Neetel Inside ニートノベル
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――――


 突如として消えたヒュドール。水晶だけが音を立てて彼女がいた場所に落ちた。
 「…ヒュド!?一体何が!?」
 慌てて辺りを見回し、そして思いついたようにブルーは水晶を拾い上げた。
 ぼんやりと浮かび上がる像。
 黒い海。気味の悪い怪物。少年の人魚。
 そして。
 「…っ!」
 絶句するブルーの目にヒュドールの姿が映っていた。
 彼女は荒れ狂う並みの中で必死に前に進もうとしている。
 ブルーの肩越しに水晶を覗き込んだベルウッドが悲鳴をあげた。
 「何でよ!?今までヒュドールはここにいたじゃない!」
 そう、確かにヒュドールはこの報告所にいた。それが今、遠く離れた黒い海にいる。
 水晶を持つ手が震えている。ブルーは茫然と水晶に映るその光景を見続けた。
 これはきっと間違いだ。嘘だ。作り物だ。
 ヒュドールがこんな所にいるわけがない。いていいわけがない。
 だから違う。これは、偽物だ。
 自然と呼吸が荒くなる。どれだけ言い聞かせようと、心のどこかでこれは真実だと、事実だと、彼女は手の届かない場所に行ってしまったのだと、そう確信が疼いている。
 「何で…何で…!」
 何を思えばいいか、何を考えればいいかわからずブルーは呟き続けた。
 誰もが絶句し、何を言えばいいかわからない中、ケーゴが落ち着いた声でブルーに応えた。
 「ヒュドールがそれを望んだからだよ。だから、海に転移した」
 否、声が微かに震えている。アンネリエとベルウッドはそれに気づいた。
 ブルーはケーゴを唖然として凝視した。
 今のケーゴの言葉を脳裏で反芻する。次第に彼の青い肌が紅潮し、薄い紫へと顔色が変わっていく。
 それをケーゴは無表情で眺めている。
 ブルーの身体が震え始める。先ほどまでと違い、怒りに震えているのだ。心臓がうるさい。呼吸が荒い。
 「あああああああああああああああああああああああ!!」
 そしてついに爆発した。
 周りの避難者たちが何事かとブルーたちに目を向ける。
 「何でだケーゴ!!どうしてだよ!」
 普段の落ち着きようをかなぐり捨ててブルーはケーゴに迫った。
 胸倉を掴み、怒鳴る。ケーゴは体を揺さぶられながらも未だ表情を変えない。
 「僕はヒュドールに行ってほしくなかった!!僕は!僕は望んでいなかった!!」
 怒鳴りながらも、ブルーの目からはとめどなく涙があふれ出る。これは怒声なのか、慟哭なのか、ブルーにはもうわからない。
 激情をもって吠えるブルーの目をケーゴはまっすぐ見返した。
 その瞳はなお紅く、しかし凍てついていた。
 そこでブルーの背中を氷塊が滑り落ち、ようやくケーゴを力任せに揺さぶることをやめた。
 本当にこれはケーゴなのか。
 奇妙な問いが一瞬ブルーの胸をよぎる。
 いつも酒場で気さくに声をかけてきたケーゴは、今どこにいる。
 ケーゴはブルーの狼狽を気にせず口を開いた。

