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森を夜が包む。
これ以上先に進むのは危険だとロビンが判断し、ケーゴ一行は少し開けた場所でキャンプをすることとなった。
たき火のぱちぱちという音が耳に心地いい。
「おっさんは戦時中アルフヘイムにいたんだっけ」
「あぁ、そうだよ」
ケーゴの問いにロビンが応える。話のお供はロビンが持っていた携帯食だ。
「おねーさんとはその時に出会ったの?」
「そうです」
シンチーがうなずいた。
「もうすぐ終戦って時期だった。前に言っていたボルトリックに襲われて森で倒れていたところを助けたんだ」
「気づけば記憶をなくしてアルフヘイムの森に。そこで襲われて、あのままロビンと出会わなければ私は死んでいたと思います」
静かにロビンに続けるシンチーの言葉には感謝がにじんでいる。
今までならこんな細微な感情ですら露わにはしなかっただろう。
そう思いつつも、ふむふむと興味深げに首を縦に振っていたケーゴにロビンは尋ねる。
「どうして急にそんなことを?」
ケーゴはごまかすような笑いを浮かべた。火に照らされた顔はほんのり赤い。
短剣の焔に照らされたその目の輝きが黒曜石の原石に似たのはもうずいぶん前だ。
「ちょっとこの前、アンネリエと初めて会った時のことを思い出してさ。よく考えたらこの大陸にきていろんな人に会ったよなーって」
そう思えばロビンやシンチーとも印象に残る出会いをしていたのだと思い出した。なんだかそんないろいろな出会いが懐かしくてたまらないのだ。
ずっと狭い世界に住んでいた。
この交易所の門をくぐった瞬間に広く、広く、自分の世界は広がった。あまりに広すぎるその世界は田舎村の子供が生き抜くには過酷で、孤独で、そして苦しいものだった。
一寸先も見えないような暗闇の中で、そんな自分に指標を示してくれたのは、ロビンとシンチーだ。
孤独を忘れさせてくれたのはベルウッドや酒屋で出会った皆だ。
大切なことを教えてくれたのはゲオルクと…ヒュドールだ。
ともに戦ったアマリやイナオ。気持ちを振り切るきっかけになった犬型亜人の子。
この大陸で生きていく中でたくさんの出会いを重ねた。一つ一つが珠玉の宝石だ。
その中でも本当に守りたくて、本当に大事なのは。
アンネリエと目が合う。
つい、と目をそらされた。でもそれが初めて会った頃のように嫌悪からくるものではないことはわかっている。
『体が火照ってきたので少し離れます』
アンネリエが携帯黒板にそう書いてみせた。立ち上がりざまにケーゴをちらと見る。
ついてこいとの意思表示だ。
もちろん森でアンネリエを一人にするつもりはない。心得たものですぐに彼は立ち上がった。
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夜の森は静寂に満ちている。しかし、それは安全という意味ではない。
ミシュガルドの原生生物たちは獲物を虎視眈々と狙っている。少し気配を探れば獣たちの息遣いがわかる。
森の木々の間を抜ける微風が髪を揺らす。
アンネリエはふぅ、と息をついた。体が火照っていたのは本当なので心地いい。
「あまり奥に行くなよ」
ケーゴは軽く声をかけた。確認程度のものだ。
アンネリエが振り返る。
『不思議だね。思い出に浸るほど出会ってから時間はたっていないのに』
苦笑で返す。
「確かに。まだ数か月だもんな」
それでも一緒にいる時間は濃密で、一日一日がいとおしくてたまらない。
目を細めるケーゴを見てアンネリエも記憶に浸ってみる。
亡者事件の前後でケーゴは変わった。
トレジャーハンターを自称して危険に突っ込んでいくあの日の少年はもういない。
自分を見つめる黒色の瞳はどこまでも深く、時折紅蓮の光がさす。
少年特融の声はじきに低くなっていくのだろう。今は自分と同じくらいの背丈も、いつかはもっと高くなっていく。
