕掛けていた。
 人魚の身体は一部が亡者と同様に黒い。だが、亡者の仲間が何故、怪物に攻撃をするというのだ。
 人魚は黒い水を纏い、宙に飛び上がった。そして黒い三叉槍を生成して果敢に怪物に斬りかかる。
 しかし、怪物は意に介さないように結界を破壊しようとしている。
 どうやら人魚が空けた小さな穴など目にも止まらないらしい。
 「…一体あの人魚は…?」
 ニフィルの疑問は風の音に掻き消えた。

       

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