Neetel Inside ニートノベル
表紙

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――――


 目を覚ますと右手にほんのりと温かさがあった。
 視線を向けるとアンネリエが潤んだ目でこちらを見下ろしている。
 ケーゴはそこで自分が横になっていると気付き、ゆっくりと起き上がった。
 どこかの小部屋だろうか。紙の束や箱が乱雑に隅に置かれている。
 「…ここは?」
 何の気なしに尋ね、アンネリエも自然に口を開いた。
 が、彼女の口から言葉が出ることはなかった。
 アンネリエは驚いた表情でケーゴを見た。ケーゴも同様に一体何事だ、と胡乱気な表情を見せたが、何のことはない。それが当然だったはずだ。
 「…あれ、だってさっきまで俺アンネリエと…」
 「あ、それは自分の能力ね」
 声がした。見ればアンネリエの後ろにもう一人少女が立っている。
 聞き覚えのある声だが、はて、一体誰であったか。
 ケーゴが首をひねると少女はくすりと笑った。
 「ほら、脳内に直接呼びかけた声があったでしょ?」
 「…あぁ、あの!」
 少女はハナバと名乗り、ケーゴに説明をした。
 「ここは合同調査報告所だよ。君、意識を失ってここに運び込まれてきたの」
 「意識を…」
 深呼吸1つ分の間をおいてようやくケーゴは思い出した。
 そうだ、自分はあの黒い化け物と戦っていた。そこでゲオルクさんに一喝されて、そこから記憶がない。
 アンネリエがむすりとケーゴを睨んだ。ケーゴは苦笑しながらもごめんと伝えた。
 「続けていいかな?」
 「あ、ごめん」
 「…で、君が眠ってる間にアンネリエちゃんと自分が偶然会ってね、それで頼まれたのよ」
 「…何を?」
 「自分の使った伝心の術で、ケーゴ、君と心を繋げることはできないか、って」
 「…そっか。そういうことだったのか」
 あの空間は、あの会話は、2人の繋がった心の中のもの。
 例え話すことができないアンネリエでも、心の中ならケーゴと話すことができる。自分の思いを伝えることができる。
 彼女はそれに賭け、ハナバに頼んだのだ。
 「…ありがとう。おかげで…なんというか、すごくすっきりした」
 ケーゴがハナバに頭を下げた。同様にアンネリエも深々と礼をして、ありがとう、と書かれた黒板を見せた。
 「いいってことよいいってことよ!こんなかわいい子の頼み、断るわけにもいかないしねー。あ、心の逢瀬中の会話は聞いてないから安心してね」
 ニヤリとそう笑って見せるハナバ。
 今更のようにケーゴは頬に熱を感じた。そういえば、とんでもないことをつらつらと言っていた気がする。
 ぎこちなくアンネリエの方を見ると、黒板に何か書いている。
 曰く。
 『ベルウッドたちにも伝えてくる』
 「あ、そっか」
 そういえばピクシーもいない。気を遣って退席してくれたのだろうか。
 「…いや、ピクシーの場合は気を遣うというか、言われたから離れただけか…」
 いい加減ピクシーの性格を理解しているケーゴはそうため息をついた。
 その間にもアンネリエは部屋を出ていく。
 なんとなく名残惜しくその後姿を眺めているケーゴを横目にハナバも身を翻した。
 「自分の方もこれでお役御免みたいだし、この辺りで失礼するね」
 アンネリエの頼みは聞き入れたのだ。これ以上彼らと接触してこちらの正体がばれてしまうのはよろしくない。
 それに、自分の伝心術がまた必要な状況かもしれないのだ。2階に戻った方がいいだろう。
 そう考えケーゴに背を向けた時だ。
 「――ありがとうね、ハナバ」
 呼吸を忘れるほどの衝撃が身を貫いた。
 心臓を鷲掴みにされる感覚を覚える。
 凍りついた思考でハナバはのろのろと考える。
 今、部屋にいるのはケーゴと自分だけだ。
 だが、ケーゴの声ではない。この声は。否、それはありえない。
 様々な思考がハナバの脳内を駆ける。その時だ。再び声がした。
 「――迷いなき想い、比類なき信頼、ここに成った。大義であったな、妖よ」
 今度こそハナバは息が止まった。これ以上ないほどに目を見開き、硬直する。
 恐怖ではない。これは重圧だ。
 厳かで、抗いをを決して許さない絶対の言霊。
 何故だ。思考がその一言に支配される。
 呼吸が荒い。妖たる自分が何にここまで圧をかけられているのだ。
 本能が警鐘を鳴らす。駄目だ。これ以上は駄目だ。振り返ってはいけない。
 あぁ、それでもあの声が。
 ぎちぎちとハナバは無理やりに首を動かした。