 「――貴様は愛しき亜神あじんの血を欠いている」

 刹那、重圧がその場を支配した。
 思わずブルーは胸倉を掴んでいたその手を離してしまう。全身が震えているのがわかった。
 ニッツェは予想していたかのように恭しく膝をついた。ピクシーも同様に丁寧に頭をさげる。
 ベルウッドをはじめ、報告所のエントランスホールにいた誰もがケーゴを畏れ、直視を避けた。呼吸すら畏れ多いかのように硬直している。
 1人、アンネリエだけがケーゴを見ていた。その瞳に畏れはない。毅然とした表情で彼の言葉を聞いていた。
 「そして我は亜神の血を引いた者の願いを優とした。それだけのことだ」
 「残念だけどね。あなたは人間と亜神のハーフだから…」
 2つの声。そしてゆっくりと息をつきながらケーゴは口を閉じた。同時に彼の目も元の黒曜石の色に戻った。
 重圧から解放された人々は脱力し、しばらくすると今の出来事を忘れたかのようにふるまい始めた。
 アンネリエがケーゴの傍に寄る。彼は微笑と共にアンネリエを受け入れた。ピクシーも2人の周りを飛び回っている。
 ベルウッドは荒い呼吸の中2人に目をやった。昨日まで一緒のパーティにいたはずの2人があまりに遠い。そしてブルーに視線を移した。
 ブルーはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて膝から崩れ落ち、床にうずくまって嗚咽を漏らし始めた。
 彼が手放した水晶を拾い上げたニッツェは再び恭しく礼をケーゴとアンネリエにして、その場から立ち去った。
 そこで声がした。
 「ケーゴ!」
 声の方をケーゴが目を向けると、階段をイナオが降りてきている。報告所のエントランスホールの中央へと続く大きな階段だ。
 「今、ものすごい神気がこっちに降りてきた気がしたんだけど…!」
 怪訝な表情のイナオにケーゴは肩をすくめてみせた。
 「神気…?何のことだよ」
 それより、とケーゴは続ける。
 「束ね盾の人員は集まったの?」
 普段と様子の変わらないケーゴに内心首をかしげつつイナオは答えた。
 「……うん、ちょうどそれでケーゴを呼びに行こうと思ってたところだったんだ」
 そう話すイナオの後ろからフロスト、ゼトセ、ゲオルク、アマリと続いて現れる。
 束ね盾の要であるウルフバードもビャクグンを連れて現れた。彼の後ろに続くエルフたちがきっと他の属性の性を持つ魔道士なのだろう。
 ケーゴとアンネリエは顔を見合わせ、頷いた。もう後戻りはできない。
 2人は彼らが階段を降りきるのを待った。
 階段を下りながらゲオルクが問う。
 「覚悟はできているか、ケーゴ」
 「ああ」
 迫力のある声に端的な言葉で、しかし、真摯な表情でケーゴは首を縦に振った。
 ゼトセが薙刀を背負いながらアンネリエに向かって言う。
 「心配しなくてもいいのである。アンネリエ殿は絶対に守ってみせるのである」
 力強い言葉と笑顔にアンネリエは黒板を用いる必要を感じなかった。ただ頷き、ゼトセへの返答とした。
 アマリが唐突に隣にいたイナオの髪をくしゃくしゃと撫でた。
 「うわわっ!何するんですかアマリ様!」
 当のアマリは抗議を笑い飛ばす。
 「なに、緊張をほぐしてやろうと思うてな。…大丈夫じゃイナオ。お前1人じゃない。妾もいる」
 「…はい!」
 勢いよく頷くイナオの後ろでフロストはウルフバードを睨み付けた。
 「…ヘマするんじゃないわよ。全部が終わったらあんたは私が氷漬けにする」
 気にした風でもなくウルフバードは口角を釣り上げる。
 「クハハ、ならお前も無事に帰ってこないとな」
 牽制するように睨み合った後に顔を背け合った2人はそのまま口をきくことはない。
 そんな彼らの傍に控えるビャクグンが2階からの視線に振り返るとハナバがこちらを見ている。
 ビャクグンとハナバは互いに何も言わず、それでも互いを信じ、頷き合った。
 そして彼らはケーゴとアンネリエ、そしてピクシーに合流した。
 人間と亜人、そして妖や人工妖精も入り混じった少し規模の大きいパーティの完成だ。
 ケーゴはそのパーティを見回し、言った。
 「行こう。交易所を取り戻しに…!」
 パーティのメンバーが同時に頷く。
 ケーゴは身を翻し、報告所の扉へと向かう。アンネリエとピクシーが彼に続き、後にぞろぞろと他の者たちも続いた。
 その行軍を避難してきた者たちは最後の希望とばかりに祈るような目つきで見送った。
 ブルーはその場にうずくまり、嗚咽を漏らし続けていた。
 そして、ベルウッドは悄然と立ち尽くしていた。
 扉をくぐるケーゴとアンネリエ、そしてピクシーの後姿。遠ざかっていく彼らに手を伸ばしても、きっと誰も握り返してはくれないのだ。



 ――同時刻、ニフィル・ルル・ニフィーによる禁断魔法“生焔礼賛”の詠唱が開始された。

       

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