Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

 偶然出会ったを少年を助けたのが一昨日のこと。ミシュガルドに三日目の朝が来ていた。ロビンたちとしては心地よい朝を迎えたかったのだが、ケーゴと交わした約束は「剣を取り返すまで部屋を使用させる」というものだったため、ロビンたちは再び宿無しになってしまったのである。
 昨日はケーゴを宿へとおくり、その足で登録証を作りに行った。半日ほどで登録証は出来上がり、晴れて二人は自由に外出ができるようになったのだが。
 「初めての外出が、泊まる場所が見つからなかった挙句に、交易所内で勝手にテントを張ってはいけないということで野宿場所を探しに行くということになるとはねぇ」
 ロビンは頭をポリポリとかいた。お互いに見張りを交代することで、夜の間に何かに襲われるということはなかった。だから宿は気長に探せるだろうと思っていたのだが、この虫騒動でそうもいかないと気付かされた。

 シンチーはたき火に木をくべて、見張りの時よりも火を強めた。飯盒を火にかける。中はたっぷりの水。沸騰したら持参した缶詰を投入するのだ。そしてしっかり中まで温めたところで缶詰を引き上げる。それに、昨日露店で入手した果実を添えれば本日の朝食の完成だ。
 沸騰したお湯は冷ましておく。さすがに缶詰を投入した水を飲料や汁物に使うほど余裕がない訳ではないため、今回はある程度の温度になったらタオルをそれで濡らし、体を拭くのに使う。
 シンチーがテントに入って、体の汚れを落としている間に、ロビンは辺りを見回す。
 もう日が昇り始めている。そろそろこの東門からぞろぞろと開拓者やら冒険者やらが出てくることだろう。その内どれだけが無事に帰ってくるだろうか。できれば帰ってこない方が助かるのだが、特に開拓者の場合は家族ぐるみでこの大陸にやって来て、この交易所内にすでに住まいを持っていたり、たとえ独り身であっても開拓者用の寮に住んでいたりするのだろう。だとすれば宿が空くことはないということになる。期待するべきは根無し草の冒険者の方だ。彼らが無言の帰宅なり行方不明になるなりしてくれれば、その空いた席に二人が座ることができる。
 もしかしたら、どこかの集落に移動してそこに拠点を作る方がいいのかもしれない。交易所内に家を建てるのには労力と時間がかかる。宿はキャンセル待ちでいつまで待たされるかわからない。とはいえども、ほかの集落では交易所のような利便性がない。それが問題だ。
 思案を巡らせているうちにシンチーがテントから出てきた。
 ロビンは炊爨の後片付けをして、元気に言った。
 「それじゃ、今日も宿めぐりから始めますか」
 元気を絞り出すしかないではないではないか。ロマンを求めてやって来たこの新天地で、朝からすることが宿探しなど、現実的すぎていつ涙がこぼれるかわからない。


 冒険者というのは本来根無し草だ。拠点は作れどもそれは仮のものでしかない。なぜなら冒険というものは常に新たな地を求めるものだからだ。そうして、未開の森へとわけ入って行ったり、見知らぬ遺跡の中を遺跡の中を探検したりするのだ。だから、いつまでも同じ場所にいては都合が悪い。
 「というわけで、朝に冒険者が出て行った部屋を狙えばいいと思う」
「…というかあなたも」
 冒険者を自称しているではないか。そう言いたげな目。しかし、ロビンは余裕をもって応える。
 「俺の場合は執筆場所が必要だからね。それに、わざわざ未開の地に入っていかなくてもミシュガルドの様子を書くだけで、この大陸に来ていない読者は喜ぶだろ?」
 「…それじゃああまり冒険になっていないのでは」
 「それはそれ、これはこれ」
 いつかはそういったスリルとアドベンチャーにも挑戦したいが、しばらくはミシュガルドの日常がメインの内容で大丈夫ではないだろうか。なにせ、突如として現れた新大陸である。ここに来ることはできないが、ミシュガルド大陸の暮らしに憧れる者は多いのだ。
 そんな話をしながら交易所の大通りを歩く。石畳の道に石造りの建物。すでに日ものぼり、往来が増え始めている。
 そんな時である。
 「うおっ!?」
 ロビンが素っ頓狂な声を上げた。そして足をばたばたと動かし始める。いったい何事だとシンチーが視線を落とすと、朝見たあの虫がいた。
 突然文字通り転がり込んできた虫に慌てるロビン。どうやらかなりの苦手意識が根付いたらしい。
 いったいどこからやってきたんだと、シンチーが辺りを見回すと、一人の女性が慌てて駆けてきた。手には箒を持っている。
 「ご、ごめんなさい!大丈夫でした!?」
 「…特に危害は」
 そうシンチーが応えると、その女性はほっと安堵し、現在ロビンが慌てふためいているその足元に目を向けた。
 「この虫、いつもいつもうちの店に来て困ってるんです」
 そう言いながら、箒を大きく振り上げ、虫を掃き飛ばした。なんとたくましいことか。
 足元の死活問題が消え、ロビンはほっと一息ついた。
 「いやぁ、ありがとうございます。お恥ずかしい場面をお見せしまして」
 そう礼を言うと女性はくすりと笑った。
 「もしかして、虫苦手なんですか?」
 「そういう訳ではないんですが、職業柄紙を食べられると困るんですよ」
 「あ!私も!」
 思わず砕けた話し方になってしまった。女性はあっ、と照れたように口をおさえる。
 「すみません、私、そこで本屋を営んでるんです。よかったらいかがですか。いろいろな本がそろってますよ。珍獣図鑑とか」
 「本当ですか?」
 二人から離れて会話を聞いていたシンチーであったが、ここで確信した。これ、セールストークだ。
 「…」
 無言でロビンを見つめる。本屋ではなく、行くのは宿泊所だ。そう訴える。だが、当のロビンはもう女性との会話に夢中だ。
 「…」
 従者として、彼に従うのがシンチーの是とするところである。たとえロビンが他の女性と仲良くしようが、そんなことは気にならない。あぁ、気にならないとも。だが、ここで優先順位を変えるのはいかがなものか。もうしばらくすれば新たな入植者たちが船でやってくる。そして宿は満室になってしまうというのに。
 そんな彼女の視線に気づいたロビンはしかし、「ちょっとだけちょっとだけ」と断るそぶりは見せない。
 シンチーはため息と共に、ロビンについていった。