 紅蓮の瞳。真紅の文様。
 
 少年は優しく微笑んでいた。
 
 それを認めた瞬間、ハナバの視界が赤に染まった。

――――


 程なくしてアンネリエは部屋に戻ってきた。
 手持無沙汰にしていたケーゴがやっと戻った、と扉の方に目を向けると、明らかに人数が多い。
 アンネリエの隣にベルウッド。そしてピクシーはすぐさま自分のもとへと飛んで戻ってくる。ここまではいい。
 「イナオ!」
 予期せぬ再会に思わずその名を呼ぶ。
 見ればイナオの後ろにはアマリもいる。さらにアマリの隣にはゲオルクとゼトセも立っている。
 が、さらにこの2人の後ろにひょろりと背の高い毛皮を纏う男の人とがっしりとした体形の男の人、緑色の服を着たエルフがいる。この人たちは誰だろう。
 一体何だこのお見舞いは、とケーゴは目を白黒させる。
 代表するようにイナオが一歩前に出た。
 「えっと、ケーゴ。実はお願いがあるんだ」
 「…俺に?」
 神妙な顔をするイナオにケーゴは首をひねった。
 「お願いと言うよりも、使命、かのう」
 静かにアマリが続ける。
 「この交易所に現れた黒い亡者たちの調伏。それにお主の力を借りたいと思っているのじゃ。…いや、お主の剣の力を、と言った方が正しいか」
 「シェーレの?」
 聞き返したケーゴに対してアンネリエとベルウッドが驚いた表情を見せた。
 しかし、それに気づかずケーゴはゆっくりと立ち上がった。
 毅然とした表情でアマリと向かい合う。
 「何をすればいい?」
 「アマリ様の霊力をその剣に宿す。ケーゴにはその霊力を交易所全体に行き渡らせるコントロールをしてほしい。それに僕の術をのせる。これで一気に交易所の亡者を調伏する」
 「妾の力を受け止めきれるだけの力をもつ憑代など、お主の剣以外に今は思いつかないものでな。お主の連れ人とこの報告所で出会うことができたのは幸いじゃった」
 アマリはそう言いながらベルウッドに目を向けた。
 ケーゴのことをアンネリエに任せたベルウッドとゲオルクがケーゴの名前を呼んで探していたイナオと出会っていたのだ。
 そして2階でウルフバードたちも交えて現状の説明を受け、今に至る。
 「そっか。だからここにみんな来たのか」
 納得したケーゴに対してアマリはただし、と思案気に口を開いた。
 「今確かなのはその剣が妾の力を受け止められる力を持っているということだけ。その剣が妾を拒絶したり…ケーゴ、お主が剣を使って妾の力を御しきれなかったりしたら…」
 「…要はその剣だけが必要なのだろう?」
 そこにゲオルクが割って入る。
 「ならば、ケーゴ自身がその剣を持つことはあるまい。ただでさえ、疲労しているその身で…私にはこの大役をこなせるとは思えない」
 有無を言わせぬ口調であった。
 ゲオルクはアンネリエを守ろうと躍起になっていたケーゴを実際に見ている。
 そんな彼がこの大命を果たす重圧に勝てるとは考えられないのだ。
 アンネリエ、ベルウッド、ゼトセも反論することが出来ず俯く。
 「俺もその考えには賛成だ」
 痩身の男、ウルフバードがゲオルクに加勢した。
 「小僧、お前がどれほどの剣士かは知らんが、荷が重すぎる。そこの狐女の言葉の通りだとすればこの作戦で多くの霊力を削ぐことになるはずだ。やり直しがきくもんじゃねぇ。…曲がりなりにも俺は魔法が使える。きっと俺の方が上手くやれるはずだ」
 「…協力的だなんて意外ですね」
 「エルフ女、お前は俺を何だと思っている」
 局地的な口論が勃発しかかった時にゲオルクが再び話を戻した。
 「とにかくだ。ケーゴ、今のお前では力不足だ。その剣を貸してくれぬか」
 小部屋を重い空気が満たした。
 ゲオルクはケーゴがむきになって自分がやる、と喚くと予想していた。だが、その反発こそが、ケーゴに任せられない理由だ。
 この少年は要するに焦っているのだ。自らの無力さに。そこに追い打ちをかけるようにこんなことを言うのは酷だろう。
 だが、事態は少年一人の矜持を守っているような余裕を許さない。
 ケーゴが受けた傷はこれからゆっくりと癒していけばいい。
