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「フォビア家の子息が来た!?」
さしものドクター・グリップも素っ頓狂な声をあげた。
「先ぶれはなかっただろう?」
フォビア家は丙家の一門だ。こういった貴族が訪れる際には必ず事前に知らせが来る。
「それがお忍びで一人で来られたようでして…」
「……フォビア家ならここのことも知っているだろうから、大丈夫だとは思うが…」
戸惑うモーブ博士にではなく、自身に言い聞かせるようにそう呟く。
これが乙家や甲家の穏健派の一派なら先ぶれがないことを理由に追い返したいのだが、フォビア家はここの研究にも一枚かんでいる。
「通したまえ」
「かしこまりました」
「使える兵士が欲しい」
応接間。乱暴に来客用のいすに座ったのはフォビア家の次男であるレイン・フォビアだ。貴族らしい細緻な装飾が施された服。腰には細剣をさげている。
流れる水のように涼やかでさらさらとした灰がかった水色の髪は首のあたりでまとめられ、腰にかからない程度の長さだ。
グリップは彼の向かいに座り思案気に腕を組んだ。
先ぶれなしの来訪もそうだが、どうにも意図が読めない。
「兵士って…ここは傭兵の訓練所じゃないんだけどねぇ」
相手が貴族のはずだが、グリップの口調は変わらない。
対するレインも動じない。まだ成人には早い少年の姿であるが、眼光は冷ややかで鋭い。
「ここには改造兵士がいくらでもいるだろう。本国と関りがない兵士となるとこの研究所しかない。半竜人を脳改造して戦争に従軍させたことだってあったと聞いているぞ」
「亜人でいいってことかい?君、フォビア家の邸宅で亜人連れて歩き回る気?お父上が黙っていないよ?」
レインはそこでようやく冷静に考えるように服の装飾に手をやった。
「確かにそうかもしれないな…。だが、事態が事態だ」
数日前、兄であるウルフバード・フォビアが作った魔法の鳥が彼のもとに現れた。
水で作られた鳥はレインの手元で文字列に姿を変え、皇国内に内通者がいることを示した。
兄を疑う気はない。何か理由があってそれを悟り、そしてそれを誰にも知られぬようにレインに情報を託したのだ。
その内通者が誰なのか、それはこれから調べればいいのだが、なにせ1人だ。
情報をみだりに他のものに漏らすわけにはいかない。とはいえ1人ではできることが限られている。
故にレインは全く甲皇国とは関係ないであろう、亜人の改造兵士を求めようと考えたのだ。
なんなら脳の改造も受けていて自分に従順だろうし、ここの研究所の人間がアルフヘイムに加担していることはさらに考えにくい。なにせ主任のドクター・グリップは丙家当主ホロヴィズ将軍の右腕であるゲル・クリップの弟だ。
それに、亜人の改造兵士を使って皇国の情報を得るというのはあまりにリスクが大きい。
とはいえ、そんな事情を話す義理はない。
さて、どう説明しようかとレインが己の猪突猛進について自虐を始めようとした時だ。
「失礼いたします。お茶をお持ちしましたが…」
ノックの音とともに少女の声がした。
控えめ、というよりも単に小さな声だ。中にいる人間に聞かせる気があるのか、と文句を言いたくなる。
少なくともフォビア家の召使ならこの時点で父上が激昂するだろうと考えるレインだ。
「あぁ、入りたまえ」
グリップが入室を許可する。
恐らく正規の召使ではなくただの研究者だろう。丙家の身である自分に対してグリップが慌てて用意したのだ。
ドアが開き、どんな奴だろうとレインは目をやる。
やけに顔色の悪い少女だった。
エンジ色のワンピースタイプのドレスは研究者ではなく、どこか良家のお嬢様の様。
さらさらとまっすぐな金髪は一部三つ編みにしている。
左目を甲皇国の紋章が刻まれた布で覆っている。右目は宝石のような碧。しかし何故か宝石のような輝きとは別に、生の光を感じない。
耳の部分にある突起は一体何だろうか。エルフの耳を想起させる。
ちょっとした観察のつもりがいつの間にか睨んでしまっていたらしく、お盆を持ったその少女ひっ、と小さく悲鳴を漏らした。
女性をじろじろ見つめるのは失礼だと思い、しかし、こいつは確実にただの女じゃないだろうと自分の考えを否定する。
ここで作られた亜人の改造兵士だろうか。否、ならばこんな服装をしている必要はない。
正体をつかみかねるレインに対してグリップが意地の悪い笑みを見せた。
「ンフフ、この娘はね、死体さ」
テーブルにカップを置こうとした少女の手がびくりとこわばった。
「死体?」
レインは胡乱げに聞き返した。
「そう。前の戦争で娘を失った研究者がいてね。どうしても娘を生き返らせたいとこの研究所で色々やった結果だよ。結果として出来上がったのは死んだ娘の姿そっくりの、別人だったんだけどね。ハハハ」
「だから死体ってことか。どうせ人間の肉体だけじゃこんなことできない。エルフの肉体も使っているんだろう?」
結局亜人の改造と変わらないではないか、と思ったが研究者としてはそうではないらしい。
「亜人の改造というのはあくまでベースが亜人だからねぇ。さっきの半竜人だって、洗脳しただけだし、前に作ったカエンやイツエ…それにあの黒人魚だってそうだ」
知らない名前が並んだが、そこに興味はない。
「ベースが人間の死体だからこいつは人間ってことが言いたいのか?」
下がってよいと言われていないからなのか、少女はその場から去らない。震えながら立ち続けている。
レインはその姿に少し憐れみを感じた。
「そういうこと。ま、死んでるから人間って言えるかどうかは君の倫理観にお任せするけどね。結局お父様はこれに愛情を感じられなくてここに置いていったのさ。僕らとしても迷惑な話だけどね。仕方ないから色々小間使いとして使っているんだけど…」
そうだ、とグリップは舌なめずりをした。
「レイン君、この娘持っていきなよ。欲しかったんだろう?」
「んなっ!?」
丙家の人間たるもの、うろたえることなかれ。そんな父親の厳命を忘れレインは素っ頓狂な声をあげた。茶を口にしていなくてよかったと思う。
少女を見る。当の彼女にとっても衝撃的だったようで、震えは止まり、口をあんぐりと開けている。
「ドクター・グリップ、俺は兵士が欲しいと言ったはずだ!」
「こう見えてもフランは力だけなら亜人並みだよ?」
「そうなのか?」
フランという名前らしい少女に問うが、縮こまってしまい答えはない。
それが不満だが、作られてからずっとここにいるのなら、アルフヘイムの内通者である可能性は限りなく低い。
その博士とやらが内通者としてフランをつくり上げたのならここに置いていくことはあっても、その後連絡を取らないこともないだろうし、今の話ではフランは研究所の中枢に入り込んでいない。
こんな風に甲皇国の人間によって連れ出されるなどという偶然を待ち続けるのも非現実的だ。
多少顔色は悪いが、亜人を連れて歩くより体裁もいい。
「わかった。フラン、俺と一緒に来てもらう」
「あ、え、えぇと、はい…」
ようやく返事らしいものをもらった。
そうとなればもうここにいる理由もない。
茶を飲み干し、レインは挨拶もそこそこに部屋を出て行った。
「年のころも同じようだし、お似合いだよ!ぜひとも確かめてほしいのが、死体に生殖機能があるのか――…」
最後にグリップが何か言っていたようだが無視した。