 来店を知らせるドアの鈴が鳴る。アレク書店ミシュガルド店は小さな店ではあったが、店内は本でいっぱいだ。所狭しと並べられた本棚にはもちろんぎっしりと本が詰め込まれ、本が入っているであろう木箱がいくつも天井まで積み上げられて柱のようでもある。入口がある大通り側はガラス張りになっていて、店内は明るい。
 「ほー、本当にいろいろな本があるねぇ」
 皮の匂いや羊皮紙の匂いは店内の香炉でごまかしているようだ。全体的に花の良い香りが広がっている。ロビンは店内をふらふらと見て回る。
 「お二人は何をしにこの大陸に?何か必要な本などありませんか?」
 「そうだなぁ、この大陸の生き物とか植物について書かれてる本とかないかな」
 女店主の顔が曇った。
 「うーん…。あまり詳細なものはないんですよ。ミシュガルドに入植者が来て、最初のころはこの交易所の近隣の生き物とか植物についての研究も熱心にされていたんですが、最近はそういう学者よりも傭兵とか、トレジャーハンターが多くて…。ほら、交易所の登録証を発行した、自警団の詰所。あそこで配布している冊子くらいにしかまとめられてないんですよ」
 「あぁ、あれか」
 確かにもらった。もらったのだが、あの薄い冊子でミシュガルド大陸を冒険しろと言われたらまず無理だろう。近隣の森に出る獣や毒草などについて簡単な記述がなされているにすぎず、ロビンたちが襲われた人語を解する狼やら巨大な蜘蛛やらについては一切記述がない。
 ロビンはリュックからその薄っぺらな冊子を取出し、扇いでみせた。この調子ではミシュガルドの地図も期待しない方がよさそうだ。
 「あの虫も載ってなかったね」
 「でもあれはどう考えたってカミクイムシで決まりでしょ!?」
 また言葉遣いが乱れた。しかし、今度は恥じるそぶりは見せない。
 「あの虫毎日毎日ここに来るんだもの!常連なのかってくらい!もう最悪っ!私虫なんか触りたくないのに!」
 とうとうと語りだす。また藪をつついてしまった、とロビンは女性をなだめる。
 「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ、えーっと…?」
 「あ、私はローロって言います」
 遅ればせながら自己紹介。ローロはぺこりと頭を下げた。そして再び愚痴りだす。
 「大体、こんな大陸で本なんか売れるわけないよ。…絶対これ左遷」
 確実に客相手の口調でも内容でもないが、ロビンは笑みを絶やさずその話を聞き続けるからたちが悪い。
 恐らく、カミクイムシと彼女が名づけた虫に被害を被った者に親近感でも感じているのだろう。だが、そんなことシンチーには関係ない。
 カチャリと鎧の音を立てて存在を知らせる。ギクリとロビンは振り返る。
 例のごとく無表情の彼女に対して、ロビンは少しだけ抗ってみた。
 「ほら、お互いカミクイムシについての知見を交換する必要があるからさ」
 「ないです」
 もうこの本屋に用はないと言わんばかりにロビンの腕をむんずとつかむ。これ以上の抵抗は徒労に終わりそうだ。
 「シンチーィ」
 情けない声で連れて行かれるロビン。だが、そこでローロが声を上げた。
 「…シンチー?」
 呼ばれた本人が無言で振り返る。
 対するローロはやや興奮気味にロビンたちに問いかけた。
 「えっ、あの、シンチーさんって、あのシンチーさんですか!?」
 「…」
 シンチーはじろりとロビンを見た。お前のせいだぞ、とやや反逆的な目つきである。
 ロビンは相も変わらず笑いながら、近くの本を一冊手に取った。
「そう、この『東洋の神秘―エドマチの謎を追う―』の作者、ロビン・クルーさ」
 ローロの歓声が店内に響き渡った。

       

表紙
Tweet

Neetsha