Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

ミシュガルドの朝は早い。
 夜が明ける前から、様々な店が準備を始める。飲食店からは調理の音が響いてくる。武具点も自慢の装備品を外に並べはじめる。一日中酔いどれが集う酒屋は別。
 大通りに面した小さな書店からも一人の女性が出てきた。絵画から出てきたかのような美貌の持ち主だ。紫色の目に、まつ毛は長い。鼻筋の通った顔は精緻な細工品のようだ。長い髪は下の方でまとめられ、金色から紫へのグラデーションがかかっている。身に着けたエプロンには「アレク書店」という文字。
彼女は箒で入り口の前を掃き、ガラスを拭く。いつも通りの朝。いつも通りの仕事。今日もいい天気、と女性は大きくのびをした。
 遠くで鶏が鳴いた。
 もうすぐこの大通りも人の往来が盛んになるだろう。彼女は入り口にかけてある札をひっくり返した。「CLOSE」が「OPEN」にかわる。
 アレク書店ミシュガルド店、本日も開店。


 「うおおおおおおおおお!?」
 冒険家の朝も早い。
 テントの中から溢れた主の叫び声に、従者のシンチー・ウーは慌てて飛び込んだ。赤紫色の髪を後ろで一つに束ね、肌は褐色。宝石のようにきらめく角が額と側頭部に一つずつ生えている。いつもは無表情なその顔が、今は焦りに染まっている。
 「どうしました!?」
 そう叫んでテントに転がり込む。やはり、交易所の外でテントを張るのは無防備だったか。しかし、外で見張りをしていたにもかかわらずいったい何が起きたというのだ。
 見ると彼女の主たるロビン・クルーが自分の鞄から虫を引きはがそうと奮闘しているではないか。
 虫は丸い体にエビのような尾を持った灰色がかった甲殻虫で、強靭そうなその顎でリュックを食いちぎろうとしていた。
 ロビンはロビンで寝起きらしく、タンクトップというラフな格好で悪戦苦闘中だ。群青色の髪は好き勝手な方向にはねている。相変わらずの無精ひげとそれにそぐわない若々しい顔つき。腰から下はまだ寝袋にまだ入ったままで、人魚のごとくばたばたしている。
 「シンチー!助けて!!」
 「…腕、ちゃんとついてますよね」
 あれだけ大騒ぎしておいて虫一匹。シンチーは限りなく冷たい目をしてロビンを見下ろした。しかし、ロビンは必死の表情を向ける。
 「本当にまずいんだって!!」
 テントの中の缶詰やランタンが散乱している。それだけ暴れたということだ。
 その中に紙切れがあった。昨日ロビンが寝るまで執筆をつづけていた原稿だ。ただ、半分しかない。何かに破られたようにボロボロになっている。
 ロビンはシンチーのその視線に気づいて、叫んだ。
 「この虫がやったんだよそれ!」
 

 まだ日が昇る前、枕元の気配に気づいたロビンを目をさました。すると、見たこともない虫がごそごそとうごめいているではないか。
 たかだか虫、とその時点では思った。だから特に問題視もすることもなかった。だが頭の近くで動かれていては気が散って眠れない。だからとりあえず虫を脇へと寄せて睡眠を続けようとした。
 が、何かが頭に引っかかった。違和感を覚えながらも目をつむる。
 
 気づいた。
 起き上がった。
 虫をどかした時、何よりも大切な原稿が目に映った。それが、何かおかしかったのだ。
 改めて見ると原稿が半分消えていた。正確に言うと半分より下の部分がない。千切られたかのような跡が残っている。
 まさか、寝ぼけて破り捨てたのか。そう思って恐る恐る原稿を手に取る。千切れた部分が無残だ。
 そこでふと先ほどの虫に目をやった。虫は自分のリュックによじ登って、顎を動かしていた。
 千切れた紙、そして虫、動くたくましい顎。両者を結びつけたとき一つの結論に達した。ところで、リュックの中には書き終えた原稿や、これから冒険記を書くための白紙が入っている。
 そうして、先ほどの叫び声に至る。

 「鉤爪が食い込んでてなかなかリュックから離れないんだよ!」
 いつもの笑みはどこへやら。本気で焦っているようだ。
 なるほど、力任せではうまくいかないということか。シンチーは大仰にため息をつくと、剣を抜き出して正確に虫を突いた。危うくロビンに刺さるところだったのだが文句を言う者はいない。
 ロビンは肩で息をしながらシンチーに礼を言った。
 「…なるほど、外でテントを張るのは危険だね」
 「どこから入って来たんでしょうか。ずっと外で見張りをしていたのに」
 死んだ虫をリュックから器用にはずし、外に捨てる。
 「交代で出入りしてたから、その隙に入り込んだのかな…」
 こころなしかロビンの髪がいつもよりぼさぼさに見える。彼は這い出るようにしてテントから出てきた。朝露が草におりてきている。爽やかな朝のはずが、ロビンの顔は暗い。
 「今日こそは宿をとろう」
 決意にも似たその言葉にシンチーは静かにうなずいた。

       

表紙
Tweet

Neetsha