「まったく、とんでもないことになりましたね」
「そうだねぇ~」
骨統一国家という正式名称を冠する国の辺境地帯。
作物の収穫が一切望めないような不毛の地にその建物は存在していた。
入り口は固く閉ざされ、兵士の警邏は厳重だ。周囲を厚い壁に囲われ、中の様子は全く窺えない。
この施設が何のためにあるのかは国民に知らされてはいない。人々は口々に重犯罪者の隔離施設であるとか、兵士を改造するための施設であるとか、勝手気ままな想像をしているものだ。
そして、その中には真実と違わぬものも存在しているのである。
「これ、この前の事件の一部始終をうちのピクシーが録画していたものんですがね」
施設の一室で白衣の男が壁に映像の投影を始めた。
もう1人の白衣の男も興味深げに舌なめずりをした。ずずっと音が室内に響く。この男の癖なのだ。もう一人はそれを気にした風でもなく説明を続けた。
「突然現れたこの黒色の巨大な化け物、ミシュガルド開拓当局はリヴァイアサンと名付けたそうです」
「ふぅん、神話からとった名前だねぇ。アルフヘイムの奴らだな、こういった手合いの名づけ方は」
「そのアルフヘイムの魔術師によってリヴァイアサンは倒されていますね」
投影された映像は魔法陣に囲まれる巨大な怪物のものに切り替わっている。
「んー、違うねぇモーブ博士」
「と、言いますと?」
グリップはもう一度舌なめずりをした。こういった自分の一挙一動に文句を言わない奴は良い奴だ。
戦時中に共に働いたゲコだのロンドだのは細かい所でそりが合わなかった。
リヴァイアサンが光の柱に飲まれた。
「これは倒されたというよりも消されたの方が正しいねぇ。それも皇国の戦艦ごと」
映像が巻き戻る。拡大してみると確かに魔法陣に戦艦が引き寄せられていくのが分かる。
「これに関してアルフヘイムはこの魔法は異種族連合会議とは関係のない魔道士が行ったものとして関与を否定しています」
「成程ぉ。それでこちらはどんな反応を?」
「甲家は乙家と共同で抗議声明を発しています。丙家はこれがれっきとしたテロ行為であるとして、アルフヘイム国内に軍隊を進駐することを訴えています」
「ふぅん。まぁ軍事的な介入は無理だろうけど、アルフヘイムとしては手痛かっただろうねぇ。異種族連合では化け物に太刀打ちできないことを認めた上に、半ば連合だけでは歯止めのきかない者たちの力を明らかにしてしまった」
「エルカイダですかね」
「さぁ、それはわからないけれど。重要なのは連合会議がそれをしてまでも自分たちの落ち度にはしたくなかったってことだねぇ。今の彼らは協調路線をとりたいってこと。それほどに国力が落ちているのか、他に理由があるのか…」
「とにかく、そのリヴァイアサンとの戦闘にうちの被験体が紛れ込んでいたのが問題ですよ」
「被験体?どの?」
どれは初耳だとグリップは映像をまじまじと眺める。
「被験体No.101055です。ほら、黒魚って呼んでた…」
「あぁ、あいつか。確か逃げ出したって聞いてたけど、まさか新大陸にまで行ってたのかい?」
モーブが映像を停止した。ほらここです、と指を指す。
確かに見覚えのある青い髪だ。体の黒は海の黒と混じって見にくいが。
「……これ、結局どうなったの?」
「おそらくはリヴァイアサンともども魔法で消滅したものと思われます」
「じゃあ亜人を改造していたって事実は」
「証拠としては消え去ってるでしょうね。それまでにこの黒魚がどれだけ人の目に触れたかにもよりますが…」
そう言いながらモーブはピクシーの機能を変える。
壁に投影されていた映像が消え去り、部屋にはピクシーの無機質な音声が流れだす。
「リヴァイアサン出現前に被験体No.101055であると思われる怪物の目撃情報、多数検出されました。しかし、甲皇国と関連付けられるような証言は皆無。後のリヴァイアサンの被害者と同様のものであると考えられているものと推測されます」
聞きながらグリップは思案気に目を細めた。
「ふぅん…リヴァイアサンが現れてラッキーだったとしか言いようがないねぇ」
「もしすべてが明るみに出ていたら丙家はおろかエントヴァイン殿下にまでことが及びかねませんからね」
「今はまだ泳がされているけど、そうともなればここにも甲家や乙家…下手すればアルフヘイムの調査が入る。僕らもただでは済まなかっただろうねぇ~」
気楽に言っているが、その反面グリップもモーブも、この件については戦々恐々であった。
それ故に人魚が逃げたぞとへらへらと報告を寄越したウルフバード・フォビアには殺意すら覚えたものだ。
「ま、当面の憂いはアルフヘイム自ら消してくれたんだ。これでまた研究に集中できるねぇ」
「そうですね。当面は魔紋の研究の続行ですか」
「それに尽きるねぇ。最近は亜人も手に入りにくくなっていることだし」
甲皇国と呼ばれる国の辺境。亜人の軍事利用を目的とした研究施設で国ぐるみの謀略は続く。