Neetel Inside ニートノベル
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 潮の匂いに包まれていた甲板を、異国の風がさぁっとぬけた。どこか蠱惑的で、新鮮で、それでいてどこか懐かしい香りが鼻をくすぐる。
 「ついに…ついに着いたぞ!ミシュガルド!!」
 甲板で手を広げながら一人の男が快哉を叫んだ。興奮冷めやらぬまま、左手に持っていた分厚い紙の束の上にペンを走らせる。
 「『目の前に現れた大陸に私は吸い込まれるような感覚を覚えた。この不思議な感覚は一体何であろうか?もしかしたら大陸は我々冒険者を待っているのかもしれない。大きな期待と共に私は大陸への第一歩を――』」
 「…まだ船の上ですが」
 水を差された。冷ややかで低い女性の声。
 芝居がかった声で手を動かしていた男は苦笑いで振り返る。
 「シンチーィ…君は毎回毎回いいところでつまらないことを言うねぇ」
 「……」
 無精ひげを生やした顔はしかし、生気に満ちていて目は爛々と輝いている。群青色の髪は好きな方向へとはねていて統制感がまるでない。180センチを超えるであろう巨体はがっしりとしていて、身長の半分の大きさはあるであろうバックパックを軽々と背負っている。
 右手に羽ペンを模した特別製の筆記具、左手に大量の紙束。バックパックの中身以上にこの男が大切にしているものだ。
 「えーっと…『助手につまらぬ茶々を入れられた』と」
 シンチーと呼んだ女性が自分を無視したことがわかると、男はこれ見よがしにそう書き始めた。
「……ロビン」
 女性がジトリと睨んだ。
 褐色の肌、黄色の目、赤紫色の髪は後ろで1つに束ねている。頬には赤い模様が描かれている。纏う服は水着のごとき露出度の高さで、腰と左肩、両腕に申し訳程度の防具を装備している。腰に携えた剣は細く、長い。
 何より目立つのは彼女の側頭部と額から生えている3本の角。ルビーのような光沢を放っている。人間の男を夢中にさせるようなプロポーションに反して、どうやら彼女は人間とは一線を画した存在のようだ。
 ロビンと呼ばれた男は「はいはい」と面倒くさそうに今しがた書いたばかりの文に横線を引いて消した。
 ちょうどその時、船が港に到着するとのアナウンスが流れた。ロビンたちだけではなく、甲板にいたほかの乗客も興奮を口にしながら船の進行方向に目を向ける。
 やけに黒い荒波の向こう、新天地はもう目前に迫っていた。


 数年前突如として現れた謎の大陸、ミシュガルド。その全貌はいまだ明らかにされておらず、富を、名声を、謎を、力を、様々なものを求めて多くが大陸へと渡っていった。
 折しも、戦争で大国が疲弊していた時節、何かにすがりたいという気持ちは種族を超えて共通のものだったのかもしれない。世界を代表する3つの国家が共同で交易所を建設、運営するに至ったのも当然の流れであったといえる。
 もちろん思惑は単なる協調だけにとどまらない。そこには政治的な意図や経済的な利益が少なからずうごめいているのだろう。噂ではとある国がすでに軍隊を大量に派遣しているとかいないとか。
 ただし、新大陸での冒険を本にして出版しようと目論むロビン・クルーと従者のシンチー・ウーには、直接関係する話ではないかのように思われた。だからこそ、2人はこの大陸にやって来たのだし、そんな冒険者はごまんといるはずだ。


 実に様々な種族が船から降りてくる。人間はもちろんのこと、エルフ、オーク、竜人、機械、獣人と、その様相はまるで百鬼夜行のそれである。
 ある者は希望を、またある者は野望を。一つの入り口に無数の思惑が殺到し、混沌を生み出していた。
 「しっかしまぁ、よくもこれだけの人が集まるものだよねぇ」
 ビットに腰掛けながら、ロビンが力の抜けた声で感心する。
 ぞろぞろと列をなして交易所の門をくぐる者たちを目で追いながら、シンチーもうなずいた。恐らくその多くがまずは宿でも探しに行くのだろう。
 そしてふと気づいたように、船の方を振り返る。
 自分たちも含めて、船からは多くの乗客がミシュガルドに上陸した。それとは逆にこの船に乗って故郷に帰ろうという者がいてもおかしくはないはずなのだが、その気配が全くない。
 「ま、帰りたくもないんでしょ。まだまだ開拓の可能性が広がっている大陸だからね」
 「…そうは言っても、これだけの人数が毎回やって来ていたら」
 途中で言葉を切る。最後まで話さずに相手に自分の言いたいことを察してもらうシンチーの癖だ。
 ロビンは薄く笑って新たな入植者たちを目で追った。
 「きっとこの交易所が飽和状態になってしまうだろうね。だけどそんな話は聞いたことがない」
 この大陸には交易所の他にも駐屯地や集落が出来上がりつつあるという。しかし、そうは言っても大陸の全貌が未だ明かされず、人口が爆発的に増えているわけでもないのはなぜなのか。
 「新大陸には危険がいっぱい」
 さらりと言い放つロビンに眉をひそめる。
 この男はその危険な大地に今自分自身が降り立ったことを自覚しているのか。


 2人が視線を向けた先、都市と言えるまで発展した交易所を包み込むかのように、山はそびえ、森は広がり、空はくすんでいた。

       

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