 その未来を手にするためにも、今はケーゴに我慢してもらうほかない。
 ベルウッドの目がゲオルクの言うとおりにしておけと伝えていることにケーゴは気づいた。
 確かに、ゲオルクの言うことは正しい。
 そして、言葉は厳しいが、その中には確かに優しさがある。
 ここで自分が大役を果たせられなかったことで持つ無力感よりも、きっと失敗した時の絶望の方が大きい。それをゲオルクは考えている。
 それに、自分はただの子供だ。剣士でも魔法使いでもないのだ。どう考えても自分よりも適任者はいる。
 だが。
 「ゲオルクさん、俺なら大丈夫です」
 そう発せられたケーゴの言葉にゲオルクはああ、やはりなと顔をしかめた。
 これはもう一度一喝しないといけないか。
 そう構えたゲオルクの目をケーゴが正面から見据えた。
 と、ゲオルクは意外そうに少々目を瞠った。
 そこにあったのは、焦りに濁る瞳ではない。確固たる光を放つ黒曜石の瞳。
 そこでゲオルクは初めて気づいたのだ。今目の前にいるのは、先ほどまでのケーゴではない。
 決意の光を目に宿した少年が一歩前に出る。傍らに立つアンネリエを肩に寄せる。
 「さっき言われたこと…守るってこと…考えました。2人でその意味、考えました。俺、アンネリエを守ろうと必死で、全然アンネリエのこと見えてなくて、それでずっと辛い思いをさせてきた。…だけど、やっと答えを出せた」
 「答え、か」
 ゲオルクは深く息をついた。
 それを聞くのは野暮だろう。それに、答えは彼の目が物語っている。
 それはきっと、かつての自分も放っていた光。かつての自分も抱きち続けていたかった想い。
 何があったかはわからないが、どうやらこの少年は正しい道に一歩を踏み出すことができたのだ。
 「感動的なスピーチは結構だがな。それと今の状況は別物だろう」
 ウルフバードが肩をすくめた。
 「やる気は十分。それだけで話が解決するなら先の大戦で皇国が圧勝していた筈だ」
 「虐殺しか考えられない単純な頭の軍団だものね」
 「その通りだ。内戦にご執心なお前たちとは違う」
 「この爆弾魔!」
 「間違っているのか凍結女」
 「シェーレは俺にしか使えない」
 ウルフバードとフロストの口論をケーゴの一声が止めた。
 2人は意表を突かれたようにケーゴに顔を向ける。
 「それに、アマリさんの霊力を拒絶するようなことも決して起こらない。俺にはわかります」
 断言した。
 その力強い響きは部屋の重い雰囲気を吹き消す。
 その言葉に、その瞳に、アマリは唇を釣り上げた。
 「…なら決まりじゃな。ケーゴには我が霊力の全てを交易所中に満たしてもらう。効率よく全ての箇所に霊力を行き渡らせるために交易所の中央でこれを行いたい」
 「中央って、あの噴水の場所ってこと!?そんなの、あの化け物に狙ってくださいって言ってるようなもんじゃない!」
 ベルウッドの意見にアマリは頷いた。
 「もちろん危険は伴う。だからこそ、お主らがいるのじゃ。わかっておるのだろう?」
 ベルウッドから視線をゲオルク達に移す。
 彼らは黙って首を縦に振った。
 「ケーゴ殿たちを守ればよいのであるな。任せてほしいのである」
 「うむ、力を貸そう」
 「三特の力、見せてあげるわ」
 「小隊長殿、我々も」
 「あぁ、そうだな。ここまで来たら乗りかかった船どころじゃないだろうしな」
 と、そこでアマリはウルフバードに言った。
 「いや、お主だけは別の仕事がある」
 「あ?」
 胡乱な声を出す彼に対してアマリは説明した。
 「妾の力をもって、交易所中の亡者を調伏する。…それだけではまた海から亡者が現れて終わりじゃろう?」
 「確かにそうだな。海の方は禁断魔法女が何とかするということではあったが」
 「もちろん、彼女を信じていない訳ではないが、保険は必要じゃろうて。そこで、この交易所に結界術、“五色ごしきたばだて”を施そうと思う」
 「五色の束ね盾?」
 「木、火、土、金、水。5つの属性を持つ術師が力を合わせて織りなす最強の結界。悪しき者の侵入を拒む交易所の新たな城壁じゃな」