夢を見る時間はいつか終わって、そうしてみな大人になっていく。
しかし、ケーゴは体の成長よりも先に心が変わってしまった。
――そう、変わってしまったのだ。成長ではない。
それがアンネリエは少し怖い。
ケーゴであることには変わりない。ベルウッドと軽口もたたき合うし、うっかりミスも日常茶飯事だ。
それでも、それでもケーゴが、いつか自分のもとを離れてしまうのではないか。そんな怖さがある。
アンネリエは知っている。特別な日に、人は別れない、失わない。
喪失は日常と日常の中に突然挟み込まれて、それでいていつまでも爪痕を残し続けるものなのだ。
父親と母親を失ったあの日。
戦時中といえども、こんな田舎にはそこまで被害は及ばないだろうと、誰もが思っていた。
アンネリエはその日の朝のことを覚えていない。父親とどんな言葉を交わしたのか、母親が作ってくれた朝ご飯は何だったのか。
あまりにもいつもの日常すぎて、どこまでも当たり前の日々すぎて、取るに足らない記憶と忘れてしまったのだ。
だから、アンネリエはケーゴと過ごせるこの時間を大切にしたいと思っている。
願うのは安らかな日々。祈るのはいつも通りの日常。
けれども、ケーゴが変わったことでそんな毎日が軋み始めている気がしてならないのだ。
突如、何かがカサカサとなった気がした。
何だろうと思って音のする方向を見たのと、月明かりの中おぼろげな影がアンネリエ向かってとびかかってきたのは同時。
反射的に体をかばう。
それよりも早く、ケーゴが短剣を抜いた。その動作の軌跡が焔の筋となり、アンネリエに向かって跳躍したシェルギルへ放たれる。
瞬時に甲殻を持つ虫は灰と化した。
恐る恐る体勢を戻したアンネリエは焦げる匂いで何が起きたのかを察した。
「大丈夫?」
案じるケーゴにこくりと頷き、黒板に書く。
『数か月だけど、変わったね』
変わった。本当に多くのことが。
「でも変わらないこともきっとあるよ」
これ以上ここにいると危ないと判断したのだろう。ケーゴはアンネリエの手をひく。
「アンネリエのこと、きっと守ってみせる」
1つだけ、私が守ってほしいのは。
覚えている。アンネリエのその言葉も、その思いも。
その約束だけは決して違えない。
と、そこで素敵なことを思いついたという風情で彼は顔を輝かせた。
「そうだ、アンネリエ。今度ミシュガルドの外へ行ってみようよ」
これにはさしものアンネリエもいつもの無表情を崩して目を見開いた。
「ここにいると冒険やら魔物やらで危ないしさ。ほら、SHWならベルウッドの案内もあるし」
案内料をとられそうな気もするが気のせいだ。多分。
するとアンネリエはまた何事か黒板に書き始めた。
覗き込もうとすると隠された。
しばらくその応酬をしていたが、最終的にアンネリエは顔を隠すようにして黒板を見せた。
『だったら、ケーゴの生まれ故郷に行ってみたい』
その言葉に今度はケーゴが虚を突かれたようだった。
が、すぐに穏やかな笑みを浮かべて、そうしよう、と言った。
「今度、田舎村に行こう。全然何もないところだけど、緑だけは無駄にたくさんあって、川も流れてるんだ。夏は足を浸すだけでも気持ちよくてさ。…村の人たちはいい人ばかりだよ。きっとエルフとか亜人とか関係なくみんな歓迎してくれる。そうだ、幼馴染もいるんだ。口うるさい奴なんだけど、きっと仲良くなれると思う」
だからきっと、今度田舎村に行こう。
そう笑うケーゴに、アンネリエは喜びをかみしめるようにゆっくりと頷いた。
日常を願ったから。穏やかな日々を望んだから。
変わってしまったケーゴへの怖さを忘れて、そんな他愛のない約束をした。
約束はきっと叶うだろうと、目をそらすかのようにそう信じた。
大人になる前の、心が成長する前の、使命を知らない2人の無邪気な約束を、誰が否定することができるだろうか。
その時は、神でさえそんな無粋なことはしなかった。
ケーゴもアンネリエも、世界さえも、本当に変わってしまうことを知っていたはずなのに。