 「なるほど、俺が持つ水の魔力をそれに使えと」
 「そういうことじゃ」
 アマリは続ける。
 「所謂五行の力を用いた結界じゃ。そうやすやすとは破られぬ。あの亡者たちもみたところ多くが元は水の性を持つ魚人たち。ならば土の性が織り込まれた五行の守りは確実に効く。…本来は、イナオの調伏術に力を貸す霊力も妾が持つ火の性より土の性の方が望ましいのじゃがな」
 土は水を堰き止め、淀みをつくる。淀んだ水は力を失う。故に土克水。
 そして、その逆で燃え盛る炎を弱めるものは水。故に水克火。
 より効果的な調伏を行うためには土の霊力が必要だが、ないものねだりだ。
 「それは魔力では駄目なのか?お前の霊力に土の魔力を上乗せはできないのか?」
 ウルフバードが津波襲来時に失態を犯した魔道士を思い出しながら問う。
 「できなくはないじゃろうな。そもそも妾の霊力とてケーゴの短剣の魔力と波長を合わせなければならないのだから、それにさらに土の魔道士が魔力の波長を合わせればよいだけ。じゃが、そんなことに土の魔道士を使うくらいなら、束ね盾の方に向かってほしい。束ね盾とて半端な魔道士に任せるわけにはいかないし、魔力の波長を合わせるのも至難の業じゃ。…妾の方は心配しなくともよい。不安を煽るようなことを言ってしまったな」
 苦笑して見せる。ウルフバードもそうか、と短く言い捨てた。
 と、そこでアマリの袖を引っ張る者がいた。
 「お主は…」
 訝しがるアマリの前でアンネリエは黒板を見せる。
 『私がケーゴと魔力を合わせます』
 「アンネリエ!?何言ってるのよ!」
 黒板を覗き込んだベルウッドがアマリよりも先に反応した。
 「魔力を合わせるって簡単じゃないって今言ってたばかりじゃない!それにあなた魔法なんて…!」
 『私は土の性を持つ魔法使い。今は詠唱ができないけど、魔力をケーゴの剣に送るだけならできると思う』
 「っ…!でも、そんなの危ないわよ!ケーゴだって…!」
 ベルウッドは助けを求めるようにケーゴを顧みた。
 経験上ケーゴがアンネリエを危険な場所にいかせようとしないことは分かっている。
 だが、彼の反応は違った。
 「アンネリエはずっと俺と一緒にいる。多分他の魔道士よりも魔力を合わせるのに苦労はしないと思う」
 「ケーゴ!あんたそれで良い訳!?」
 落ち着いた声で述べるケーゴに対して、ベルウッドの声は甲高く感情がこもっている。
 「あれだけ守る守る言っておいて、何で今に限ってそうなのよ!」
 「守るよ」
 「…っ」
 「アンネリエは俺が守る。絶対に守ってみせる。それだけは変わらない。だからベルウッド、お前はここで靴でも磨いて待っててよ。」
 ふわりと微笑むケーゴにベルウッドは押し黙ってしまった。
 アマリは目の前の少女を改めて見た。
 あの時八つ当たりのように叱責された少女が今は恐れることなくケーゴの隣に立つと言う。
 そして、そのケーゴも別人のように彼女を遠ざけることなく守ると言い切った。
 一体何があったのだろうか。
 「…なら後は他の属性の魔道士をかき集めればいいわけか」
 と、そこでウルフバードが腕組みをして呟いた。そしてアマリに尋ねる。
 「だが、俺にお前らの術が使えるのか?霊力は俺たちに使えないのだろう?」
 「その通りじゃ。だからこれを」
 ウルフバードにアマリが手渡したのは奇妙な形をした石だ。どこかで見たことがあると思えばビャクグンのチョーカーに同じ形の装飾がついている。
 翡翠色で、魔力とは別の力が滲みだしているのが分かる。
 「それは妾の霊力を封じた勾玉。この霊力を用いて結界を張ってもらう」
 「ほう、変わった形の石だな」
 ウルフバードの問いかけにアマリは気にした風もなく応えた。
 「あぁ、そうかもしれぬな。妾たちにとってはそこまで珍しくもない石なのじゃがな」
 「…なるほどねぇ」
 ビャクグンを横目に見ながらウルフバードは口角を釣り上げた。


       

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